第1巻第2部第3節その2 「宴会平面とその裏側但し6次元プラスワン その2」
*
「アトゥーラよ、受けてくれるな、」
真新しいメイド服に包まれた華奢な体は微かに震えている。
その壊れそうな肩先が内側へとねじれ、ひきつっているのがわかる。
「ド、あ、いえ、じゅむ、じゅ、巡礼様、」
さらに腰をひこうとする小娘は目に涙を一杯に溜めている。
だがそれが痛みの余りのソレなのか、哄笑の先触のソレなのか、
誰にも判定できないだろう。※1
「は、はなして、も、もう、逃げませんから、は、はなし」
「おい、じいさん、いい加減はなせよ、それからアトゥーラ、
おまえもいつまでも突っぱらかってんじゃねえ、自分から痛くしてどうすんだ、馬鹿め!」
そしてナンの容赦もなく拳骨を固め妹分の赤い頭を殴り付けた。
たまらずミトンの右手で頭をおさえへたりこもうとするがそれはできない、さらに下方へも引っ張られた肩が悲鳴をあげるが老人もまだはなさない。
すると横合いから助け船が来た。素早く回り込んだデ・グリームがアトゥーラの腰を抱え丁度よい高さにまで持ち上げたからである。
「あんたら、こんなちっちゃな、しかも弱ってる子になんてことするんだ、恥を知りなさい!」
「おいおい、デグさんが怒ってるぞ、ナマリの無い時のデグさんはちょっとおっかないぞ!」※2
ローハードが呟きゆっくりと立ち上がる。他の従士たちも腰を浮かしかけている。
デ・グリームは従士仲間の内では一番小柄だが膂力、体術共に誰にもひけをとるものではなく、その自信は仕草の端々に現れている。
「まったく、恥ずかしいとは思わんのか、恥じる心が無いってのは、
人間じゃあないってことだぞ、」
奇妙な絡み合いとなった二人はほとんど触れ合わんばかりに顔を見合わせた。
男は一瞬小娘をおろした。はずみで落ちたミトンを拾ってやり完全に無邪気に微笑みかけるがアトゥーラの口元はナゼか引き攣り歪んでいる。
しかし小娘は大事なお道具である鍋つかみを素早くそして器用に腰に吊るした。※2-a
「あ、ありがとう、デ・グリームさん、で、でも、も、もお、だ、だ、
だい、だいじょおぶ」
木霊めく老巡礼はようやく手をはなした。
デ・グリームはゆっくりと人形のように固まったままの小娘を
再び何か大事そうに床に下ろしてやる。※2-b
「で、これは一体?」
ギドンが厳かに話を元に戻す。
「そう、契約素体の一種じゃな、」
アゥーレーン・グロウフォードが淀みなく引き取った。
*
「こ、これは・・・ 純銀ではないな・・・」
ラン・カスイードが呟いた。
この時既に食堂に集まった全ての人間がこの小さな脇テーブルを取り囲み見下ろす形となっていた。
いや、最後に残った一人、宿の主人エイブ・サラザンが今暖炉の奥、厨房側から現れ人垣の外輪に加わったが、長身の料理人は難なく話題の中心、銀色に輝く物体を見下ろすことができる。
「いやいや、そうではない、御前さん方が思うようなネウチモノという訳ではないのでな、」
微かな皮肉を籠めて老人は続ける。
「ワシは無限遍歴を課された修行僧なんでな、長年あちこちをほっつき歩いておる、で、いろいろ出会いがあることじゃが、」
むさ苦しい男どもの真ん中に押し込められた形の少女二人をチラリと見る。
「なかに奇特な御仁がおってな、それも遍歴の錬金術師なんじゃろうが、ワシにこの霊妙な金属片を分けてくだすったのじゃ、もう少しあったんじゃがの、べつの用途に使い残ったのがこれ、そう、ちょうどこの子の手に見合う重量分だったのが幸いじゃった、」※3
「霊起素体か?!」
「まさにその通り」
涎を垂らさんばかりのグエンドーに向かい肯定する。
「ホンの一欠片でも莫大な財産だぞ!」
アーモア・ライトが唸る。
「そう、まさに! ただし霊起前の素体であればの話じゃ、
