「早瀬の独り言」
事件から約二年後・夏 深夜0時〜午前3時
桑田が転職して二週間が経った。
デスクの隣が空いていた。桑田のモニターはなくなっていた。電源ケーブルの跡だけが床に残っていた。新しい担当者が来るまで、しばらくかかると言われていた。
深夜の署は静かだった。
早瀬は一人でキーボードを叩いていた。さやか案件の最終書類だった。高橋の判決が確定し、民事訴訟の準備もさやかの弁護士に引き渡した。早瀬の手を離れる最後の書類だった。
打ち終わった。
保存した。
モニターを見た。書類が画面に広がっていた。二年間で関わった案件の記録が、このPCの中に入っていた。柏木真司。水野アカリ。久我山拓海。久我山誠一郎。中村さやか。高橋雄介。それぞれの名前が、それぞれのフォルダに入っていた。
早瀬は独り言を言った。
誰もいないから、独り言だった。
「柏木さん」と言った。
返事はなかった。当然だった。
「間に合いませんでした」と言った。「あと二分、早く着いていれば、という考えは今も来ます。しかし来るたびにやめます。変えられないから。変えられるのは今だけだから」
夜の署が静かだった。
「水野さんはNPOで働いています。さやかさんも職場に戻りました。加奈子さんは訴訟を続けています。彩ちゃんは八歳になりました。拓海は服役中です。誠一郎さんはアパートで一人で暮らしています。桑田は防ぐ側に行きました」
それぞれの名前を並べると、二年間の重さが感じられた。
「全員が、まだ生きています」と早瀬は言った。「柏木さん以外は、全員まだ生きている」
その事実が、早瀬には重かった。
生きているということは、続いているということだった。終わっていないということだった。裁判が終わっても、判決が出ても、それぞれの時間は続いていた。
早瀬はモニターを消した。
部屋が暗くなった。
窓の外の高速道路を、深夜の車が流れていた。止まらなかった。
早瀬は上着を取った。
帰ろうとして、止まった。
桑田のデスクを見た。空だった。電源ケーブルの跡だけがあった。
「よくやった」と早瀬は言った。桑田に向けた言葉だった。桑田はいなかった。しかし言った。
それから歩き出した。
深夜の廊下を歩いた。足音だけがした。
外に出ると、夏の夜気が体を包んだ。
空に星が出ていた。
早瀬はしばらく空を見た。
それから歩き始めた。止まらなかった。




