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第1話 憂鬱を切り裂く少女

「どうか誰か私の憂鬱を切り裂いてくれませんか」

「はい、仕事ですので」


「おい、轟! 授業中だぞ」

「あ、すみません」

クラス中からクスクスと笑い声が微かに聞こえる。僕は咄嗟に立って、頭を先生に下げた後に時計が目に入った。既に時計の針は授業が終わる寸前を教えるように、くっついていた。僕は着席した後、ふとさっき居眠りしていた時に見た夢の事を思い出す。プラチナブロンドで色白でスレンダー系の美しい女性が、死神が持つような鎌を持っていた。気怠げな様子で目にも力が入っていなかった。その女性は目を反らしながら、何かとても恐ろしいものを切り裂いた。それは悪魔なのか、はたまた魔獣なのか怪物なのか? 概念にも僕には見えた。大きな眼が沢山散らばり、それが瘴気のように渦巻いて、蠢き、サラリーマンの男性の心臓から二の腕、肩、足や指の関節まで侵食していた。その様子を見て、僕は酷く恐ろしいと感じた。その「なにか」が男性の心臓からモクモクと紫色の煙のように、男性の身体中に取り憑いていたからだ。男性自らがコントロール出来ずに、まるで自家中毒を起こしてしまったような光景だった。目が覚める寸前、夢の中の女性は僕を見るなり、虚ろな目で見つめていた。僕が「神代先輩?」と聞こうとしたその時には、もう先生の叱責で目が覚めてしまっていた。僕はその夢の虜になってしまったようで、あの夢が何だったのか、夢占いだとどういう意味なのか。その事で頭が一杯で、次の授業も身に入らずにノートだけ必死に取りながら授業を受けていた。

放課後、友達の辻本が茶々を入れに僕の席にやって来た。

「轟、授業お疲れ様! いっぱい寝られたか」

「うるさいなーもう」

早速、居眠りしてきた事に対していじりにやって来た。うるさいと悪態をつきながらも、人に率先して話しかけない僕にとっては、辻本の存在は助かっていた。辻本は僕と違って、男女分け隔てなく話かけていて、友達も多い。ただ、少しお節介だとも思う時もあり、「轟ももっと友達を作ったほうがいいよ。俺が紹介するからさ」と言ってくる。僕は言われる度に丁重に断っていた。

「お、そうだ轟。いつも忙しい神代先輩を遂にカラオケに誘えたぞ。一緒に来ない? 皆と」

「神代先輩って生徒会長の?」

「そうそう、その神代先輩! しかし綺麗だよな神代先輩って。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花って言うかさ。才色兼備、頭脳明晰。熱狂的女性人気もあるからなのか、女子生徒からバレンタインチョコを二十個貰ったらしい。女性が男性に渡す日なのにな」

「僕、喉の調子悪いから今日は行くのやめようかな」

「なんでさ?」

辻本はポカンと口を開けていた。僕が神代先輩に対して好意をもっている事を、知っているからこそ出た反応なのだろう。でも、ただ何となく会いたくなかった。神代先輩は高嶺の花と言うより、文字通り雲の上の存在だと思っていたからだ。なんでも器用にこなしていて、運動も勉強も人間関係も優秀で、先生からも高い評価を得ている。ただ、僕自身が一番神代先輩について、好意をもった根本的な理由はそこではなかった。容姿や才能にも恵まれていて、天が二物も三物も与えたようにしか、僕からしたら見えないのに、何処か空虚感を抱いているような薄幸そうな表情を見せるところだった。

「まあさ、今決めなくていいからとりあえず公園行こうよ。ジュース奢るからさ」

そうして、僕は辻本と一緒に学校を後にした。

 学校から左折して、下校中の同じ生徒が居なくなった事を見計らいながら、いつも公園で僕は辻本と駄弁って帰ることが習慣づいていた。今日はコーラを買うと言って、僕は「サイダーが飲みたい」と言うと、辻本は「奢られるんだから贅沢言うな」と笑いながら優しく諭す。なら、と僕は辻本に対して「コーラとサイダーのボタンを同時に押そうよ」と言った。そうすると、辻本は「よっしゃ」と目にモノを見せてやると言わんばかりに、僕の挑発に乗る。結果、サイダーが出てきた。「何のこれしき二回目」と辻本はもう一度同時にボタンを押そうとするが、結果はまたもやサイダー。厚意がワガママに負けた決定的瞬間であった。僕らは笑いながら、サイダーのフルタブをカチッと開けて、立ち飲みしながら公園に向かう。そして向かう途中に辻本が、先程学校で話した事の続きを聞いてくる。

「なあ、轟」

「何?」

「この前話した感じだと神代先輩の事に興味ある感じじゃなかったか? 声も全然枯れていないし、何か断りたい理由でもあるのか?」

僕は「あー」と生返事をしながら、空に目を逸らし少し考える仕草をとってこう返した。

「確かにさ、神代先輩をお目にかかれるなんて最高のチャンスだと思ったよ。でも、何と言うか、実際に話すってなったら、何話せばいいか分からなくて、間を悪くしちゃうような……みたいな?」

辻本はそれを聞いてウンウンと相槌を打った。

「確かに神代先輩って、何と言うか女性とも仲良く出来ているけど、いつも放課後や休み時間は仕事以外独りで居ることが多いし、どこか掴みどころがないよな。生徒会役員の二人とは特別仲が良いからなのか、誰かと居る時は大体その二人とだし。正直ダメ元で誘ってみたらOKしてくれて、俺も誘っといて何だが困惑してる。趣味も良く知らないし、何歌うかも想像できない」

気に掛けてくれるけど、やっぱり理解しようと寄り添ってくれるところ。僕は心の底から辻本と友達になれて良かったと思った。そういう姿勢が運動部の辻本と帰宅部の僕は相反していて気が合わないだろうと思っていたけれど、一緒に帰宅するくらい仲良くなれた理由だろう。

ただ今回の件、正直なことを言うと辻本に言ったことが嘘ではないが、もっと他に確固たる理由がある。僕は「理解されないかも」という不安を振り切って話してみた。

「実はさ、辻本。授業中」

「何だ? スヤスヤ轟」

「スヤスヤって」

「すまんすまん、続けて」

「夢を見たんだよ、変な夢」

「夢?」

「鎌を持った少女が、サラリーマンにくっついた悪霊みたいな何かを鎌で切り裂く夢。色々話すと長くなるんだけどその夢が印象的でさ」

「その夢が何だ?」

「鎌を持った少女が神代先輩にそっくりだったんだ。でも、そのままじゃなくて黒髪じゃなくて、プラチナブロンド。ローブみたいな物を着ていて、厳かなランタンを持っていたんだ」

「好きすぎて夢にまで出てきたのか笑」

「違うって違うから。夢に関しては」

僕は狼狽えながら、否定したやっぱり信じてもらえないのだろうか。

「でも、確かに神代先輩って何かそういうファンタジーの世界に居そうではあるな。クールで感情の起伏も少ないし」

辻本は頑張って共感してくれようとしてくれる。僕は少し申し訳なかった。すると、辻本はハッとした表情で僕に話しかけた。

「もしかして、それでカラオケ行きたくなかった、とか?」

ご名答。流石は親友だ。

「そうそう、それが妙に気になったんだよ。何と言うか、変に意識してしまうと言うより夢に感じなかったんだよ」

「まあ、そういうのはあるな。古文の授業で夢に出て来た女性を想い人として考える風潮があった時代があるなんて言うしな、でもそれでも」

辻本が神代先輩から誘いを何度も連絡して、断られた文章を見せつけてきた。

「カラオケに誘って十五回目くらいでやっと来てくれたんだよ。来なきゃ損だ」

「そんなに? なんで?」

「後に引けなくなった。なんつーか、友達百人出来るかなー! みたいな精神で生きているから、やっぱりみんなと関わって仲良くなりたかった。轟は勿論。神代先輩も例外じゃなかったのよ」

「カッコイイけど、だいぶしつこいな」

「何―!?」

僕らは笑いながら話していると公園にやっと着いた。すると、辻本は公園を指差してこう言った。

「ここ、出るらしいぞ」

「何が?」

「俺ら」

「当たり前!」

「わりぃ、わりぃ。本当は」

「本当は?」

「死神の鎌みたいなものを持った少女」

「それさっき、僕が話したやつ!」

「バレたか」

「バレないと思ってたの?」

「半分くらいは」

「舐められたもんだ」

そう、僕たちは会話のドッチボールをした後に公園のブランコに二人で座った。

「お、神代さんから来たぞ連絡」

「本当に? 一応聞くけど僕ってそのLINEグループに入ってる?」

「自動追加されているか、招待受けてない?」

「すまん、通知切れていただけで、僕にも届いてた」

時折、子供が来ないか入り口に目線を配って、二人でブランコをゆっくり漕ぎながら話していると神代先輩からLINEが届いていた。

「カラオケって何時からでしょうか?」

辻本が来たぞ来たぞとスマホを指差しながら、僕に向かって「ほらっほらっ」と目で訴えてくる。目は口ほど物を言うと言うが、ここまで「お前が求めてたやつが来たぞ」みたいな目をされると、一周回ってからかわれているような気がして言葉で言ってほしいと思う。

