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ヒト+モノ=  作者: 白雲
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三章


  三章


     1


 一宮は神代と共に、和木志の運転する車で、雨足が増し、とうとう豪雨となった雨中、学校へ向かっていた。

「それじゃあ、本当にミサキの元になったパワーストーンが何かは知らないの?」

「残念ながら知らない。そもそも『人形』の原動力がパワーストーンだったって話を知ったのは、絢が教えてくれた時だよ。知り得る筈がない」

「それでも、何かヒントくらいは、って思ったのよ」

 ゆったりとした車内後部座席、一宮の横に座った神代は座席に体重をかけ、足を組んで悩ましいと言いたげに息を吐く。服装は先程和木志が神代家御屋敷の様子を見に行った時に、ガラクタに埋もれていたクローゼットから拝借してきたらしい制服だ。

 ちなみに一宮も制服に着替えてきている。この夜で決着がつくか、それは不明だ。最悪そのまま明日に持ち越しても、そのまま登校出来るようにするための策でもある。

「それにしても、そのパワーストーンが何かによって変わることがあるの?」

「あるわ。少なくとも傷を負わされているであろうミサキを、最適かつ最短で浄化しなくちゃならないかもしれないのよ。ストーンによっては相性の悪い浄化方法もあるから、せめてそれを知っておきたかったの」

「でもミサキに聞けばそれくらい――、」

「聞けないような悪状況だったら?」

 神代の言葉で一宮は自分がどこかで楽観的に考えていたことを知る。彼女の言う様に、ミサキが何の問題も無く意識もあって無事だ、なんてことはありえないかもしれないのだ。むしろ悪い方に考えた方が当たるような境遇下だ。楽観視など出来よう筈がない。

「あー、悪かったわ。今のは八つ当たり。私もこれでも内面結構乱れてるのよ。悪かったわ、酷い言い方をして。心配なのは貴方なのにね」

 髪を掻いて、神代が自分の前言を撤回する。

「や、こっちこそ役に立つ情報が無くてすまない」

「良いのよ。じゃあ、せめて向こうのストーンが何か、くらいの検討はつけておきたいわね」

「赤、ってのが特徴なんだよね。僕は直視してないから判らないけど」

「ええ、でも赤ってなれば限られてくるわ。あれだけの赤なら、ルビーやガーネットの可能性があるわね。他だとピンクやオレンジに近い色合いになるから、パッと見で赤って判ったあの色なら、ルビーかガーネットの可能性が高いわ」

「ルビーくらいなら聞いたことがあるけど」

「でしょうね。ルビーはダイアモンドの次に硬い鉱石と言われる貴石。それも『人形』の力とするならば恐らく、最悪のレベルの力を引き出すわ。元々石としての質が高いんだもの。それこそミサキのストーンがダイアモンドでもない限り、勝ち目はないわ」

「ちなみにガーネットって言うのは?」

「ガーネットは純粋な赤と言うよりかは、どす黒い赤色。別名柘榴石と呼ばれているぐらいだからね。色はそんなものとイメージしてもらえば良いわ。但し、光に透かせばはっきりと赤色に見えるわ。綺麗な赤と言うか、強固なイメージの赤ってところかしら」

「それらがコアストーンだと、何が引き出されるんだ?」

 質問がストーンから『人形』に移ると、神代は口を濁した。

「残念だけど、不明よ。仮にそのどちらかだとしたら、紫外線や水に弱いわけでも無いから、対処方法は無いわ」

「なら、どうして『人形』のコアストーンが何かを探るんだ? 意味がないなら」

「んー……、『人形』たりうる人体って言うのは、ストーンの力を御し、使いこなせることが前提になるわけだけど、ストーンを埋め込める人体全てに全鉱石が対応しているわけではないのよ。つまり、相性があるの。その人の内面的本質なんかが投影されたり、願望や羨望が力を呼んだり、パターンは様々だけど、とにかく『人形』の元になった人間だった彼女達のルーツが、ストーンを決めるのよ」

「それは、『人形』になってしまった彼女達を、救いたいってことに繋がるのか?」

 難しいことは一宮には判らなかったが、それでも本質は見えた。

 一宮の言葉に、神代は沈黙した。と言うよりかは、一息ついて会話の流れを変えた。

「『人形』に変えられた子達に罪はないから」

 言葉は重々しく、視線は何処か遠くへ向けて、神代は小さな声でそう言った。聞こえるか聞こえないかの瀬戸際。多分聞かれても良いけど聞かせる気は無いというところだろう。そう解釈した一宮は、返事はしないことにした。

 神代は自分を襲ってきた、赤い『人形』もミサキもどちらも救いたいと言っているのだ。

 他ならない神代絢としてのやり方で。

兎に角、彼女がそう決めたならそれを貫くのだろう。

 一宮だってミサキと戦い、彼女を傷付けたかもしれない相手の『人形』を疎ましく思う気持ちが無いわけではない。今頃ミサキが何処で何をされているのか、気が気では無い。

 けど、彼女、赤い『人形』に罪は無い。彼女は主の命令を遂行するようプログラムされているだけだ。なら、悪は彼女では無い。彼女を悪用したそいつが、主の悪だ。

「ミサキも、あの『人形』も救おう」

 エンジン音に掻き消されながら、沈黙を裂く声を一宮は発し、神代は応えるように笑った。


     2


 暗闇と豪雨に埋もれた学校は、既に一宮達の見知った学校ではない空気を発していた。異質と言うか、有り得ないくらいの狂気を孕んでいる。そんな感覚だ。

 傘も持ってこなかったので、バケツを引っ繰り返したどころか、シャワーを浴びているような感覚の中、車を降りた三人は正門を抜け、校舎入口に向かう。

「なあ! あの雨獅子って男が犯人で、赤い『人形』の主人だとして、どうして絢の事を狙ったりするんだよ!」

 雨に流されてしまうので、声量は大きく叫ぶように真横の絢に問う。

「彼、雨獅子深弥は大きな財閥の一人息子なのよ。家の関係で彼とは昔からの知り合いだったの。私と彼の間にあった関係性と言えばその程度で、話したことさえ数えるくらい。因縁と言えば、彼の家が没落して私の家が繁栄した、って違いくらいじゃないかしら」

