「ディープフェイクの被害者」
事件から約一年後・冬 午前10時〜午後8時
元交際相手の男の名前は、高橋雄介といった。
三十二歳。ITエンジニア。都内のマンションに一人暮らし。SNSのアカウントは複数あったが、どれも別名だった。しかし桑田がIPアドレスと投稿パターンを追うと、問題の動画を拡散した最初のアカウントに辿り着いた。
「本人が投稿したか、拡散させた第三者に依頼したかは、まだ断言できません」と桑田は言った。「ただ、最初の発信源はほぼ確実です」
早瀬は任意同行状を取る前に、一度被害者の女性に会った。
仮名で対応していた女性、実名は中村さやかといった。三十四歳。広告代理店に勤めていた。
「少し進展がありました」と早瀬は言った。「確認してほしいことがあります」
さやかは頷いた。
「高橋雄介という名前に、心当たりはありますか」
さやかの顔が変わった。
「それが彼の名前です」と言った。「なぜ知っているんですか」
「IPアドレスの追跡です」と早瀬は答えた。「動画の最初の発信源に繋がりました」
さやかは目を閉じた。しばらく動かなかった。
「やっぱり彼だった」と言った。目を開けた。「分かっていました。でも確証がなかった。自分の思い込みかもしれないと、ずっと自分を疑っていました」
早瀬はその言葉を聞いた。
自分を疑っていた。その言葉が、頭に刺さった。
水野アカリも同じだった。人事部に「思い込みでは?」と言われた。五年間、自分が間違っているのかもしれないと思い続けた。被害者が自分を疑う構造は、何も変わっていなかった。
「思い込みではありません」と早瀬は言った。「証拠があります」
さやかは早瀬を見た。
「動けますか」と早瀬は聞いた。「まだ外出が難しいですか」
「動けます」とさやかは言った。「もう、動かなければいけないと思っています」
午後、早瀬と桑田は高橋のマンションへ向かった。
インターホンを押した。
返答があった。早瀬は名前と用件を告げた。
しばらく間があった。
ドアが開いた。
高橋雄介は三十二歳だった。細かった。目が泳いでいた。早瀬を見て、桑田を見て、また早瀬を見た。
「お話を聞かせてください」と早瀬は言った。
高橋は黙っていた。
「任意でお願いしています」と早瀬は続けた。「ただ、応じていただけない場合は別の手続きを取ります」
高橋は三秒考えた。
「分かりました」と言った。
早瀬は高橋の顔を見た。
拓海の顔とは違った。拓海は来ると分かっていた顔だった。高橋は違った。追い詰められた顔だった。計画と衝動の違いだと、早瀬は思った。しかし被害者の傷の深さは、どちらも変わらなかった。
パトカーが走り出した。
冬の空は低かった。しかし光はあった。




