【番外編】ヴァリエの兄弟
「王にならぬという戯言を常々周りに吐いているそうだが、本気なのか? 兄上」
艶やかな黄金の髪をゆらしながら、小鳥のさえずりにも似た響きを持つ男の声色で、そう目の前の弟は問いかける。
ヴェイルセル王城の一室。自身は久方ぶりに、弟エクスと二人酒盛りに興じていた。……とはいえ己の酒癖の悪さは自覚している。弟と同じ赤葡萄酒を、多量の水にて割ったもの。到底酒とも呼べぬそれで喉を潤した後、口を開く。
「本気だ。私は王位というものにさしたる執着はない」
「ふん、どうだか……兄上が権力に執着せぬ性質なのは私とて理解しているとも。だがそれが必要とあらば、例え望まずとも獲りにいくのが貴方の性分だろう。私が問うているのはそこだ」
「……そういったことであれば、今ここで答えを出す訳にはいかないな。エクス。私はお前に王になって貰いたいと常々思っていたが、それはお前自身が望む答えではない。私がこの国の王となることを心より望んだ上で、それを自らの手で勝ち取り奪いたいのだろう」
自身の言葉に、エクスはその青い瞳をかすかに見開いた後、口を開いた。
「……驚いた。会わぬうちに随分と、人の心の機微というものを理解するようになったらしい。その通りだ、兄上。私が王位を求めるのは、ただそれが万人の羨み欲しがるものゆえ。それをよりによって、自らの競争相手が放棄しようとするなど、興醒めも良い所だ」
「お前にとってこの王位継承争いは遊戯の一つに過ぎぬという訳か。本気で王位を獲りにきているとすれば、随分と詰めの甘い手が多いと思ってはいたが」
「……言いたいことがあるのならはっきり言えばものを。ふん。異邦人殿、そうして兄上殿の命を狙った一連の事件の主犯が、私だと言いたいのだろう」
「違うのか?」
「違わないと、そう言えば兄上は本気で私と王位を競う気になるか?」
このままではラチがあかないと、一つ息を吐いた後に、次の言葉を紡ぐ。
「……真面目に答える気はないようだな。まあ良い。我らは神と祖の名において不戦の契りを交わした者同士。どちらが王冠を頂くかは、我らの同胞たる五人の王が決めることだ」
「ああ、そのことだが兄上。レムールとネーベルはほぼ確実に私へと票を入れる。ふん、兄上が我が母の生家ランバルに色目を使わねば、話が早かったというものを」
エクスの口からスーデンの名前が出ないのは意外なことだった。まあ最も、かの国の王族は腹芸を好まない性質だ。ネーベルの件を除き、ゲランの思惑通りに事が進んでいるなら、どちらに票を入れるかはこちらの采配次第になる。恐らくエクスに対してはっきりとした返事をしなかったのだろう。
「口では王にならぬと言っておきながら、全く油断も隙もあったものではない」
「それがお前の望むところでは無かったか」
「ふふん……随分と言うようになったな兄上。いいさ。私にだってまだ策はある。せいぜい足元を掬われぬようにな」
エクスの機嫌は思いの外良いようで、自らの杯に赤葡萄酒を注ぎながらも、その顔はほのかに赤らんでいた。兄である自身から見ても、並外れてすぐれたその美貌を横目に杯を傾ける。
ユウマは、王になろうともならずとも、自分達の未来は安泰だと口にしていた。それが誠のことであるかどうか、いよいよ自身はここで見極めなければならない。
「シュルツ兄上」
不意にエクスが、どこか猫なで声のような甘えた響きでこちらの名を呼ぶ。視線を向けると、彼は宝石のように青く美しい瞳をかすかに蕩けさせ、じっとこちらの顔を見つめていた。
「どうしたエクス? 酔いが回ったか」
「ああ、どうやらその様だ。柄にもなく昔のことを思い出してしまった」
「昔か……」
「覚えているだろう? 兄上が私を傷物にした日のことを。体が火照ると今もなお、傷が疼くんだ」
おもむろに、エクスが自らの上衣をくつろげ右肩を晒す。ほのかな薄桃色に染まった芳しい肌の上、弟の肩から右上胸にかけて、赤黒く引き攣れた傷痕が自身の目の前に晒される。
それは十五年前、己が魔法の制御を誤りエクスの肩に刻んだ罪の証だ。以前の自身であれば思わず目を逸らしていたのだろうが。一つ息を呑んだ後、それでもエクスの方をまっすぐに見つめ口を開いた。
「……謝ったところで、今更どうにもならぬことは理解している。ゆえにお前の望むことは何だって叶えてやりたいと思っていたが」
「だから王位すらも譲ると……ハッ、まったくもって馬鹿げた話だ。どうにもならぬと分かっているのなら、初めから踏み倒してしまえば良かったものを」
「まったくもってその通りだ。エクス……お前はもう私が思うような子供ではない。ただ己の罪悪感に押しつぶされるだけで、本当の意味でお前と向き合うことが出来ていなかったのだろうな、私は」
「……そうか。ならどうだ? 今の曇りなきまなこから見た、愛しの弟君の姿は」
「随分と美しく育ったな」
「ハハハハ!」
こちらの軽口がよほど愉快だったのだろう。エクスは珍しく大口をあけて、無邪気な笑顔をその顔に浮かべ朗らかに笑っていた。思えばここ十数年の間ずっと、弟とこうしてふざけ合う機会もなかったように思う。
自身らが互いに仲の良かった時期はほんの数年に過ぎず、エクスに嫌われ、そうして自身が彼を無意識に避けていた時間は長い。いつか時が流れ、前者の時間の占める割合が多くなる日も来るのだろうかと。そんなことを思いながら自らの杯にある酒混じりのそれを飲み干す。
「ハハ、今日は気分が良い! だから今回だけは特別に、良いことを教えてやろう。シュルツ兄上」
「なんだ、我が弟エクスよ」
「本日のユウマ殿の寝室は、確か青い……いや『赤い』薔薇の絵画のある部屋だったか? 数刻前ロミアスがその方向から出ていくのを、私の部下が伝達魔法で知らせてくれてな。今日は『青い』薔薇の部屋に、私の友人が向かっている筈なのだが。はて、うっかり部屋を間違えていなければ良いのだがなぁ……」




