第2話 消えた幼馴染に似ている
確か、神代先輩が死神のような格好をしていて、サラリーマンの憂鬱が視覚化されて、その中に居る怪異のようなものを倒して、気絶したサラリーマンを元に戻してそれから……
「それから?」
「何だ? ってお前か」
「お前とは失礼な! ちゃんと名前があるよ!」
「今日の名前は? 昨日はセンチメンタル・アンドリーヌで、一昨日は近松ヒナ、三日前はアザレア・ドラマトゥルギーだったか?」
「正解、よく覚えているね」
「今日は?」
「マーガレット・トゥルース!」
「マリトッツォ?」
「違う、マーガレット・トゥルース!」
「あーはいはい、もういい。一体名前は何個あるんだよ」
「君の夢の数だけ」
「もう、バクで統一していいか? 流石に覚えられない」
「ダサいから嫌」
「今日の名前はマーガレット・トゥルースでいい。通名が欲しいんだよ。しかも、初めて現れた時に名乗った名前はバクじゃないか」
「しょうがないなぁ」
僕は中学生の頃だったか、ある日を境に睡眠障害のようなものを患った。明晰夢と言えばいいのだろうか。その日から意識的に夢を見ることが出来るようになった。厳密に言うと、毎日夢を見る上に、意識的に見ることしか出来なくなった。その時に現れるのがこの女の子。見た目は幼稚園児の頃の幼馴染と瓜二つ。しかも、最後にその子を見た時の顔と身長も同じ。違うところがあるとしたら、あの子の性格やその当時の服装と全然違う。そして、バクと会話出来る時はこの妙な子供部屋に二人でいつも居る。壁は水色に塗られて雲の模様。赤ん坊が喜びそうな、シャンデリアが回転しながらガラガラが鳴る部屋。僕がこの部屋から目覚める時のベッド。本棚。ホームセンターにある人を怠惰に誘う高級なソファー。そして時には浮遊もする。ソファーでくつろいでいる目の前の少女。
「お腹が空いた。何か食べ物をよこせください」
「よこせあげません。激辛キムチを思い浮かべたのでそれを食べてください」
「あぁ!? 私がキムチと辛い物嫌いな事を知っててわざとやったな! この鬼畜キムチウスラトンカツ!」
「そう言うならウスラトンカチ。サクッと揚げちゃってる」
バクはその名の通り、夢の住民だ。僕が思い浮かべた食べ物を食べる事が出来る。僕が思い浮かべた食べ物を漫画のフワフワした吹き出しから取り出すことが出来て、共有したい相談や考えも思い浮かべて共有出来るのだ。辛い物全般が苦手なので、ご飯を食べたいと言ったら、とりあえず辛い物を思い浮かべて、戯れている。流石に可哀想だから、今度は辛い物じゃなくて、美味しいものを思い浮かべよう。
「ほら、悪かった。これ」
「ハンバーガーだ。ありがとうイケメン超カッコいい轟くん」
「また、激辛ラーメンとかあげたらどうなってたの?」
「メッチャカッコ悪い最悪◯◯野郎」
「ハンバーガーさん、本当にありがとう」
バクはこうやって美味しそうにハンバーガーを食べているが、実のところ、生きる為に食事を必要としていない。一日と半日ほど、ずっと徹夜していた時があったが、その時、物凄く怒っていた。「毎日欠かさず八時間睡眠をしなさい!」と言ってご飯を催促された。その時、僕が「空腹で辛くなかったか?」と聞くと「別にご飯は趣味で、何十日食べなくて済むぞ。水分も勿論」と言っていた。僕は「飢餓の概念がないのか?」と聞くと、バクは「ないけど、食べ物がないと楽しくない」と返ってきた。このバグという存在は未だに、僕の中で謎に包まれている。姿が幼稚園の頃の幼馴染そっくりというのもそうだが、バグが夢に出てきてからと言うもの、予知夢や正夢が明らかに増えた。就寝前の神代先輩の件のような大きく人生を変えてしまうような予知夢は、初めて経験した。だが、細々とした予知夢は定期的に見ることが出来る。スマホゲームのキャラクターが当たる夢や、売り切れ続出の欲しいゲームが二駅先のショッピングモールにある夢を見ると条件付きで必ず叶う。叶う条件は二つ、夢と同じシチュエーションになるように行動することと、夢の中でバクを見つけることだ。だからこそ、かなり引っ掛かる点が僕の中に一つあった。神代先輩の夢にはバクを、少なくとも僕自身は見つけられなかった。
「バク、あのさ」
「何か用か?」
「寝る前の昼間、学校で突然眠くなって寝てしまったんだよ」
「そうだったっか」
「正夢や予知夢が見られる時はいつもバクが居るだろ? 何処に居た?」
「えーと、うーんと」
歯切れが悪い。怪しい。
「夢の中で学校の自販機でジュースがもう一本当たる夢を見た時がある。その時にバクは俺の学校の女子高生として居ただろ」
「うん、居たね」
「スマホゲームの時は俺がガチャで外れる時に、一緒に遊んでいた男の顔が急にバクになっただろ」
「確かに遊びに行ったな」
「神代先輩の時は何処に居た?」
「うーんと、言いたくない」
「なんでだ?」
バクは僕目線かなりのお喋りで、自己開示もちゃんとしてくれる。聞いた質問には基本的に答えてくれる。過去に拒否した質問の一例として、嫌いな食べ物を追加で聞いたが、嫌がらせ目的で使われそうだったからと拒否してきた。それでもここまで口を噤むのは珍しい。そう考えているとバクは話し始めた。
「正直に言おうじゃないか。神代先輩って女の子が怖いんだ」
「どうして?」
「あの子、人を鎌で切ってただろう」
「切ってたな、現実でも夢の通りに」
「これ以上は話さん」
バクはあまり喋りたくないようだ。僕はその振る舞いやランタンの件を思い出して、勘づいてしまった。
「まさか、あのランタンの中に閉じ込められたくないとか?」
バクは目を逸らした。少なくとも関連しているのは確かだった。
「鎌で斬られたくないのはそうだ。轟はあの鎌の事をどう思った?」
「えっと、人を生かす為の道具だから素敵だと」
「そこがまず間違っている」
「と言うと?」
「あれは人を生かすことは確かに出来るのだけど、憂鬱になった時の希死念慮を分離したに過ぎん。つまるところ、狙いをネガティブな感情じゃなくて、ポジティブな感情、アタシの魂を狙って斬ればランタンに封じ込められてしまうかもしれん」
「仮に、ネガティブな感情だけじゃなくてポジティブな感情を分離できたとしても、バクって夢の住人みたいなもので感情ではないだろ?ランタンに封じ込められることってあるのか?」
「アタシは君の夢の中に現れる『思念体』みたいなものだ。だから、感情みたいな『思念』を実体化出来るならアタシの事だって切り裂いて、分離出来るかもしれないじゃないか」
バクは浮遊をやめて、本棚を漁った。本棚には僕の記憶やその日見たものが書いてある。最初はプライバシーの筒抜けもいいところだと思ったが、夢は記憶の整理をする場所だろうと言っていた、バクのセリフで納得した。それにバクは恥ずかしい記憶や思い出したくない記憶を見つけて読まれても、笑った事はない。でも、読まれる事自体恥ずかしい記憶は、それについて僕が「読まないでほしい」と懇願しても「人は秘め事何ていくらでもある。それに過ちを繰り返す生き物だろ? それがどんなに轟の責任がある出来事だろうと、魔が差して行った奇行だろうとアタシにはどうだっていい。でも、その苦痛だと思う経験から逃げ続けてはいけないんだよ。私は夢の世界で生きているからどんな出来事も重々承知だ」とバクは真面目な顔で、夢で記憶の整理をしながら言っていた。
「話は変わるが聞きたいことがある」
「何だ?」
「一つ、死神装束の神代先輩について知っている事。二つ、僕が幼稚園の頃の幼馴染だった霞について」
「神代先輩はいいとして、霞って誰だ? そんな奴が居るのか?」
「忘れたのか? 幼稚園児の頃の仲がよかった女の子の話」
「ちょっと、待ってくれ」
本棚の左上の一番初めの方に埃を被った本がある。幼稚園の頃の思い出についてだ。その全てが記録されている本をバクは持ってきた。
「これか? 霞なんて名前は書いてないぞ?」
幼稚園児の頃の思い出が書いてあった。幼稚園の頃好きだったアニメ、漫画。ショッピングモールで駄々をこねたけど買ってもらえなかったヒーローのフィギュアの話から、甘い記憶から酸っぱい記憶まで書き記されている。その中で昔、友達だった霞という名前であろう女友達の記憶も書いてある。ただ、その話は少なくとも現実で思い出せる範囲でしか書かれていない。