「どう? 轟が先に返信していいぞ」

「いや、何が?」

「俺の目標知ってる?」

「友達百人?」

「そう! 恋愛じゃない訳」

「その目標、今のご時世、小学生ですら掲げているやつ居ないぞ」

「でも、出来るかもしれないじゃん?」

話が少し脱線するが、辻本は友達が多い。本当に。だけど妙に子供っぽい部分があり、「友達百人出来るかな?」を本気で可能だと思っているおめでたい奴だ。しかし、辻本が言うと冗談も本当になってくる。なにせ本当に友達が多い。くどいと感じるが、辻本は俺の事を目にかけてくれているだけで遊ぶ友達なんていくらでも存在する。クラスメート男女問わず遊びに誘えば、大体皆一緒に行ってくれる。勿論、バイトや何かしらの用事がなければという前提があるのだが、無い時は九九%と言ってもいい。僕のクラスは四十二人の内の不登校児除いても三十四名と友達になっている。ハッキリ言って異常だ。おかしい。

「轟、返信しなよ」

「あー、分かった分かった。抜け駆けさせてもらう」

「それは、許せないな。もし本当にするならせめて友達のままで居てくれ」

「冗談だよ、しかも僕は辻本と山口しか友達が居ないよ」

「出来るじゃん。今」

「神代先輩と? 無茶だよ」

「とりあえず、やれることはやっとけよ。友達は親友三人くらい作っといた方がいいんだから、さ。後は必要ないよ」

「それ、辻本が言うセリフ?」

「俺はいいの。少なくとも学校の生徒全員と友達になりたいんだよ」

「聞いていいことなのか分からないけど、どうしてなの? ほら、どうしても『コイツとは仲良くなれないな』とかあるじゃないか。物心つく前から自分が好きなゲームのこと嫌いな奴とか、そもそも先入観でバチバチに話しかけるなオーラ出してくる奴とか。学校って言わば偶然近くで産まれて、偶然一緒の学校に居る奴だと僕は思うんだよ。クラスに居なければ電車とかバスにいる同年代と一緒だよ。仲良くなれるのが奇跡、交わることなんて偶然だと思うんだけれど」

「でも交わってるじゃん今」

辻本はいつもの雰囲気とは似つかない神妙な表情で語りかけてくる。はっきり言って、辻本にとって僕が居なくなっても、一緒に遊ぶなら友達なんていくらでも居るはずだ。僕にとっても辻本は大切な友達だが、だからと言って万が一どこか遠くに引っ越した時に友達でいられる自信がない。やはり友情というものは、運良く仲良くなるものだというのが僕の持論だ。友達というものはタイミングだと思っている。例えば、小学生の頃に友達になった人が居たとしよう。その時に流行ったアニメやゲーム、漫画をきっかけで友達になったり、運動が出来るやつならサッカーやドッチボールをやっている内にいつの間にか友達だという感覚が芽生えると思っている。それが、もし高校の時に出会ったならどうだろう。男も女も中学生から高校生になって段々、性別というものを認識していく。そしてそこから、無意識的に異性とは壁を作り、話しかけ方も小学生の頃から変わり、男は女の人用の会話を、そして、女は男の人用の会話というものが形成されていく。そういうものを経験した後に、小学生の時の友達と会うと思うことがある。「こいつらとは仲が良かったが、高校の時に出会っていたら仲が良くなる自信がない」と僕自身考えてしまう。僕に友達が少ない理由は、そういった考えが根付いてしまったからなのだろう。後は何か原因があるとしたら、幼稚園生の時にとても仲が良い女友達がいた。幼稚園児は食べて寝て牛になることばかり考えていて、異性とか同姓とかそんな事を考えている暇なんてない。全てが目新しくて面白くて、全てが発展途上で稚拙だ。昆虫であるところの幼虫に近いと思っている。話を戻すが僕はその女の子と自分でも言うのも何だがとても仲が良かった。当時、彼女は「大人になったらケッコンしよう」なんて年相応に不相応なことを僕に言ってきた。僕はその時喜んでいたが、今の僕なら結婚した後のお金がドウノコウノだの言っていただろう。あの時が僕の婚期だったのかもしれない。その女の子は結局中学生の時に何処かに引っ越してしまった。小学四年生になる頃にはお互い同姓の友達としか遊ばなかった。会った時に、「久し振り」なんて会話をした事があるくらいだろう。これが今流行りの婚約破棄って言うやつなのだろうか。と、空を見上げながら懐古していると、辻本がブランコ越しにこっちをじっと見て、上の空だった僕の顔に意識が戻って来た時に再び話しかけてきた。

「おーい、黄昏轟」

「また変な異名つけないでくれよ」

「スヤスヤよりはマシだろ」

「スヤスヤよりはな」

でも、辻本。この男に関しては何か訳が違った。唯一高校の友達の中でも、自然体でいられる存在だった。さっきの話をもし誰かに話した上でこの事を言えば「ダブルスタンダード」と指摘されてしまうが、何故か辻本だけは、いついかなる時期に出会ったとしても、恐らく友達になれただろうという自信がある。終活を終えて、老人ホームに入居後にゲートボールで毎回優勝していたら話が変わってくるが幼稚園、小学生、中学、高校、まだ進級してないが大学生、会社の同僚になったとしても友達になれただろうと思う。それくらい辻本と以心伝心と言える程の親友だから、ではなく辻本が人生に現れたら「辻本と友達になる」と言うイベントが必ず発生するような感覚に近い。論理的な説明が出来ないが辻本を嫌いになる未来も、辻本が僕を嫌いになる未来も想像がつかない。でも、重みとしては辻本が僕を嫌いになる時よりも、辻本が僕の事を嫌いになる事態の方が友達の数を考えると重いはずが、僕が辻本を嫌いになる状況になった時の方が異常事態だろうと何故か思ってしまう。

「轟、そろそろ返信しないと俺が書くよ?」

「あー、スマン。今から書くよ」

公園の時計を見ると、既に秒針が三から四へと重なる寸前だった。そこまで関わりのない、しかも女の人を持たせるなんて言語道断だ。ただ、困ったことに何を書けばいいのか思い付かない。時間は書くとして、後は何を書けばいいのか。そもそも神代先輩はカラオケで何を歌うのか。まず、神代先輩のような高嶺の花としか思えない人がカラオケに行くのだろうか。現代社会において、あるまじき偏見だが、それくらい神代先輩がカラオケで遊んでいる姿が想像もつかない。だから、カラオケの選曲も想像がつかない。もしも、神代先輩がサブカル好きなら曲数が多い機種を選ぶべきだと思う。しかし、そうでないJPOPや誰もが知っている名曲を歌うなら、量より質を高めた機種がいいはず。

「轟、悩んでるから一応言っとくけど、男は俺たち含めて三人、女は神代先輩含めて三人だ。だから、遊びに特化した機種にしとくのが安牌だぞ。時間は迷ったら俺が調整しとく」

「助かるよ、辻本。ところで女と男は僕が知ってる人なの?」

「神代先輩以外のメンバー? 男は頻繁に俺たちと弁当食べる山口。女は生徒会のメンバーのえっと確か」

「笹内と藤宮?」

「そうそう、その二人」

「本気で言ってるのか?」

「あれ、山口は違うと思うけど、笹内と藤宮先輩のこと苦手だったっけ?」

「いや、笹内は中学一緒だったからまだ大丈夫だけど、藤宮先輩はあまり話した事がないから。しかも、女の人が三人だから。辻本が居るなら大丈夫だと思うけど、沈黙が続きそうで心配になったんだ」

笹内と藤宮先輩、藤宮先輩に関しては詳しくはないが神代先輩と仲が良く二人とも生徒会に入っている。神代先輩の右腕と左腕とも言っていい。どちらも生徒会での働きっぷりは優秀で先生からの評価も高い。藤宮先輩に関しては高校で初めて知り合った人で未知数だから分からない。ただ、笹内に関しては中学生の時の経験上、少し会いたくない。会いたくない理由は高飛車だとか、怖いからとかそういう理由ではない。何なら、話しやすい部類に僕の枠組みに入っているから、文化祭の実行委員のようなものに笹内が配属されると安心する。苦手意識がある理由、それはただ一つ。「小学校も幼稚園も別々だったのに、幼稚園の頃一番仲が良かった『あの子』の事を知っていた」からだ。何故「あの子」についての情報を共有することになったのか、コミュニケーションの経緯は思い出せない。とりあえず、あの時の記憶は思い出のまま眠っていてほしいと、笹内との会話をした時から今もそう願っているのだけは覚えている。

