第5章 スイーツデートと、男の子の罰
休日の朝、グラシアス・タワー1203号室はいつもよりゆったりとした空気に包まれていた。
カーテン越しの陽射しが柔らかくリビングへ差し込み、キッチンからは淹れたてのコーヒーの香りが漂っている。
オレ——甘野杏は、朝からそわそわしていた。
彰はソファに座って、タブレットを眺めている。
仕事の資料らしいけれど、休日なのに仕事をしているところが彰らしい。
でも今日は、絶対に連れ出すと決めていた。
「彰、今日行きたいところがあるんだ!」
オレは彰の腕を引っ張った。
彰はタブレットから目を上げ、オレを見るなり、少しだけ表情を柔らかくする。
「杏が行きたいところなら、どこでもいい」
「本当?」
「ああ」
「あとで文句言わない?」
「言わない」
「高いよ?」
「問題ない」
「混んでるかも」
「貸し切るか」
「それはダメ!」
即答すると、彰が不思議そうな顔をした。
「なぜだ」
「普通に行きたいの。普通の休日っぽく」
「普通の休日……」
彰は少し考え込む。
この人は、ときどき“普通”の基準がおかしい。
「貸し切りなし。彰は、すぐに会社を使って手を回そうとする。イベント会社、クビになっちゃうよ。店では普通に並ぶ。いい?」
「努力する」
「努力じゃなくて、守って」
「……分かった」
その言い方が少し不満そうで、オレは笑ってしまった。
「よし。じゃあ今日は、都内屈指の有名ホテル内のスイーツビュッフェに行きます!」
彰は一瞬だけ目を瞬かせた。
「スイーツビュッフェ」
「そう!」
「杏らしいな」
「なにそれ」
「可愛い」
「朝からそれ言うの禁止」
「無理だ」
「重い♡」
彰は立ち上がり、オレの腰を抱き寄せた。
「今日は一日、俺の隣にいろ」
「それはもちろん。彰と行きたいんだから」
彰の目が、分かりやすく甘くなる。
「……そういうことを簡単に言うな」
「え?」
「出かける前に予定が変わる」
「変えません♡」
オレは彰の胸を押し返し、笑いながら玄関へ向かった。
****
ホテルに到着した瞬間、オレのテンションは爆発した。
広いロビー。
高い天井。
磨き上げられた床。
シャンデリアの光。
そして、レストランの奥に並ぶ、色とりどりのスイーツ。
宝石みたいなケーキ。
小さなグラスデザート。
艶々のタルト。
クリームがたっぷり詰まったエクレア。
もう、視界が幸せだった。
「わあ……! すごい、すごい! 見て彰、このケーキの山! ティラミスもエクレアも全部食べたい!」
オレはトレイを手に取り、次々とスイーツを乗せていく。
彰は隣で静かに微笑みながら、その様子を眺めていた。
「本当に好きなんだな……杏」
「これは違うよ!」
「違うのか」
「クリームパンの再現のための、れっきとした調査だから!」
「調査でその量か」
「味の比較には数が必要なの」
「なるほど」
「今、絶対に納得してない顔した」
「している」
「嘘だ♡」
オレはプクッと頬を膨らませた。
けれど、今回は本当に調査だった。
カスタードの軽さ。
卵の香り。
生クリームとの配合。
パンに入れた時に重くなりすぎない後味。
食べるだけじゃなくて、ちゃんと覚えたい。
オレは小さなメモ帳を出して、気になった味を書き込んだ。
「このカスタード、口どけ軽い。クリームパンに入れるなら、もう少し卵感を残したいかも」
彰が少し意外そうにオレを見る。
「本当に研究してるんだな」
「何だと思ってたの?」
「ただ嬉しそうに食べてるのかと」
「それも合ってるけど!」
彰が低く笑う。
「でも、いい顔をしてる」
「え?」
「杏が何か作ることを考えてる顔、好きだ」
「……そういうこと急に言わないで」
「事実だ」