だがこれは既に起動契約済、血盟が完了しておる、」
「い、いつの間に?」
ダイオア・ノグドが真に惜しそうに呟いた。※4
「さっきじゃ、裏の厩舎脇で包帯を交換した時じゃな、ホンの一滴、血をもらっておいたわけじゃ。」
「ウェスタ、見たか?」
ギドンが問う。
「いや、あたしは知らん、厨房にいたからな、」
「そういうわけでの、」
天井に届きそうな、いや、ここは中二階めく周廊のある異様なほどの空間設計であり普通ならとっくにつっかえているはずの馬鹿げた長身でも楽々と背伸びさえできる余裕であったから、※5
この見るからに奇怪な木柱に似た男は悠然と頭を振り
そうして拮屈と絡まり合う両腕を胸前にもたげ
やや複雑な図形を描きながら交差させる。
「アトゥーラよ、受けてくれるな、」
「あ、あたしに、これをくれるの?」
「そうじゃ、」
「だ、だい、だいし」
言いかけたアトゥーラは酷く顔をしかめた(噛?)。
「で、でも、高いものなんでしょ、」
「そう、もっと小さなカケラでもお城が買えるほどのな、だが、いまやタダなんじゃ、」
「タダ・・・ 」
「そう、おまえさんにしか適合しない、そして血の転写能でもうおまえさんの左手の形になっとる、」
「い、いらない、」
「なぜじゃ」
「タ、タダほど高くつくもんはないって、誰かゆった」
「時と場合によるんじゃ、今は掛け値なし、完全にお得じゃ、」
「で、でも、でも、ナニかあるはず、」
赤髪隻眼の小娘は無意識のように左腕を持ち上げる。
露わとなった手首の切断面は鏡の如く平滑だが、白臘化しており痛々しい。
ゆっくりと持ち上げてゆきその先端が右肩先に触れる。
その蒼白の頬に微かな痙攣にも似た、微笑にも紛う筋が走る。
そしてあるかなきかに、口中で曖昧に呟く。
「そんなオトク、あてになるもんか」
「ナニを迷うことがある、さあ、つけてみよ、おまえさん自身の手で繋がぬ限りくっつかぬでな、」
「な、なにか目当てがあるはず、そんな宝物、あたしに・・・
馬鹿げてる、お、大殿様、こ、こんなこと、」
小娘の泳ぐような目線が狼伯爵の同意を求めるように彷徨うが
当の大男は厳つく腕組みをしたまま苦笑いを浮かべるのみ。
助けも叱責も、ナニも来ないとわかると小娘は開き直ったようだった。
相変わらず厭わしそうに銀色に輝く手を見つめながら
小さな頭をゆっくりと振る。
赤髪は巨大な暖炉の光と、燭台の明かりを受け鈍く、赤銅色に、時おり、神秘的な金色の輝きをも閃かせ、しなやかに、流れるように額と左目、頬の一部を隠しながらそよぎ落ち震えている。
薄い唇の端が、かなり凶悪な感じに、だが幽かに吊り上がる。
「メ、メアテがあるんだ、そのハズだ、
あたしの体かな、いや、意味ないな、
奴隷化かな、闇の契約で縛る? もっと意味ないな、
あああ、ここからさらに変形し怪物化するのを見て楽しむなんて趣味もあったな、
してから、狼の群れをけしかけて八つ裂きにして酒の肴にする、
いやいや、適合過程が気の狂うほど痛いのを、のたうちまわって苦しむのをアテにして一杯やるってか、
あたし、なんでコンナコト知ってんだろ、」
口中の呟きはほとんど誰にも聞こえてはいない。
しかし醜く盛り上がった額が、さらに醜悪な曲線を描いて渦巻き
撓み、皺を寄せ、地獄の凶報の如き佇まいを見せ始めるのを
誰も止めることはできない。
無意識にそれを知ったのだろうか、アトゥーラは顔を伏せる。
テーブルの上には、さっき自分が給仕したスープ皿、何度も磨かされた憶えのある銀のスプーン、
あらかた飲み干されたエイブ特製スープの表面、張り残った薄皮の上には、春先にしては珍しいセレン虫の死骸がひとつ漂っている。
一瞬、このスプーンがフォークだったら、こいつを突き刺して悲鳴を上げるのかどうか試してやるのに、と考えてしまう自分がイヤになり、
