000前置;初期創作意思
ちょっと長く小難しい前置きです。ですが、焦らずのんびり付き合って下さると幸いです。
今作では云いたいことを詰め込むために、分かりやすさを、いくばくか犠牲にします。
■この物語を書く動機
今作では、楽園に近い未来像を描くつもりです。悲観的未来像への反発が動機です。タイトルに含む「ディストピア」は皮肉の皮肉と云った所です。
フィクション上の未来像は、私の主観では、人間的感覚に引きずられたために、誤った未来が描かれる事がほとんどだと感じております。
のみならず、例え未来を素晴らしい世界のユートピアとして描こうとも、現実寄りにしようとすれば、なぜだか冷徹な管理社会になったりと、ディストピアすなわち悲劇的未来に陥る物書きさんも、少なくないのではと予想します。
今、”現実寄りに描こうとすると悲劇的になる”と申しました。しかし、注意してください。大抵の人が云う『現実』という認識は、世界の実像とは似ても似つきません。ですので、訂正して再び申します。”人が普段の感覚上で『現実的』だとしながら描けば、誤った未来を描き出します。”。……恐らく。
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未来像が多かれ少なかれディストピアになりがち、だと云うことにします。
(筆者はSFに疎いため、現実的かつディストピアに陥らない未来像を描いたSF作品が、思い当たりません。ことにSF映画では未来にまで争いを持ち込むこと散見されます。
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私の直感ではその原因が、人間の想像力の限界のためではないか、と思っております。現行の人間知性を超えるものを、人が描けないためです。(そのため、SFに出てくる人を超えた知性として登場するものは、ほとんど人を超えていません。そこが現実と異なります)
私も……書けません。今はまだ人間並みの知性だからです。ですが、書けないこと、分からないことを自覚した上で、書けるだけ描けると思います。それは、書けないことを無理に書かないことで、やってみようと思ってます。無理にそれを説明付けようとすることこそ、失敗なのだと考えたからです。なぜなら、そうしようとすれば人間並みの知性に世界に染まるからです。
人間の視点で全てを描いてはダメで、人を超える超知性が行うのだということを極力意識し、気を付けます。
1つ気になる点もあります。作者も人間ですが、読者も人間であることです。人間の想像力の限界に近いものを、理解できる読者さんは、どれほどなのか……。いえ、これは大多数向けの内容ではないので良いのです、分かる人にさえ伝われば。
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はるか古代の人間から見れば、現代は楽園に違いない。しかし現代の感覚に慣れてしまうと、それに気付かない。
■未来予測ではないことに注意頂きたい
データと理詰めにより未来を予測するのも未来を描き方です。が、私は違います。直観(直感)・勘・閃きにより、想像力と思考を交ぜることにより、理性単体での思考よりも、何とか人の頭でも、未来像をより見通せるようになる感じです。が、細部は薄ぼんやりとしか見えなくなるために、「なぜそうなるのか」という理屈部分は乏しいのが欠点です。
そのため、具体的な問題解決方法は、ここには書いておりません。解決できることだけが分かっております。
筆者は議論をしません。その理由も上記に関係します。自分の場合には、アイデアや想像を出すことに意味はあっても、議論することに意味がないためです。それは他者にお任せします。
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分かりやすく云えば、筆者は単に『不明瞭な受信機』のようなものです。ノイズ混じりの発想を受け取るので、誰か有用に扱える人に情報が渡って欲しい。
――その逆に、この物語の文章を見てもピンと来ない人は、恐らくはその対象者ではないようなので、そっと、無かったことにして頂きたい。意味不明な内容に怒りが湧くかもしれない。その前に捨てて下さい。で、なければ、またしても人の愚かな連鎖が始まりそうで、哀しいです。
一握りの一部の方だけに伝わって欲しいのです。また、伝わった方にも申し上げたいことがあります。この作品の存在は、大っぴらには云わないで頂きたい。私は精神的な感受性が鋭すぎるためか、人に接する度に酷く苦しい思いをします。それもあり、有名にはなりたくなく、生涯無名でいたい。
■「無理」や「不可能」について
未来の話の中では、「それは無理だ」、「不可能だ」と思うこともあるでしょう。そのときは、不可能だとする理由を探すことは止しましょう。
『どんな不可能なものでも、いずれは可能になってゆく』
『不可能は、永遠に不可能で居続けることが出来ない』
それを前提にして頂きたいです。
それが『出来る』ということは確定しているのです。しかし、『どのようにやれば出来るか』がまだ不明です。
ですので、「不可能だ・無理だ」と感じた場合、その不可能を可能にするアイディアを想像して頂きたい。
今後の人類の活動に、期待しております。