「その『ケッコンしよう』と言った話は霞って女の子との記憶だよ」
「それは本当か? 記憶違いではなく?」
「ああ、笹内に聞いた」
「確かにそんな出来事は書かれてあるが、それが霞だとは書かれておらんなぁ」
バクは分厚い本を空中に浮かせながら、パラパラと魔法のように手を使わずにめくる。そして、バクがその思い出が書いてあるページを見せてくると確かに霞という名前が書いていない。と言うより思い出が書いてあるが、名前が未記入で誰だか分からなかった。
「これは間違いないのか? 他のページに書いてあるとか」
「基本的に人間は思い出せないだけで、忘れる生き物ではない。全て無意識に全部記憶は忘れずに格納されていると、君の記憶の本棚にアクセスしていて確信したよ。笹内って女の名前ならちゃんと書いているぞ」
「じゃあ、何故未記入に?」
「それはこっちが聞きたいよ。君の夢に現れるアタシが、君の知らないことを知っている事のほうが稀だろう。それに、君が言っている霞の記憶は全部名前が未記入だよ」
「何だと?」
確かに砂場で遊んだ記憶も、家でゲームした時の記憶まで未記入だった。「しかも」と言いながらバクは分厚い本を奥にしまって、別の本を取り出した。
「これは、君が言っていた『霞』と思われる人物との思い出が記されている本だ。出来事から逆引きした。本の表紙、タイトル含めて苗字も名前も全未記入だ。最初の数ページは読める」
「何だこれ?」
ピンク色の日記のような見た目で他の本の太さと比べて、明らかに細かった。幼稚園の頃の記憶のページから、小学四年生の時の断片的な記憶が最初のページに書いてあるが、そこからが問題だった。その次のページから最後のページまで施錠されていて、チェーンが付いている。しかも、ホッチキスがギチギチに挟まれていて、鍵穴を無視して開けようとしても、接着剤がついているから、そもそも捲れない。
「一応聞くけど、バクがやった訳じゃないだろうな」
「……」
「バク?」
「この子の名前は誰から聞いた?」
「就寝前に行ったカラオケで笹内から」
「なるほど、どうやって?」
「写真を見せてもらったんだよ、誕生日を祝ってくれた時の。その時に教えてもらった」
僕は食べ物を思い浮かべる要領で、バクにその写真を渡した。バクはその写真を掴み、写真をまじまじと観察していた。
「アタシそっくり……コヤツは?」
「僕の幼馴染兼、笹内の小学生の頃の友達。僕も忘れてるから分からないが、霞って名前らしい。苗字は知らない」
「そうか」
正直ここまで冗長的に会話をしても埒があかないと感じていた。霞=バクならそれで終わる話だと僕は思ったからだ。
「バク、正直に聞きたい事がある」
「何だ?」
「バク、お前は霞か?」
「霞は人間なのだろう? 何故アタシが」
バクは首を横に振りながら否定する。続けてバクはこう言った。
「そもそも何故霞の正体を知りたいのか、霞がアタシだとしてそしたらどうするつもりなんだ?」
「霞は僕の大切な友達だ。しかも、お別れも出来てないし、笹内も探している。仮に霞がバクと同一人物なら、夢の世界で生きているという話で一件落着だろ」
「何を言っているのかも、何が一件落着なのか理解出来ない。アタシと初めて会った時の事を覚えているのか? バクと名乗った時の話」
バクと初めて出会った時。その時のこと。確かにバクだと名乗っていた。霞とは名乗っていない。その当時の僕は予知夢だとか、明晰夢の話なんて信じていなかった。だから初めてバクを見た時は「もしかして幼稚園の頃のあの子?」と笑顔でバクに手を振った。初対面の時のバクは真顔で「君は誰? 初めまして」と言われた。
「空腹の件で察したと思うが、アタシは人間とはとても言えない身体だよ。お腹も空かないし、容姿すら「霞」という女の子の模倣なのだろう? 君が眠らないと君の前にも自発的に現れることが出来ない。アタシは君の脳の中で生き続けているのは確かだが、君が眠って夢を見ないと、実体化出来ないし、眠ってないと君の記憶のアクセス権限すらない。そんな状態をその行方不明になっている『霞が生きていた』って言えるのか? 半分死んでいるようなものだよ」
確かにそうだった。生き急ぎすぎた。仮に霞だとしても何故、夢の世界でバクとして生きている? 何故、霞を知らない? バク=霞なら、現実で霞に何かあったことになる。
「それもそうだな。変な事を言って悪かった」
「いや、全然問題ない。かなりそっくりだったし間違えても仕方がない。それに、アタシもアタシ自身のルーツを知りたいから、むしろ探してほしいくらいだよ」
「ルーツ?」
「バクとして名乗る前の記憶を何一つ覚えてない。自我もある。君が作ったイマジナリーフレンドなら話はそれまでだけどね」
いつもバクと会話する部屋が、どんどん実体を留められずに、空間に歪みを作り始める。
「あぁ、そろそろ新しい夢に切り替わる時間だ。神代先輩の事は本人に直接聞いたほうが早いと思うよ。じゃあまた明日の夜」
そう言うと、僕が座っていたベッドが落とし穴に気付かない内に変化して落っこちてしまった。次は何の夢だ? と考えながら、宙ぶらりんのまま落ちていくと、そこはいつもの学校だった。
「轟くん、手伝ってくれてありがとう。書類が重くて二人じゃ足りなかったから助かったわ」
神代先輩と一緒に段ボールに入った書類を一人で僕が抱えている。神代先輩も全校生徒からとった文化祭のアンケートを両手で抱えている。
「笹内さんは今日、写真部の仕事があるから、後で生徒会に参加するらしいの。だからその時に沢山仕事をさせましょう」
と、夢の中の話と言えど、とんでもない事を言っている。
「笹内もちゃんと部長も兼任しているのに流石にそれは」
「冗談よ」
さて、バクが居るはずなのだが何処に居るのだろうか。
「轟くん、このニ年一組の生徒さんからまだアンケートを貰っていないわ。取りに行きましょう」
と、アンケートのリストの名前に「マーガレット・トゥルース」と書かれていた。そんな生徒は僕の学校に存在しない。と言うか、雑すぎる。腐っても、予知夢や正夢を見せてられるのだから、悪用されないように、もっと分からないように擬態するべきだ。ファミレスの間違い探しを見習ってほしい。
「今回はあまり意味のない予知夢か?」と辺りを見回していると、後ろに笹内が居た。カメラを持って隠れている。夢の世界だからか、僕の事に気付いていない。すると、笹内は僕と神代先輩の写真を撮った後、直ぐにどこかへ駆け足で行ってしまった。
「笹内? 何が目的?」とそう言おうとした時に目が覚めた。時計を見ると七時を針が指していた。
身支度を整えて急いで学校に向かう。制服よし、髪の毛よし、教科書とその他諸々良し、と指差し確認した後に急いで玄関のドアを開ける。「行ってきまーす」と母親に言って外へ出ようとした瞬間、ピンポーンとインターホンが鳴った。
「朔夜、朔夜の通ってる高校の制服の女の子が来てるよ。友達?」
母親がリビングで呼ばれたので見に行くと、インターホンのカメラに映っていたのは神代先輩だった。僕はインターホンの通話ボタンを押して、画面越しで神代先輩が話しに応答した。
「轟くん居ますか」
「はい、轟です」
「今日、一緒に学校へ行きませんか?」
「勿論、大丈夫です」
家に来たから「そういうこと」だとは分かっていたものの、まさか、神代先輩から直々に僕の家に来るなんて夢にも思わなかった。
「この子、可愛いね? まさか……」
「そういうのじゃないから。じゃあ学校行ってくるね、母さん」
「いってらっしゃい。気をつけるんだよ」
母親にイジられながら、僕は家を後にした。目の前には確かに昨晩、死神の姿だった神代先輩が制服で玄関の前で待っていた。
「行きましょう、轟くん」
「はい」