 神代は進まない話なのか、声が小さい。一宮は聞きとろうと雨音の隙間を縫う様に聞こえてくる神代の声に、耳を澄ませる。

「私は彼に大した感情も優越感も持ってなんていなかったけど、彼はそうは思ってくれなかったみたいでね。心に暗い感情を持って、育ってしまった。挙げ句、最近になって彼の両親は死に、今の彼は精神的にも実質的にも独り。居場所を全て、無くしたのよ」

 全てを失った瞳。あの真っ黒な感情をそのまま写し取ったような目は、そういう意味だったのか。それにしてはあまりに深く、捻じ曲がった暗さに一宮には見えた。本能的に竦んでしまうほどに、暗くも強い感情が眠っているように感じられた。

「まさか彼の家に『人形』が贈られていたとは思わなかったけど、でも昔の雨獅子家との関係を鑑みれば有り得ない話じゃないわ。それに彼の両親は人格者だった。『人形』を受け取るに値する精神状態は余裕でクリア出来たでしょうね。

 ただ、彼については例外だったわね。仮に両親が死んでしまったのなら、無理矢理にでも雨獅子家から『人形』を奪うべきだった。それぐらい、してしまうべきだった。雨獅子深弥の精神状態が底に追いやられていることに、気付くべきだった」

 それは罪の告白に聞こえた。

 神代絢当人に課せられた罪など、『人形』が作られたことに関しても、その雨獅子深弥についても皆無同然だ。全ては彼女の家がしたことで、彼女がしてしまったことなんて何も無い。なのに彼女は、神代はその全ての罪を背負い、贖おうとしている。

 ミサキもあの赤い『人形』も救いたい。そう考えた神代に、更に『人形』の主人をも救えと彼女の精神は囁く。唆す。

 彼女は自分でどれだけ、自分の心を切り刻むつもりなのか。

「絢――……、」

 名前を呼んだ瞬間だった。雨音に紛れて、風を切る不自然な音が幾つか聞こえた。

「御嬢さ――……っ!」

 和木志の声が無情にも紡ぐことを許されず、強制的に停止に追い込まれる。声に反応した一宮と神代が振り向くと、和木志の身体中には細い、極細の針が刺さっていた。手から足、胴体に至るまで人体の大凡に、まるで待ち針の様に綺麗に、赤い針が突き刺さっていた。

 立つこともままならず、和木志の体は後ろへ倒れる。瞼は押し上げられたままだ。

「侑っ!」

「これは一体、」

 神代が叫び、和木志に寄ろうとした瞬間だった。和木志に刺さった針よりも太い、けれど一センチにも満たない程の細さの針が、両手両足に突き刺さった。

 方向は校舎の方だ。勢い良く飛んできた針は、突き抜けるでもなく、丁寧に突き抜けた長さと残った長さが半々になるように神代の体に滞留していた。

「え――……、?」

 痛みも衝撃も訪れたものは極小だったのだろう。それよりもまず驚きの方が早く来てしまったのだ。少し開いた口の隙間から、息がひゅうと漏れたのを一宮は聞いた。

 針が、震えた。いや、正確には引っ張られたか。一宮の目の前で、神代の両手両足に刺さった針の穴から血がゆっくりと溢れ出し、肌が引っ張り上げられるのを見た。

「あああ、痛っあ――……」

徐々に声に感情が、痛みの感覚が籠もってくる。

「絢――っ!」

 一宮は叫んで手を伸ばす。それでどうしようとかではなく、反射的な行動だ。彼女の手を握ろうと、引き寄せようとしたんだ。

 なのに、動き始めた針は、あろうことか肌に対して垂直に抜くのでも引くのでもなく、平行に動き始めた。肌を裂き、筋肉を断裂させて、骨を砕いていく。

「うあ、いあ、あああああああああああああああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 叫び声が豪雨を切り裂く。

 高潔で余裕ぶったあの神代の口から、どうしようもない、あられもない悲鳴が上がった。

 その悲鳴に呼応するように針の動きは速度を増して、数秒も経たず神代の両手を肘より上のその位置から、もぎ取る様に切った。

「あああああああああああああ、いたあああい、ああああああああああああ!」

 血が、血飛沫が雨に紛れて飛び散る。

 持ち主から離れた両腕は、揉み切られ回転しながら無情にも地面に落下する。どしゃりと落ちて、辺りの水溜まりを赤黒く染めていく。

「あああああああああ、はああ、いああああああ、くう――……ああ」

 一宮の脳が理解を拒む。視界にある、瞳に映った、視神経が送る信号を拒んだ。

「どういう、どういうことだよ。なんだよ、これ」

「いいああううううううあああああああああああああああああああ」

「わけわかんないよ、これが現実? 冗談だよね?」

「ああ、唯――……逃げて。ああああああああああ」

 ぼやくように言葉を並べた一宮の視線の先に、表情を有り得ないくらいに軋ませて、涙だか雨だか判らないくらいに顔を濡らして、痛みに塗れて感覚という感覚が擦り切れそうなくらいになっている筈なのに、それなのに必死に一宮の無事を叫び声の合間に告げた神代が映る。

