「彩の質問」
16日目 15時30分〜20時
玄関のドアが開いたのは、15時41分だった。
「ただいま」という声がした。小さい声だった。以前より小さくなった声だった。
加奈子は台所から「おかえり」と返した。できるだけ普通の声で言った。
彩がランドセルを下ろす音がした。洗面所で手を洗う音がした。それから台所に顔を出した。
「今日、何があった?」と加奈子は聞いた。
「べつに」と彩は言った。
それだけだった。以前なら「図工で版画やったよ」とか「体育でドッジボールした」とか、聞かなくても話してくれた。今は「べつに」が多かった。加奈子はそれを責めなかった。七歳の子供が「べつに」という言葉を覚えたのは、そうするしかない場面があったからだと分かっていた。
おやつを出した。プリンだった。彩が好きなものだった。
彩は黙って食べた。スプーンがカップに当たる音だけがした。
加奈子は隣に座り、お茶を飲んだ。
しばらく静かだった。
「ねえ、お母さん」と彩が言った。
「なに?」
彩はスプーンを持ったまま、テーブルを見ていた。
「パパは、なんで死んだの」
加奈子は息を止めた。
来ると思っていた。いつか来ると思っていた。しかし今日来るとは思っていなかった。今日の彩の「べつに」の裏に、この質問があったのかと思った。
「悪い人たちに、いじめられたから」と加奈子は言った。
言葉を選んだ。七歳に伝わる言葉を選んだ。嘘は言わなかった。しかし全部は言わなかった。
「いじめた人たちは、パパのことを悪い人だと思ってたの?」と彩が聞いた。
「そう思ってた」と加奈子は答えた。「でも、違った。パパは悪い人じゃなかった」
「なんで違うって、分からなかったの?」
加奈子はその質問を受け止めた。
「調べなかったから」と加奈子は言った。「本当かどうか確かめないで、悪い人だと決めつけた」
彩はしばらく黙っていた。スプーンをカップの縁に置いた。
「学校でね」と彩が言った。「誰かが転んで泣いてたら、みんなで笑ったことがある」
加奈子は彩を見た。
「笑ったの?」と聞いた。責めない声で。
「うん。みんながしてたから。でも、よくなかったと思った。後で」
「そう思えたなら、よかった」と加奈子は言った。
「パパをいじめた人たちも、後で思うかな」と彩が聞いた。
加奈子は答えに詰まった。
思う人もいる。思わない人もいる。そのどちらも本当だった。しかし七歳にそれを全部言うべきかどうか、加奈子には分からなかった。
「思う人もいると思う」と加奈子は言った。
彩はそれを聞いて、また黙った。
窓の外が暗くなり始めていた。夕飯の支度をしなければならなかった。しかし加奈子はしばらく動かなかった。
彩が「お母さん」と言った。
「なに?」
「パパのこと、忘れない」
加奈子は彩の頭を引き寄せ、胸に抱いた。
泣いてもいいと思った。泣いてもいいのに、涙が出なかった。出し尽くしたのか、まだ先があるのか、分からなかった。
ただ、彩の温もりがあった。
窓の外で、夜が始まっていた。