神代先輩と登校する事になった。ただ、昨日のカラオケの時は「あの、神代先輩と」という気持ちだったが、今は「あの」の部分の意味合いが、憧れから不可思議に変わってくる。正直、首を本当にはねられて、殺されてしまうかもしれないという状況で、最低限の説明から突然一緒に「憂鬱」という名前の怪異と戦う何て考えもしなかった。「夢の神代先輩との登校」が斜め上の方向で叶ってしまった。しかし、やはり美しい佇まい。所作だけでも上品と思わせられる。神代先輩と無言で登校している途中、目が合う瞬間があったので僕は咄嗟に目を逸らした。その時に伏し目がちになった僕の顔を覗きながら、鼠を睨む猫のような顔で、神代先輩がジーッと見てくる。
「轟くん、昨晩は」
開口一番、やはり昨日の夜の事についての話をしてくるみたいだった。正直、どういう話をしてくるのか検討がつかずに少し武者震いをしていた。
「はい、なんでしょうか」
「昨晩はどうもありがとう。轟くんが居なかったら、あの男の人、もしかしたら助けられなかったかもしれないから」
「こちらこそ、勝手に首を突っ込んでしまって申し訳ないです」
良かった。昨日の首筋に鎌を立てられて尋問されていた件もあったことから、「貴方は知りすぎた」と言われてもおかしくない状況だった。僕は感謝の気持ちを伝えられたことから、胸を撫で下ろした。
「いえ、『もしかしたら、今回は本当に助けられないのかもしれない』と戦闘中も思っていたから本当に助かったのよ」
「いつもは一人で戦っているんですか?」
「ええ、いつも私一人であの紫色の怪異『憂鬱』と戦っているわ」
「他に戦力を増やしたりとか、それこそ同業者を探すとか考えたりはしないんですか?」
「あの憂鬱切りの仕事は、正直出来る限り秘匿にしておきたいの。人を生かす仕事だとしても第三者が生死に介入しているのだから、そういう意味合いでは死神と変わらないわ。むしろ神様でもないのに命に介入している時点で、そういうものよりもタチが悪いかもしれないわね」
神代先輩は独自の美学を語った。確かにそうかもしれない。希死念慮という一過性の感情を、医者が腫瘍を切除するように、取り除いて生かしたと言えば聞こえがいいが、もしも、自死を選んでしまうことそのものがその人の「運命」だとしたらとんでもない。それこそ死ぬはずだった人間を生かすという事が、今後の世界の命運すら左右する事だってあるのかもしれない。
「ところで、話が変わるんだけど轟くん。まさか、昨晩のこと誰にも話していないのよね」
神代先輩は凍てつくような視線を僕に向けてくる。鞄から死神の鎌のストラップの付いたスマートフォンを取り出して、ブンブン僕の目の前で振り回してくる。やめてくれ、昨日の事があるから冗談か本気か分からない。
「正直に言うと夢の中に出てきた女の子には話したよ。現実では家族含めて誰にも話してない」
「夢の中では話したのね?」
神代先輩の冷たい視線は威圧感へ進化した。二重瞼の大きな目から、突き刺す眼光を見ているだけで、心にトゲが刺さったような気分になる。ただでさえ美しい瞳の女性が、目を月のようにまんまるとしてジロリと見てくるから余計にだ。
「現実で話してないならまあ、いいわ」
万事休す。もしも口が滑って現実で話しでもしていたら、どうなっていた事やらと想像したら肝が冷えた。
「ところで、神代先輩色々この前の事を聞いてもいいですか」
「チョコの話? いくら情報通の辻本くんでも二十一個目の情報は掴めなかったみたいね」
「いや、そうじゃなくて」
「冗談よ」
昨日の夜から思い始めたことだが、神代先輩という女性。クールビューティーなフリして、実はかなりお笑いが好きなのかもしれない。「今ここでとても面白い事を言ったら、爆笑してくれるかも」と思ったが、スベった時に不登校になってしまう事や、何かの拍子でツボに入ってキャラ崩壊した神代先輩の事をあまり見たくないと思ったので、すぐにその事について考える事を辞めた。
「あの武器とか、服装とか、車掌の事とか色々聞けるところまででいいので」
僕はここまでは踏み込んでいいだろうというラインを考えて、問いただしてみることにした。ちょっとでも、様子がおかしくなったらやめようと思いながらも、あの件に巻き込まれてしまった以上は情報がほしい。自己防衛的な意味合いもあったが、単純に好奇心で聞きたかった。
「他の生徒や、誰か聞いている人が居ないか一緒に見張ること、そして見つけたら話を切り上げる事が条件よ。分かった?」
そう言って、神代先輩は自分の首元に手を伸ばして、スーッと横に切るジェスチャーをした。大衆に晒されたらまずい話とは言えど、僕の命も危険に晒されているような状態だ。あの時カラオケに行く前に言っていた辻本の「公園に立ち寄るな」という話はオカルト的な意味合い抜きで、ある意味正しかったのかもしれない。
「あの武器は『夢切りの鎌』と私は呼んでいるわ。人が持つネガティブな感情を外に顕在化させる事が出来る。勿論、ランタンの中で使っていたように武器として使えるし、元がそもそも鎌としての役割があるから、ネガティブな感情ではなく普通に草木を斬る事が出来るわ」
「そしたら、首筋に立てて尋問された時って」
「……」
「何か言ってくださいよ!」
神代先輩は真顔で僕の心の叫びを聞いていたが、少し口角が上がっていることを僕は見逃さなかった。この人はこういう状況を普通に楽しんでいる。それが、親しみやすさと同時に畏怖の念を感じた。
「実はネガティブな感情と言ったけど、ポジティブな感情も分離する事も出来るの。もっとも、使う機会はほとんど無いけどね」
「本当に死神にもなれるってこと?」
「……まあ、そういうことにはなるわ。ただ、少なくとも私は率先して使おうとは思わない」
「率先して使おうとは思わない」という言葉が少し引っ掛かるが、人並みの道徳観、倫理観をもっている人なら、身勝手に誰かから幸せを奪う事は躊躇してしまうだろうと、僕はそういう考えなのだと推察して結論づけた。
「次はランタンについて知りたいです」
「あのランタンは『胡蝶の檻』よ。ネガティブな感情を切って外に顕在化した時に、重い感情だとその場で一太刀しても対処しきれない。しかも、ネガティブな感情は基本的に反芻して再び現れる。だから、ランタンに封じ込めて、ネガティブな感情の根源を視覚化して、根源そのものを絶つ為に必要な道具なの。後、周りに憂鬱切りをしているところを見えないようにするカモフラージュ的な役割も担っているわ」
なるほど、確かにネガティブな感情は大丈夫だと思っていても、また出てきて反芻するものだから理解出来る。例えば、将来の不安が出てくる時は「勉強すれば大丈夫」と思うが、テレビで先進的な技術で「学歴社会から実力社会へ」なんて広告が銘を打たれた時は「大学に向けて勉強するよりも作曲の勉強やギターを練習してシンガーソングライターを目指した方がいいのか?」と再び将来の不安が屈折して現れる事なんてしばしばある。
雑草のように根本から抜かないといけないのだろう。とある文豪も「ぼんやりとした不安」と称して自らの命を絶ったくらいだ。皮肉なことに、不安という感情は雑草よりも生命力が強いのだろう。
「あの魔法使いや死神のように見える服装は」
「趣味」
「嘘っ!」
「冗談よ」
もう敬語を使うのをやめようか数秒悩んだ。
「あの服を着てる時に誰かから見られても、その時の記憶が消える効果があって、目撃されないようなるはずの服よ」
「はずって、僕が見えたから?」
「そう、いつもはあの服を着て誰かを切っても見られないし、ランタンの中で戦ってても見えない。実は学校の生徒に見られた事が何度もあったけど、不安になって、生徒会の立場を行使して確認してみたら、そもそも見えていないか、その時、何をしていたか覚えていない事ばかりよ。轟くん除いて。もしかしたら、何か条件が揃うと見ることが出来て、記憶に残ってしまうのかもしれない」
あの格好で夜道を歩いていたらハロウィンじゃない限り、間違いなく職質される案件だから納得がいった。しかし、本当に何故見ることが出来たのだろうか。あの夢を見ることも初めてだった。夢を見ることが条件だと仮定したら、はっきり言って、かなり曖昧な条件だ。それこそ、着る意味が保険程度になる。僕以外には見えてないようだから、やはり何か特殊なトリガーがあるのだろう。