ゆっくりと頭を振りながらもう一度、改めて老巡礼を見上げる。
首も背中も、全てが痛い。肩先が震える。
ー どうせ地獄なんだ ー
「じゅ、巡礼様、」
「なにかな」
「やっぱりやめとく」
「なぜじゃ」
「ぶ、ぶん、分不相応だもん、そ、それに後でぶった斬られるのは確実だし、」
「おいおいおいおい、」
グエンドーが割って入る。
「いい加減にしろよ、てめえ、ナニサマのつもりだ、
要らんもんなら俺様がもらってやる、」
「これこれ、騎士どの、口出しは無用じゃ、
なあ、アトゥーラよ、それはもうあんたにしかようのないものなんじゃ、
あと半日足らず、その間に接合できなければコレはただの鉛の塊に変わってしまう、そしてくっつけばその瞬間にコレはあんたと同化して肉と等しくなる、金属としては消滅するんじゃ、どっちにしてもおまえさんには今までとなんの変わりもないお話じゃ、失くした手が生えてきたんだと思えばいい、ま、そこらのツチトカゲの尻尾と同じじゃな、」
「あ、あたしはこのままでいい、手なんか要らない、さっさと鉛でもなんでも変わればいい、」
「ううーーむ、困ったな、希代の宝物もカタナシじゃ、
これを拒否するニンゲンがいるとはおもわなんだぞ、」
いまだ濃厚な油煙の漂う天井近くで、老巡礼の比較的に小さな、いやほとんど小さすぎるとも言える灰色の頭が小鳥のように傾ぐ。
「ではこうしよう、ギドン殿、ここではある意味、あなたが絶対の権威でもある、そのあなたにお尋ねする、」
「もうされよ、」
「あなたの養女でもある、このアトゥーラ殿、この子の左手の不具合はもし修復可能であれば軍団としてはどうなのじゃろうな、」
「言うまでもないな、五体満足であるに越したことはない、
軍団としてはありがたいことだ、ましてここは年内には撤収し
エイブ以下全ては遊撃軍に編入される予定だ、戦闘可能な人員は
一人でも多い方がよい、」
「決まりですな、御本人の意志は・・・ ふむ、
この際度外視する他はない状況であると、言えば言える、
ですな、
ではでは、お任せいたしますぞ、」
老人はギドンを見下ろし余りにも怪しい目配せをする。
「イ、イヤ!」
ウェスタの脇の下をくぐり逃げようとしていたアトゥーラは
もう小テーブルの端にがっしり押さえ込まれていた。
左腕の全体をグリモーがおさえ、右手はグエンドーが拘束している。
ラン・カスイードが回り込んできた。そして老人の目線の指示のままに
銀の手を恐る恐るつまみ上げアトゥーラの右手に掴ませるように、
その指先から押し込むように握らせ
さらに落とさぬように自身の手で包み込む。
「そう、そのまま、その手首を、そう、左の手首の上に被せればよい、問題なくくっつくはずじゃ、そうそう、力は少しも必要ない、」
「イヤ、やめて、お願い!」
か細い右腕は精一杯抵抗しているようだが無論グエンドーとラン・カスイード二人がかりの膂力に敵うはずもない。
「や、やめて! ねえさま、助けて!」
「そうだ、この子自身の右手がコレに触れていることが肝心なんじゃ、
そのまま、ゆっくり、そう、そうじゃ、いい感じじゃ、」
「あきらめな、アトゥーラ、なにも悪い話じゃない、
それにあんたの手伝いはこれからもっともっと必要なんだ、
片手を理由にさぼろうたってそうはいかん、」
「じ、じがああし、これだけ、い、いやがる、な、泣いとるじゃないんが、なんがあるんじゃろが、き、きいでやっでも、」
横向きに、右の頬からテーブルに押し付けられたまま
乱れた赤髪が覆っているので表情がさっぱりわからない。
涙か涎か区別のできない液体が天板の上に薄く広がってゆく。
「デ・グリームさん、助けて! あああ!」
この時銀色に輝く左手がアトゥーラに接合した。
