第2話 編集見習い、やってます
静岡で育った花森は、子供のころから引っ込み思案な性格で、本が大好きな子だった。
小学校の後半から周囲になじめなくなり、中学時代は昼休みはずっと図書館にいた。
高校に入ってからは、保健室にいることが多くなり、しまいに不登校が続くようになった。
イマドキの子にしてはめずらしく、時間つぶしはもっぱら読書で、図書館か書店と自宅を往復する以外は、家でじっとスマホでネットを見るだけの日々が続いていたのだが。
ある日の午後、テレビでやっていた学園ドラマ『料理やろうよ!』の再放送を見て、「この女の子、かっこいい……」と主人公のライバル役だった、キョウコに引き付けられた。
慌てて、配信でそのドラマを一気見したのだった。
そのドラマの主人公、ヒカリは花森のような内向的な女の子だったが、そのライバルの料理部部長のキョウコは、前向きで強気で主人公にぐいぐい当たってきて、かなりきつい性格だったが、最後にはヒカリをライバルとして認める、という役だった。
主人公が清純派の人気俳優で、キョウコ役の浅野杏子が大女優の浅野涼子の娘だったことへの妬みもあり、ヒカリに上から目線で「あーだ、こーだ」ときつく言うキョウコが、ネット上ではかなり叩かれたが、花森は圧倒的にキョウコに惹かれたのだった。
「キョウコはヒカリにきつく当たっているけど、実はヒカリの秘めた力を引っ張り出そうとしている……」
浅野杏子が演じる役は、お金持ちのお嬢様で、強く、美しく、フェアに主人公と競い合い、負けたときは潔く相手の実力を認める、という役を演じている杏子本人そのまま! のキャラクターで。
主人公に近い性格だった花森は、引っ張られるようにキョウコを演じる浅野杏子にハマっていったのだった。
その日から、浅野杏子のSNSをフォローし、過去の出演作の動画をあさる日々が始まる。
そして、「アンズ」という名前でSNSで大女優の母親譲りの料理の腕前を披露するようになると、花森もまねして料理を始めた。
アンズ先生の影響でメイクやファッションにも興味を持ち、なんとか高校を卒業して、地元の大学に進学し、アンズ先生の推し活を続けながら、憧れていた出版社へ就職できたのだった。
浅野杏子ことアンズ先生は、大女優の浅野涼子と映画監督の進藤蓮司の娘で、いわゆる二世タレントだ。
群馬県にある老舗旅館「彩栄館」に生まれた母親から、幼いころから厳しく料理の手ほどきを受けていたらしい。
子どものころから子役として様々なドラマに出演して有名だったが、高校生になったころから、モデルやバラエティタレントとして、俳優以外の活躍が増えていた。
それが数年前のコロナ禍のときに、軒並み芸能活動が自粛されることになって、母親仕込みの料理の腕前をSNSで披露するようになる。
しっかりした技術に裏打ちされたうえで「映える自炊」を コンセプト に、 華やかな経歴と、ザ・お嬢様といった派手な容姿に似合う、とにかく鮮やかで映える、でもちゃんと美味しい料理でバズったのだった。
それにいち早く目をつけたのが、ララサンシャイン社の編集者の中沢で、その当時は料理本に強い出版社でもなかったのだが、アンズ先生を口説き落として最初の本を発売した。
コロナ禍の影響が残る、まだまだ外食を控えてウチ飯が人気の頃に、ララサンシャイン社から発売されたアンズ先生の最初の料理本『アンズ先生の映える自炊レシピ』は初版1万部から増刷を重ね、累計10万部の大ヒットになったのだった。
アンズ先生は、それから続々と「映える」「バズる」「簡単」をテーマにしたレシピ本をシリーズ化してヒット本を連発。さらにララサンシャイン社以外の大手出版社や老舗出版社からも本を出すようになり、ネットやテレビで料理研究家として活躍する日々が始まり、今に至る。
コロナ禍に登場して、ポスト・コロナ時代の次世代の料理研究家として、バッチリとハマった一人だったのだ。
アンズ先生は、派手な目鼻立ちにふわふわのロングにほっそい体だけど、自分で作った大量の料理を美味しそうにぜんぶ平らげる。一時期は、大食いタレントになるんじゃないかと、ファンが心配するほどだった。
ただ本人の話では、母親の芝居や踊りのお稽古に付き合わされて、朝のジョギングやダンスレッスンにも付き合わされてたから、この体になったという話だ。
完璧なルックスに完璧なスタイル、強気な性格で料理で人気が出ると、管理栄養士の資格も取ったアンズ先生には、俳優の仕事だけでは枠が狭すぎたようだ。
徐々に俳優から、モデル、そして料理研究家&インフルエンサーへと活動の幅を広げていったのだった。
今日は、中沢の代理として、初めてアンズ先生の事務所に伺い、マネージャーの塚本愛華に、次の本の企画の相談をする日だった。
脳梗塞で倒れた中沢のパソコンはまだ眠ったままなので、編集部内で考えたいくつかの案に、花森自身の企画案を加えて塚本マネージャーにメールで送って、その返事を聞くために事務所にお伺いする。
アンズ先生には、まだお会いできていない。会えるのは、マネージャーの塚本さんだけだ。
いかにも仕事ができそう! という感じの妙齢の美人マネージャー経由で、提出した企画について、アンズ先生の感想を伺うことになった。
塚本が、目の前に並べたいくつかの企画書に目を落としながら、
「この企画内容では、どれもOKは出せませんね。
どれも似たような企画ばかり。
たとえば、この『せいろ蒸し』の企画、いまから追いかけて発売する頃にまだ流行っているかしら?