「時間って十七時でいいか? 轟」

「あ、うん。他のメンバーがそれでいいならそうしよう。機種もバラエティに富んだやつ僕が予約する」

「オッケー」

「神代先輩、轟です。カラオケの時間は十七時からでどうでしょうか。こっちは男三人です。僕が予約しておきます」

すると、すぐに神代先輩から返信がきた。

「轟くん、わざわざありがとう。こちら側も三人で欠員なし。ただ、もしかしたら四人目が来るかもしれない。とてもいい子だと笹内さんが言っていたから安心して」

神代先輩の返事はとても誠実だった。しかし、四人目? 去年の生徒会には確かにあと数人、女の人と男の人が居た記憶はあるが、今年の生徒会はあの三人以外の記憶がない。もしかしたら幽霊生徒会役員が居るのかもしれないが、少し会話に困りそうで不安だ。でも、ここで引く理由にはいかない。

「了解しました! 七人入れる大部屋を予約しときます」

すると、神代先輩から「ありがとう」とメッセージが送られてきた。他の二人からは既読だけついている。七人目に関してはグループに入ってすらいない。本当に唐突に遊ぶ予定が入ったみたいだ。

「やったな、モチモチ轟」

「ありがとう、既にあだ名に関連性がない。モチモチって何なの?」

「……性格とか?」

「コシがあるってこと?」

「ふふ、うん……」

「どうしてそこでハシゴを外すの?」

辻本がいつも以上にニヤニヤしている。そのニヤつき具合から、歯にはしっかりキシリトール配合の良質な歯磨き粉を使っている事が垣間見える。もう、何というか辻本と言う人間をどうして憎めないのか分かったような気がする。剽軽だけど、どこか掴みどころがないところが相変わらずだが。とりあえず、最初の課題が終わった。辻本と僕はグータッチをした。僕たち二人はブランコを漕ぐのを止めて公園を後にした。公園から左手に向かって歩き始め、いつものように帰り道が同じところまで一緒に駄弁る。

「なぁ、轟、知ってるか? お笑い芸人が言ってた話何だけど『神アニメ』って早口で言ってみろ」

「神アニメ? 神アニメ神アニメかみゅ、」

「滅茶苦茶難しいだろ」

「まさか、早口言葉に返り討ちに会う日が来るとは」

そう話していると、ちょうど辻本とT字路の別れ道に着く。ここで辻本とは一旦お別れだ。

「轟、今夜のカラオケでまた会おうな」

「ああ、じゃあな辻本」

それぞれ辻本は左方向、僕は右方向に行く。ここからは双方の家が逆方面にあるから、どうしても一緒に帰ることが出来ない。この瞬間は何というべきか、ここまで水入らずに話せる人間であっても、帰路が違うだけで離れざるを得ない、妙な感傷に浸る時がある。もっとも、別れて一分も経てば、今日の晩御飯だとか漫画の事で頭が一杯になって忘れてしまうが。

「なあ、轟」

今日はそうではなかった。いつもならそうやって短期的なセンチメンタルに浸り、すぐに帰っていた。呼び止められる事なんて無かった。後ろを振り向くと少し離れて、T字路のど真ん中に辻本が居た。立ち止まって僕を呼び止めてきた。

「夢の話、本当なのか?」

どういう意図でそう質問しているのか僕には分からなかった。

「ああ、嘘じゃない。あーいう話は嘘つく必要なんてないだろ」

「そうか、そうだよな」

辻本は無表情だった。僕が目を合わせると少し逸らしてくる。

「あのさ、夢で出てきた場所に関する話を知ってる? 少しオカルトチックな話何だけど」

「どんな話?」

「現実で知っている場所が夢に出てきた時、夢の内容を忘れるまで、同じ時間帯にその場所へ行ってはいけない。夢に引きずり込まれてしまうから」

「ああ、そういう話か。それなら大丈夫だよ。確か皆が就寝準備をする時間だった。少なくとも普段僕が出歩く時間帯じゃない」

「それなら良かった、変な話してごめんな。それじゃあカラオケで、また会おう!」

夢の話が終わると、表情が明るくなりいつもの顔つきに戻った。一体何だったのだろう。ただ、何となく理解出来るところがある。自分が夢で見た世界が「何か見たことがある」となる時がある。いわゆるデジャヴだ。その場所に辿り着いた時、僕は現実と夢が混濁して気分が悪くなったことがある。その時「神隠し」に遭ってしまうようなそんな感覚に陥った。そういう状況にならないように辻本が気を遣ってくれたのだろう。ただ、「そこまで過保護になるような話だろうか?」と僕は思ったが考えても仕方がない。それこそ、辻本に詳細な話を聞くことも野暮な気がする。色々頭の中で考えた末に、僕は辻本の話を言葉通りに受け止めることにした。でも、何故だが分からないが、夕焼けを背中に照らされた辻本の神妙な顔や目つきは「カメラで写真を撮られると魂を抜かれる」という迷信が蔓延った時、当時の日本人が過度に不安を感じたような、そんな根源的な恐怖に訴えかけてくる、雰囲気を身に纏っていた。

 家に着いた僕はすぐにカラオケに行く身支度を始めた。駅の近くのカラオケ店で、駅から離れた僕の家からは徒歩十五分程の場所にある。今から急いで支度をしても、歩きなら約束の時間、五分前ギリギリ着くレベルだ。

「あ、神代先輩から」

「駅前のカラオケ店であってるでしょうか? あと笹内さんと藤宮さんと一緒に来てます。あと三分程で到着します」

マズイ、これは自転車で急いで向かうコースになりそうだ。笹内からも写真が届いてる。

「神代先輩がクレープ食べた事ないって言ってたから、今駅の近くで藤宮先輩と三人で今食べてるよ〜約束の時間ギリギリになるかも」

サンキュー、笹内。皆をカラオケ店で待たせるような状況にならないように出来そうだ。ただ、遅刻する可能性とは別に、また別の不安がやってきた。神代先輩はクレープを食べた事が無いほど、外で遊び慣れてないらしい。カラオケの選曲や、辻本たちが居るとは言えど気まずくならないだろうか。まあ、今はそんな事考えている暇はない。僕は急いでズボンと服を着替えた。普段より少しカッコいいと思ってもらえるように、服も自分の中で一番カッコいいと思う服を着た。「ハンカチよし、ティッシュよし」と指差し確認をした後、僕は階段を急いで降りて玄関を飛び出した。

「お母さん、行ってきます」

と駆け足で言うと、母親からは「九時には帰ってくるんだよ」と急いでいる僕の後ろ姿を見て見送ってくれた。ドアを開けて、家の駐輪場に停めている自転車は、幸いにもメンテナンスする必要がなさそうだった。僕は全速力で自転車に乗って、カラオケ店に向かう。住宅地であることから、そこまで通行人や車が通らない。ギアを上げて、かなりスピードを出しても曲がり角の出会い頭事故を起こさないように心掛ければそうそうヒヤリとすることもない道だった。そうして、僕は我武者羅に自転車を漕いでいる内に駅の近くの駐輪場に着いていた。

「約束の時間まで後七分。ギリギリ五分前に着きそうだ」

スマホの時間を確認すると、四時五三分と表情されていた。ここから走れば五分前にカラオケ店に着く。そうして、駐輪場に自転車を置いて、そこから出てすぐにカラオケ店まで直行しようとしたその時、聞き覚えのある声がした。

「おーい、轟!」

「あ、辻本!」

辻本が走ってこちらにやって来た。どうやら辻本も似たような状況だったようだ。

「とりあえず、俺たち遅刻しないで済みそうだな」

「そうだね、辻本。」

「とりあえず喋るのをやめて、神代先輩たちと早く合流しよう」

「確かにそうだね」

僕と辻本はカラオケ店へと走った。駅に近付いたことで、先程の物静かな住宅地と打って変わって人が沢山集まっている。僕たちは横断歩道が早く青にならないかとソワソワしながら、人にぶつからないように時には、走るのを止めて、歩くなど柔軟に動いた。そうして、約束五分前ジャストのタイミングでカラオケ店に着く。そこには神代先輩と、神代先輩と一緒に見かける生徒会役員の笹内と藤宮先輩も居た。