三人は無言のままグシャグシャになった少女から離れる。
まあ、朝飯前の仕事なのである。
*
拘束を解かれたアトゥーラは跳ね返るように起き直った。
(いやに元気である)
そして(その勢いとは裏腹に)呆然と自分の左手を見詰めている。
そう
白熱する光や虹色に旋回する光、爆発音やら破裂音、
骨を軋ませる痛み、眩暈や嘔吐、
その他一切の強烈な悪寒と刺激、
それら想像の限りの悪趣味の極み、もろもろの異常事態と
いえるほどのことは
全くもって一切
なにも起こってはいない。
あっけないほど何事もなく、
自然な、蒼白い、痩せた片手が
きっかり10年も前からそこに存在していたように
まさに我が物顔で、至極当たり前という顔つきで
ヒラヒラしているのである。
継ぎ目すら見あたらない。
指先はアラクネードのように自在に動く。
「なにを呆けた顔をしておる、グロウフォード殿にお礼をゆわんか、」
ギドンの軽い叱責の声には驚異と賛嘆の念、
過去の因縁への感慨、
そして一抹の疑惑が、目には見えぬ、
夜の風の中の湿気と虫の匂のように入り交じり
定かならぬ不安の波動となって響いているようだ。
「いやいやいや、違いますぞ、」
老巡礼の声は対照的に、突き抜けたように晴れやかで、満足感に満ち
それどころかやや諧謔を含んだ、余裕のある声調なのである。
「これはアトゥーラ殿への謝罪と感謝の印、
アトゥーラ殿よりお礼を言われる筋合いではない、
それよりも無理強いの形となってしまったことの方が
ワシとしては心苦しい、許してもらえるかの、
アトゥーラ殿、」
そして一同が呆気にとられたことに、あろうことか
老人は片目の小娘の前に跪いたのである。
*
ほとんど芝居がかったよろめきようで後ずさったアトゥーラは
背中がナニか途方もなく柔らかな、ヤサシイ丸みを帯びたモノに包み込まれるのを感じる。
姉娘はそうやって妹を抱き締めたまま肩越しに覗き込み、
そうして無造作にその左手を取り目の前まで持ち上げる。
「凄いなこれは、もう銀じゃない、まったくもって手じゃないか!」
「許してもらえるかの、アトゥーラ殿」
老巡礼はナゼかひどく楽しげに繰り返し、相変わらず肩越しに、新生の手を撫でくりまわしているウェスタからソレを奪い取る。
そして右手も一緒に自分の長大な両手の中に包み込んだ。
赤髪隻眼の小娘は真っ赤になっている(しかしこの「赤」の意味も問題だ)。
目の前に小山のように蟠る老人の姿を
跪かれてさえ見上げねばならぬ
もう随分と長く見続けてきたような気がする
その髭の中に隠された表情を見極めようと
たった一つしかない目を凝らすのだったが
無論果てしなく虚しい徒労に終わるの他はない
底無しの無限の青、二つの瞳の中には
アトゥーラの望むものは見えない。
けれどもこの時のアトゥーラは何故かとことん諦めが悪くむしろ
なにかひどく底意地の悪い目付きで
さらには嘲笑の色さえも微かに浮かんではいたらしい、が、
突然それは消えた。
片目の小娘は、いかにもおずおずと周囲を見回した。
背中に当たる姉娘の乳房の丸みを感じながら
真新しい衣装の、きっぱりと糊のきいた、爽やかな香りを嗅ぎながら
ひどく腑抜けたような、いやほとんど間の抜けた愚かしいとさえ言える表情で
周りを取り囲む屈強な男どもを見回した。
「あ、あの、その、こ、この、この手をあ、あり、ありが」
そして口ごもる。
ほとんどの男たちは、今、目の前を掠めて消え去った
究極の財宝への執着を、その未練がましい残滓を
半ば酔いの回ったいささか据わった目付きの中に漂わせたり
でなければ安っぽい茶番を嘲るだけの、やや酷薄冷徹な気分で
他人事のように眺めているだけなのであろうか。
しかし例外も二人ほどはいるようだ。
そう、しかしである。
*
ー ドナドナ様、ー