「実のことを言うと、轟くんがランタンに入る事が出来た事もかなり不可解なの」
「どうして?」
「あのランタンは『夢切りの鎌』を使用した事がある人や、少なくとも鎌で顕在化した憂鬱を見ることが出来ないと入れない。そもそも、見ることが出来る人が稀よ」
「確かに、僕があれを見ることが出来たのは夢が最初、次に昨晩で二回目だ。そもそも、神代先輩が誰かの命を魔法のような力で助けているなんて知りませんでした」
「そう、だからこそ余計に轟くんが何者なのかよく分からない。何か深い縁で結ばれているとか、遠縁で血が繋がっているとか、前世で因縁があるとか、スピリチュアルな線まで考えてしまったわ」
正直、僕はこの辺りで「実はバクという少女と夢で会ってから、質にムラがあるが予知夢や正夢を見ることが出来るようになった」と言おうと思っていたが保留した。ここまで自己開示をしてもらった上で、神代先輩という人物像は何となく大まかに想像がついていた。しかし、仕事と称して「憂鬱切り」という魔法のようなものが使えることの、底知れなさ故の警戒心から言わないほうがいいだろうと思い、その事はまだ話さないでおこうと決心した。予知夢や正夢は一般的に見ることが出来ると言う人が、真偽不明だが一定数居る。だから、人間の本来失われた第六感が睡眠障害と引き換えに、引きずり出されたと僕は特に熟考せずに自己完結させていた。ただ、神代先輩の死神ならぬ「生神」のような能力は人智を超えていると思う。もはや神話の世界やおとぎ話の世界観だ。実は神代先輩は現人神だったなんて言われても信じてしまうと思う。
「後は車掌について聞いても」
「車掌? あぁ、あの例の人」
神代先輩は車掌の話を僕がすると、少し上の空になった。何か間違った発言をしたのかと内心焦っていたが、どうもそういう話ではなさそうだった。
「厳密に言うと、あの男性の憂鬱を視覚化した時には車掌の姿をしていたって感じなの」
「あの男性って事は他の憂鬱切りの時も関わっていたってこと?」
「ご明察よ轟くん。あの車掌というか、よく分からない人。この前、他の学校の生徒がサラリーマンのように、命を投げ出そうとした時にランタンに封じ込めた世界では学校の先生として現れた。大人数でショッピングモールに閉じ込められた時は、その中の一人のタクシードライバーとして現れた。しかも、女性か男性かランタンの世界によって変わる。ここ最近のおかしい状況とも噛み合っているから、何か一枚噛んでいると私は思っている」
「最近のおかしな状況?」
「ここ最近、憂鬱に取り憑かれる人間が、火を見るより明らかなの。人は何らかの理由で不意に死んでしまうから、そういうことが毎日起きても変じゃない。でも、明らかにこの地域で多くなっているの。毎日見ることは日常、酷い時は一日に二人見ることなんてあるわ。この地域は三日連続で見る事は珍しいレベルだったのにね」
「誰かが憂鬱や希死念慮のようなネガティブな感情を後天的に植え付けているとか?」
「正直そうとしか思えない。仮にそんな人が居なかったとしても、何かネガティブを誘発されやすくなっている要因があるはずよ」
憂鬱を振り撒く人物。仮に居たとして、どんな人物像か想像がつかない。そもそも、憂鬱を拡散して自死を招く事に何のメリットがある? その人物に怨みがあったから? それとも誰かに頼まれたから? 考えられる動機で行っていると仮定するなら、特定の相手の自死を失敗した時に、神代先輩と面識があってもおかしくない。仮に神代先輩と面識がなかったとしても、犯人は現場に戻るという言葉もあるくらいだ。少なくとも行動を妨害されている事を犯人は知っているはずだ。なら何故、神代先輩と面と向かって戦わないのだろう。間接的にランタンの中で攻撃をしかける?
「聞きたいことがあるんですけど」
「何?」
「ランタンの中に入った時、命の危険に晒されたら場合って緊急脱出出来るんですか?」
「ええ、とても簡単よ。『現実に戻して』と強く願うだけ」
「そんなに簡単なんですか?」
「えぇ。ただし、緊急脱出したランタンの世界には戻れなくなってしまう。憂鬱がランタンから逃げ出した時に、再び封じ込めて世界が再構築されない限り無理ね」
「すると、現実で倒せない敵であればあるほど、緊急脱出を使うことは望ましくないですね」
「ええ、ご名答。そもそも封じ込める事自体が難しい上に、この前のようにタイムリミットがある事がスタンダードよ。だから現実に再び呼び戻して、弱らせるなんて悠長な事出来ないわ。自分の命を優先せざるおえない場合が使用用途ね」
「なるほど」
神代先輩が自分の命を優先しようと考えれば直ぐに脱出することが出来るなら、ランタンの中で殺める事は現実的ではない。それこそ、後天的に憂鬱を植え付けられると仮定したら、第三者に振り撒くよりも、神代先輩の大切な人に植え付けた方がいいだろう。「現実に戻して」と考えさせる選択肢を無くすことで、戦わざるおえない状況が作れるからだ。いや、そもそもあの世界で死んだ場合は現実でも死ぬのだろうか?
「もしも、ランタンの世界で死んだ場合はどうなるんですか?」
「それは分からないわ。死んだことがそもそもないから。どうしても力不足の時に緊急脱出を試みたことはあるから、その事は知っているけれどね。これは憶測になるけれど、ネガティブな感情を封じ込めた世界で死ぬとなると、ただでは済まない気がする」
「確かに死んでしまいたくなるほど重い感情の中で死ぬとなると、下手したら自分も取り憑かれてしまうかもしれないですね」
「ええ、憂鬱切りは私が確認した中では現在進行系で、仕事している人間は私しか見たことがない。あまり詳しくないの。だから、私がもしもあの瘴気にあてられてしまったら、取り除く人間が居なくなってしまうかもしれないわ」
そう、話していると後ろから誰かが急ぎ足で近付いて来る。
「轟、おはよう! 昨日の演歌凄く良かっ……あれ? 神代先輩?」
「マズイわ、轟くん。話題を変えましょう。私、パフェが食べたいわ。パフェパフェパフェパフェ」
「落ち着いて神代先輩、僕ば焼肉。肉肉肉肉」
「へ? 何言ってるの轟くん」
「おいおい、二人とも何してるんだ?」
「辻本くん知らないの?しりとり」
「え、まぁ、知ってますけど」
「なら、行きましょう二人とも」
辻本と合流してから、高校に登校するまで地獄のような沈黙が続いた。沈黙が苦手で、あの時の事を思い出したくない。僕から唯一言えることがあるとしたら、しりとりが唐突に始まり「焼肉」の次に辻本が「杭」と言い、次に神代先輩が「印鑑」と言っていたことだ。
一時間目の国語、二時間目の数学、三時間目の英語の授業を難なく乗り切り、四時間目の授業に入る前の休み時間の時だった。
「おーい、轟」
「なんですか先生」
先生から話しかけられた。課題は全て出したはずだ。テストも赤点を取っていないから、補講や追試ではないはずだ。一体、何の用事なのだろう。
「生徒会に出すアンケートがまだ出されてないと、役員から連絡がきてるぞ」
あれ? 確かに出したはずだ。提出し忘れていたのだろうか。ふと、教室のドアの方を見ていると笹内が来ていた。
「すみません、先生。紙持ってないです」
「なら、四時間目は自習だ。今日は特別に生徒会に提出してから自習して構わない。次からは気をつけるんだぞ」
「はい、先生。次から気を付けます。ありがとうございます」
僕は教室を後にしてドアの方に居る笹内のところへ向かった。
笹内と一緒に生徒会に向かっている。僕のクラスの一つ上の階に生徒会がある。階段を登って左に行ってそのまま真っ直ぐ進むと、その突き当たりに生徒会室がある。生徒会の隣や目の前の教室はそれぞれ倉庫、今は廃部になってしまい使われていない教室がある。何故、そこまで物音が立たない生徒会室を使われていない部屋が多い僻地にある事を疑問にいつも僕は思っている。
「轟くんって成績も良くて、運動神経も悪くない器用な人だと思ってたけど、抜けてるところもあるんだね。カワイイ!」
「あんまりそうイジるなって笹内。誰だってこのぐらいのミスはあるだろう」