 冗談だなんて、妄想だなんて無い。これは現実の重さだ。

「待ってて、今助けるからっ」

 助ける為の手段なんて浮かばなかった。何一つそんなものは見えなかった。それでも手を伸ばして叫んで、意思を伝えて、その手を握れば――、

「ひぃああああああああああああ、いたいいいいあ――ああああああああああああ……」

 否、握る手なんて無かった。遠ざかる。神代の体が校舎の方へ、引かれていく。足に刺さった針を基点に引かれているようだ。最初は緩く、その後加速して重力で吸い上げられる金属の様に、神代の肉体が校舎へと引き寄せられていく。体は逆転し、制服は身体に貼り付いて、血を振り撒いて悲鳴を上げながら唯一開いた校舎の一角に吸い込まれていく。

「っく、絢!」

 伸ばす手は行先を模索する。彼女が吸い込まれた先は校舎三階の端の空き教室。

 一宮は自分が追って何かをしようなんて、そんな大それたことを考えていたわけでは無い。むしろそんなことは出来ないと、自分の無力さなど、一宮自身が良く知っていた。

 それでも、ミサキを追えなかったあの後悔を、再度繰り返すのだけは嫌だった。

 身動きの取れない和木志を置いていくのは忍びなかったが、彼にとっても神代を助けに行くことが本望であろうことくらいは予想できた。

 だから、一宮は和木志をその場において、土砂降りの雨の中、所々神代の血のせいで黒く染まったグラウンドの土を踏みながら、校舎に向かって駆けた。


     3


 今更土足を気にしていられる程、悠長に構えてはいられない。一宮は泥塗れの靴で校舎入口を開け、暗い校舎に身を投じた。

 雨の音は弱まり、悲鳴の音は強まった。教室越しで、しかも距離を考えれば通常声が届く範疇では無いのに、夜間で何の音も無い中、生死を分けた線に触れる痛みから発せられた叫びは一宮に届いていた。

 悲痛な、などど一言では言い表せない。普段弱さなんて微塵も見せない神代絢の、喉が焼けんばかりの叫び声だ。

 助けに行かなくちゃならないのに、それをさせないぐらいの臆病風が一陣吹く。今向かえば少なからず、あれに似た攻撃を受けることになる。死の淵に立たされる程の痛みに見舞われることになる。それを、今尚届く神代の悲鳴が物語っている。恐怖心が浮かぶ。過去にある経験程生易しいものでは無い。正真正銘、意識も意思も、感情も途絶する程の痛みだ。四肢損失なんて人間が麻酔も何もなく耐えられる痛みじゃない。

 呻くような、唸るような、悲鳴が廊下を反響している。単なる叫び声じゃない。これは神代絢が、一宮の友達が発している声だ。

「――っ」

 立ち止まることさえ惜しい。悲鳴は、ずっと聞いてると気が狂いそうになる。でも、一宮がそれでも気を違えずにいられたのは、叫ぶ神代の声に掠れた泣き声が紛れ込んでいたから。助けてと言外に語りかけてくる神代の心が聞こえたからだ。

 臆病も自分の弱さも一先ず切り捨てた。自分に何が出来るのか、なんてことも考えるのは止めにした。そこには助けるべき人がいる。何をするかなんて、後で考えればいい。

 リノリウムの床を蹴り、泥に塗れた運動靴は滑りやすい。何度か足をとられながらも、無理矢理にバランスを保ち、廊下を駆け抜け、階段を駆け上がる。

 正直目的の教室が何処にあるかなんて、校舎に侵入した時点で判らなくなっていた。それでも悲鳴の聞こえる方に駆け、段々と空気を裂く神代の悲鳴が近付くにつれて、目的地に接近していると判った。

 徐々に大きくなっていく悲鳴は、声が涸れる寸前なのか少しずつ力を失っていく。所々で交じる呼吸音が、より悲鳴を苦しげに聞かせる。

 階段の段差を越え、その階層に辿り着く。

 ふと、その階層の空気が恐ろしく冷えているような錯覚を覚えた。雨の中濡れながら駆けてきたから、寒気を感じるのは理解できたが、そういうのとは違って、人の悪意を明確化したみたいな気味の悪い得体の知れない寒さだった。

「いああ、あああ――、はあああ、痛い、もう、もうやめあああああああ」

「っくそ、絢!」

 戸惑ってる場合でも、たたらを踏んでいる場合でもない。一宮は床を蹴り、叫び声の聞こえた教室に一目散に向かう。夜の冷えた、饐えた空気を掻き分けて、ただ痛みに声を上げることしかできない神代の元へ向かう。

「絢、絢っ!」

 勇んで開いたドアの向こうには、想像以上に絶望的な光景が在った。

 真っ先に目に入ってきたのは、教室奥に立つ赤い『人形』とその後ろ、窓を背に椅子に座って足を組んだ制服姿の男子生徒だ。ただでさえ電灯が点っておらず、外から漏れ込む微かな光だけが頼りだと言うのに、その二人の異彩は明暗など凌駕して目に入り込んでくる。赤の『人形』に感情は見えず、無表情な仮面を被って両手には極細の針を何本も持っている。薄い光の反射で辛うじて見えはするが、恐らくピアノ線張りに細く見えづらい。それでいて硬質さを兼ね備えた厄介な代物と見て取れる。しかし、人形の背後に座る男子生徒は、はっきりと笑っていた。声こそあげていないが、表情は声が上がる直前のそれに見える。眼鏡のレンズ越しで無い黒の瞳は、暗澹とした彼の内部、その底を移しているような深さを帯びている。表情に記憶は無いが、それでもその瞳には見覚えがある。一度だけ擦れ違った時、異質さと恐ろしさを感じたあの黒の瞳だ。あの時掛けていた黒縁の眼鏡は無いが、間違いない。これほどの暗闇を一宮は見間違えるなど無いと確信していた。溝の様に深く、覗き込んでも掘り進んでも手を突っ込んでも決して底には届かない。そんな深い闇を孕んだ、黒の瞳。

