「ムギとの再会」
事件から約一ヶ月後 午後2時〜夕方
アパートの前に立った。
築二十三年の建物は、変わっていなかった。郵便受けに広告が詰まっていた。外壁の染みも、植え込みの雑草も、一ヶ月前と同じだった。世界は自分がいない間も、変わらずそこにあった。
鍵を取り出した。
山本弁護士が取り戻してくれた鍵だった。執行猶予付き有罪判決が確定したのは三日前だった。殺人未遂罪、執行猶予三年。刑務所には行かなかった。しかし有罪は有罪だった。
アカリはそれを受け入れていた。
久我山誠一郎を刺した。事実だった。消えない事実だった。拓海に誘導されていたこと、マルウェアで監視されていたことが考慮されても、刺したのは自分だった。
ドアを開けた。
部屋の空気が淀んでいた。一ヶ月間、誰も住んでいなかった部屋の空気だった。窓を開けた。秋の風が入ってきた。カーテンが揺れた。
田村さんに電話をかけた。
「戻りました。ムギを迎えに行っていいですか」と言った。
「待ってたわよ」と田村さんは言った。「ムギも待ってた」
303号室のドアをノックした。
田村さんが開けた。足元に薄茶色の猫がいた。
ムギだった。
アカリを見た。一秒、動かなかった。
それから走ってきた。
アカリの足元にすり寄り、脚に体を押しつけ、喉を鳴らした。アカリはしゃがんだ。ムギを抱き上げた。温かかった。重かった。一ヶ月前と同じ重さだった。
「行ってくるって言ったよね」とアカリはムギに言った。「帰ってきたよ」
ムギは何も言わなかった。ただ、アカリの胸に顔を押しつけた。
田村さんが「よかった」と言った。目が赤かった。
「お世話になりました」とアカリは言った。
「こちらこそ」と田村さんは言った。「ムギがいてくれたおかげで、私も楽しかった」
アパートに戻った。
ムギを抱いたまま、部屋の真ん中に立った。
六畳一間。淀んだ空気はまだ残っていた。しかし窓から風が入り続けていた。少しずつ、入れ替わっていた。
冷蔵庫を開けた。空だった。買い物に行かなければならなかった。ムギのご飯も買わなければならなかった。
やることがあった。
その事実が、アカリには不思議と温かかった。やることがある。明日もある。明後日もある。執行猶予の三年間、やることがある。
カーテンが揺れた。
秋の光が、部屋の床を移動していた。
ムギが押し入れの上に飛び乗った。いつもの場所だった。そこから部屋を見下ろし、目を細めた。
「ただいま」とアカリは言った。
誰に言ったのか、分からなかった。ムギに言ったのかもしれなかった。部屋に言ったのかもしれなかった。
返事はなかった。
それでよかった。