「冗談よ、冗談。それは轟くんが親しみやすい証拠だよ。私はかなり好きよ轟くんのこと。話しやすいし」
「その『好き』って『盗撮しても許しくてくれる貴重な存在』って意味だろ」
「九割九分九厘当たり」
「残りの一厘は?」
「写真を撮ることを許可してくれるとこ」
「生粋のマスコミだな、本当に」
こういう事を笹内が言うが、別にデリカシーがない奴では決してない。むしろとても機転が利いて、人の気持ちを考えられる子だ。連絡を昼休みじゃなくて、自習の時間にしたのも恐らく笹内が昼休みの時間を奪わない為にした事だ。笹内はそういう行動をした事について聞いても「何のこと?」みたいな顔でこちらを見るが、その時、明らかに露骨に笑顔になる。計算高いが、人を利用する為ではなく人の為に使う。だから僕は笹内と話す時は辻本と話すように、気を遣わずに話せる。もっとも、無断で写真を撮る行動は、明らかに人を選んでやっているが。
「笹内、聞きたいことがあるのだが」
「何? 轟くん」
「霞について、そう言えば霞って行方不明届けとか出ていたりしないのか?」
「少なくとも、行方不明情報を交番で聞き込み調査した事がある。霞と面識があった農家さんにも聞いてみたけど、特にこれと言った情報はなさそう。行方不明届けは私が見た時にはそういう名前は載っていないと言われたわ」
「なぁ、笹内。笹内の事を嘘つきって言いたい訳じゃないんだけどさ」
「何? 轟くん」
「本当に霞って名前であってるのか? 誕生日の時の写真に筆跡で名前が書いてあるとかさ、あるだろ。霞って名前だけ覚えていて、苗字だけ知らないなんてことあるのか?」
「……」
笹内は黙った。地雷を踏んでしまったのだろうか。何も笹内が薄情者と言いたい訳じゃない。霞という名前だけ覚えていて、苗字を覚えていないなんてあるのか? すると、笹内は少し不機嫌そうな顔で応答した。
「それを言うなら轟くんだってさ、幼稚園児の頃の親友だったんでしょ。どうして私みたいに名前を覚えてないの?『ケッコンする』なんて言われたんじゃないの? 幼稚園の頃の霞ちゃんに」
確かにそうだ。僕に関しては名前も苗字も覚えていない。笹内を責めたり、言葉で詰める資格なんてなかった。
「確かにそうだな、ごめんな笹内。笹内も霞さんの事を大切にして行方を追っているのに心無いこと言ってしまって。そもそも僕が名前を知らない事の方がおかしいしな」
「写真一枚追加」
「どうぞどうぞ」
僕は内省し、笹内に面と向かって謝った。そうだ、情報があるだけありがたい話だ。それに単純に笹内に僕は嫌われたくなかった。ただ、さっきの話から妙に引っ掛かる部分がある。笹内に霞との思い出は語ったけど、「ケッコンしよう」と言われた事まで話した覚えがない。本当に覚えがないのかもしれないが、僕がその話を笹内に話す事を想定した時「これは霞特定に至る情報にもならないし、笹内に話すとケチョンケチョンにイジられるだろう」と言わないだろうと思う。それに、温厚な笹内があのタイミングで少し怒る態度をとることが怪しかった。自己分析をした上で、笹内は霞の事に対して何か僕に隠していることがあるのではないかと訝しんだ。
生徒会室に着いた。神代先輩一人だけ居た。藤宮先輩のような、他の生徒会役員は不在だった。
「笹内さんありがとう」
「神代先輩の為なら、ヨーロッパからハワイまで」
「ふふっありがとう」
笹内は僕を見送り次第、生徒会のドアの前から姿を消した。
「笹内さんには次はヨーロッパに行ってもらおうかしら」
「神代先輩、パワハラは良くないと思います」
「冗談よ」
もしかして神代先輩は「冗談よ」と言えば全ての失言がプラマイゼロになる魔法の言葉だと思っているのかもしれない。知っている事をとりあえず話すけど、手紙の最後に敬具を書けば整うように「知らんけど」とつける関西の人のような、そんな万能な言葉だと思ってるのだろう。そうじゃないと、「冗談よ」に対する妙な信頼の説明がつかない。
「笹内の事、呼び戻さなくていいんですか?」
「大丈夫よ。轟くんと笹内さんの学年は自習だったから、今日までに出さないといけないアンケートを持っていって、回収してもらうように頼んだの」
「僕も笹内に紙渡してもらって、その場で書けばよかったんじゃ」
「轟くんはアンケート既に提出済み。まあ、積もる話があるから呼んだのよ。これを見て」
そう神代先輩から言われると、手の甲に小さなマーガレットの刻印が白く浮かび上がっていた。
「これってもしかして」
「ええ、誰かの心が憂鬱に侵食されたみたい。行きましょう」
「行くって、また僕も」
「そうに決まってるじゃない。正体がバレてしまったからには旅は道連れ、死なばもろともよ」
「そんな……」
「帰ったらご褒美にチョコあげるわ」
「それ、女生徒からバレンタインの時に貰ったやつなんじゃ」
「……」
「図星なの? そうなの?」
神代先輩は右手を逆ささまにして、指先な下になった状態で心臓辺りに手を置いた。そして、心臓から鎖骨にかけて心臓を撫でるように、手を動かした。すると、胸と鎖骨の間から夢切りの鎌を取り出した。服装も夢切りの鎌を出している最中にどんどん死神装束に変化していった。「君も」と神代先輩は僕の腕を掴んだ。すると、制服が神代先輩と同じように、黒いローブとプラチナブロンドに変わった。違うところがあるとしたら、刀を仕舞う鞘が僕の腰には着いていた。
「これで轟くんも皆から見えなくなった。さあ、行きましょう」
僕は神代先輩に腕を掴まれて、生徒会室の窓から飛び出した。飛び出す瞬間、生徒会室のドアの方を見ると何か人影があるように見えた。
当たり前のように僕らは空を飛んでいた。「憂鬱切り」の時点で既に現実的な理解が出来ないと分かっていたので、そうなるということはそうなのだろう、と内心開き直って深く考えないようにした。
「この近くに居るはずよ。マーガレットの刻印が点滅してる」
「コンパスみたいに方角は分かったりします?」
「ええ、夢切りの鎌を持って向けて、そこに居るなら、鎌を向けた方角にマーガレットの刻印が強く点滅するわ。今回は必要なかったみたいだけど」
学校の屋上を見ると、フェンスの外に出ている女子生徒が居た。神代先輩は見つけ次第いつものように、ターゲットに向かって高速で向かっていく。
「こんなはずじゃなかったのに。どうして、どうしてこんな事になったんだろう。誰か、助けてほしい」
「本当に助けてほしいの?」
「幻聴? それとも目の前に誰か居るの? 誰でもいいから助けて」
「分かったわ」
神代先輩は女子生徒の首を一刀両断した。勿論、本当に首が切れた訳ではなく、紫色の煙がモクモクと再び湧いてきて、女子生徒は気絶した。神代先輩は気絶した女子生徒を抱えながら戦う。
「轟くんも加勢して、刀がちゃんと鞘にしまってあるから」
「今から行きます」
そう言って刀を鞘から取り出す。紫色の憂鬱はシャーペンや、不気味な笑みを浮かべた人間に変わり僕に襲いかかる。僕はシャーペンを半分になるように断ち、その間に死角から紫色の人間が両手で掴みかかった時に、両手を刀でいなす。刀はジリジリと音を鳴らし、消耗戦に持ち込んだ。鋭利な刃に耐えきれなかった紫色の人間の指が、ポロポロと零れ落ちた。その隙を僕は見逃さなかった。カウンターをする姿勢から、攻めへと姿勢を変えていっきに両手を切り落とす。すかさず、身体そのものを斜めに居合切りをする要領で切り裂いた。
「轟くん、女子生徒をフェンスの後ろに避難させるから、そのランタンに封じ込めて」
と、神代先輩からランタンを投げつけられた。すかさず左手でキャッチして、ランタンに紫色の煙を全て吸い込んだ。
「轟くん、良い太刀筋よ。チョコ二倍よ」
「何個の二倍なんですか? それに、他人のバレンタインチョコ貰っても嬉しくないです」
「それもそうね、とりあえず屋上に戻ってきて」
僕は刀を鞘にしまい、ランタンを引っ提げて神代先輩と、気絶した女子生徒の居る屋上へと戻った。
「ランタンの中、明らかにネガティブな感情が弱い」
「どういう事ですか?神代先輩」