ー なんじゃ、ー
ー あたし、笑い転げて死ぬかも、ー
ー あんた、お芝居うますぎ! ー
ー だってこんな、こんな、ああ、もう、もう、死ぬかも、
おかしくって、おかしくって、ああもう・・・ ー
ー まあ、気持ちはわかるがの、ー
ー イヤ!ヤメテ!オネガイ!ってな!吹くぜっ!ー
ー ブォァナ! ヴァスポラ! どこにいんの!ー
ー フフン、当ててみろ! 褒めてやるぜ、ー
ー ちゃんと埋めたげたのに! デタラメすぎんでしょ! ー
ー まあ、あそこがここらのヘソだってことは認めるがな、ー
ー ああ、なぁーーんかなあ、またあの薄暗くて明るい、緑の森へ帰りたいわ、シュリアナと遊びたい・・・ ー
*
「許してもらえるかの、アトゥーラ殿、」
ほとんどシドロモドロにも聞こえる片目の小娘の片言を聞き流し
三度目の同じ言葉はやや脅迫めいて聞こえる。
小娘はさらに理解が届かず(というふうに)、さらに呆けた顔付きとなる(薄い唇が半開きとなっておる)。
「礼ではなく、そうじゃ、一言、許すと言っていただきたい、」
老巡礼は包み込んだ両手をさっと放し、素早くその長大な両腕を小娘の下半身両脇へとすべらせる、
と、そのままスルリと立ち上がる。
そうしてアトゥーラのか細い腰を、両手の指先が余るほどの余裕でもって包み込み、自身の頭よりも高く差し上げた。
真新しい、最新式のメイドコスチュームが翻る、
全くもって全ての省略なく、完全に正式の複雑極まるペチコートまでもが完備された、簡素だが優雅なスカートの内側までが露となる。
ただし不調和であるのは、当然あるべき両足を護るドロワーズの類いは無しで素足のままであり直にベルトで巻き締められたスパレンシアサンダルが妙にナマメカシイ風情であることは否めない。
小娘は二三度両足をばたつかせたがすぐにあきらめた。
広大な食堂の半分以上が完璧に見渡せる高さである。
それでも天井まではまだまだ余裕がある。
「ドッ、あっ、グ、グロウフォード様、おろ、おろして、くだ」
再びほっそりと蒼白い素足が中空に踊る。
オトコどもの視線はスカートの奥の、明滅する暗がりに集中すべくヒドク乱される。
ちょうど真下近く主テーブルの燭台が輝いており光は隠されるべきところにも如実に届いてはいるはず(但し角度的には誰にも直視は無理である)。
「こ、これ、なんか、ぎ、逆向けで、前あった、ひ、ひどい、か、かも」
老巡礼を除けば一番近い高さのギドンの頭がアトゥーラの足が起こす風を感じているようだ。
男は薄い苦笑いを浮かべながら小娘の爪先を避けるフリをする。
「アトゥーラよ、いい加減ご老人を満足させてやらんか、いつまでも強情を張るんでない、」
「そ、そん、そんなこと言ったって、な、なにを、い、いえ、いえば、」
「私を・・・ そう、 私の為したこと全てを許す、と」
下では男どもがソロリ、ソロリと何故か怪しく動き回り、銀器や燭台、器を満たす液体の表面などがさらに妖しき反射光を閃かす。
幾重もの影が交錯し天井までをも斑に彩る。
そうした如法の影共がアトゥーラの額を暗くすると
そう、中空に浮かぶ少女は
縷々意味不明の託宣を述べる鏡の巫女のように※6
微かに震えながら、俯き加減に身を固くし、何事かを囁くようだ。
「聞こえんぞ、アトゥーラよ、はっきりと述べよ、」
老巡礼の語調が変化していることに誰も気づいてはいない。
全ての男の意識がアトゥーラの体のある一点に集中していることは
これはこの場ではただ一人の女、ウェスタ・サラザンにのみ
薄々感ぜられたことである。そのウェスタでさえ、アトゥーラの両足とその付け根近く、しかし意識的には全く透視もできず、想像することさえできないある一点が不可視、不可触の絶対的な禁忌の対象であることには気付くことさえできていない。