「雨獅子……本当にお前が」

「はっ、今更かい? 神代絢に誑かされて、頭でも弱くなったか? それとも最初から神代絢のセンスが悪いか……まあ、どちらもってとこかな」

 雨獅子の返答を気にする余裕は無かった。

 喘ぐような声が聞こえてきたからだ。しかも、二つ。二回では無く重なった声が二つだ。

「あ……逃げろって、うああ、言ったでしょう――」

 意識を狂わせる痛みの中でさえそう口にする神代の声。

「アンタ――……どうしてこんな所に」

 一宮が追い掛けることが出来なかった、突き放してしまった『人形』の声。

「絢……それに、あ、ああ。ミサ、キ?」

 少しずつ目の光量が調整され暗順応し始めると、見えてくる。雨獅子から見れば丁度真正面の赤い『人形』の足元に転がされた神代と、壁にあの赤い針で磔にされたミサキの姿が。

 神代は両腕どころか、スカートの先の二本の素足も最早見る影も無かった。とっくに致死量に達していそうな血溜まりの上で、痙攣し、身動ぎしている。腕の断裂部分には短めの針が無数に突き刺さっていて、傷口を網目状に封鎖している。死なせずに痛みに溺れさせる為の手段だとしたら、最悪だ。目線は定まらず、白目を時折剥きながら必死で一宮へ、逃げろと伝えてくる。その両足も大きな神経や血管等々は既に切り裂かれているのだろう。肌も殆ど残ってはいなくて、辛うじて骨が太腿より下を繋ぎとめているようにしか見えない。酷いの一言で片付けられない。むしろ生きているのが不思議な状態だ。生かされ、わざと死なない程度にいたぶり続けている。そうとしか見えない。

 ミサキは、美しき白を纏った姿などそこには無かった。髪も服も肌も、どす黒く染まり、裂かれ千切られ汚されて、真っ赤な針を幾本も身体に突き刺されている。一際大きい四本の針がミサキの四肢を壁に縫い止めている。離れた時間など僅かな筈なのに、視線が交わると、どうしようもない気持ちになる。どうしてミサキにこんな思いを、痛みを負わせてしまっているんだと、一宮自身を責めずにはいられない。『人形』だから少しくらいは平気なのか、そんな考えさえ浮かばなかった。神代に対してと同じか、それ以上、心配の強さは有った。

神代の凄惨な姿を見て、ミサキの穢れた姿を見て、黙ってなどいられるわけがない。

「お前……雨獅子、お前っ!」

「憤って声を上げるだけか。仮にそれだけをしに来たって言うなら、邪魔だから御退場願おうか。俺は、今最高に楽しい宴を開いてるんだ。無粋な邪魔をするな」

「こんなことをしてただで済むなんて、思ってるのか? あの不良生徒達を殺したのもお前なんだろ? 今行方不明の生徒達は無事なんだろうな?」

「莫迦か、実行犯は俺じゃない。俺はあくまでも観劇者だ。実行したのはこの『人形』ルチルさ。俺は手を下していない。ちなみに行方不明ってのは、大抵死を意味する。それくらいは察してほしいとこだけど?」

 言って雨獅子は自分の横、一宮からすれば教室の端を手で示した。そこには蒼嶺高校の制服と黒くなった血と肉塊が幾つか積まれていた。

「ふざけるな、命令したのは雨獅子だろう」

「気安く呼ばないでくれ。俺の名前が穢れる。あと癪だから俺に刃向うな」

「なら、ミサキと神代を即座に解放しろ。それとその『人形』も置いて、とっととここから出ていけ。後は警察辺りがお前の処分は判断するだろう」

「はっ、どれだけ御目出度いんだよ! そんなことするわけないだろ? ミサキとやらは俺を侮辱したから完膚なきまでに痛めつけてから壊す。神代絢は、恨み辛みが多すぎてな。殺すには惜しいからギリギリで生かしながら痛みと屈辱塗れにしてやるのさ。だから二人を返すなんて、出来ないなあ。それとルチルは俺の『人形』だ。手放しはしない、とことんまで使い倒してやるのさ。俺の欲が治まるまではなあ。

 で、挙げ句国家権力? 本当にお前は何も知らないんだな。『人形』ってのはな、国家が持て余すレベルの情報なんだよ。警察程度がどうにか出来ることじゃない。

 というわけで、一通り返答してやったが、満足したか?」

「壊すとか痛めつけるとか……、そんなのが同じ人間のやる所業なのか? だとしたら、お前はもう人間なんかじゃない」

「ふうん、まあ好きに思えよ。人間じゃないのは、このルチルと、そのミサキだよ」

 雨獅子は目の前のルチルの膝裏辺りを蹴り飛ばし、その足で磔にされているミサキを指す。

「黙って聞いていれば、ふざけたことを良くものうのうと語れるもんだな」

「一宮唯、とか言ったか。お前と俺じゃあ、スペックが違うんだよ。そもそも『人形』遊びもまともに出来ず、『人形』と楽しくおままごとしちゃうような変態と、『人形』を道具として使いこなす俺とでは格が違うんだよ」

「っこの!」

 怒りを撫で、感情を揺すり、人間の観念を捨てた雨獅子の言葉と態度に、一宮は我慢をするのも限界だった。既に駆け出してしまっていた。ルチルが立つ雨獅子の方へ。ルチルの手には未だにあの赤い針がある。少しずつ指先、手首、肘、肩、と順番に一宮が近付くのに比例してルチルの関節が動き始めて、それぞれの関節が赤く染まっていく。服越しにもその色は映えており、一宮の瞳を焼く。

