95 「竜咆の森」
「竜咆の森?」
「ええ、何でも街の人たちがそう呼んでいる場所があって、その周辺で20年ほど前から10年間で分かっているだけで3人の人が行方不明になったそうです」
20年前からの10年間?
「最近は、行方不明者は出ていないの?」
私の質問の一つ一つに、トゥロンはちゃんと答えてくれる。
手続きをして、私のために情報収集までしてくれたのだ。特に頼み直したわけではないのに。本当に、気が回るよね、トゥロン。
「竜咆が聞こえることもあり、10年ほど前からは誰も近づかなくなったそうです。実り豊かな森ですが、命の危険を冒してまで行くほどの場所でもないようで」
ああ、なるほど。3人も人が消えたら不気味だよね。幾らきのこや山菜が採れたって、そりゃ行かないよ。
「でも、竜咆って何?」
「さぁ、詳しくは分かりませんが、なんでも不気味な竜の咆哮のような音が時折聞こえるらしいんです。渓谷などで、強い風が吹くと奇妙な音が聞こえることはありますが、そういった類のものでしょうか」
まさか、本当に竜とかいないよね?
一応、異世界だし……
「本物の竜っていう可能性は?」
トゥロンが少しおかしそうな顔をした。
「竜など、想像上の生き物ですよ。それとも、女神の住む天界では竜もいましたか?」
「そ、そうだよね、竜なんていないよね……」
でも、私の全くしらない恐ろしい獣がいない保障はないよなぁ……。熊、虎、オオカミ、ライオン、ジャガー、ピューマ、ゴリラに……人間にとって命の危険が感じられる動物って、地球にだってたくさんいたんだよなぁ。
「今から、聞きに行って見ますか?」
食事の後、トゥロンの提案で「竜咆の森」と呼ばれる場所へ行くことになった。
なんでも、馬を使えば片道1時間かからないということだ。
トゥロンがいるうちに、正確な場所を教えてもらえるとは、これまた有難い。
トゥロンは、引き続き仕事を請け負ったので馬を使える。二人乗りで、街を出て北へと進んでいく。
「あの、山の麓から西にのびる細い道を少し行けば、森の入り口があるそうです」
トゥロンが指差した場所に近づくも、西にのびる細い道は見当たらない。
馬を降りて、慎重に足を進めれば、嘗ては道だったかもしれない場所があった。
「そうですよね、10年も人の行き来がなければ、道などあっという間にふさがりますよね」
トゥロンが頭をかいた。
「でも、地面をよく見れば他の場所よりも踏み固められた感じがあるし、大きな木がないし、切り株がところどころ見えるし……慎重に足を進めれば竜咆の森に行けそうですよ」
別に、トゥロンのせいじゃないのに、申し訳なさそうな顔をするものだから、思いっきり気軽な口調で答えた。
その時だ。
微かに、音が聞こえる。
トゥロンも、耳慣れない音に気がついたようだ。
音は、風に乗って流れてくる感じだ。近くで音源があるようには聞こえない。
耳を澄ませば、音は少し大きくなり、そして小さくなって消えた。
「今のが、竜咆と言われる音ですかね?初めて聞く音です。確かに、重く響く不気味な音ですね」
私は、体が小刻みに震えているのを感じた。
「竜咆……」
カタカタと震える声、かち合う歯。
「大丈夫ですよ。もし竜が出てきてもトゥロンめが命に代えて、女神をお守りしますから!」
怯えたようにも見える私の様子を見て、トゥロンが安心させようと声をかけてくれる。
竜咆……違う。
あの音は、聞いたことがある。
あれは、間違いなく……
飛行機の音だ。
やはり、繋がっているんだ。この近くで、日本と繋がっている。
そこから飛行機の音が風に乗って聞こえてくるんだ。
帰れる。
この辺りを探せば、きっと帰れる。
いや、駄目だ。
過度の期待は禁物だ。
もしかすると、私の持つ鞄のように人が通れないような小さな空間かもしれない。
いや、それだと、人が行方不明になった説明が付かない。
帰れる。帰れる。
ああ、だめだ、やはり期待するなと思っても期待してしまう。
飛行機の音を頼りに、よく聞こえる方を探していけば……いずれ、見つけられるはずだ。
近いうちに……帰れるんだ。
驚きと、喜び、それだけではない。困惑と不安、色々な感情が渦巻く。
もちろん、帰れるという期待から、喜びはある。だけど、同時にもし、この期待が空振りに終わったらと思うと不安だ。
期待が大きくなればなるほど、それを失ったときの失望も大きくなるだろう。
飛行機の音が聞こえる、確かに日本、いや日本じゃなくてもいい。私の住んでいた地球のどこかと繋がっている。帰れそうなのに帰れないとしたら?私は、立ち直れるだろうか?ショックで一歩も動けないということにはならないだろうか?
……なんて、後ろ向きな感情だろう。今は単純に喜べばいいのに。いつからかなぁ。幸せだと逆に不安になるという気持ちを覚えたのは。
初めて大きな失恋をした後だろうか?
内定をもらった会社が倒産してしまった後だろうか?
そういえば、二つとも同じような時期だったなぁ。
ほんの1ヶ月前には、就職も決まり、恋も順調で、幸せいっぱいな日々だったんだ。いつまでも幸せが続くと何の疑いも持たずに生きていた。
若かったな。
……。
うん、でもさ、アレ以降ずーっと不幸かといえば、そういうわけでもない。それなりに幸せだと感じる日々だったわけで。
不幸だって、いつまでも続くわけじゃないんだ。大丈夫。
顔を上げれば、心配そうなトゥロンと目が合った。