だが、このウェスタ一人が、ただ一人だけが、
アトゥーラのほぼ真下に位置し白く輝く薄闇の中で
妖しくうごめいている二本の足を、
さきに自分の足と引き比べ完全な負けを認めた完璧なまでに美しい足を、
ほとんど見蕩れんばかりに注視することができる。そしてその奥に閃く負の曲面、すべての○○○どもの目指す未踏の鞍部=暗部をも。
*
「ドナドナさま」
隻眼赤髪の小娘はワザトラシイ、ハズカシゲな手付きで口許を覆う。そうしてそのままゆっくりと両手を合わせ唇の前で合掌する形。
(もちろん、微かな、かすれた声であり、天井に近い高所であり、誰にも、ギドンや、ウェスタにさえも聞こえてはいない)
ドナドナの両手も、ほぼ合掌の形でアトゥーラの腰を優しげに包み込んでいる。木の根瘤にも似た両の親指がそっと小娘の下腹部を押さえている。
「ほほう、よきかな、このマロミ、よきかな・・・」
ー あ、あの、ドナドナさま? ー
ー なんじゃ? ー
ー コレはいったい? ー
ー ま、要するにお披露目じゃな、ー
ー それはさっき聞いた ー
ー まあ、単純に言うとだな、いきなり手が生えとるのはマズイじゃろ、これで遠慮なくその手を使えるわけじゃ、おまえさんもその方が気が楽じゃろうが、ー
ー そ、そりゃそうだけど、でもくっついたのはもうだいぶ前だったのに、ー
ー そこはまあ、アレじゃ、幻術の一種じゃな、そう見えとるだけなんじゃ、ー
ー でも、さわれたし、ラン・カスイードだってつかんでたし、なんかイヤそうだったけど、ー
ー 五感とソレ以上の帯域をもたばかるのが真の幻術というもんじゃ、見た目をごまかすだけの手品とは根本から違うわい、ー※6-a
「グ、グロウフォード様」
「なんぞや」
「あ、あたしは、」
「どうぞ、思うことを述べられよ、」
「あたしは、あなたの仰るようにあの狼の子をシルバ・シルバの下に埋めました、」
「その通り」
「そうして大殿様にはあの子が復活して走って逃げてしまったと報告しました、」
「うむ、確かにそう聞いた」
ギドンがウェスタのすぐ脇で力強く頷いた。巨大な男は鼻先はるか上にそよぐスカートの裾と、最新式に見事な造形のサンダルに包まれた、
素足の尖端、薄い薔薇色に仄かに輝く10本の足指の形に見惚れていたのだが、※7
なだらかに紡がれ始めた己が養女の言葉を聞き、やや意外の感に打たれたのだろうか、その薄青い瞳を軽く細めたのである。
「そうして、それから、ええと、そう、なぜ嘘をつく、毛皮をどこに隠したって、白状しろって拷問されました、」
片目の小娘はちらりと見下ろした。遥か下ではグリモーとグエンドーが二人揃い、
同じくぽっかりと口を開け阿呆のように見上げている。
*
たおやかに合掌された指先が、人中の窪みと鼻先とを軽く押さえるように往復している。言葉が途切れるたびに薄い唇にも触れている。
「そしてクビリ殺される寸前のあたしをとめてくださったのがあなた様、
あなた様が、
狼子供の埋めた場所を明かされた」
「そうじゃった」
「そうしてデ・グリームさんがあの子の頭を掘り出してきて・・・
そうです、あたしの嘘がばれました」
「だからじゃ、おまえさん、なぜそこで強情を張ったんじゃ、
そこであっさり認めておれば、ギドン殿も過酷な宣告を下さずとも済んだはずじゃろが、」
「なぜだかわかりません」※8
赤髪隻眼の小娘はゆっくりと首を振った。そしてやや顎をもたげながらしかし目線だけを下げ足下に広がる風景を傲然と確認する。
屋上で見張りに立つ二人を除く14人、辺境伯の軍団の中核をなす最精鋭の面々が等しく自分を見上げ、なにか曰く言いがたい期待に満ちた目差しで見守っている風なことを、ほぼ無感動に、平然と見下ろすのである。
「なぜだろう、あたしにもわかりません・・・」