「ごめんなさい、待たせちゃいました?」

「あ、いいえ。私達も先程クレープ屋さんからここまで到着したばかりです」

と、藤宮先輩はフォローしてくれた。藤宮先輩はミステリアスだが、こういった気遣いが出来ることから同学年外のクラスからも人気があり支持されている存在だ。似たように、ミステリアスと呼ばれることがある神代先輩との違いは「話かけても大丈夫そうだ」と思わせる「寄せ付けない雰囲気がない」親しみやすさだと思う。神代先輩が断崖絶壁に咲く手の届かない美しい花だとしたら、藤宮先輩はガーデニングが好きな人が作った花壇で一番美しく咲き誇る花と言ったところだろうか。神代先輩は「手が届かない」と僕含めて無自覚的に感じる高潔さがあるが、藤宮先輩は「まだ、同じ人間だ」と思わせる部分がある。そういういったところも周りから、神代先輩とは別に評価されている要因だと僕は思う。そうこう藤宮先輩の事を考えていると、目の前からパシャっとシャッター音が聞こえた。

「へへーん、いい顔いただき」

「笹内、それ普通に盗撮だから」

「こういう『女の人を待たせてしまう』と急いで来たであろう、紳士たちの緊張が緩和された瞬間、その自然に見せる表情がまさに『真実』って感じがして撮りがいがあるのよ」

「許可とってくれたら、撮っていいよ。渋々だけど」

「違うんだよ轟くん。『写真を撮られない』って思ってる時が一番写真は映えるものなの。轟くんなら分かってくれるし、許してくれるでしょ?」

「そうだけど、そういう事じゃないだろ」

「辻本くんの事はちゃんと撮ってないから安心して」

生徒会役員兼カメラ部部長の笹内だ。中学の頃からの腐れ縁と言うか、友達と言うとそうじゃないような、何というか表現に困る。笹内はいつもカメラを持っていて、笹内の「無許可で撮っても許してもらえるリスト」に載ったら最後、僕のように勝手に撮られてしまうのだ。辻本は笹内に撮られたくないのか、撮影される事を察知すると、僕の背中に隠れてやり過ごしていた。

「轟くん、お詫びと言っては何だけど、ドリンクバーにソフトクリーム食べ放題つけるお金提供するよ」

「百十円しか変わらないよ。あと、至近距離でカメラのレンズ越しに話しかけるのやめろ」

「カメラ部足るもの! ベストショットを撮り逃がすなかれ!」

「体験入部した事あるのに初めて聞いたよ、それ」

笹内はどこか憎めない。こんな人懐っこいと言うか、もはや親戚のおばちゃんくらいの距離感だが、生徒会としての手腕は本物。先輩二人の事を規律や秩序と例えるなら、笹内はそこに風穴を開ける存在だ。

学校行事の文化祭を盛り上げるべく、軽音部の機材の交渉や、文化祭で出す食品を出来るだけ、安くて質の高い食材を使う為に、近所の農家から野菜を直接仕入れて来るなど行動力の塊だった。同じ中学の時も経理として生徒会で大活躍していた。合唱コンクールで毎年使われている市民ホールを、同じ貸し出し費用でコンサートホールを借りられると学校側に交渉して、それ以降、中学では笹内が提案したコンサートホールで合唱コンクールが行われるようになった。それくらいコミュニケーション能力と行動力に長けている。足りないのは身長と人のパーソナルスペースを確保する能力くらいだ。

「ねえ、轟くん。さっき写真撮った時に『相変わらず小さいな』って考えてたでしょ」

「へ? そんな事言ったか」

「やっぱり! やっぱアイス奢るの無し!」

「いや、被害妄想だって」

正直に言おう。嘘である。シャッター音が少し目線より低い位置から聞こえた時は「また、笹内だ。写真音の角度からも身長差を感じる」と思ってしまった。笹内は妙に勘が鋭いから油断出来ない。

「とりあえず、皆揃ったことだしカラオケで歌おう」

「あれ、辻本? 山口は?」

「急にバイトのシフトが入ってバイトしてるらしい」

「山口は学校の時間以外、ほぼずっとバイトのシフト入ってるから仕方ないか」

男二、女四。ハッキリ言って辻本が来なかったら、笹内以外話せる気がしない。そう、僕が不安になっていると「そういえば四人目の女の人って誰だ」と脳裏によぎった。その話を僕は聞けないまま、皆とカラオケ店へと入った。 

 午後五時、カラオケの店員さんに「十一番の部屋になります」と予定通り大部屋に案内された。そして、下校中に考えていた第二の試練、「何を選曲するか問題」に直面する。アニソンはランキングにいつも入っている大衆性のある曲ならいけるだろう。しかし、正直盛り上がりにかける、もしくは僕には歌うのが難しいことが多い。今ランキングに載っているJPOPが安牌だろうが正直聞いたことがない曲の方が多い。しかも、昨今ネットが台頭したことによって、自分の興味があるジャンルだけを知っていて流行っている曲を知らないこともありえる話だ。ロックだけを聞く人間もいれば、機械音声の曲だけ聞く人、そもそも韓国のアイドルの曲しか聞かない人なんて居てもおかしくないのが今の世の中だ。今、不自然に見えないように辻本を横目で確認していると、店員さんに食べ物を注文しているから悩みをパス出来ない。隣には笹内と藤宮先輩が選曲する端末でランキングを見ている。神代先輩はと言うと、二人の邪魔にならないように、少し離れたところでじっと見ている。その神代先輩の諸作と言ったらとても綺麗だった。両足を綺麗にくっつけていて、膝に両腕を置き、手をクロスしている。学校のビデオで見た、面接を受ける時の模範例とそっくりなポーズで、余計に「失敗出来ない」というプレッシャーが重くのしかかってくる。すると、こちらの視線に気付いた笹内が話し掛けてきた。

「轟くん、最初に歌う?」

やめてくれ、一番起こってほしくない事態だ。

「いや、女性陣からどうぞどうぞ」

「ふーん」

笹内はニヤニヤしていた。恐らく今までの僕に対しての言動から、笹内は確信犯で話しかけてきたと思う。やっぱり僕はコイツのことが苦手かもしれない。すると、笹内が藤宮先輩たちの見えない死角から、僕に三本指を立てて、笹内の所有してるカメラを指差していた。これは恐らく「三枚写真を撮らせてほしい」というサインだろうか。笹内に頼るのは少し癪だが、僕は小刻みに頷いた。すると、察していた通りのようだ。「契約成立」と言わんばかりに笑顔で親指を立てていた。

「じゃあ皆、私が最初に歌うね」

とりあえず助かった。ここで、笹内の歌った曲の反応からどの曲を歌えばいいか逆算できる可能性がある。が、笹内の歌う曲はアニソンだった。しかもアニメ好きならほとんど皆知っているが、一般人は知っているか、知らないか、分からないギリギリのラインの曲だ。ランキングにもたまに入るが、定番曲ではない絶妙なライン。その曲を製作したバンドの事を知っているならオタクじゃなくても知っているレベルだ。笹内の歌を聞いている途中、笹内が「左側を見てみて」とアイコンタクトをとってきた。笹内のお陰で、自分が考えている事が、杞憂だった事に気付いた。藤宮先輩は両手で小さく手拍手をしていた。神代先輩に関しては笹内の歌をじっと見て聞いている。注文を済ませた辻本は備え付けのタンバリンで合いの手を入れ始めた。笹内が歌い終えると、女性陣の二人は拍手していて、辻本もライブでするように「フーッ!」とコールをしていた。笹内は皆から褒められて満更でもなかった。

「笹内さんって歌も上手なんだね。私このアニメ見たことあるよ」

「藤宮先輩、このアニメ好きなの? 私も大好き」

「主人公が初めて変身する理由が素敵なんだよね」

「私も私も! 代償を支払わないといけないのに、親友を助ける為に躊躇なく魔法使いになったところ。私もあれ以降、絶対に嫌いになることないなって思ったんだ」

「ねーっ」

笹内と藤宮先輩が談笑している内にいい収穫がとれた。藤宮先輩はある程度アニソンを許容出来ることだ。あとは、神代先輩の反応が見たい。すると、笹内は神代先輩にも話しかけに言った。

「どうでした? 神代先輩」

神代先輩は顔色一つ変えずにこう答えた。

「笹内さんってなんでも出来るのね」

「あ、ありがとうございます」

「そんなに恐縮しなくてもいいのよ」

「あ、なら。生徒会事務から歌までなんでも出来ます! 流石笹内!」

「そこはもっと謙虚に」

神代先輩が口に手を当ててクスクス笑っていた。神代先輩の笑っているところを初めて見た。それと同時に、神代先輩にそこまで踏み込むことが出来る笹内のコミュニケーション能力に畏怖の念を抱いた。前言撤回したい。笹内の事を苦手かもしれないと思ったが、気遣いと今日の素行で、盗撮を差し引いても人としてかなり好きになった。

