第33話 潜入
横の出入り口から薄暗い廊下へ進むと、その先のフロントにはシンプルで運動しやすそうな服を着た若い男女が働いていた。
その様子は、アンズ先生が入院していた病院のナース・ステーションのような雰囲気だった。
出入り口からここまで、おそるおそる進んだものの、めぼしい発見はなく、フロントの人に見つからないように、廊下をほふく前進して奥に進んでいくことにする。
廊下の先は、さらに暗く、よく見えない。
静かすぎて、お客さんがいるかどうかもわからないまま、ほふく前進で先へ先へ突き進んでいると……。
「な、なんだお前ら!なに、やってるんだ!」
と、酒とつまみを抱えた大男に、出くわしたのだった。
しまった!
薄暗い廊下で、死角から曲がってきた大男に、見つかってしまった!
大男は、警備員やスタッフではなく、かといって泊まり客のようでもなく。
黒スーツがビシって決まったひげズラで、まるでドラマにでも出てきそうなヤクザのようだった。
「わ、私たちは、ここのスタッフで。いま、お客さんに呼ばれて」
と、とっさにアンズ先生が嘘をつくと、
「客に呼ばれたスタッフが、なんで廊下を寝そべってたんだ!」
と大男が怒鳴ってくる。
「それは……。落とし物を頼まれて探してたんです!」
「落としものだぁ?
それを頼んできたのは、どこにいるんだ!
おまえらしかいないじゃないか!」
「えっと、それは……。
スッ、スイートルームのお客様です!
スイートルームからフロントに電話がかかってきて」
「スイートルームだぁ……?
お前ら、うちの親父に何の用だ!
親父が、お前らみたいなのを呼ぶわけねーんだ!
いま、俺が親父から頼まれて、酒とつまみを買ってきたところだ!
あやしいぞ、お前ら!」
と言って、二人に近づいてくる!
ゲッ、このヤクザ風の大男、スイートルームの宿泊客の関係者なの!
と慌てて寝そべったまま後ずさりする二人。
すると、ヤクザ風の大男が花森の服を掴むと、片手で床から引きずり起こした!
く、苦しい! 首が閉まる!
それを見たアンズ先生が、あわてて花森を助けようと、ヤクザ風の大男の腕に飛び掛かってった!
そこで、ヤクザ男が花森を廊下に叩きつけると、今度はアンズ先生を両腕で取り押さえようとする!
廊下に叩きつけられた花畑が、苦しそうにジャージの中に隠し持っていた「クッキング・スプレー」を取り出して、アンズ先生に馬乗りになったヤクザ男の顔に、その中身をシュッ、シュッと吹きかけた!
その中身は、唐辛子入りの水だ!
今回、護身用の武器など持ってきてなかったので、「はなれ」の様子を見に行くことになると、念のため、クッキング・スプレーに調味料の唐辛子を溶かした水を入れて、即席の護身具として持ち歩いていたのだった。
唐辛子入りの水を、目に吹き付けられたヤクザ男が目を覆って、「うぉー!」と叫びながら、のたうち回る!
やった、逆転だ!
でも、それを見た安栖先生が、あわてて、
「まずい! 騒ぎでみんなが来ちゃう!」
とヤクザ男の口を封じようと近づいた、その瞬間!
その時、苦し紛れに振り回したヤクザ男の片手が、アンズ先生のほそい首を掴んだ!
目が見えていないヤクザ男だったが、そのまま渾身の力で、片手でアンズ先生の首を絞めつけた!
薄暗い廊下で、アンズ先生が男に首をぐいぐい絞めつけられる。
片手だけだが、大きな手によって、アンズ先生が危険な状態になっていく!
「言えっ、何者だ!
いったい、なんの目的でここに侵入したんだ!」
目が見えないまま首をつかんだ大男からの問いかけにも、言葉を発せられないアンズ先生!
慌てた花森が、ヤクザ男に蹴りを入れたものの、びくともしない。
『アンズ先生が死んじゃう! 誰か、助けて!』
そう思いながら、ヤクザ男の腕にしがみ付いた花森だったが、振り払われて、また廊下に叩きつけられた。
それでも、あきらめない!
花森がもう一度、ヤクザ男の腕にしがみ付いて、腕にかみついた!
「痛てーーー!」
やくざ男の叫び声が、廊下に響き渡る!
そのとき、廊下の先の暗がりで「チーン」という音とともに、エレベーターから降りてくる人がいて、
「おい、三条か?
何、ぐずぐずやってるんだ。
酒とつまみを買ってくるのに、いつまでかかってるんだ」
と、ヤクザ男に誰かが声をかけてきたのだった。
その声の様子から、かなり高齢の老人のようだが、体は大きく、背も曲がっておらず、しっかりとした足取りだった。
その声に、「お、親父……」と、答えたヤクザ男の手が緩む。
すると、老人の姿が目に入ったアンズ先生の口から、
「錦鯉のおじちゃん……」
と苦しげに、声が漏れたのだった。
「あれ、アンちゃんじゃねーか!
おい三条、てめぇこのやろう!
お前、アンちゃんになんてことしやがるんだ!」
そう答える「おじちゃん」と呼ばれた人物のひと声に、驚くヤクザ男。
手を離してアンズ先生を解放すると、慌てて顔をぬぐって、目を空けようとする。
廊下に崩れ落ちるアンズ先生!
「アンズ先生、アンズ先生、大丈夫ですか!」
と駆け寄る花森!
花森の呼びかけに、大丈夫、とうなずきながら、
「『親父』って『錦鯉のおじちゃん』のことだったの……」
とつぶやいたアンズ先生に。
「親父だなんて。言わないでくれよ、アンちゃん。
おじちゃんは、もう堅気になって。いまは警備会社の会長なんだよ。
大丈夫かい!
うちのものがとんでもないことしちまったようで……」
なんて言いながら、やっと目が空けられるようになった三条に。
とても高齢の老人とは思えないけりを、「ガンッ、ガンッ!」と顔面に叩き込む、錦鯉と呼ばれた老人。
何発か、けりを受けてその場に崩れ落ちる、三条と呼ばれたヤクザ男だった。
その時、廊下の先の暗がりで「チーン」という音とともに、またエレベーターから降りてくる人がいた。
車いすに乗った老人がゆっくりと現れたのだった。
「錦鯉、はやく麻雀の続きをやろうぜ。
何やっているんだ」
とこちらも高齢のようだが、はっきりとした声で錦鯉と呼ばれた老人に声をかけてきたのだが。
その声を聴いたアンズ先生が、驚きの表情を浮かべた。
「パパ……」
そこにいたのは、車いすに乗った、アンズ先生の父親であり、浅野涼子先生の夫である、映画監督の新藤蓮司、その人だった。
「アンちゃんじゃないか? どうしたんだ? パパに会いに来てくれたのかい?」
「高級老人ホームに入居しているパパが、なぜここにいるの!?」
「アンちゃん。ここがその高級老人ホームだよ」
とアンズ先生からの質問に答える、新藤監督だった。
そこに、アンズ先生の後ろから、
「杏子、『はなれ』には来てはだめだって言ったでしょ!」
と怒った声がした。
振り返るとそこには、本館から駆けつけたアンズ先生の母親、浅野涼子が立っていた。




