待つ人
クララは、暗い森の中で馬を走らせていた。
馬の背には、布をかけた大きな荷物を載せて。
――あの屋敷なら、誰にも見つからないわ…
クララは、ルーカスと過ごした森の屋敷で馬を止め、
屋敷の庭を掘り始めた。
土は何故か柔らかく、すぐに深くまで掘れた。
クララは荷物を解き、ドサリとそれを穴へ入れた。
長女のその目は、もう何も映していなかった。
城の中で一人、ルーカスは
クララのことを思い出していた。
――ああ、クララは
姉想いの優しい妹だ。
同時にルーカスは、野獣になる前の夜を思い出した。
最後に見た兄は、
自分が憧れていたあの兄ではなかった。
あの日――
二人は父に呼ばれ、部屋へ行くと
『ルーカスを王位継承者とする』
と父から告げられた。
自分は、当然
兄が王位に就くものだと思っていた。
王位継承を望んだこともなかった。
俺は言った。
『父上、私には荷が重い。
兄さんの方が適任だ』
だが父は意思を変えなかった。
『ルーカス、お前は頭が切れるし
剣術もエドガーより上だ』
『父上…』
『これはもう決めたことだ。
逆らうな』
俺が兄を見ると、その表情は怒りに燃え、
やがて顔色は沈んでいった。
その夜、兄は俺を殺しに来た。
俺は兄に言った。
『待ってくれ。
俺は王位継承を望んでいない。
兄さんが王位を継ぐべきだ』
兄は笑いながら言った。
『余裕なもんだな。
お前は、父にも母にも愛されていた。
なぜお前ばかり、といつも思っていた。
俺はそんなに酷い兄だったか』
『違う。俺は兄さんに憧れていた!
だから兄さんと同じことを始めたいと
習わせてもらったんだ』
『……どれもお前の方が才能があるのは明らかだっただろう。
父さんはお前だけを贔屓した』
『そんなことない』
『お前が言うな!』
兄は俺を襲ってきた。
俺と兄は揉み合いになり、俺はそのまま
兄を殺してしまった――
そして、俺は
兄の死体を埋めるために森へ行った。
森の中であの庭を見つけ、
そこに兄を埋めた。
自分もクララ達のように
兄弟とうまくやれていたら…
屋敷の庭で、クララは
長女の遺体を完全に埋めた。
クララが立ち上がると、彼女は身体に異変を感じた。
体全体が熱を帯びている…
指先が膨れ上がり、爪が伸び、腕全体が毛に覆われていく。
「……え?」
彼女は自分の手を見て、息を飲んだ。
彼女が、屋敷の窓ガラスに映った自分を見ると
そこには――野獣が映っていた。
それを、木の陰から覗いている黒い影がいた。
エルザだった。
クララは、ヘレナを殺して
あんな姿になってしまった――
エルザはふっと笑う。
――あの子は扱いやすい子だったわ。
私が具合が悪いと、なんでも代わりにやってくれた。
そう…あの家に野獣が来たときも――
――ヘレナのことも、ちょっと言ったら
真に受けちゃったわ。
エルザは思った。
いつも、私が欲しいものは
手に入らなかった。
しっかり者のヘレナは持って生まれた強さがある。
クララは無邪気さで愛される。
自分だけが、欲しいものを正面から欲しがれず、弱いから待つしかなかった。
自分はずっと、譲ってきた。
ずっと我慢してきた。
――今さら少しくらい欲しがって、
何が悪いというの。
彼女は城へ向かおうとすると、
背後に何者かがいた。
エルザが飛び退くと、
その者が近づき、彼女を抱き止めた。
フリッツだった。
「大丈夫かい?
君が馬小屋へ歩いて行くのが見えたんだ。
顔色が悪いよ、戻ろう」
エルザは言った。
「……フリッツ、心配をかけてごめんなさい。
クララが森にいて…
あの子ちょっとおかしいの。
止めないと…まずいわ。
一人じゃ無理なの」
「…クララはどこなんだ」
「こっちよ」
エルザはフリッツを
崖の付近へと誘い出した。
「この先にいるはず…」
フリッツはエルザの前を歩いた。
「どこだ?」
エルザは答えなかった。
「…エルザ?」
エルザはフリッツを押した。
だが、エルザの弱い力は
男一人を押し倒すには足りなかった。
フリッツがエルザの腕を掴む。
その瞬間、足場が崩れた。
二人の影は
崖下の暗闇へと消えていった。
ルーカスは部屋で一人、クララを待っていた。
――クララ達のように
お互いを想う気持ちがあれば
我々も、こうはならなかった。
今頃、クララは部屋で
姉たちと懐かしく談笑しているのだろう。
ルーカスは彼女を迎える準備を続けていた。
深く暗い森の中で
エルザは目を覚ました。
彼女は完全に歩けなくなっていた。
恋人はもう動いていない。
エルザは暗い森の中で
必死に助けを呼んだ。
遠くにチラチラと動く小さな明かりが見える。
――人がいるわ。
エルザはさらに叫んだ。
その時、恋人の指がわずかに動いた。
彼もまだ、生きていた。
――そんな…
彼女は助けを呼ぶのをやめた。
彼女が助かるはずの最後の望みは
その時、自ら断ち切られた。
ルーカスは城で待ち続ける。
人ではなくなってしまったクララは
屋敷の中で呟いた。
「誰か、気づいて…
私を…愛して……」
夏の庭。
美しく咲き誇る薔薇の根元には
赤いスカーフが纏われていた。
End.