神代先輩はランタンを見て、目をまんまるにして覗いている。僕も一緒に観察してみると、確かに昨日の夜よりもランタンの中にある、紫色の雲が弱く、霧のように霞んでいる。少し伏し目になりながら、神代先輩は、どこか考え事をしている様子だった。
「昨日みたいに、中に入って討伐します?」
「いや、これぐらい弱いエネルギーだと、恐らくランタンに封じ込めたままでもランタンから漏れ出したりしないわ」
「あの子は生きたいと思ってたから、そこまでネガティブが肥大していなかったって事ですか?」
「当たるも遠からずというところね。本人が死を恐れていた事や、抗おうとしていた。だから、飛び降りる決心もつかないままで、生きるか死ぬか迷っていたくらいだからと言えばいいのかしら、ただ」
神代先輩は続けてこう言う。
「あまりにも弱すぎて不自然。ただ、これはある意味使えるかもしれない」
「不自然? この憂鬱が使える?」
「使える事に関しては聞くより、実際に見たほうが早いわ。とりあえず、着いてきて。少なくとも分離している間はあの子がまた死を選ぶことは無いから安心して」
僕は神代先輩に手招きをされて、何処かに一緒に向かう事になった。
神代先輩に手招きされたので、そのまま付いて行った先は大きな病院だった。
「神代先輩、ここは?」
「白樺病院よ、総合病院で主に内科の病気や手術を受け入れているところよ。とにかく、そこの三階に窓が開いている場所があるでしょう? そのまま入りましょう」
「勝手に入っていいんですか?」
「少なくとも、入院している患者さんには顔を通してる」
神代先輩は躊躇なく、病院三階の入院棟に入った。僕は躊躇しながらも、今までの神代先輩の行動を信じて入院棟に入った。
「あれ、そよ風が吹いたねぇ」
そこにはおじいちゃんが点滴を付けて、窓を覗いていた。
「本当に僕たちの事が見えてないんだね」
「ええ、どうして轟くんには見えたのか今も疑問よ。さ、ランタンだけ置いて。私は夢切りの鎌とローブから着替える。轟くんは念の為、そのままでいて」
そう言うと、神代先輩が今度は逆順に首から右手を上に立てながら胸を撫でて、夢切りの鎌を身体にしまいこんだ。それと同時に服装も、元の制服に戻った。
「あら、神代家のお嬢さん。こんにちは」
「どうも、お久しぶりですおじさま。ご容態の方はいかがですか」
「延命治療を続けているよ。でも、もう助からないって看護師さんの話が聞こえちゃってね。私もここらで年貢の納め時かもしれないねぇ」
「そうですか」
神代先輩は俯いて、悲しそうな表情を浮かべていた。
「何、神代の嬢さんも悲しまないでおくれ。家族には最近もう駄目かもしれないと思って、この前皆が入院室で盛大に誕生日を祝ってくれたよ。看護師さんもお医者さんも祝ってくれて、嬉しかったよ」
「あの、これ」
神代先輩はランタンをおじいさんに見せた。
「これは、神代家で使っている胡蝶の檻かい?」
「えぇ、出来るだけ弱いものを持ってきました」
おじいさんは目の前をボーっと見ていた。決心したようでこう告げた。
「やってくれるのかい?」
「おじさまが本当にいいのでしたら」
「えぇ、もう現世を楽しんだよ。やっておくれ」
「はい、仕事ですので」
神代先輩は再び胸を撫でて、夢切りの鎌を取り出して、先程と同じ死神装束に戻った。
「あら、どこにいったのかなお嬢さんは」
おじいさんは少し戸惑いながらも、また青空を見つめる体勢に戻った。
「轟くん、ランタンの中に緊急脱出前提で入ってもらえたりしないかな」
「神代先輩、一体何をする気?」
「おじいさんの魂を一旦切り離して、そのランタンに入っている憂鬱と融合させる。魂が風前の灯火の人間に、微弱な憂鬱を加えると苦痛なく死を迎える」
「やってる事が道徳観や倫理観に反してます。正直協力したくないです」
「そう、受け入れてもらないのは仕方ないわね。既に私は、神代家は道徳や倫理というものは一線を超えてしまっている。ただ、もしも受け入れられないならこれだけ聞いてほしいの」
「なんですか?」
「このおじいさんは南川さんと言って、神代家に代々仕えていた家系なの。だから、私の仕事を知っているし、過去には憂鬱切りの協力もしていたらしいわ。今のランタンの件については、南川家全員と既に話を家族が通している。おじいさんが同意する事が条件で、孫の南川凪くんが頼みに来たわ」
「そうなんですか……」
「ただ、私は仕事として言われた通りの事は行う。この件に関して、轟くんは関係ないから」
間違っている。そう、倫理観として道徳観としても。法的に言えば、嘱託殺人にあたるような内容だ。法的な観点でも間違っている。でも、分からない。今の僕には神代先輩が正しいことをやっているのか。少なくとも社会的には間違いであり、大罪である事だけは確かだった。
「私の仕事、神代家で代々伝わっている仕事。それは死神として人命を救うこと。南川のおじいさんにするのもそれの一環よ。それは仕事以上でも仕事以下でもない。でも、正直私もやりたくないわ。お母さんも『そうやって生きたくないなら、憂鬱切りだけやって、死神として生きなくてもいい』と言っていたし、私もそういう風に生きたい。でも、仕事だから」
「なら、それなら」
それなら、いっそ僕が神代先輩を道連れにする。
「やりたくないなら、やらなくてもいいじゃないですか。僕が同じ立場でそういう風に生きたいと思うなら投げ出します。今は憂鬱を切り裂く生神として生きたいでしょう」
「でも、既に仕事は請け負っていて」
「南川家の人たちがどんな性格か僕は知らないです。でも、ちゃんと話したら許してくれなくても、意見を理解してくれるはずです」
「そんな無責任な事は出来ない」
「でも、これは僕の持論ですけど神代先輩は既に無責任です。憂鬱が後天的に誰かが植え付けたものならまだしも、自然発生的に湧いたものも助けてしまう事自体も、命に対する冒涜だと思います。それこそ日本の法律では禁止されている行為です。もう人智を超えた行為を犯しているのなら、そうやって半端に責任を持たないほうがいいと個人的には思います」
「そう、そうなんだ。そうだよね。でも、それなら」
神代先輩はランタンを持ち上げた。
「神代先輩?」
「轟くんの言ったことで決心した。私は責任をもって無責任に人を助ける。今言ったこと、他責せずに胸に刻んで私は生きるわ」
そう言ってランタンの光を輝かせた。
「南川おじいさんの命を絶たない。女子生徒の憂鬱を討伐しに行く。南川さんの家族には請け負えないと謝りに行く。轟くん、ランタン中に一緒に来ない?」
「喜んで!」
ランタンの光が眩く輝き、目の前が真っ白になった。今回のランタンの世界はいつも通う学校の校門前だった。真夜中だった。
「この学校には妖怪が出る」「そうらしい」「根暗で不気味な文芸部の女」「そうらしい」「アタシたちとあの子は違う」「そうらしい」
学校に植えられた木がざわめき、木の葉の中から声が聞こえる。辺りに登校している学生が居るが、話しかけてもゲームのNPCのように定型文でしか返ってこないか反応しない。
「ここがあの子の憂鬱の世界ね」
「今回は現実離れしてないですね」
「そうだね、でも少し気になる点があるわ。何故か誰も襲ってこないわ」
「この前みたいに化け物が襲ってくるのが普通なんですか?」
「ええ、そうよ」
辺りを見渡しても、そこまで変わったところはない。ズレているところがあるとしたら、運動場で体育祭が行われているが、登校している生徒が居る。
歩いて生徒に話しかけても「初めまして」や「おはよう」のような発言が返ってくる。
「今、ドアに一人だけ赤い人間が入っていくのを見たわ。行きましょう」
学校の正門が現実と違い、何故か大きなドアになっていた。このドアがは酷く重く、神代先輩と二人がかりで開けようとしても少し隙間が空くくらいでビクともしない。
「夢切りの鎌で切った方が早いかもしれないね」
「切りましょうか」
「えぇ、そうしましょう」
神代先輩は少しドアから距離を取り、学校に登校中の人間を踏んで跳躍し、月明かりに照らされながら、空中で夢切りの鎌を斜め横に構えた。