アトゥーラは繰り返した。だが、突然両手で顔を覆った。
そうして激しく泣き始める。
【原注】
※1 人間、笑いすぎても涙目になることは確かにある
※2 デ・グリームのナマリのない話しようには、しかし、二つ、いや、三つ以上の複雑なバージョンがあることは、これは長く付き合ってみないと到底わからないことなのである
※2-a~2-b この時のアトゥーラの仕草は矛盾しており、またミモノでもあるというべき、つまり、分裂した、2系統の体の併存という感じである
デ・グリームに対してはややコケティッシュに、気後れしながらも素早く、また愛らしい動作で答えた、やや腰をひねりながら右手だけでミトンを吊るす動作はかなり手慣れたものであり優雅にして敏捷という印象を与えるものである
老巡礼=ドナドナに対しては全面的受容と全面的拒否の綯い交ぜが体の硬直をもたらしており、さらに高次元の意味では、アトゥーラの全身全霊がこの不可思議な老人の絶対的支配下にあることの証左であるとも見なし得るのである
いずれにしても、アトゥーラの体の動きようには、なにか腑に落ちない、奇妙な局面が存在することは確かである
※3 これはほとんど信じがたい驚くべき証言だが、さらに驚くべきはこれを誰も聞き咎めなかったことである
※4 ダイオア・ノグド 遊撃第一旅団長 ここで言う旅団は戦闘単位ではなく、ほぼ交易隊商群の地域統括単位に等しい、要するに武装商人団の親玉クラスである ギドン麾下の正確な総数は不明
※5 第1巻第1部第33節の続きその2 冒頭部を参照
※6 鏡の巫女 ラシュダ湖水中神殿の最高神官のひとつ
※6-a これは、ヨナルクがガルデンジーブス突破※の時に使った技法に近いのではないかなどという憶測が流れているが、なかなかに難しい問題である、クリストファー・Kが使用した例の「暗示帯域(強迫思考帯域)」に類するものか、などという珍説もある
※ここの情景は大変おもしろいのですが未訳です、すみません
※7 もちろん、正規の服装規定では反則である、しかし、カイアスや、テュスラさえも素足に履くことを好んでいたことも確かである
余談だが、最新流行には時差があること、周年回帰パターンのあることも常識ではあるが、5年10年の差動はやや不審である、しかしここが究極の辺境であること、いやそれよりも生成者(後出)の超時空的性格を考慮すべきかもしれぬ(SB氏談)
なお、スパレンシアサンダルの長期にわたる華麗かつ複雑極まるヴァージョンについては数冊の本も出ているらしい
※8 第1巻第2部第2節その16 の中間部、判決の手前あたりを参照
【後書き】
な、なんと今月2回目の更新です!
こんなことが!
いえ、これがデフォになることは、スコブル怪しいのですが・・・
というわけで、皆様こんにちわ、妹の根子です。
いつもの朝の出勤前の時間なのですが、そうです、
今日はお休みなのです。祭日です、昔の天皇誕生日です(歳がばれます、この言い方)!
で、ゆっくりパコパコしておりますが、お休みはお休みでこれまた日常の雑事がギッシリつまっております。もうすぐお昼ごはんの用意の買い物に出掛けなければなりません。はああ、「日常」というものも
シンドイものではあるのです。
お昼からは、また、別件で外出予定。だからゆっくり一日中パコパコは
そう、夢のまた夢なのであります。
あ、いけません、グチはおいといて、
そう、物語はいよいよ転回点の核心に迫っております。
どうか、お気を長く、なだらかに、
生暖かくお付き合いいただけましたら幸いです。
姉様のキゲンはまだちょっとあやしい・・・
こんどSB氏を呼び出して三者会談をやりたいと思っています。
(できれば、この場をお借りして、と思っています)
ではでは。
20260429