 明らかにまずいのは判っていたが、それでも引き返すにも立ち止まるにも遅く、またそれをするには一宮の感情は昂ぶり過ぎていた。

「逃げて」「唯っ」

 二人の声が聞こえる。雨獅子の口端が抉る様に上へあがり、冷淡な笑みを作り出す。

 気付いた時には、真っ赤な針が一宮の掌に数本刺さっていた。足が止まる。

「ああっ、痛い――」

 鋭い痛みが脳に信号を送る。たかだか何本かの針が一宮の右肩辺りを貫通しただけだと言うのに、それは一宮の知らない痛みだった。痛くないところを探して丁寧に刺す注射とは違って痛いところを探して乱雑に肌や筋肉、骨を破る針。体内に残る針の感覚も重なって、痛みと気持ちの悪さとで気が狂いそうだった。

 こんな痛みを、これ以上の痛みをミサキと神代は受けているのか。そう考えると、それ以上声を上げるのが憚られ、声を上げてしまいそうになる口を閉じ、歯を噛み締め、唇を真一文字に封じた。雨獅子を睨みつける。屈するなんて、御免だった。

「痛いなら痛いって叫んで良いんだぞ? 嫌なら嫌だって逃げ出して良いんだぞ? 俺は最初からお前に興味は無い。逃げるなら逃がすし、逃げないなら殺す。俺の目的はその糞『人形』とミサキを甚振って、存分に悲鳴を聞いて凌辱することなんだからな」

 雨獅子の声に合わせてルチルがまた数本の針を手に取る。

 逃げても良い、逃げなければ殺す。その言葉を受けても一宮の足は動かなかった。何も出来ずに痛みに埋没するより、何もしないで逃げ出す方が怖かったのだ。グッと奥歯に力を入れて駆け巡る痛みを少しでも殺す。

「悪いけど、どっちも嫌だ。その二人を返してもらう。そのために来たんだ」

「一人と一つの間違いじゃないのか? 『人形』はモノだぜ?」

「二人だ。ああ、後ついでにそのルチルって子も合わせて三人か」

「――ままごと遊びもそこまでいくと、立派を通り越して苛立ちを覚えるね。いい加減ふざけるのはよせよ。舐めた口きくと、最高級の痛みで返すぞ」

「好きにしろよ、ミサキや絢が受けた屈辱や痛みに比べれば、これくらい我慢の範疇だ」

「へー、そりゃあ男らしいこって。でもよ、女の体ってのは男のそれよりも丈夫に頑丈に出来てるもんなんだぜ? 痛みにも強い。筋力こそ付きづらいが、痛みを我慢するって点においては奴らの方が合ってるんだよ。だからその利点を活かして、痛みを我慢して上げる苦悶や呻きや喘ぎ声を精々楽しませて頂こうって話だ。こいつらは女や玩具の癖して、俺に逆らい、男に強がって見せる。これはそれらの行為に対する罰、そして見せしめだ。その身体と甘い悲鳴でお返し願ってるのさ。男なら疼くモノがあるんじゃないか? なあ、一宮唯」

 人間離れした倫理観を口にしながら、雨獅子がルチルへ視線を送ると、何をしたのか神代が床に落ちた体を余計に自分の血溜まりに擦り付けるように動き出す。同時に声も上がる。

「――ああ、痛い、もう……もうやめてえあああああああああ」

 辛うじてくっ付いていた両足の太腿部分。骨に赤い針がまた何本も刺さっていく。ルチルが投げた動作など見えなかったが、剥き出しの骨の周辺。切り裂かれた肌や肉にも縫い止めるように短い針が刺さっていく。劈く悲鳴が教室に戻ってくる。

「やめろ、やめろよ。何してんだよ!」

「ふははっ、どうだよこの哀れな声! あのいつも偉そうに人の前に立って、誰かに頭を下げられるのを当たり前と甘受してる神代絢が、こんな惨めで女らしい悲鳴をあげてるんだぜ? 体液を垂れ流して痛い、やめてくれって叫んでるんだぜ? 最高だろう? さいっこうに震えるだろう? どこかの不良共を殺した時とも、ルチルと感覚共有をして聞いていた時とも違う生の悲鳴だ。痛みに耐え切れず体内から漏れ出す叫びだ! 今まで神代絢には散々煮え湯を飲まされてきたけど、これでチャラにしてやっても良いって思えるくらいの気分だ!」

「なら離せよ、もう止めてやれよ! もう……もうこれ以上絢を痛めつけるなよ! このままじゃ絢が死んじゃう、死んじまうから、だから止めろよ!」

「はははははっ、良いね。さっきまでの威勢も大分崩れてきたじゃないか。そうかそうか、そんなにも神代絢が大切か。この傲慢で人の上に立ち続けた女がそんなに大事か! お笑いぐさだよ全く。確かに死んでしまうのは困るけど、その点は安心してくれよ。ルチルの針がそれ以上出血しないように肉と肉を縫ってる。出血多量で死ぬことは多分無い。ショック死で死ぬかもしれないが、神代絢の忍耐力なら大丈夫だろ。これくらいの痛み、耐えてもあまりあるくらいの精神力を持ってる筈だ。なあ、安心出来たか? なら心から楽しめよ。神代絢渾身の独唱だぜ? 身を震わせて聞けよ」