「轟くん、刀を抜刀して。同時に切り裂きましょう」
神代先輩が月光に照らされて白く輝く鎌を、右上から左下へ綺麗に四十五度に切り裂く。それと同時に僕が、抜刀して左上から右下まで刀で斬る。僕が切った部分はあまり綺麗に斬れなかったがドアがどんどん崩れていく。
神代先輩との思惑通りに、ドアを破壊することが出来た。
「ナイスよ、轟くん」
「練度の差を感じて少し悲しいです」
「轟くんって結構、負けず嫌いなのね」
学校の中は薄暗く不気味だった。しかも、神代先輩に踏まれた人間は「痛い」とも根をあげずにそのまま群衆と同じ方向に俯いたまま歩き続ける。
「とりあえず、あの子が居るクラスに行ってみます?」
「そうしましょう、でも私あの子の事知らないわ」
「アンケートに書いてあったりとかしないんですか?」
「あまり、学校に来てなかったみたい。ただ、フェンスを背に気絶していたところを落下しないように助けた時に、学生証が胸ポケットから落ちたわ。一年生みたい。クラスは一の四」
「なるほど、そこに行きましょう」
僕たちは歩いて一の四に向かった。何か変わった事がないか、探していたが、一の一から一の三までただただ、黒い人間が皆授業を受けているだけだった。一の四に到着すると、そこには黒い人間が四十人と先生と思わしき人物が赤い人間に罵詈雑言を浴びせていた。
「どうして赤い、皆黒だぞ」「ランドセルの色を何故、青にしない皆青だぞ」「何故先生に教わった解き方をしない。規律を乱すな」「ペンキを用意している。あれに浸かれば君は漆黒の人間になれる。皆と同じになれる」
赤い人が教室で立たされて、黒い人たちから野次を永遠と飛ばされている。
「僕の直感だと、こういうのって赤い人を助けると今度は自分自身がターゲットになるパターンだと思います」
「私もそのパターンだと思うわ。恐らく群衆心理で迫害を受けた心象が映し出されているからね」
「神代先輩、この服って汚れても大丈夫ですか?」
「えぇ、再度変身し直せば直ぐに直せるよ。何をする気?」
「まぁ、賭けです」
僕はバケツを探しに近くの教室の水道まで取りに行く。バケツを見つけると、近くの蛇口を捻り、赤い塗料がバケツの中一杯になるように想像した。すると、赤い塗料がバケツ一杯に満たされた。そして、神代先輩が待っている教室に戻った。
「今から、会話に入ってきます。万が一黒い人間が攻撃してこないように警戒しといてください」
僕は赤い塗料で一杯になったバケツを神代先輩に見せた。すると、神代先輩はなんとなく察してくれたみたい。
「とりあえず分かった」
神代先輩は夢切りの鎌を持って防御を固めた。僕は赤い人に近づいてみた。
「アイツは誰?」「服装が黒ずくめだから恐らく仲間」「赤じゃないならどうでもいい」「アノ人も黒ってことは、やっぱりあの子はおかしいのか」
僕はバケツ一杯に満たされた赤い塗料を全身に被った。服も顔も全部鮮血ように赤く輝いていた。
「赤くなったぞ」「アイツも赤いのか」「規律を乱すもの二人目、排除するべきでは」「二人も居るなんて、もしかして赤い人は珍しくないの?」「違う、アイツは裏切りものだ」「でも、私と同じ黒だったよ」
僕は怯える赤い人に向かって囁いた。
「君は赤くてもいい。赤いことは全くおかしくない。でも、皆が黒を当たり前だと思っている環境だと迫害にあう。だから、黒い人間のフリをして赤い人間であり続けることもアリだと思うよ。皆と同じフリをしてみてもいいし、今のまま赤い人間であり続けてもいい」
「アナタは黒から赤くなる事を選ぶんだね」
「一時的。すぐに戻るよ。黒のまま赤じゃないフリをして僕なら生きる。僕はそこまで強い人間じゃないからね。爪弾きにするのもされるのも怖いから」
「ソウ……生徒会の室の鍵をアゲル」
赤い人から生徒会室の鍵を貰った。僕は応戦態勢をとっている神代先輩の元に戻って行った。
「鍵、貰ってきたよ。生徒会室の」
「そう、ありがとう。赤いローブもよく似合ってるわよ。轟くん」
「結構無理して着てみたんですけどね」
「そう、じゃあ行きましょう轟くん。生徒会室へ」
生徒会までの道のりは特にこれと言って特出するべきところは無かった。学生は一切僕たちに危害を加えてこないし、ぶつかっても何も言わない。ただ、じっと僕らの事を見つめてくる人間が居て薄気味悪かった。生徒会室に行くと、確かに鍵がかかっていた。
「殺気はある?」
「気配はある。殺気はしない」
「じゃあ、開けます」
「お願い」
僕は生徒会室の鍵を開けた。ドアをゆっくり開けてみるとそこには、誰かが一人立ってホワイトボードに何か絵を描いているようだった。僕は刀に手を、神代先輩は夢切りの鎌を構えて近づくと、あちら側から話しかけてきた。
「そこの赤いローブを着た君。自分が正しい行いをしてきたと思う?」
「どういう事だ?」
「君の赤いローブ、今すぐ着替えた方がいい。黒の方が似合う」
「何様のつもりなの? 貴方は」
「私? 私は生徒会役員のジョン・ドゥ」
「いいえ、そんな役員は存在しないわ」
「えぇ、そうでしょう。ここに生徒会を必要としている人間はいないし、最初からそんなものは無かったから」
神代先輩は痺れを切らして、夢切りの鎌で自称生徒会役員を切りにいった。刃が首元を刈るまで、あと数センチだった。その時だった。
「何故、南川というおじいさんを殺さなかった? 神代家の死神さん」
「何故、私の事を知っている?」
神代先輩は謎の人物の首元を刺そうとした、鎌を止めた。その時、謎の人物はホワイトボードを回転させる。少し裏の絵が見えた時、嫌な直感が当たってしまった。
「神代先輩避けて! 後ろのホワイトボードに魔法陣が描かれてる」
「まさか、本当だ」
僕は逃げるよりも、ホワイトボードを斬るべきだと瞬時に考えて、刀でホワイトボードを切り刻みに行く。判断は正しかったが少し遅かった。ホワイトボード自体を切り刻めたが、先に魔法陣が発動した。魔法陣からいつも切り裂いている紫色の憂鬱が現れた。頭が三つのケルベロスのような姿だった。神代先輩はケルベロスの攻撃をかろうじて防御出来たが、ドアの方へケルベロスの咆哮で吹き飛ばされた。
「どうして、私は意図して弱い憂鬱を女生徒に与えたのに。貴方が死神として生きると、もう一度決意するように促したのに」
「貴方、何者? 私は人を救う事を選んだの。余計なお世話よ、邪魔しないでほしい。私は人を生かす為に死神の能力を使う」
神代先輩はローブがケルベロスの攻撃で足元が破けながらも、根性で立ち上がり、相手の目を見て宣誓した。
「どうして? それをしたら自分自身がどうなるか知っている上で言っているの?」
「どういう事?」
「知らない? どうして? でも、それなら言わない。いずれ知り、決断しないといけなくなるから」
何を言っているのか僕には分からなかった。ケルベロスの攻撃を受け流すのが精一杯だったということもあったが、相手の言っていることが理解出来なかった。恐らく、神代家と繋がりや対立をしているか、神代先輩の知り合いなのだろうと思った。しかし、行動意図が理解出来なかった。僕はそう考えながらも、生徒会室の机を切り刻み、ケルベロスの足元が、覚束無くなったタイミングを見図らない、頭を三つの内一つ斬ることを成功した。神代先輩も最初は少し混乱気味だったが、一緒に戦ってくれる。謎の人物は僕たちの行動を観察しているだけで、魔法陣を描いて以降、一切攻撃してこない。僕が不意に、刀で斬るとちゃんと近くのモップや備品を使って防御して、攻撃を透かす。かなり戦闘に手練れているようだ。ケルベロスが突進して来るのを見た神代先輩は、間合いを管理して、鎌の持ち手の部分を顎に突き立てて天井に打ち上げた。ケルベロスが怯んでいる隙に、頭を二つ同時に刈り取った。ケルベロスは頭が三つ無くなると、攻撃手段を無くしたのか、主の元へ走って帰っていく。
「もう一度聞くわ。貴方は何者なの。もしかして、最近の憂鬱事件の犯人?」
神代先輩は鎌を向けての謎の人物にそう投げかけた。謎の人物は応答しない。ただ、こちら側を向いて立っている。相手も白いローブを着ていて、顔が見えない。
