『ネガー001』
◆題= 「ネガー」|「ネガーの書」
◆説明: ネガーという人間の話。
◆執筆メモ
・ネガーの一人称?
・話し手の文体は、若め、柔らかめ。
◆本文
* 2015.6.30
人々と接する度、誰しも持つ薄っすらした愚鈍さに、どう仕様もなく自分の心が疲弊してしまう。
人は完璧ではない、もちろん。だからこそ、みんな誰もが、悪も善も、愚かさも優しさも持っている。
そして人間の中には、相手の善よりも悪を、ネガティブさを、心に受けてしまいやすい性質の者がいる。――私のように。
人に対する感受性の一面が、ひどく鋭いらしい。その感受性は、歳とともに鈍くなる訳でもないかもしれない。生来の性質として、自分には組み込まれてしまったように思える。そして、その性質を書き変えるには、かなり不可能であると実感した。直接、人体を改造するなど、そのくらいのことをしなければ。
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人に関わると疲弊する、ということが分かった。だから答えは当然、なるべく人と関わらないようにすることだった。
徐々に淡々とした心持ちになっていく。気付いたことは、人と関わるか、関わらないかは別にして、暇な時間は苦痛を感じることだった。何もせず、思考だけが巡る状態では、脳内に渦を巻くように、黒々とした憂鬱さが広がってゆく。どう仕様もなくなると感じてくる。
苦痛だけの人生ではなかったことは、理屈では分かっている。けれども、その時、その状態の自分には、何の肉体的苦痛も、ほとんど無いにも関わらず、精神がとても苦しんでいる。しかし、そこから抜け出す方法は、判然としない頭には気づきにくいものだった。
そして時間が過ぎることで、忘れる。何ごとも無かったかのように、精神状態が普通になる。ふと気づくのは、そういうことが繰り返される現状だった。
精神的な思い込みや、心構えで、何とか改善できるものではなかった。それは、その場をしのぐのに有効ではあっても、治すことはなかった。
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人の、大きな音での咳やクシャミ、それが耳に入るだけで、気分が沈んでしまう。食事中に発する、他人の咀嚼音、それもまた、自分の気分をひどく害していた。あえてたくさん接することで慣れるという治療方法も考えたが、向き不向きがあるらしく、自分の場合には逆効果だった。
ならば、唯々、避けの一手、だった。
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避けられないものもある。そのときは唯、耐えるしかない。自分の性質が原因ならば、相手を攻撃してはいけない。
だが……、時に忍耐も、限界に近づく。もはや耐え切れるものでないとき――死、が脳裏をかすめる。
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切に願う、科学技術の進歩を。あらゆるものの改善・改造――とくに人間の精神の改善技術を、願う。
それまで忍耐の日々が続く。それは、耐え続けられるものか、自信がない。無理かもしれない。死んで楽になれるのだろうか。
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どうしてここまで根強く辛いのか、その一因に思い当たった。これは、他人に理解されない辛さだったからだった。または時に、表面的な理解での、根本的な思い違いをされることもあり、無理解による傷が一段と深く刻まれる。……もう他人に本心を打ち明けることは、ないだろう。