「ふざけ……お前、何なんだよ。どうしてこんなことが出来るんだよ! 絢は俺達と同じ人間だぞ? 普通の女の子なんだぞ!」

「ふざけてなんていないけどね。まあ、普通の女の子ってのはさておいて、人間であることくらいは流石に認めてやってもいいけど――、」

 雨獅子はそこで言葉を切って、今まで一番色濃い笑顔を顔に写した。

「だったらさ、そんな人間の神代絢を助ける代わりに、人間でも何でもない『人形』の女を代わりに弄るっていうのはどうかな? その交換条件なら飲んでも良いぜ? そこに磔になってる白の『人形』の所有権を放棄して俺のモノにしても良いって言うなら、この神代絢を返してやる。なあ、良い条件じゃないか? モノを捨てて大事な人を守れるんだ。何を躊躇する必要がある? さあ、どうする?」

 一宮は怒りから気が狂いそうになっていた。ミサキをモノ呼ばわりした挙げ句、交換条件でこれだけふざけた条件提示をしてくるなんて、それを笑いながら言う雨獅子に対してどうしようもない怒りが生まれた。選べるわけがない。神代絢は一宮にとって大切な人で、彼女が痛みに苦しんでいる様をこれ以上見たくない、助けてやりたい。

けど、それと比べるなんて出来ないほどに、自分が人間だった時の記憶を持って尚、人間では無い『人形』として振る舞っていたミサキが見せてくれた笑顔、そしてあの哀しい微笑が大事だった。その全てを受け入れてこれからはミサキがミサキらしく生きていけるように、一緒にやっていこうって、そう思った。ミサキが人間だとか『人形』だとか、そんな下らない枠組みじゃなくて、ミサキはミサキだって伝わる様に教えてあげたい。

 選べるわけが無かった。ミサキも神代も、一宮にとって途轍もなく大切な存在だった。選択肢など無い。選べるものが無いなら、そこには選択する分岐が無いと言う事だ。なら二人をどうやって助け出すか、守るかを考えた方が良い。雨獅子の甘言に耳を貸す気など、無い。

 なのに、その後押しは意外なところから来た。

 愉しそうに嗤っている雨獅子深弥の更に奥。

 気丈な声は冷たい空気を簡単に切り裂いて、一宮の鼓膜を震わせた。

「――アンタ、何迷ってんの?」

 両手を水平に開かされ、両足を手に対して垂直に閉ざし拘束されたミサキから、声が聞こえた。この教室に来て、ミサキが明確な意思を持って一宮に初めて話し掛けてきた。

「は、あ? どういう意味だよ。ミサキ」

「だから、アンタは何を意味のないことで迷ってるのかって聞いてんの」

 少しずつ見慣れ始めた銀の瞳が、汚され乱された白い髪の奥から覗く。

「意味のないことって……それに迷ってなんか、」

「迷ってるじゃない。私を捨てるかどうするか。どうしてそんな判り切ったことで迷う必要があるの? 私は人間じゃない。モノなのよ。アンタの大切な人と秤に掛けられてるなら、迷わず私を切り捨てれば良いじゃない。どうしてそんな迷う意味も必要も無いことで逡巡してるのよ。アンタ、莫迦なの?」

「なっ、莫迦はお前だ! 僕は、ミサキの事をモノだなんて一度だって!」

「本当に? アンタは一度だって私が人間では無いって覚えた瞬間が無かったって言うの? たったの一度も?」

 詰問口調のミサキの瞳は、一宮を射抜く。無いと断定など出来ない問いだった。出会ってから一緒に過ごし、こんなことになってしまうまで、混乱するくらい展開が早くて、その中でミサキが人間じゃないんだと感じてしまった瞬間は、決してゼロでは無かったからだ。少なからず、一宮はそう思ってしまっていたからだ。

 ミサキが人間では無く、『人形』なのだと納得し、微かな理解を覚えてしまったことがあったから、そのミサキの瞳に真っ向から返せず、逸れた視線は神代へ向く。痛みに喘いで、最早生きているのかどうかさえ小刻みな痙攣からしか感じ取れない。そんな神代の姿が視界に入ってしまう。視界の端では、雨獅子が満足そうに嗤っている。

「く……っ、僕は、僕、は――……」

 ミサキを切り捨てれば、神代は助かる。例え四肢を損失したとして、命は今なら辛うじて助けられるかもしれない。でもそうしたら残されたミサキはどうなる。感情も意思も残したまま雨獅子の言いなりにされて、凌辱され使い倒される。だとして、ミサキを切り捨てなければ神代は死んでしまう。

 選択肢なんて無い筈だったのに、ミサキの声のせいで選ぶ分岐が生まれてしまった。

「迷う必要なんかない。私はアンタから十分なモノをもらった。もう、大丈夫。だから、アンタが大切な人を守ってあげて」

 極限まで精神が崩壊していく中で、ミサキのその一言が聞こえた。突き放すでも無い、ミサキの生の声が、聞こえた。

「あ、」

 そのせいか、迷いは消えた。選択としては間違っているかもしれないけど、今の一宮に選べる最高の選択だ。それでどうなっても、一宮自身は後悔しない。

「僕は、どっちも助ける。ミサキも、神代も、どっちも助ける! どっちかだけを選ぶなんてしないっ!」

 選択としては悪だったかもしれない。どちらかを助け出せる条件を捨てて、どちらも助けられないかもしれない選択肢をとる。悪条件にも程がある。

 分は悪すぎる。それで誰かが死ぬかもしれない、誰もが死ぬかもしれない。それでも、今の一宮にはそれが精一杯の選択だった。

 床を蹴り、ルチルが構える雨獅子の方へ駆け出す。

「迷いに迷って、よりにもよって最悪の選択をしたな! それなら構わない、全員痛みの中に溺れて死んで行ってもらう!」

 雨獅子が声を張り上げ、ルチルに手振りで指示を出し、ルチルが駆け出した。もう終わりだなと感じた一宮は、目を開けて、動きの一瞬も見逃さず捌ければ捌いてやる。そんな意思を抱いていた。どうせやられるなら、少しでも、一矢でも報いてやると。