顔が熱くなる。
その時、口の端にクリームがついていたらしい。
彰が自然に指を伸ばし、オレの唇の端を拭い取る。
彰はそのまま、自分の口へ運んだ。
「甘い」
「……彰、エッチ」
「クリームを取っただけだ」
「外でそういうことを自然にするから言ってるの!」
「杏が可愛いのが悪い」
「またオレのせいにする……♡」
顔が熱くなる。
周囲の視線が少し集まった気がして、オレは慌てて水を飲んだ。
彰は涼しい顔をしている。
外だと、この人は妙に大人っぽい。
余裕があって、クールで、優雅で。
普段の重い甘えん坊とは違う。
それが少し悔しいくらい、かっこよかった。
****
席に戻ってしばらく食べていると、オレは彰の皿がほとんど減っていないことに気づいた。
「彰、食べないの?」
「ああ」
「苦手?」
「いや」
「じゃあ、なんで?」
「杏を見ている方が楽しい」
「オレは展示品じゃないんだけど♡」
「似たようなものだろ」
「違う!」
オレが睨むと、彰は自分の皿をこちらへ差し出した。
「食べていいよ」
「やった!」
「早いな」
「だって彰の分、全然減ってないし」
「杏が食べると思って取った」
「最初から?」
「ああ」
「彰、そういうところ好き」
言ってから、しまったと思った。
彰の目が、すぐに甘くなる。
「杏」
「今のはスイーツにつられただけだから」
「それでもいい」
「いいんだ」
「杏が好きと言ったなら、何でもいい」
「重い……♡」
オレは照れ隠しに、彰の皿のケーキを一口で食べた。
甘い。
美味しい。
幸せ。
けれど、周囲の視線は少しずつ集まってきていた。
女性客やカップルばかりの中で、男同士が近い距離でイチャイチャしている姿は、明らかに浮いている。
「あれ、男の子よね……?」
「かっこいいけど、実は……」
「恋人かな……?」
小さなざわめきが耳に届く。
彰は小さくため息をついた。
「さすがに男同士は目立つな」
「まあ、これだけ近いとね」
「距離を取るか?」
「取るの?」
「取りたくない」
「じゃあ聞かないでよ♡」
オレは少し考えてから、悪戯っぽく笑った。
「ならオレ、女装してもいいぜ?」
彰の動きが止まった。
「……そこまでしてケーキ食べたいのか?」
「食べたい!」
「即答だな」
「だって、まだ食べてないのいっぱいあるし。クリームの比較も途中だし」
「杏らしい」
「それ、褒めてる?」
「かなり」
彰は呆れたように見えたけれど、どこか楽しそうだった。
****
10分後。
即席女装が完成した。
ホテル内のショップで用意されたワンピース。
小さな髪留め。
薄く整えられた化粧。
サンダルまで合わせられて、鏡の中には、思ったより“それっぽい”オレがいた。
オレは彰の前で、くるりと回ってみせる。
「どう? オレ、可愛いだろ?」
彰は黙った。
「彰?」
「……可愛い」
「女の子みたい?」
「ああ」
「でしょ?」
オレが得意げに胸を張ると、彰の目が少し細くなる。
「でも、見せたくない」
「またそれ?」
「さっきより目立つ」
「女装した意味!」
「可愛いからだ」
「じゃあ成功じゃん」
「俺以外に見られるのは失敗だ」
「理屈が重い♡」
彰は大袈裟なくらい丁寧に手を差し出した。
「ではお嬢様、行きましょうか?」
その仕草が、妙に様になっていた。
まるで高級ホテルのスタッフより自然で、堂々としている。
オレはドキッとして顔を赤らめながらも、彰の腕に自分の腕を絡めた。
「彰、そういうの似合いすぎ」
「そうか?」
「うん。今日の彰、なんかクールでかっこいい」
「いつもは?」
「重い。甘い。エッチ」
「ひどいな」
「褒めてる♡」
「褒め方が雑だ」
彰は苦笑しながら、オレをエスコートした。