「下見て、下。私の足元、気付いてる?」
小さな魔法陣が描かれていた。ついに攻撃してくるかと思った時に相手はこう言った。
「今回は撤退させてもらう。屋上の女の子の憂鬱を消したかったら、隣の倉庫に隠れている赤と黒が混合になった女の子に会いなさい。そしたらその子は助かるし、貴方たちも出られるから。じゃあね」
謎の人物は魔法陣が光るとその場から姿を消した。
「あの人って知り合い?」
「恐らく知り合い。だけど、誰かは特定出来ない。南川家の人間ではないと思うわ。魔法陣を使う人物は、少なくとも仕事を請け負った家族には居なかったはず」
「じゃあ、他の家系かそれこそ神代家と対立しているところとか?」
「……」
「神代先輩?」
「実のところ、自分の出生や死神家業の歴史というものを知らないの。そもそも、祖母は死神家業を自分の代で終わらせようとしていたけれど、訳があって失敗した話を聞いたぐらい。それも、その話をした母親は、義理の母よ。親戚のね」
「かなり複雑なんだね。訳の内容は聞いてもいいですか?」
「ええ、シンプルな話。死神家業を他の家に継承しようとしたところ失敗に終わった。それ以降は継承をしようとする動きは、私が見ている範囲では行われていない」
「あの人はその継承の話を持ちかけられた人とか?」
「祖母が継承を失敗して以来、継承を行わない決まりになったから、その可能性は低いわ。ただ、継承の失敗の経緯は、誰からも教えて貰えなかったから理論上あり得なくはない。さぁ、話はとりあえずこの辺にして赤と黒の女の子を探しに倉庫に行きましょう」
神代先輩は生徒会室を後にした。僕は生徒会室を不審なものがないか確認したが、特に変わった様子も無かったので、神代先輩より少し遅れて生徒会室を後にした。
「ここが倉庫よ、あれだ。椅子に座っているあの子よ」
倉庫はガラガラで、椅子に赤と黒のツートン柄ののっぺらぼうの女の子が椅子に縄で縛られていた。縄を解くと女の子は僕らに会釈をした。
「アリガトウ」
そう言うと、ヨチヨチとその子は歩き、倉庫の前にある鍵がかかったドアを開けた。その部屋は眩い光を放っていた。
「さあ、行きましょう。外へ」
「はい、神代先輩」
ドアから出ると元の入院室に戻っていた。南川のおじいさんの方を見ると、家族が見舞いに来ていた。
その様子を見てると、神代先輩は直ぐに窓から学校へと帰っていった。僕は直ぐに窓から学校へと帰る神代先輩を見て、後を追うようにその場を後にした。
学校の屋上に戻ってきた。あの女の子はもうそこには居なかった。あんなに忙しかったのにまだ自習の最中だった。
「南川のおじいさんに挨拶しなくてよかったんですか」
神代先輩は言った。
「もし、あの時殺めていたらあの姿も家族は見られなかったのよ。私が寄り添う資格なんてないわ」
神代先輩はそう言った後、学校の屋上のフェンスを掴んで町を見下ろしていた。僕は神代先輩の発言を聞いて肯定することも否定することもせずに、ただじっと見守っていた。静寂が続いた。神代先輩がフェンス越しに町を見下ろしている。それをただ呆けて見ている僕。恐らく、皆、神代先輩がここまで道徳や倫理に苛まれながらも生きているのなんて知る由もないだろう。そこで、僕にはふと疑問が湧いた事があった。どうして神代先輩はそこまでして人の命を助けたいのか。
「神代先輩」
神代先輩は僕の声に気付いて振り向いた。
「何? 轟くん」
「危険を犯してまで、永続的に発生する『憂鬱』という曖昧なモノを切り裂いていく。どうしてそこまでして人を助けよう思えるんですか?」
「……仕事だから? 少なくとも人を助けたいという感情は本物よ」
憂鬱切りだけなら充分だが、南川家の件を知ると、少し根拠としては弱い。
「家族を養う為?」
「いいえ、給与が発生したりはしないわ。ボランティアよ。昔は他の家系の人たちと協力していたらしいけど、今はしていないみたい」
「そしたら尚更疑問です。母親が家業自体を畳もうとしたという事は、死神家業を辞めることは理論上可能ということ。そして、話を聞いた限りだと南川家も今は神代家のサポートをしていない。ということは、神代先輩がやっている仕事は少なくとも昔と比べて必要無くなっている可能性が高いという事じゃないですか?」
「確かに言われてみればそうだわ。そこに関しては考えてもみなかった。ただ、家業をたたむにあたって『継承』という言葉がどこか引っ掛かっているの。やっぱり、誰か一人は必要なのかもしれないと、推測してるわ」
なるほど、家業をたたむだけなら、継承する必要性は低い。自分自身も知らないで今まで生きてられたくらいだ。しかもネガティブという感情を植え付けるという事が、物理的な意味合いだと神代先輩の発言から察せられる。その発言を聞くと、薄暗い生徒会で出会った謎の白いローブを来た人物のような人間が存在する。その人間との因縁を晴らす為に家業が続いているのかもしれない。なら何故、神代先輩はあの謎の人物を知らない?
「あの白いローブの人物。本当に何も知らないんですか? 対立している家系とか。」
「その件に関しては今も分からない。私が憂鬱切りを毎日する事は稀だった。恐らくあの人物が後天的に憂鬱をばら撒いている可能性が高い事しか。それに…」
神代先輩は続けてこう言った。
「私は夢切りの鎌や、ローブ、ランタンの使い道は知っている。でも、仕事に関する事は最低限の事しか知らない。『教えて』と言っても教えてもらえないわ。南川家と家系ぐるみのお付き合いをしていたとかそのレベル。継承の失敗した件の経緯も知らない上に、祖母の次に憂鬱切りをしていた人物に関しても知らない」
「どうしてそんな秘匿にされているんだ? 話を聞いている限りだと、僕に教えないメリットはあっても、神代先輩に教えないメリットを感じない」
「義母は『やりたいなら憂鬱切りだけしてもいいんだよ』と言っていた。それ以上は特に」
僕はある提案をした。
「神代家のルーツを一緒に調べてみない?」
神代先輩はキョトンとした顔で僕の事を見ていた。
「調べる。調べる……私も知りたいわ。でも、義理の両親は頑なに教えてくれないから。でも、そしたら一つだけツテがあるわ。」
神代先輩は人差し指を立ててこう言った。
「南川凪生徒会役員の子。その子から南川おじいさんの件を請け負ったから、何か知ってるかも」
入院室と今回で、聞くのが二度目の名前だ。生徒会役員は神代先輩を筆頭に藤宮先輩、笹内の三人しか目立った活動を知らない。そもそも南川凪という名前を学校であまり聞いたことがない。高校三年生だろうか。しかも、あの時の入院室で同じ世代の人は居なかったはずだ。
「失礼だけど、その子が生徒会役員をしているところ、僕見たことないな」
「それもそのはず。彼、少し変わっているの。幽霊生徒会役員よ。そもそも、生徒会役員決めと校内模試以外では学校に来ていないわ。不登校よ」
なら、確かに知らない訳だ。南川家は神代家をサポートしている存在だから、神代家の死神家業について知っているのかもしれない。
「会ってみましょう。ランタンの件を知っているなら、もしかしたら神代先輩の事も死神家業の事も知っているかもしれませんし」
神代先輩は少し考え事をするような姿勢をとった。何か訳があるのだろうか。
「そうしようと思うけど」
「けど?」
「あの子ちょっと変わっているの。全然会えないの。それでも会う機会を見つけて会いにいく?」
変わっているがどのレベルなのか分からないが、選り好みするような状況ではないと思った。あの白いローブの人間の情報も知る事が出来るのかもしれない。僕は「放課後行ってみましょう」と言った。神代先輩は同意してくれた。そこから、僕たちは学校の自習の時間が終わってしまうと、学校の屋上から急いで教室に戻った。
昼休み、神代先輩が僕の教室に来ていた。
「轟くん。例の例の」
そう言って僕に手招きをする。少し人気のない階段に一緒に行くと、神代先輩は後ろに何かを隠している。これは、まさか、バレンタインチョコ?
「チョコですか?」
「ええ、ハッピーバレンタインよ。轟くん」
「神代先輩、今六月ですよ」