 だが、唐突に視界に割り込んだ存在があった。

 ルチルが赤い針を振り被って投げ出す前、見知った美しき、白の後ろ姿が、ルチルと一宮の間に割り込んだ。

 更に針が投げ出されようとしていたルチルの両手首を、高速の蹴りで打ち落とし、その腹部に残光を空気に置いたままで重い蹴りを叩きこんだ。

 ルチルは為す術も無く攻撃を止められ、その身体ごと雨獅子の座る椅子の正面を通過して、壁に突き刺さった。轟音が響き、笑ったままの表情で雨獅子は停止している。

 一宮の眼前には、先程まで汚れた姿で磔にされていたミサキが、服にも肌にも髪にも、寸分の汚れも、穢れも残さずに立っていた。

「ミサ、キ?」

「アンタって、本当に救いようも無い莫迦よね。私なんて、さっさと切り捨てちゃえば良いのに。私も含めて助けようとするって、どんな選択よ。本当に莫迦!」

 顔は見えないが、明らかに酷い罵倒を受けているのは一宮でも判った。

「大切な人を秤にかけても私を切り捨てられないって、どれだけ人形遊びが大好きなのよ。とんだ変態じゃない。何でこんな莫迦が私の主人なのかしらね。

 ――でも、……でも、嬉しかった。嬉しかった。ありがとう」

 罵倒の先に在ったのは、優しい、丁寧なミサキの声だった。

一宮が聞きたかった、ミサキの感情が溢れた声と笑顔だった。

「あ、ああ。でも、何で。磔にされてたのに」

「あー、あれね。機会を窺ってたのよ。私は直前の戦いとその後の甚振りで、大分ダメージを負ってしまってたから、そのダメージを一瞬で浄化できる力を蓄えてたの。

私のコアストーンはね、水晶のクラスターなの。他のパワーストーンに溜まった穢れを浄化する石よ。そして何より、水晶はパワーストーンで唯一強い自己浄化機能を持ってる。自分に溜まった穢れを自分で浄化できるの。でも月光や日光なんかの力が無かったから、その力を強力には持てなかった。だから一瞬で拘束を破り、肉体に受けた損傷を回復するだけの浄化力が溜まる機会を窺ってたのよ」

「でも、なら最初からどうしてそうって、」

「今言った通り、力の蓄えが無かったの。あればとっくに脱出してたわ。若しくは、今日が雨じゃなくて月が見えていればね。

それにアンタが来てからは、伝える機会も無かったじゃない。加えて穢れを一掃できる力が溜まったのはついさっきだから、その前に行っても仕方なかったしね。あの雨獅子とか言う男が交換条件をアンタに提示した辺りで、やっとその力が溜まった」

「なら、せめてその時に言ってくれるか行動してくれてたら良かったじゃないか」

「それは無理。私から完全に注意が外れる隙を狙ってたから。更に言えば、アンタが神代絢を選ぶなら、私は必要ないかなってそう思ったのよ」

「は――っ、莫迦かよ。そのせいで絢まで余計に傷付いてるんだよ?」

「大丈夫、あの子は意識を失ってるけど、まだ死んではいない。このまま病院に運んで処置が出来れば、息を吹き返すことも可能よ」

「にしたって、もう少し早くどうにかする手段が、」

「はああ、――おいおいおいおい、何をそっちでふざけた段取り始めてんだよ。誰がそんなの許したよ? その莫迦は選択も出来ずに刃向ったんだぜ? 『人形』まで逃げ出して、その上神代絢まで逃がすと思ってんのか? こうなったらそいつだけでも殺す。ルチル、神代の血を止めてる針を解除しろ! 出血多量で神代絢を殺す!」

 一宮とミサキが叫びあっている途中で、怒りを露わにした雨獅子が叫ぶ。そこに先程までの余裕は見る影もないが、雨獅子の言葉の意味は判った。

「止めろ、止めろ雨獅子!」

「ふはっ、止めるかよ。莫迦!」

 無情にも雨獅子が叫ぶ。が、それに重ねてミサキが声を発した。

「ルチル、そのままにしといて。決着はつけるから」

「は?」

「え?」

 雨獅子と一宮の疑問符が聞こえる。ミサキがルチルに対して言葉を発したその意味が理解出来なかった為だ。

 しかし、事実としてルチルは神代の肉を縫い止めている針を、外しもしなければ、少しとして緩めることもしなかった。

「な、おいルチル。お前、何をして――」

 吹き飛ばされ、壁に穿たれた体を起こし、開いたルチルの赤い瞳が雨獅子を見る。

「ねえ、雨獅子とか言ったかしら。アンタ、ルチルのコアストーンを知ってる?」

「は、コアストーンだと?」

「自分の色が美しくないと勘違いして、アンタに命令されるがままに行っていた殺戮の中、自意識を保つためにただ美しい赤を追い求めたルチルのコアストーンを知ってる?」

「意味の分からないことをっ、ルチル、その『人形』を壊せ!」

「彼女のコアストーンは名前の通り、ルチルクオーツよ。別名針水晶。水晶に不純物が入ってそれが針状や繊維状に形を成している水晶のこと。一般的には黄金色の針が大半だけど、中には赤や黒なんかもあるの。そしてルチルクオーツの価値は何よりもその針の形質や色の美しさに依る。特に赤で純色に近い赤を発して、そして綺麗な針状をしてるものなんて、滅多に無い貴重な石なのよ。レッドルチルとか呼ばれてるわ。それが彼女、ルチルのコアストーン。で、彼女が使う針を見れば判る通り、その赤は魔的なまでに透き通った美しさを持っている。稀少なんて言葉で片付けられない、美しさを持ってる。

