152 熊屋亭
ウルさんが、私が鞄から取り出した小さな水入れをカーベルさんに差し出す。
「これを、陛下にお渡しし、ルイス様が、お目通りをお願いしているとお伝え願えないか?」
カーベルさんは微動だにせず。
「国に有益な贈り物も用意していると、陛下に」
ウルさんの言葉に、カーベルさんが問う。
「国とは?陛下のことか?国民のことか?」
もちろん、国民に決まっている!国イコール王様なんてありえないって!
だけど、ここは独裁王国トルニープだ。国イコールエロキモ陛下っていう世界だ。
何と答えるべきか。
そもそも、カーベルさんは、どういった立ち位置なのだろう?
「陛下の益になりうる贈り物です」
ウルさんを通して、言葉を発する。カーベルさんの表情は変わらない。
「それと同時に、国民にも益をもたらす贈り物です」
その言葉に、カーベルさんの眉が少しだけ動いた。
カーベルさんの反応をどう受け止めるべきか。言葉を誤ったのだろうか。カーベルさんは、どのような返答を求めて質問したのだろう?
「陛下が、ルイス殿とお会いするかどうかは分からない。ただ、これは渡すと約束しよう」
カーベルさんが、ウルさんの手から水入れを受け取り、門の中へと消えていった。
さて、水入れの中身にエロキモ陛下はどんな反応を示すかな。
食いつくか、興味なしか。
「カーベル様からの連絡があれば、宿までお願いしたいが、お勧めの宿はあるか?」
先ほどの門番に、尋ねる。
カーベルさんを尊重していた態度からすれば、私たちに変な宿を勧めてカーベルさんを貶めるようなことはしないだろう。
「宿なら、ここから北へ進んで1件目の酒屋を左に折れたところにある、熊屋亭がお勧めだ」
「おい、そこはだめだろ!」
聞き耳を立てていたもう一人の門番が慌てて止める。
止められて、何かを思い出したのか、門番は大きくハッと息を飲んだ。
「あ、そう、そうだった、あそこは最近は、良い噂を、聞かない」
「そうです。熊屋亭はお勧めできません。1件目の酒屋を左ではなく、右に折れ、2本目の道をもう一度右に折れると、白山亭という宿屋があります。馬小屋もありますし、料理も上手くてお勧めですよ」
「ありがとう」
ウルさんが、情報量としてチップを渡す。
「では、何かあれば、白山亭のルイス様までご連絡いただけますか」
門番が頷いたのを確認すると、白山亭に移動する。
一軒目の酒屋が目印だったよね。トルニープでも、識字率は低いからお店の看板は分かりやすいイラストになっている。
木の看板に、ジョッキとお肉。酒屋だ。
えーっと、右に曲がるんだっけ?左に曲がるんだっけ?
右見て左見て、熊の絵と、宿を示すマークの看板を見つけた。
ああ、あそこが熊屋亭か。ということは、反対側に曲がればいいんだよね。
「!」
え?
まさか!
視線を右に戻そうとしたところで、それは目に飛び込んできた。
熊屋亭の少し手前を歩く後姿。
短く切った茶色のツンツン頭。
ひょろりと背が高く、少しだけ猫背になった立ち姿。
隣の女性の肩を抱く優しいしぐさ。
あの後姿は……。
心臓がばっくんばっくん。
ルイスを演じていることも忘れて、叫んで、駆け寄りそうになった。
その時、男が視線に気が付いたのか、振り返った。
「ち、が……った」
振り返った顔は、全く知らない人の顔だった。
違った。
そうだよね。トゥロンのはずがない。
もしトゥロンが生きていたとしても、トルニープの王都で顔も隠さずに歩いているわけないもんね……。
「どうかしましたか?」
ウルさんが、立ち止まって動かない私の視線の先を追う。
「ああ、あちらが、熊屋亭ですね」
女性の肩を抱いた男は、熊屋亭の前まで行くと、落ち着きなくあたりをきょろきょろとしてから、熊屋亭に入って行った。
「なるほど。確かに、熊屋亭は宿泊するには少しふさわしくないようですね」
ウルさんの言葉に、オーシェちゃんが素朴な疑問を口にする。
「え?なんで?見た感じ、通りが物騒っていうわけでもなさそうだし、宿の見た目も清潔そうだし……」
「姉さん、さっきの見ただろう?」
「ん?さっきの?」
「ほら、また来たよ」
オージェくんがくいっと、顎で道の先を示す。
通りの向こうから、男女がやってくる。
少し派手目な化粧をした女性と、女性の腰を抱いた中年の男性。
熊屋亭の近くまで歩いてくると、男性はやはり、周りを気にした様子で目が落ち着かない。
そして、スピードを上げて足早に熊屋亭に飛び込んだ。
「ほらね」
オージェくんのしたり顔に、オーシェちゃんが首をかしげる。
「またお客さんが入ったよ、随分繁盛してるみたいだし、評判がいい宿なんじゃない?」
オーシェちゃんの言葉に、オージェくんががっくり肩を落とす。
エボンさんとウルさんは、純朴なオーシェちゃんを優しい目で見守っていた。
そうだね。知らなくてもいいことだけどさ。
関わらなければ、そのまま知らなくてもいいんだろうけどさ。
「えー、何?何?オージェ教えなさいよ!」
皆が分かってるのに、自分ひとり知らないと、納得できないよね?知りたいよね?
オーシェちゃんが、私の顔を見る。
うん、ごめん。私も知ってる。
ああいう態度で男女が入るホテルのことを、日本ではファッションホテルって言うんだよ。ブティックホテルと言うこともある。あと、レジャーホテルとか、リゾートホテルとか。って、どんだけ言葉を変えても、ラブホはラブホだよ!ややこしくなるから、これ以上呼び名を増やさないで欲しい!初めてリゾートホテルと聞いたときは、リゾート地に立つ普通のホテルだと思ったわ!っていうか、実際普通のホテルにも使う言葉だから余計にややこしい。いっそ、どこかの貴族の名前みたいに、リゾート・ラ・ホテルとか、レジャー・ラ・ホテルとか、全部間に「ラ」つけてくれ!
「姉さん、あのホテルは、婚姻関係にない男女が主に利用する場所だよ」
まぁ、日本では婚姻関係があっても、親と同居とか、レジャーとしてとか、利用する人もいるけどね。
「え?婚姻関係にない男女?オージェと私とか?リエスお姉さまとウルさんとか?」
姉弟でのご利用はまずいです。
上司と部下っていうのも、やばいです。
オージェくんはここまで頑張ってみたものの、一向に理解してもらえない姉に困って、エボンさんに助けを求めた。
「先ほどの女性は、たぶん娼婦でしょうな」
エボンさんの言葉に、オーシェちゃんもやっと熊屋亭を利用する人の目的が分かったようで、瞬間湯沸かし器のように真っ赤になった。
「は、早く白山亭に行きましょう!」




