表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
証言者は、あなたです  作者: やはぎ・エリンギ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

60/100

「流れていくもの」

早瀬凌は、窓の外の高速道路を見ていた。

いつもと同じ景色だった。車が流れていた。止まらなかった。

書類仕事が積み上がっていた。事件は終わっていなかった。久我山拓海の裁判はこれからだった。水野アカリの処分も決まっていなかった。加奈子の民事訴訟も始まったばかりだった。

しかし早瀬には、この事件から学んだことがあった。

七万八千人の怒りは、一人の人間を殺した。法律は七万八千人を裁けない。しかし七万八千人がいなければ、柏木真司は死ななかった。その事実は消えない。

早瀬はキーボードを叩いた。次の書類に向かった。

——加奈子は、弁護士事務所の待合室にいた。

今日で三回目の相談だった。民事訴訟の準備が進んでいた。特定班の中心人物、レイジ、電凸を呼びかけたアカウント。訴訟の対象が少しずつ絞られていた。

全員を訴えることはできない。弁護士にそう言われていた。しかし一人でも多く、法の前に立たせたかった。真司のためではなかった。彩のためだった。

「お母さん、勝てるの?」と彩に聞かれた日のことを思い出した。

「勝ち負けじゃないよ」と加奈子は答えた。「ちゃんとやったことを、ちゃんとやったって言える場所に連れて行く、ということ」

彩は「ふうん」と言った。七歳にはまだ難しかったかもしれない。しかしいつか分かる日が来ると、加奈子は思っていた。

——アカリは、山本弁護士と向き合っていた。

処分の方向性が出てきていた。久我山誠一郎がセクハラを認めたこと、拓海に誘導されていたことが証明されたこと、マルウェアによって声を無断使用されたことが考慮されていた。

「執行猶予がつく可能性が高い」と山本弁護士は言った。

アカリは頷いた。

「ムギは元気ですか」と山本弁護士が聞いた。

アカリは少し驚いた。弁護士がムギの名前を知っていた。どこかで話していたらしかった。

「田村さんのところで、元気にしているそうです」とアカリは答えた。「会いに行きました」

帰れる日が来たら、迎えに行く。それだけが今のアカリの、具体的な目標だった。

——拓海は、接見室で母の写真を見ていた。

弁護士が差し入れてくれた。押収されたPCの中から、写真データを取り出して印刷してくれた。

写真の中で、母が微笑んでいた。

証言は届いたのか。

その問いの答えは、まだ出ていなかった。しかし世界に出た。それは確かだった。父が認めた。ネットが知った。早瀬が書類に残した。

それで十分なのかどうか、拓海にはまだ分からなかった。

——ある夜、ひとりの人間がスマートフォンを開いた。

四十代の会社員だった。名前は出てこない。あの時期、「#柏木真司を許すな」というタグを三件投稿していた。特定スレに書き込んでいた。無言電話はしていなかった。出前も送っていなかった。しかしタグは使った。

今夜、スマートフォンを開いたのは、別の炎上案件を見るためだった。新しい標的がいた。新しいスレッドが立っていた。新しいタグが生まれかけていた。

その人間は、スマートフォンを閉じた。

なぜ閉じたのか、自分でも分からなかった。ただ、閉じた。

部屋が静かになった。

画面が暗くなった。

暗い画面に、自分の顔が映った。

その顔を、しばらく見た。

証言者は、あなたです。

誰かがそう言った気がした。声ではなかった。どこからでもなかった。しかし確かに、聞こえた気がした。

スマートフォンを置いた。

部屋の静けさの中で、その人間はしばらく、自分の顔を思い出していた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