「柏木の娘」
事件から約二年後・秋 午後4時〜夜
今日、九歳になった。
彩は誕生日ケーキの前に座っていた。ろうそくが九本立っていた。加奈子が「吹いて」と言った。彩は息を吸った。
吹く前に、少し考えた。
お願いごとを何にするか。去年は「パパに会いたい」と心の中で言った。ろうそくは消えた。しかしパパには会えなかった。だから今年は別のことにしようと思った。
息を吹いた。九本全部、一度で消えた。
「何お願いしたの」と加奈子が聞いた。
「秘密」と彩は言った。
夕食の後、加奈子が「少し話していい?」と言った。彩はソファに座り、加奈子の顔を見た。真剣な顔だった。
「パパのことを、ちゃんと話したことがなかったと思って」と加奈子は言った。
彩は黙って聞いた。
「パパはね、本当に普通の人だった」と加奈子は言った。「すごく優しいわけでも、すごく強いわけでもなかった。朝寝坊するし、財布を忘れるし、感動映画で泣くのを隠していた。そういう人だった」
彩は少し笑った。「感動映画で泣いてたの、知ってた」
「バレてたの?」と加奈子が言った。
「こっそり拭いてるの見えてたよ」
加奈子も笑った。
しばらく二人で笑っていた。笑いが落ち着くと、加奈子が続けた。
「パパはね、ネットで悪いことをしたと言われた。でも本当は、していなかった。それを証明するために、お母さんはずっと裁判を続けてきた」
「うん」と彩は言った。「知ってる」
「知ってたの?」
「学校で調べた」と彩は言った。「図書室のパソコンで、パパの名前を調べた。色々出てきた。悪いことが書いてあるページもあった。でも嘘だって分かった。だってパパがそんな人じゃないの、私が一番知ってるから」
加奈子は彩を見た。
何も言えなかった。
九歳が、自分で調べて、自分で判断していた。加奈子が守ろうとしていた娘は、もうずっと前から自分で立っていた。
「パパのこと、嫌いになったことある?」と加奈子は聞いた。
彩は少し考えた。
「最初はあった」と答えた。「なんで死んだんだろうって怒った。でも今はない。パパは悪くなかったから、怒る理由がない」
「そうだね」と加奈子は言った。声が少し揺れた。
「お母さん、泣きそう?」と彩が聞いた。
「泣きそう」と加奈子は答えた。正直に。
「泣いていいよ」と彩が言った。「誕生日だし、特別に許す」
加奈子は笑いながら泣いた。
彩は加奈子の隣に座り、肩に頭を乗せた。小さい頭だった。しかし重さがあった。確かな重さがあった。
窓の外で、秋の風が木を揺らした。
九歳の夜が、静かに更けていった。