こっちの、かんたん、レンチン、作り置きは前にやっているし、物価が上がるばかりで以前よりコスパが悪いし、前の本より貧しい内容の本しかできないでしょう。
アンズ先生は、カンタンでコスパのよい料理は作っても、それは鮮やかで映えるものでないと! 貧しそうな企画はやりません。
再検討をお願いします」
と企画のダメ出しを言われて、ぐうの音も出ない花森だった。
塚本が、さらに一つの企画書を取り上げた。
「この企画は、オリジナリティはあるけれど……」
そう、それは私の企画です!
と心の中で興奮する花森。
それは、アンズ先生のスイーツ本の企画だった。
アンズ先生は、コロナ禍の自粛期間中に自炊が中心のレシピでブレイクしたし、モデルをやってるからか、スイーツ系のレシピが少ない。
映える料理でブレイクしたのに、スイーツをやらないのはもったいない!
それにアンズ先生のSNSは有名無名を問わず、しょっちゅうお店に行ってスイーツ紹介が上がってる。
絶対にスイーツは好きなはず!
過去にアップされた数少ないスイーツのレシピは、どれも神がかってた! と意気込む花森だったが。
「アンズ先生は、スイーツの料理本は出しません。
先生にとってスイーツは大切な存在で、出すなら自分の最後の料理本として、ご自身の集大成として出したいそうです。それにはまだ早い」
それに、と付け加えてくる。
「事務所としても反対です。
料理本の中でも、スイーツは少しハードルが高いんじゃない?
今の厳しい社会情勢の中で、趣味性が高いスイーツの本が売れるかしら?
今は自炊中心で、コストや実用性を重視した料理本が求められているんじゃない?
スィーツは、コスパが悪く、かんたん重視のおかずなどと違って、市場が狭いうえに読者を選ぶし、ファンがついている有名パティシエの本もいっぱいありますよね?
あなた、編集者になったばかりでしょう?
もう少し、市場調査をしてきた方がいいんじゃない?」
と、口調はやんわりだったけど。
その顔には「出直してこい」と書いているようだった。
悔しい思いをした花森だったが、塚本マネージャーの言うことは、もっともなことだった。
やはり中沢がいないと、アンズ先生を納得させる企画を立てることは不可能なのかもしれない。
実は、手術が終わったばかりの中沢が、病床から会社のパソコンのパスワードを送ってくれて、「アイデアノートがあるから企画のヒントにして」と言ってくれたのだが。
コンプライアンス上の問題があると、部長の 山下から使用許可が降りなかった。どうやら中沢の件で、部下の健康管理に問題があったのでは、と結構怒られたらしい。
それで、社内の外の編集者や編集プロダクションに頼んで企画をかき集めたけど、どれもイマイチだった。
それなら、ハンパなリサーチで企画を提出するより、自分が長年温めていたアンズ先生のスイーツ企画で勝負しよう! と意気込んだものの、見事に玉砕してしまった花森だった。
この日は、あわよくばアンズ先生にご挨拶も、なんて思って、お土産のスイーツも奮発した和菓子を持ってきたのだが。
お会いすることは叶わないまま、トボトボと会社に戻ることになったのだった。




