「息子の憎悪」
15日目 午後4時過ぎ〜午後9時
拓海は抵抗しなかった。
「任意でお話を聞かせてください」と早瀬が言うと、「分かりました」と答えた。上着を取り、鍵を閉め、静かについてきた。逃げる素振りも、弁護士を求める声も、なかった。
署の取調室に入った。
椅子に座った拓海を、早瀬は正面から見た。痩せていた。頬が落ちていた。目の下の影が深かった。しかし目は澄んでいた。濁りがなかった。
「久我山誠一郎さんはあなたの父親ですね」と早瀬は言った。
「はい」と拓海は答えた。
「最後に会ったのはいつですか」
拓海は少し考えた。「十一年前です」と言った。「私が二十三歳の時。それ以降、会っていません」
「なぜですか」
拓海は窓のない壁を見た。
「父は私が子供の頃から、家にほとんどいませんでした。仕事だと言っていました。しかし母から後で聞いた話では、外に女性がいた。複数いた。母はそれを知りながら、離婚できなかった。経済的な理由と、世間体と、それから怖かったから」
「お母さんを怖がらせていた?」
「声を荒げるんです。物を投げることもあった。暴力というほどではなかったかもしれない。しかし母は父の機嫌を、常に読みながら生きていた。私もそうでした」
拓海の声は平坦だった。感情を抑制しているのではなく、語り尽くした話を改めて並べているような声だった。
「母が癌で死んだのは六年前です」と拓海は続けた。「末期でした。父には連絡しました。来ませんでした。葬儀にも来ませんでした。仕事が忙しいと言いました」
取調室が静かになった。
「その時に決めました」と拓海は言った。「父を終わらせると」
「殺すつもりだったということですか」
拓海は早瀬を見た。
「殺したかった。でも自分の手では無理だと分かっていました。だから考えた。時間をかけて、考えた。水野アカリさんの存在を知ったのは二年前です。父にセクハラを受け、告発し、失職した女性がいると。ネットに残っていた古い書き込みから辿り着きました」
「アカリさんを利用する計画を立てた」
「利用という言葉は正確ではないと思います」と拓海は言った。「彼女には正当な怒りがある。私はその怒りに、形を与えようとした」
「しかし柏木真司さんが死にました」
拓海の目が、わずかに動いた。
「それは」と言って、止まった。
「計画にありませんでした」と続けた。「ネットがあそこまで動くとは思っていなかった。柏木さんが特定されるとは思っていなかった。あの方の死は、私が望んだことではありません」
「しかし止めなかった」
拓海は答えなかった。
その沈黙が、答えだった。
早瀬は録音機器を止めた。
窓のない部屋に、沈黙だけが残った。拓海は俯いていた。三十四年間、父親への憎悪を抱えてきた男の背中が、そこにあった。
早瀬には、拓海を憎む気持ちが持てなかった。
しかし許す気持ちも、持てなかった。