 でもね、彼女は自分のコアストーンが美しいだなんて思えなかったの。アンタが下劣な目で見て、扱いをして、どんどんその内面から穢れを孕ませくすませていったから。そのせいでルチルは、自分の赤が美しくないと、そう思ってしまった」

「ルチルーっ! その『人形』の口を塞げ! 刻んで、殺せ! どうして、どうして俺の言う事が聞けない! 俺は主人だぞ、命令を聞けっ!」

「最初に言ったでしょう。ルチルクオーツの中に見える針は、どれだけ綺麗に見えようとも不純物には違いない。ルビーやガーネットみたいに、認められた美しい赤じゃない。他のどのストーンとも違う。不純物を、綺麗って言われてるの。どれだけ綺麗でも、どんなに美しくたって、形質上は鉱石内に含まれた不純物なのよ。

 私達『人形』は、その素材になった人間の羨望や願望、その他人間だった頃の記憶にまつわる何かが共鳴したり、あるいは強い憧れからコアストーンが決まる。ルチルの場合は、共鳴。しかも哀しい感情の共鳴。自分が不純物であることを理解し、それでも純色の美しさを憧れずにはいれなかった。ルチルクオーツとの共鳴。

 アンタは、そんなルチルを更に汚して穢した。アンタの下らない復讐心や鬱憤の肥やしにするために、ルチルを汚したのよ」

「だから――、だからなんだよ! さっきからうるせえな! お前がのうのうと語ってることに何の意味があるんだよ! 俺は主人だぞ、そいつの所有者だぞ! それは、そいつはもう人間じゃない! ただの『人形』なんだよ! それを所有者の好きに使い倒して何が悪い! 何が間違ってる!」

「喋れば喋る程墓穴を掘ってるの、気付いてる? それでアンタがルチルに与えた穢れを、私が今払った。だから、ルチルは今真っ新な状態になったの」

 一歩ずつ雨獅子に詰め寄るミサキ。

 ルチルの名を叫び、床から転げ落ち無様に後ずさる雨獅子。

 全てを聞きながら、立ち尽くし、動かないルチル。

 その中を、一宮は駆け抜けた。驚くミサキの横を通り抜けて、尻餅をついている雨獅子の胸ぐらを掴みあげる。ルチルの針が刺さった個所が痛み、血が噴き出るがお構いなしだ。それらの感覚を吹き飛ばすほどのアドレナリンが、一宮の体内を駆け巡っていた。

「ひいいい、ごめんなさいごめんなさいい! でも、――でもそいつは人じゃない! 単なるモノじゃないか! モノを使い倒して、傷付けて、壊してしまったとして、どうして僕がこんな風に責められきゃならないんだ! お前のモノならまだしもそれは俺のモノだぞ! 感情も何も無いただの『人形』なんだぞ!」

 涙も鼻水も涎も、顔からあらゆる体液を流し、喚く雨獅子の姿は無様だった。直ぐにでも放り投げて、神代を安全な場所に送るなり救急車を呼ぶなり、すれば良かった。それでも、一宮にはそれが出来なかった。ふざけたことを口走る雨獅子が許せなかった。

「さっきから聞いてれば、モノモノってうるさいよ……。彼女達だってな、好きであんな風に人間じゃなくなったわけじゃないんだ。被害者なんだ。それを自分の欲の為に使い倒しておいて、良くもそこまでふざけたことを言えるな。それに、お前さっき何て言った? 彼女に、ルチルに感情が無いとか言わなかったか?

 なら、何だよ。彼女の頬に流れてるあれは、何だって言うんだよ!」

「へ、あ、ああ――、嘘だろ。だって、感情認証システムはオフだって――言ってたのに」

 立ち尽くすルチルの表情は、相変わらずの無表情だった。雨獅子と感覚共有をしているわけでもない彼女が、普通に表情を変えるなんて、無い事だったからだ。

 けれど、その瞳から流れる一筋の軌跡は、明らかに雨などでは無かった。血などでは無かった。それでも、彼女に残った感情の欠片が現した何かだった。

「だからなんだよ、何なんだよっ。感情認証システムなんて、所詮はただのシステムだろう? 機械だろう? それが真に人の心や感情を丸ごと消せるなんて、無いんだよ。彼女には、ルチルには微かでも、哀しいって思える感情が残ってたんだよ」

「そん、な――」

 雨獅子の抵抗していた力が失せていく。だらりと、手足が宙に浮く。体重が丸々一宮の腕にかかるが、力を緩めたりはしない。

 絶望の末にあげた雨獅子の声は、己に訪れた終わりを嘆いてじゃない。痛みを知っている雨獅子だからこそ見せた、感情に同感したからこそ見せた、哀しみだった。

「今更、遅いよ。遅すぎるよ。もっと、早く気付けよ」

 震える腕も、逆で握った拳も、一宮は緩める気は無かった。けれど、意思とは別に意識は既に限界のラインを越えていた。雨獅子を掴んでいた腕の力が抜け、同時に足の感覚も薄れて消えていく。殴ろうと、殴ってやろうと思った気も最後の雨獅子の瞳を見て、無くなった。だって彼の瞳は深い闇の淵に沈んだ黒では無く、光沢を持った光を少しだけ取り入れた黒に変わっていたから。

 ミサキが、ルチルが、神代が視界に入って、外れていく。閉じていく意識は視界さえ狭めていく。彼女達を助ける手立てを何も出来ないまま意識が失われるのは避けたかった。せめて救急車くらいは、とも考えたのだが、そこまでの自由はきかない。

 色々が終わった安堵感と色々の後始末に関する杞憂が混じって、一宮の意識は闇に溶けた。


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