****
女装したオレは、遠慮なく彰に甘えまくった。
「彰、こっちのケーキも食べさせて」
「ああ」
彰は急に大人びた紳士モードになり、オレの口元へフォークを運ぶ。
「あーん」
「ん……美味しい♡」
「口元についた」
「取って」
彰は指先でそっとクリームを拭い、紙ナプキンで拭こうとしてから、一瞬だけ迷った。
オレはにやっと笑う。
「さっきは食べたのに?」
「煽るな」
「煽ってないよ♡」
彰は低く息を吐き、今度はちゃんとナプキンで拭いた。
「ちぇ」
「残念そうにするな」
「彰が外だと紳士すぎるから」
「不満か?」
「ちょっと新鮮」
周囲はさらにざわついていた。
今度は「イケメンと美人」の組み合わせとして目立っている。
オレは彰の横顔を見て、ふと呟いた。
「なんか今日の彰、いつもよりクールでかっこいい……イベント会社の社員っていうより、VIPを案内する側の人みたい」
彰の肩がぴくっと揺れた。
「……仕事柄、そういう案件もある」
「VIP案件?」
「ああ」
「彰の会社、ほんと色々やるんだね」
「……そうだな」
「便利だなぁ、その説明」
「便利じゃない。事実だ」
「今の間、怪しい♡」
彰は視線を逸らした。
オレは笑った。
「でも、なんか新鮮。いつもより大人っぽい」
彰は少しだけ黙った。
もし、正式な場で誰かを隣に立たせるなら。
父が用意する見合い相手ではなく、頬にクリームをつけて笑う杏がいい。
そう思ってしまった自分に、胸の奥が熱くなる。
だが、杏には言えない。
「杏」
「なに?」
「楽しいか」
「すごく!」
「ならいい」
その言葉は、いつもの彰だった。
重くて、甘くて、オレだけを見ている彰。
オレは少し安心して、彰の腕へさらに寄りかかった。
****
夜。
ホテルのバーで、オレたちは夜景を眺めながらシャンパンを飲んでいた。
窓の外には、宝石みたいな街の明かりが広がっている。
オレは少し酔っていた。
甘いお酒と、今日一日の楽しさと、彰のエスコートの余韻で、頭がふわふわする。
「今日の彰、カッコよかったから……度々女装しようかな」
彰は真顔で即答した。
「ダメだ」
「早い!」
「可愛い男の子の格好をしなさい」
「命令?」
「お願いだ」
「お願いの顔じゃないよ♡」
彰はグラスを置き、オレをじっと見た。
「今夜、服を脱がせたら一日のムラムラが爆発しそうだ」
「っ……」
一気に顔が熱くなる。
「もう、彰ったらエッチ♡」
「否定しない」
「そこは少し否定してよ」
「杏には嘘をつきたくない」
「そういう真面目さ、ずるい……♡」
彰はオレの手を取り、指先へ軽くキスした。
「帰るぞ」
「部屋に?」
「ああ」
その声が低くて、甘くて。
オレはもう、答える前から胸が熱くなっていた。
****
夜、ホテルの一室。
ドアを閉めた瞬間、彰の雰囲気が変わった。
バーで見せた紳士の顔が、熱を帯びて溶ける。
彰はオレの手首をそっと掴み、壁際へ追い込んだ。
「杏……女装して俺を煽った罰だ」
「煽ったつもりは……ちょっとしかない♡」
「あるんじゃないか」
「ちょっとだけ」
「悪い子だな」
低い声。
そのまま深くキスされる。
「んっ……♡」
ワンピースの布越しに抱き締められる。
彰の手が背中を撫で、肩紐へ触れた。
「脱がせる」
「……優しくね?」
「大事にはする」
「そこは信じてる」
「ならいい」
唇がまた重なる。
「んっ♡ ふ、ぁ……♡」
彰のキスは熱い。
今日一日、外で紳士みたいに振る舞っていた反動が、一気に押し寄せてくるみたいだった。
ベッドに押し倒される頃には、オレはもう彰の首へ腕を回していた。
「あっ♡ 彰……待って……」
「待てない」