「他に歌いたい人が居ないなら、次は俺が歌いたい」

と辻本が言った。出来るだけ時間を稼ぎたいので助かった。そう思っていると笹内が

「辻本くん、ちょっと私ドリンクバーに行ってくるから歌うのちょっと待ってて。待てないなら歌い始めてもいいよ」

と、辻本に言った後にドリンクバーに行こうとした。そこで僕もドリンクを取りに行くついでにお礼がしたいと思ったから「僕も取ってくるよ」と辻本に言った。辻本は了解した仕草をとってくれたので、笹内に便乗する形で僕もドリンクバーを取りに行った。

「笹内。さっきはありがとう五枚でいいよ」

「なーに、お安いご用だよ。写真の為なら、ね」

笹内はニコニコとした表情で応答する。お礼したいついでにどうしても聞きたいことがあった。来る気配がない四人目の女の人についてだ。

「笹内一つ聞きたいことがあるんだけどさ、四人目の女の子は今日来ないのか」

と言うよりも、誰なのだろう。旧生徒会のメンバーだろうか。正直、神代、藤宮、笹内の三人は仲が良く、三人一緒に居る場面しかあまり僕は見たことがない。すると、笹内は淡々とした表情でこう答えてた。

「四人目の子は恐らく来ないよ」

「恐らくって? まだ連絡がこないとか」

「んーっと、そういう感じではないかな」

「どういう事だ?」

「轟くんが幼稚園の時に、仲が良かった女の子居たでしょ? その子と私面識があるから呼んで見た。轟くんが居るなら来るかなって」

どういう事か意味が分からなかった。まず、笹内は僕と同じ中学で生徒会をしていた。幼稚園の頃まで遡ると記憶が曖昧になってしまうが、少なくとも小学校には居なかったはずだ。なら何故、その子と面識があるんだ。その子の近所に住んでたとか? そうだとしても、幼稚園の頃仲が良かったことを知っていることに合点がいかない。

「笹内、どうやって連絡とった?」

「えーっとね、実は定期的に手紙を送っていてね、スマホの連絡先は知らないよ。文通」

「あの子、今どこで何をしているんだ?」

すると、あの多弁な笹内が黙った。何かやましいことがあるのかと思ったが、顔色を窺う限りそういう事でもなさそうだった。ただ、何か理由があることは確かだった。

「知らないよ。引っ越した後の住所は。轟くんこそ、何か知っているんじゃない?」

「いや、僕も知らないんだ。小学四年生になってから少し疎遠になって、中学生の頃に引っ越してそれっきり」

「それっきり? 何か覚えていることはないの?」

「えっと、例えば」

「なんでもいい。例えば引っ越す時どうだったかとか」

「それに関しては覚えているよ。引っ越す時は何の音沙汰もなくて、連絡先も知らない。一緒にゲームをして遊んでいたよ」

「轟くんも知らないの? 引っ越し先」

あの笹内の顔つきがいつにもなく真剣そうだった。いつも明るくて、皆に迷惑をかける時もニヤニヤしているような性格なのに、ここまで真剣な表情は珍しかった。

「私も、彼女と遊んでいたの。近所に住んでいて親子で仲良くしていた幼馴染だった。でも、突然引っ越した。何かあったかも誰も知らない。ある日突然引っ越した」

続けて、笹内はこう言う。

「誰も知らなかったの。そこまでは良かった。でも、私の家族は私以外皆覚えていないような感じだった。怖かった。でも勇気を出して『一緒にいつも遊んでた子はどこに行ったの?』って当時の事を両親に聞いた。でも、そんな事があったのか忘れてしまったような素振りだった。あの子が誕生日を祝ってくれた日の写真があるのに」

そう言って、あの子の写真をバッグの中から取り出した。確かに、あの子が写っていた。

「知ってる。この子と幼稚園の頃から仲が良かった」

「良かった。覚えている人がまだ居たんだ。家族には写真を見せた時『知ってるような気がするけど分からない』と答えた」

「同じクラスの人なら知っているはずなんだけど」

「だけど?」

知っているはずだ。あの子の事を同じクラスの人は。朧げでも、「あーこの子か」と思うはずなんだ。でも、違う。思い出はある。遊んだ思い出。でも、引っ越した話を誰もしてなかった。嫌っている人も居たが、好きな人の方が多かったはずだ。だけど、その。

「笹内」

「何?」

「その子の本名って知ってる?」

「えっと……それは………」

嫌な予感が的中した。笹内があの子の本名を知らない。勿論笹内が例外ではなく、僕自身もだった。本名が思い出せない。思い出は確かにある。家族も居た。でも確かに思い出せない。苗字も、名前も。

「名前なら知っているよ、でも又聞きの足元にも及ばない。都市伝説レベル」

「教えてほしい」

カスミ名前は霞だったと思う」

「確かにそういう名前だったような気がする。苗字は?」

「轟くんは覚えてないの? もしかして苗字も」

恥を忍んで笹内に言った。

「思い出はある。記憶も。でも、名前も苗字も住んでいた場所も分からない。顔だけ思い出と照らし合わせて辛うじて」

「そうなんだ」

その時、突然カメラで撮られた。どんな酷い顔をしてたんだろう、僕は。

「今のは契約の内に入る?」

「入らない。あの子思い出させてくれたから」

「超ラッキー!」

笹内はいつもの表情に戻った。

「なんで今撮ったの?」

そう僕が尋ねると笹内が、僕のコップをニヤニヤしながら指差していた。ボタンを押しっぱなしにしたせいで、メロンソーダが溢れて、自分の指がベタベタになっていた。口を押さえて、プークスクスと笑った後に元のカラオケの部屋に戻っていった。僕も指やコップを拭いた後に急ぎ足で、十一番の部屋に戻った。

「遅いぞ二人とも! もう歌い終わっちまったよ」

そこにはマイクを持った辻本の姿と、小さく拍手する藤宮先輩の姿、真顔で辻本の方をじっと見ている神代先輩の姿があった。

「まさか、抜け駆けか? 許さないぞそれは」

「「そんなわけない(でしょ)」」

笹内とハモってしまった。笹内は顔を真っ赤にして、「そういう関係じゃないよ! 友達なの!」と念を押して皆に言った。正直、そこまで過剰に反応されるとこっちも意識してしまって、気まずくなるから止めてほしい。ただドリンクバーでの会話のお陰で、今日の笹内の態度はなんでも許せる。恋愛関係のイジりに対して過剰反応するところが純粋に可愛いと思ったという意味もあるが。

「まさか、そんな!」

藤宮先輩がニコニコしながら、ボケてきた。藤宮先輩がここまでノリがいいなんて知らなかった。あからさまにボケた藤宮先輩に対して、笹内は顔を真っ赤のまま「違うの! 藤宮先輩」と真に受けている。ただ、このほんわかとしたノリに相反して、神代先輩は僕の事を真顔で凝視してくる。しかも、無言で。何を考えているのか分からないからこそ余計に怖い。そう思い、僕は神代先輩から視線を反らして露骨に伏し目がちになった事で、僕が神代先輩の態度に困っていることを察したのか。二本目のマイクを充電器から取り出してきた。これは神代先輩が歌うところがついに見られるのだろう。

「皆、私歌ってもいいかな」

「勿論、どうぞ神代先輩」

と辻本はバトンを渡した。そして、笹内は神代先輩にカラオケの端末の使い方を教え、藤宮先輩は「どんな曲でも遠慮しなくても大丈夫よ」と歌いやすい雰囲気をつくる。僕は元の席について、隣の席に居る笹内越しにその様子をじっと見ていた。

「えっと、これで検索するの」

「そうです、神代先輩! ここを押したら今流行りの曲や定番曲が選べます」

「そうなんだ。ありがとう」

「どんな曲を探しているんですか?」

「えっとね、タイトルを忘れてしまったの」

「どんな曲ですか? 歌詞だけ覚えてるならここから検索出来ますよ」

「ありがとうね。笹内さんも藤宮さんたちも気に掛けてくれて。でも、ごめんなさい。歌詞を検索しても分からないみたい」

キーワードを検索に神代先輩は歌詞を入力していた。笹内にぶつかるから、端末をしっかり覗けずに断片的にしか見ることが出来なかったが、「紫苑が咲いたよ 綺麗に咲いた 日陰に咲いた(ここからは読めなかった)」と入力されてあった。笹内は食い気味で覗いていて、下唇に手を当てて考えている素振りを見せた。

「神代先輩、私は少なくともこの曲を知らないわ。何かの童謡?」

「それが分からないの。昔、祖母ががいつも私に歌ってくれた曲」

「だったら懐メロに入ってるのかな」

そう言うと、笹内は探しているが見つかる気配がない。辻本も首を傾げて、藤宮先輩はスマホを取り出して検索し始めた。僕はメロンソーダを飲みながら、何か心当たりがあるが、つま先まで出ていて後もう少しのところで思い出せない。どこかで聞いた事がある。あっ、もしかして。

