城への帰還
二人は馬を走らせ、ルーカスの王国へと向かった。
城門へ着くと、外の兵士たちはざわめいた。
「殿下!」
「ルーカス王子がお戻りになった!」
家臣が慌ててやってくる。
「殿下!よくぞご無事で…」
「……ああ」
「エドガー様はまだお戻りになられず…」
ルーカスは答えなかった。
クララを見ると、家臣は言った。
「殿下、このお方は…」
ルーカスは家臣には答えず、
侍女に向かって言った。
「クララだ。
彼女の世話を頼む」
「はい、殿下」
侍女は一瞬目を伏せ、すぐに腰を下げた。
クララは侍女に連れられ、浴室へと向かった。
扉が開いた瞬間、クララは足を止めた。
白い大理石の床が、冷たく光っている。
壁一面には繊細な装飾が施され、 花や蔦の模様が、まるで生きているように絡み合っていた。
中央には、湯気を立てる大きな浴槽。
水面は静かで、鏡のように天井を映している。
その天井には、淡い色彩で描かれた絵が広がっていた。
空のようにも、夢のようにも見える。
――こんな場所で、体を洗うの?
クララは思わず、自分の手を見た。
泥にまみれ、裂けた指。
この空間に、自分だけが場違いに思えた。
侍女が近づいて言った。
「失礼いたします」
ボロボロになった衣服を脱がされ、
傷ついた肌が露出した。
――恥ずかしい。
「…自分でやるわ」
侍女は引かない。
「任されておりますので」
侍女は彼女の身体を丁寧に洗う。
浴槽に浸かり、天井を見上げると
昨日までのことが嘘のようにも思えた。
クララはぼんやり思った。
――姉さんたちはどうしてるかしら。
身体が温まり、彼女が浴槽を出ると
侍女たちは忙しなく動いた。
クララはもはや、侍女たちが何をしているのかすらもわからなかった。
支度が済むと、侍女たちに鏡の前に連れて来られた。
足元で、布がわずかに重く揺れる。
視線を落とすと、深いローズのドレスが、自分の身体を包んでいた。
柔らかな光を含んだ布は、歩くたびに静かに色を変える。
赤とも、影ともつかない色が、幾重にも重なっている。
クララは思わず、自分の手を見た。
指先には丁寧に包帯が巻かれていた。
それでも、わずかな赤みが隠しきれていない。
鏡の中の女は、整えられていた。
頬は淡く色づき、唇にはわずかな艶があった。
けれど、その目だけが違っていた。
少し前まで、雪の中で必死に何かを掘り続けていた女の目。
――これが、私……?
クララは、鏡の中の自分から目を逸らした。
侍女は最後に、薄い手袋を彼女の手に通した。
裂けていた指先も、包帯も、そのローズ色の下に隠れてしまう。
鏡の前に立たされたクララは、息を呑んだ。
深いローズのドレスに、波打つ髪。
飾りのついた華奢な靴。
そして、傷ひとつ見えない白い手。
まるで最初から、こういう女性だったみたいに。
けれど、胸の奥だけが、まだ静まっていなかった。
その時、背後で衣擦れの音がした。
クララが振り向くと、そこに立っていたのは、王子の装束を纏った男だった。
深い色の上衣には、金糸の刺繍が細かく走っている。
肩から落ちる重い布は、歩くたびにわずかに光を返した。
胸元や袖口の飾りは華美なのに、彼が纏うと少しも軽く見えない。
背筋を伸ばして立つその姿は、もう野獣の面影を持たないはずなのに、
クララはすぐに分かった。
――ルーカスだ。
「……支度は済んだか」
「ええ」
ルーカスはクララの手を取り、
部屋へと向かった。
クララは見慣れない彼の姿を、ちらりと見る。
――素敵だわ。
やっぱり彼は王子なのね。
扉が開く。
広い部屋だった。
装飾は整っているが、どこか静まり返っている。
机の上には、触れられていない紙束。
窓辺には、閉じられたままのカーテン。
まるで、時間だけが置き去りにされたかのように思える部屋だった。
クララをソファーへと誘うと、
ルーカスは言った。
「クララ、疲れただろう」
「平気よ。
素敵なお城ね」
「君は戸惑っているだろう」
「後悔はしていないわ」
クララは立ち上がると、くるりと回ってみせた。
「ルーカス、見て。
こんなに素敵なドレスを着たのは初めてよ」
ルーカスはクララの手を取り、
そこに跪いた。
「クララ」
わずかに息を吐く。
「……もし君が許すのなら
君を、妻として迎えたい」
クララは少しだけ息を整えた。
「……ええ。
あなたといたいわ」
ルーカスは立ち上がり、彼女の腰を引き寄せた。
彼女の白い胸が、吐息に合わせて上下している。
ルーカスが彼女の頭を撫でると
二人の影が、重なった。