「言うと思った……♡」
「杏が可愛すぎた」
「またオレのせい?」
「そうだ」
彰はワンピースを乱さないように、でも焦れた手つきで脱がせていく。
「彰、顔が怖い」
「怖いか?」
「ううん……熱い顔してる」
「今日一日、我慢してたからな」
「紳士だったのに」
「今は違う」
「……ケダモノ?」
「杏の前だけだ」
「もう……♡」
彰はオレを抱き締め、深く重なった。
「あっ……♡♡」
奥まで満たされる感覚に、身体がびくっと震える。
「彰……急に深い……♡」
「今日一日、俺を煽った分だ」
「煽ってないって……♡」
「してた」
「してたかも……♡」
彰はオレの腰を支えながら、深く、熱く、奥を擦るように抱いた。
「あっ♡ んっ……♡ そこ……♡」
「声が甘くなった」
「言わないで……♡」
「女装しても、そういう反応は杏のままだな」
「彰……♡」
「男だって、ちゃんと分からせてやる」
その言葉に、胸の奥が甘く震えた。
女装したオレを可愛いと言ってくれた。
でも、彰が一番好きなのは、いつものオレ。
それが嬉しくて、恥ずかしくて、熱くなる。
「あっ♡ 彰……♡ もっと……♡」
「もっと?」
「ぎゅってして……♡」
彰の腕が強くなる。
深く重なるたび、身体の奥が甘く痺れた。
「あっ♡ あ、ぁ……♡ 彰、奥……♡♡」
「杏の声、可愛い」
「言わないで……♡」
「もっと聞きたい」
「だめ……♡ 声、出ちゃう……♡」
彰は何度もキスを落としながら、オレを包み込む。
唇。
首筋。
胸元。
指先。
全部が熱い。
「あっ♡ んっ♡ 彰……♡♡」
彰はさらにオレを抱き寄せる。
寝具に押し付けられるたび、オレの前が強く擦れ、甘い熱が前後から押し寄せた。
「あっ……♡ 彰、激しすぎ……♡」
「杏」
「だめ……前、擦れすぎ……おかしくなる……♡♡」
「杏は男だろ? ここも熱くて尊い」
「そんな言い方……っ♡ だめ、彰……♡」
彰は深く重なったまま、オレの前が甘く擦れる角度を外さない。
奥も、前も、全部が彰でいっぱいになるみたいで、頭が真っ白になっていく。
「あっ♡ あ、ぁ……♡ 前、熱い……奥も……彰、だめぇ……♡♡」
「可愛い声だ」
「言わないで……♡ ほんとに、いっちゃう……♡」
「いい。俺の腕の中でいけ」
「彰……っ♡♡」
最後は彰に強く抱き寄せられ、二人同時に深い絶頂へ溶けていった。
「はぁっ♡♡ 彰……♡」
「杏……可愛い」
しばらくして、オレはぐったりと彰の胸に顔を埋めた。
息がまだ整わない。
身体の奥に、甘い余韻が残っている。
「もう……こんなに熱く抱くと、本当に女の子になっちゃうよ……」
彰は満足げに笑いながら、オレの汗で濡れた髪を優しく撫でた。
「それは困るな。俺は杏の可愛い男の子の姿が一番好きだ」
「さっきも言った……」
「何度でも言う」
「……バカ♡」
恥ずかしくて、オレは彰の胸を軽く叩いた。
でも、嬉しかった。
彰はしばらくオレの髪を撫でたあと、急に真剣な眼差しを向ける。
「それに、今日、分かった事がある」
「なに?」
「俺は、お前と居ると、素の自分でいられる」
「素の自分?」
「飾らないありのままの自分。日々、周りの奴らと戦う武装を取り払って」
「うーん、よく分からないけど、つまり」
オレはズバリ、彰を指差した。
「エッチな彰って事?♡」
「バカ野郎!」
「あ、いた♡」
彰が軽く額を弾く。
でも、すぐに少しだけ笑った。
「……でも、まぁ、そう言う事だ」
「認めた!」
「うるさい」
「彰、素直」
「お前の前だけだ」
その言葉が甘くて、オレは笑ってしまった。
彰とオレは顔を見合わせて、大笑いした。
休日の甘いデートは、最高な笑顔で締めくくられた。