「神代先輩! この前、本の整理を手伝う事になった時、小さな鼻歌を歌ってましたよね。もしかしてその曲がその歌詞の歌じゃないんですか?」

正直何の手掛かりもない発言だったが、神代先輩の眉が上がった。チャンスだ。カラオケには鼻歌で選曲出来る機能がある。

「神代先輩、ここで鼻歌でも調べることが出来ます」

「轟くん、ありがとう」

いつも寡黙な神代先輩が微笑んだ。今までの取り越し苦労が報われたと瞬間だと思った。が、しかし鼻歌で検索しても何もヒットしない。

「神代先輩、お力添え出来なくて笹内申し訳ないです」

「いいのよ、笹内さんも皆も気に掛けてくれてありがとう。今の時間だけでもとっても嬉しいわ。私は」

口角を上げてニッコリ、ちゃんと笑ってくれた。感情がないとすら邪推した神代先輩の笑顔が拝めた。そう考えたのが、僕だけじゃないのか皆、神代先輩に注目していた。笹内に関しては興奮して、目を輝かせながら手をグーにして振っていた。

「先輩、俺から僭越ながら提案があります」

と、辻本は神代先輩に話しかける。

「何? 辻本くん」

「歌詞を覚えてるなら、そのまま、ここで歌ってみるのはどうですか」

貴重な辻本の敬語。やはり、時と場合と場所を考えられるのか。柔軟性もあって流石は友達百人達成する事を掲げる漢だ。

「そうしてみようかしら」

「カラオケは楽しむことが一番ですから、神代先輩の歌うだけでも盛り上がると思いますよ。それこそ、藤宮先輩や笹内、それこそ目の前の轟とか」

「辻本、それは」

「そうよ! 神代先輩の歌がとりあえず私も聞いてみたい」

「私も同感です」

「なら、歌ってみるね」

神代先輩は立ち上がり、胸を当てて目を瞑った。そして、マイクに電源を入れて、歌い始めた。

「紫苑が咲いたよ 綺麗に咲いた そうして月に照らされて 月に葉を上げ憧れる いつか私もこうなって 皆の暗闇照らすんだ 夜泣く子供も 忘れられた感情も 全部全部掬い上げて 優しく抱擁するんだよ きっと夢が覚めないように眠るんだ」

皆が神代先輩の曲を真剣に聴いていた。僕自身も心が奪われてしまった。よくあるような童謡。きっと、ねんねんころりとお母さんが神代先輩を寝つかせるように歌った曲だと思った。神代先輩の透き通り、吐息交じりの美しい歌声。でも喉に魚の骨が引っ掛かるような感覚があった。神代先輩をこの歌を歌った後、両目を真下に向けて虚ろな眼差しを床に向けていた。私の心、ここにあらずと言うようなそんな目だった。あの目はセンチメンタルという感情だけでは片付けられないような目つきだった。それに気付いた僕は神代先輩の顔をじっと見ていた。僕が顔をずっと覗いていることに気付いたのか、神代先輩は僕の目を再び凝視していた。冷たい視線、と言っても僕に対してネガティブな感情を抱いているだろうという意味ではなさそうだった。何か大切なものをなくしていたような目だった。僕はその目を見て、蛇に睨まれたカエルのように恐れ慄いたと言うべきか、儚げな姿に見惚れていたと言うべきか、とにかく動けなかった。そういった経緯から、僕は神代先輩と数十秒お互いに見つめ合うことになってしまった。神代先輩は相変わらず綺麗な顔立ちだった。

 思ったよりも居心地が良く、何だかんだ九時まで皆と一緒にカラオケで過ごしていた。

「今日はカラオケお疲れ様、楽しかったよ」

「私も楽しかったわ、皆と歌ったの。辻本くんも誘ってくれてありがとう」

「いえいえ、結局俺と笹内ばっかり歌ってしまって申し訳ないです」

「藤宮先輩が私の好きなアニソン歌ってくれたの嬉しかったな。轟くんももっと歌えばよかったのにー」

「いやだって、さ」

「笹内さん、あんまり轟くんの事をイジらないで、演歌を歌うのは確かに意外だったけど」

「それはそれで言語化されると恥ずかしいな」

血迷った末に演歌を歌ってしまった。こちら側が至って真面目なのに対して、笹内は口で手を当てて目を大笑いしていた。「なんで演歌?しかもちょっと上手いし」といって吹き出していた。別に演歌を歌ってもいいだろうに。藤宮先輩は「轟くんって演歌好きなんだ」と少し意外そうな目で見ていた。違う、色々場の空気を考えた末に頭が回らなくて演歌を選んでしまったんだ。一人ならアニソンとか歌ってたよ。結局辻本がJpop、笹内がアニソンや最近動画サイトで流行ってる曲を歌っていた。神代先輩はあの曲を歌ったきり、皆が歌ってるところをじっと見ていた。それと、唯一僕が演歌を歌った事に対して反応をしたり、イジってこなかった。そのおかげか、羞恥心が和らいで少し助かった。

「じゃあ、俺の家は別方向だからここで離脱する。また明日、皆」

帰り道、皆と雑談している途中、辻本が別方向に帰っていった。皆が「また明日」と手を振ると、辻本も手を振リ返した。正直、会話が辻本抜きで女性三人と話せるのが不安だった。

「轟くんって、辻本くんとどうやって仲良くなったの?」

そう、藤宮先輩が話しかけて来てくれた。

「辻本から話しかけて来てくれたんだよ。『友達にならないか』って。僕が理由を聞いたら『学校中の友達になる』って言った。それが純粋に面白いと思って友達になったんだよ」

「へぇ、面白い人なんだね、辻本くん」

「轟くん、辻本くんにちゃんと今月のお金払ったの?」

「レンタルフレンドじゃないよ、笹内!」

二人共笑っていた。正直、女の人で友達になれたのは幼稚園の頃以来で嬉しかった。三人で会話をしている途中、神代先輩の方を見てみると一向に会話に入ってくる気配がない。こちら側の会話を聞いているのかも怪しくて、前に続く道をずっと虚空を見るような目でずっと見つめていた。

「じゃあ、私たちはこの辺で」

と藤宮先輩は言う。ここからは、どうやら女性三人は帰路が僕とは別方向みたいだった。

「轟くん、また明日」

「あ、神代先輩また明日」

神代先輩が別れ際の挨拶をしてくれた。とりあえず、今日を乗り切ることが出来たんだと心の中でガッツポーズをした。

「轟くん、じゃあね」

「笹内もか、じゃあな」

僕は三人とお別れして、ここからはどこにも寄り道せずに、そのまま家に帰ろうと思っていた。ただ、あまり家に帰りたいと思わなかった。別に家族仲が悪い訳ではないし、むしろいい方だった。でも、皆でカラオケを楽しんだ余韻に浸りたかった。幼稚園以来で、ここまで和気あいあいと楽しめたのが久し振りだった。僕が一般的な高校生の恋愛に興味を示さないのは、今日のカラオケのように、性別の柵関係なく楽しく遊びたかった、それを恋愛よりも優先的に求めていた、ただそれだけだった。それが今日、小学校低学年振りに叶ってとても嬉しかった。家に帰りたくなかったのではなく、この夜を終わらせたくなかった。今日は満月で、その月の光が僕を「今日の主役」と言ってくれているように照らしてくれているように感じられ、スポットライトのように見える。

「家に帰る前にどこか誰も居ないベンチで休憩したいな」

そう思い、近くの自動販売機から小さな缶コーヒーを買った。辺りを見渡しながら「公園でもないかな」と散策していた。この道を何となく歩きたいなと直感的に散歩していると、気が付いたら学校の近くにある「夢で見た公園」に辿り着いていた。

「辻本が言ってた、夢に引きずり込まれるって話、流石に都市伝説だよな。ブランコに座ろうっと」

僕は辻本の忠告を無視して、ブランコに座って缶コーヒーを飲み始めた。誰かの家と近くに辻本たちと一緒に通っている高校が少し遠くのほうで見える。感傷に浸るには充分な景色だった。僕はコーヒーを少しずつ飲んで、ブランコに身を任せてユラユラ揺れていた。そうして、呆けていると景色に変化があった。ブランコから見える、家からスーツを着た男が三階のバルコニーに出てきた。タバコでも吸いにベランダに出たのだろうと思いながら、見ていると何か様子がおかしい。男はバルコニーのフェンスに立って、そこから屋根によじ登り始めた。まさか投身する気か? その高さの屋根からアスファルトに飛び降りたら間違いなく死ぬ距離だ。僕はブランコから身を投げて、少し中身が残った缶コーヒーを放置してスーツの男の方に走って向かいながら叫んだ。

