「傍観者の罪」
ある日の、複数の場所で。
都内の会社で、三十歳の男が昼休みにスマートフォンを開いた。
二年前の炎上を覚えていた。柏木真司という名前を、うっすら覚えていた。あの時、自分はスレッドを読んだ。書き込みはしなかった。タグも使わなかった。拡散もしなかった。ただ読んだ。それだけだった。
だから自分には関係ない、と思っていた。
しかし今日、類似事件のニュースを読んでいて、ふと考えた。
あの時、スレッドを読んで、閉じた。それだけだった。しかしスレッドのアクセス数は、自分の一件分増えた。アクセス数が多いスレッドは、プラットフォームの仕組みで上位に表示されやすくなった。上位に表示されたスレッドを、より多くの人間が見た。
自分は何も書かなかった。しかしスレッドを読んだことで、その拡散に加担していたかもしれなかった。
その事実を、今まで考えたことがなかった。
——神奈川の主婦が、夕方、テレビのニュースを見ていた。
二年前の炎上についての特集だった。柏木真司の名前が出た。七歳の娘が今は九歳になっていると、ナレーションが言った。
主婦は覚えていた。あの時、スマートフォンでニュースを読んだ。「かわいそう」と思った。しかし何もしなかった。誰かに話すこともしなかった。署名活動があることを知っていたが、参加しなかった。忙しかった。子供の世話があった。
かわいそう、と思うことと、何かをすることの間には、距離があった。
主婦はその距離のことを、今初めて考えた。
——大学で、二十歳の学生がゼミの課題レポートを書いていた。
テーマは「ネット上の集合行動と個人の責任」だった。柏木事件を事例として取り上げることにした。資料を集めた。七万八千件のタグ。特定班の活動。YouTuberの突撃配信。
書きながら、自分が高校生の時のことを思い出した。
同級生がSNSで中傷されていた。誰がやっているか、薄々分かっていた。しかし何も言わなかった。見ていた。見ていて、何もしなかった。
レポートに「傍観者効果」という言葉を書いた。周囲に人間が多いほど、個人の責任感が薄れ、行動しない傾向がある、という心理学の概念だった。
書きながら、自分がその傍観者だったことを、静かに認めた。
——三つの場所で、三人の人間が、それぞれ異なる問いを抱えた。
書き込まなかった。拡散しなかった。しかし見ていた。知っていた。何もしなかった。
その「何もしなかった」が、世界に何をしたのか。
答えは出なかった。しかし問いは残った。
問いが残ることが、何もないよりはましだと、三人はそれぞれの場所で、それぞれ思った。
秋の夜が、それぞれの部屋に降りていった。