「そこのスーツのお兄さん、駄目! 早まらないで」

すると、男は僕の方に生気のない声でこう言った。

「助けてくれ、苦しいんだ。突然、ぼんやりとした不安が私を襲って、そのまま命を絶ってしまいたくなってから、身体が勝手に」

そう言って、スーツの男はよろよろと屋根から、アスファルトに向かって前進する。まるで、操られているようで身体の主導権を誰かに奪われてしまったみたいだった。そしてスーツの男は「誰か、誰か、」と呻きながら、喉を震わせてこう言った。

「どうか誰か、私の憂鬱を切り裂いてくれませんか」

投身する直前、男の後ろから鎌を持った少女が現れた。そして、少女は男の首元を優しく撫でるように切り裂いた。どこから来たのか分からなかった。男の行動に動揺して一度瞬きをした瞬間、既に男の背後には少女は立っていたのだ。


「はい、仕事ですので」


僕はあまりにも非日常上的な光景、少女がスーツの男を斬首する惨い行為が行われている状況で身体が震えて動けなくなっていた。しかも、学校で居眠りしていた時に見た夢と状況や姿形もそっくりだった。プラチナブロンドで色白でスレンダー系の美しい女性が死神の鎌のようなものを持って、スーツの男の首を切り裂いたのだ。僕は混乱していた。その時だ、首を斬られたはずのサラリーマンの男は無傷だった。正確に言うと、血液の変わりに、斬られた首元から紫色の「何か」が男から溢れ出てきた。それは紫色にたなびく雲のようだったが、だんだん実態として現れ、紫色の雲に目玉が現れ始めた。そして、どんどん男の身体を下半身から上半身にかけて侵食していく。それを少女が頭に届かないように、覆い尽くさないように紫色の雲も鎌で切り落とす。鎌で切ったものを、腰に固定しているランタンで照らし吸い込んでいた。途中、紫色の「何か」は様々な状態変化を見せて、背中に目玉をつけたアリになって少女に襲いかかったり、拳の形になって少女を殴ろうと飛んでいくものもあった。紫色のアリは鎌を野球のバッティングのように大振りに薙ぎ払い、目を攻撃しながら倒し、ランタンに吸い込む。拳に対しては蹴りを入れて速度を和らげ怯んだ隙に、高くジャンプをしてから360度縦に回転して一刀両断した。サラリーマンに纏わりついた雲のようなものをランタンに全て吸い込み終えると、サラリーマンは気絶していた。遠目で見ていても怪我がなさそうだった。すると、じっとその光景を見つめていた事を少女に気付かれてしまった。

「誰? そこにいるのは」

少女は僕に気付いた後、サラリーマンの事をベランダから落ちないように、避難させてからこちら側に物凄いスピードで近付いてきた。

少女に詰め寄られた僕は慌てふためいていた。逃げ出そうと思っていたが、足が思うように動かなかった。

「もしかして轟くん? カラオケの後、帰宅したはずなのに、どうしてここに居るの」

「神代先輩?」

僕は恐る恐る聞いてみた。顔や姿形は神代先輩そっくりだった。でも髪色や黒じゃなくてプラチナブロンド、黒いローブを身に纏い、腰にランタンを付けて、鎌を持っている。死神のようにしか見えなかった。ただ、口振りからどうやら神代先輩で確定のようだ。

「どこまで見てた、どうしてここに居るの、何が見えた」

神代先輩は僕の首の後ろに鎌の刃を立てて質問した。下手な事を言ってはいけない状況で間違いない。正直に言う事にした。

「サラリーマンの首を切ったところから、紫色の何かと戦って、ランタンに吸い込むところまで」

「全部見られていたのね」

神代先輩は僕の首の後ろに鎌の刃を立てる事を止めない。少し溜息混じりに続けて質問された。

「見られた事は仕方ないとして、どうしてこの場所に居たの? 紫色の何かはどう見えたの?」

生殺与奪の権を握られている状況、僕は正直に答えるしかなかった。

「今日学校で居眠りしている時に、ここで全く同じ光景を見た。紫色の何かは、目玉のついた雲、背中に目玉のついたアリ、拳に見えた」

「ちゃんと実態として見えてるってこと? しかも同じ光景を夢で見た?」

「はい、ちゃんと戦っているところまで」

神代先輩は鎌を下ろした。すると、腰からランタンを取り出して明かりを点灯させて僕に見せつけてきた。

「説明は後、このランタンをじっと見て。命は保証する」

そう言われた瞬間、ランタンの光がどんどん眩しく光り、目の前が真っ白になった。気が付くと僕は電車の中に神代先輩と一緒に居た。

「ちゃんと聞いて、一回しか言わないから。私が腰に付けていたランタンにサラリーマンの憂鬱やあらゆるネガティブな感情を封じ込めた。自らの命を絶たないようにね。この電車はサラリーマンの心の闇を情景として顕在化した世界。今回は電車の中ね。ここに憂鬱の根源が潜んでいるから、一緒に討伐しに行くよ」

「一緒に?」

「ええ、轟くんは何故か私の夢切りを見る事が出来て、しかも紫色の憂鬱が見ることが出来ているから、きっと倒せるはず。武器は私が持ってるものと、それ以外は現地調達して。とりあえず見たほうが早い」

神代先輩は僕の手を引っ張って次の車両に入った。

すると、スーツを着ているが、身体が透明で、つり革で首を吊っているスーツを着た透明人間がそこには沢山居た。神代先輩は怖気づかずに、僕の手をしっかり掴んだまま、直ぐに戦えるように鎌を抜いた状態でゆっくりと歩いて散策した。電光掲示板には「次は 三途の川 この列車は終点まで止まりません」と流れている。電光掲示板を観察していると、この列車は十両編成で、今自分たちは前から数えて六号室に居るそうだ。神代先輩と注意深く観察しながらゆっくり歩いていると、突如として車内アナウンスが流れた。

「皆様にお知らせがあります。この列車三途の川行きの電車に、片道切符を購入せずに無賃乗車をしている人が居ると確認されました。一人残らず始末してください」

そうアナウンスされた瞬間に周りが牙を剥き始めた。つり革で首を吊っていた透明人間が頭をつり革から、抜け出して襲いかかってきた。

「轟くん、これ」

刀を神代先輩に渡された。

「僕使ったことが」

「なら、一旦私に背中を任せて」

僕は神代先輩の背中にくっついた。すると、それを確認次第、神代先輩が今度は鎌を高速で回転させて透明人間と同時に、横から弧を描くように360度回転させて、六号室の車両ごと半分に両断した。切った後の外を見るとトンネルの中だった。

「私の手が届かない範囲に、憂鬱を実体化した怪異が来るかもしれない。いざという時はその刀を使って自衛して」

「刀を握った事がないです」

「この世界はネガティブな気持ちが中心に構成されて視覚化されたものなの。だから、とりあえず刀を抜いて、夢や希望を空想して。闇には光をぶつけるのよ。そしたら、切れ味が増すはず」

「はずって?」

「私は刀が苦手だからあまり使った事がないの。でも、この鎌にも同じ効果が適応されたから使えると思う。最悪素手で戦っても構わないわ。『絶対に生きて帰る』と考える前提だけどね」

「分かった」

とりあえず刀を抜いてみたが、言われた通り空想してみる。宝くじ当選、人のお金で焼肉、幼稚園の頃のあの子とのいつかの再会と、くだらない望みから願望まで、あらゆる希望を刀に込めた。実際に力がみなぎってくるのを実感した。

「どうやらトンネルから出るみたいだから上から行きましょう」

「上?」

「上って車両の上の事。前がどんどん明るくなってるでしょう? 恐らくアナウンスした運転手がサラリーマンの憂鬱の根源。だから今回みたいに襲われたら面倒でしょう。しかも、終点に着いたら何が起こるか私にも分からないから急がないといけない」

「帰れなくなっているってこと?」

「いざという時は帰れるわ。ただ、あのサラリーマンは終点に着いたら、自死を選ぶわ。あくまで憂鬱を一時的に封じ込めているだけで憂鬱の根源を倒さなきゃ無駄よ。今回は終点がそれのタイムリミット。ほら、トンネルを抜けるよ」

トンネルを抜けると、空は晴天だった。電車のレールは一つで、対向車線がない。下を見ると海が広がっていて、海とこの電車の為の海から伸びた海道以外なにもない。次のトンネルはおどろおどろしい見た目で火山からマグマが流れて、そこを境界線になるように黒紫色のオーロラが壁になっていた。恐らくあそこが終点なのだろう。

「轟くん、急いで登ってきて」

「登るってどうやって」

「ここは、空想の世界なの。本気で望めば高く跳んで、車両の上に乗れるはずよ」

僕は神代先輩の言う通りにジャンプをした。「僕ならあそこまで届く」と考えたら本当に乗ることが出来た。

「本当だ、跳べた」

「凄いよ轟くん! ただもっと急いで。もっと自由に考えて。私と一番前の車両に行きましょう」

先程半分に切った車両から、どんどんスーツを着た透明人間がよじ登ってくる。僕は後方を確認した後、後ろを見ないように全速力で前の車両まで走った。

「轟くん、前から!」

前を見ると、一番前の車両から誰かが登ってくる。

「お客様、無賃乗車は困ります。皆様のように寿命をお支払いください」

あの時アナウンスした声と同じ。車掌がこちら側に直接出向いて着た。すかさず、神代先輩は鎌で車掌を攻撃する為に、目にも止まらぬ速度で切りつける。

「嘘?」

「お客様、乱暴行為は困ります。没収します」

が、しかし切れない。正確には切れたが雲のように蒸発したようで、神代先輩の背後をとった。しかも車掌は二体に分裂して、神代先輩の鎌を奪おうとする。神代先輩はありったけの力を振り絞って、鎌でもう一度攻撃していた。僕は神代先輩の攻撃を邪魔する後方の透明人間を切りながら、その隙に神代先輩の元へ急いで向かっていたが思うように上手くいかない。電車の窓から手を出して、転ばせようとしてくる透明人間の袖が見える。

「轟くん! こちら側に来ないで。車掌に攻撃が通じない。それどころか、攻撃すればするほど増える」

「神代先輩、とりあえず後ろの透明人間や僕の足を掴む人間を切る事で精一杯で、そちら側に行けないです」

「なら、来なくていい。本体を探して。電車の中にいる。いくら斬ってもプラナリアのように車掌が増え続ける」

「えっと、とりあえず電車の中を探します」

僕は足元を刀で切り、四号室に入った。そこは空間が歪んでいて、外から見た車両よりも部屋が広く会社の中のようだった。「君はどうしてそんなに駄目なの?」「君の替えはいくらでも居るよ」「幹事は君がやりなさい」「給料を上げろなんて甘えた事を言うんじゃない」と罵詈雑言が部屋中から鳴り止まない。恐らく、あのサラリーマンが会社で言われた言葉だろう。正直、他人事だが自分も聞いていて気分が悪くなる。どうやら、このオフィスのような立方体の部屋に居る黒い人間が言っているようで、三号室に入るドアの前に、真っ白な人間がネクタイやロープで縛られたまま正座させられていて、膝の上には書類の山がある。三号室に入る為には白い人間の縛りを解かないといけないが、いくら書類を切ったり、ネクタイを斬っても直ぐに黒い人間が「こらこら、駄目じゃないか」とすぐに修復される。

「ここは空想だから、いいんだよね」

そう思うと、周りに居るこちらには直接害をなさない黒い人間を、僕は全員切る事に決めた。一人切ると、黒い人間たちが悲鳴を上げたので狼狽えたが、先程切った電車の天井から透明人間が入って来ている。もう、後が無い。僕は聞こえないフリをして黒い人間を全員、透明人間と一緒に首を切った。そして、再度書類の山とネクタイとロープを切ると白い人間は立ち上がった。そうして、「ありがとう」と白い人間は言い、粒子のように小さくなり、気が付いたら居なくなっていた。「会社で嫌な事があったのだろう」と僕は思い、三号室へと進んだ。三号室に入った瞬間、車内の天井が壊れて、16人に分裂した車掌と神代先輩が落下してきた。

「轟くん、私一人で相手するから早く探して」

僕は頷き、直ぐに二号室へと向かった。二号室のドアへ入ると家の玄関に出てきた。ここも空間が歪んでいて、電車の車内では二階があったり通常の電車の広さでは不可能な部屋の構造をしていた。電気はつかないので慎重に入っていく。すると、リビングから弱い明かりがあったので見に行くと、そこには青白いライトを光らせるテレビと、テレビを見ている女性が居た。恐らく、スーツの男の妻だろう。話しかけてみることにした。

「すみません、ちょっといいですか」

女の人は応答しない。何度も話しかけてくるが一向に返事が返ってこない。仕方なく、今度は入ってすぐにあった階段を登ってみることにした。二階は鍵がかかっていて開かないが、一つだけ開いている部屋があったので、そこに入ってみることにした。

「誰か居ませんか」

「バパ?」

小柄な女の子が居る。明らかに幼くて小学生のようだ。

「パパじゃないよ」

「何だ」

駆け寄って来た女の子は自分が父親じゃないと知ると、自分の部屋の机に戻っていってしまった。自分はこの部屋から脱出出来る糸口だと思って、もう一度話しかけた。

「君はお父さんのことが好き?」

女の子は笑顔で話した

「うん、好き」

「そうか、よかった」

すると、女の子の方から話しかけてきた。

「ねえ、お兄さん。どうしてここに居るの」

「君のパパに悪さしている怪物をやっつける為だよ」

「そうなの? なら良いこと教えるね」

そういうと、小さな女の子に手を引かれた。風呂場だった。

「ここで何か良いことがあるの?」

「うん! 私ね、ここの鏡からお父さんと会ってるんだ」

その話を信じて、鏡に手を突っ込んでみると鏡が水面のように波紋を作り揺れる。そのまま手から腕まで入った。

「本当にここから入ってる?」

「うん」

「分かった」

僕は意を決して、鏡の中に入った。すると、運転席が見える場所へ着いた。一号室と書かれている。二号室と四号室とは打って変わって、いつも通りの電車の車内だった。そこにサラリーマンの男そっくりな人が独りで座っていた。

「あの、起きてください」

そう、肩を掴んで身体を揺す。しかし、起きる気配がない。小さな車両を散策しても車掌も神代先輩のとこにいるのか、ここには居ない。ただ、操縦席が開けっ放しになっていた。そこには、電車を停車する事が出来る非常停止ボタンがある。僕は電車を止めようと思い、押そうとした。その時、後ろにサラリーマンの男が突っ立っていた。背後をとられたと思い、刀を抜いたが、相手は襲ってこない。ただ、私と話がしてみたいようだった。

「それを押すのか」

「ええ、貴方が死ぬことを阻止する為です」

「それは本当に私の為か」

「?」

「人を生かすということ、人を殺してしまうことくらい大変でとんでもないことだと思うんだ、僕は。誰かを気分で不意に助けた時に、その人は生きる為の苦しみを背負うのだよ」

「それは、」

僕はボタンを押すのを一時的に止めてしまった。そうだ、そもそもこの人は死にたがっていたんだ。ならいっそ、勝手に介入せず楽にする事だって出来る。

「人を生きる時、知らず知らずに自分を殺して生きていく。いたずらに自分のエゴで誰かを助ける事は不用意では」

この人の言っている事は事実かもしれない、もしかしたら。でも、高校生の僕にはそれが真実か虚構なのかどうか区別がつかなかった。でも少なくとも言えることがあった。

「確かに不用意かも知れません。それこそ、神代先輩という方に突然頼まれただけです私は」

「そうだろう、早く現実に戻りなさい。二人の切符代は私が代わりに払うよ」

「それでもですよ」

「何だ?」

「貴方がもしも、次も死を選ぶならそれでいいかもしれません。そこまで覚悟があるなら止めませんよ」

「なら、押すのをやめてくれないか」

「でも、貴方は神代先輩に助けを求めていた。それを僕自身が見て聞いていた。それが答えです」

キキーッと電車の急ブレーキ音が鳴る。「急停車信号が出ました」と車内アナウンスも自動的に流れた。

そして、スーツの男の方を振り向いた。

「何か言いたいことはありますか」

「……」

「そうですか」

1号室のドアが開き、神代先輩がやって来た。

「車掌が居なくなったのって、やっぱり轟くんのお陰?」

「恐らくそうです」

「それにしても、この男性はスーツの人とそっくりだね」

「そっくり? 同一人物じゃないんですか?」

「いいえ」

神代先輩はスーツの男そっくりの人物を鎌で切った。すると、先程の車掌と全く同じ顔の人物に代わった。

「後天的に憂鬱を振りまいたって私は知ってるわ。消えなさい」

そう言うと、車掌は霧のようになり消えてしまった。すると、電車のドアが開いた。眩い光を放っている。

「行きましょう、轟くん。外へ」

ドアから出ると、いつの間にか元居た現実に戻っていた。ランタンに入っていた紫色の憂鬱も綺麗サッパリ消えてしまった。

「轟くん、聞きたいことはある?今回のお礼に一つだけ教えるわ」

「あの、えっと」

聞きたいことは山程あった。死神の鎌のようなものは何か。あの刀は何か、ランタンは何か、憂鬱を振りまくとは何なのか、その服装の意味や何もかも。全て聞いたら一時間以上かかるだろう。

「えっと、一つに絞れました」

「どうぞ、質問して」

「辻本が言っていたバレンタインチョコを二十個貰ったって話、本当なんですか?」

神代先輩は顔色一つ変えずに右手でピースしてこう言った。

「不正解、二十一個よ」


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