第1巻第2部第3節 「宴会平面とその裏側但し6次元プラスワン その1」
【前回末尾より再録】
そして手慣れてはいるがやはりいささか頼り無げな、時に危なっかしい動きようで料理や飲物をこぼしかけているアトゥーラの様子に、どうにも不審感が拭えない、そんな冴えない顔つきの男が一人、皆から離れ、食堂の片隅で、全体を見渡せる位置で落ち着いている、つまりはバイメダリオン副隊長グリモー・アナスだった。
その従士、デ・グリームは従士仲間と飲んでいたのだが主の浮かぬ顔に気づくとジョッキを片手に近付いてゆく。左手には今しがたアトゥーラから受け取った旨そうな匂いのスープ皿をやや危うげに捧げ持っている。
【続き】
「おい、おまえ、気づいてるか?」
なんの遠慮もなく主の真ん前に座り、どうやら猫舌らしい真剣な顔付きでスープをフウフウやりだした己が従士から邪魔臭そうに腰をずらし陰になって見えにくくなったアトゥーラの姿を追う。
小娘は今は壺焼を四つ並べた巨大な盆を右手と緑の包帯を巻いた左手で危なっかしく支え持ちギドンたちお偉方の座る主テーブルへと運ぶ最中である。しかしその表情は意外に明るくほとんど溌剌としているといってもいい。少しの失敗にも酷い折檻を受けてきた暗い記憶は影を潜め、なにか異様に前向きな、とりあえず目の前の全てを愉しんでみようとでもいうような、かすかな余裕さえ窺える、そんなスッキリとした表情にも見えるのだ。
盆をテーブルの端に載せ、熱い壺を移してゆく。右手には分厚いミトン、左手は包帯のまま、危なっかしくしかし慎重に持ち上げようとするのだが最後の一個で指のない包帯だけの左手が災いしオーブンから取り出されたばかりの焦げた壺はツルリと床下へ逃げ出そうとする。
慌てたアトゥーラはミトンの手を伸ばすが間に合わない。
が、惨劇は起こらず壺は無事ギドンの前に引き据えられた。
待ち構えるように手袋をはめていた男の巨大な右手が素早く捕まえたからである。
「ご、ごめんなさい、」
「かまわん、それよりその包帯はどうした、妙な色合いだが皮なのか?」
「あ、あのコレは、その、」
すこし赤くなったアトゥーラは隣の小テーブルに独りで座っているおそろしげな座高の老人を振り返る。
「ド、い、いんに、グロ、グロウフォ、フォル、フォルル、ルド様の」
「ああ、それな」
老巡礼は口元まではるばると持ち上げたスープ皿から銀の幅広スプーンを使い濃い肉汁を旨そうに啜っていたのだが
両手の位置はそのままにじぃっとアトゥーラを見下ろした。
その凝視は不自然なほど長かったのだが誰も見てはおらぬし不審を感ずる気配もない。
「それはさっきワシが換えてやったんじゃあんまり汚なかったんでな、
お給仕に入るというしな、」
「皮の包帯なぞ初めて見たぞ、何か特別なのかな、」
「ナニ、そう珍しいものではない、ミドリヘビの皮を三昼夜干しテグの油をひいたもんじゃがな、
消毒と再生増進の薬効がある、」
「聞いたこともないぞ、」
医術には詳しいラン・カスイードが首をひねる。
「ま、百聞は一見に如かずじゃ、御覧じろ」
老人はスウプ皿を置き手招きする。左手は長い青灰色の顎髭をしごくままにである。
やや赤みの差していた頬が急に蒼白くなった。小娘は巨大な盆をまるで盾のように胸前にかかえ躊躇している。するとそこに通りかかったウェスタがさっと上から引き抜きさらってゆく。
「これ、要るんだから返しな、」
その勢いにぐらついた体は丁度押し出された形となった。
アトゥーラは老巡礼の前へとよろめき寄ってしまう。
待ち構えていたように男の長大な右腕がカマキリのように だがゆっくりと伸び
アトゥーラの左手を絡め取り引き寄せる。
その動きは緩慢だがひじょうな力を籠めているらしい、
何故ならば
片目の小娘はなぜかヒドク抵抗し足を突っ張ってほとんど半ば腰をおとさんばかりに耐えつつこの場を離れようとするからだ、
そのスガタは何かリードに引かれて散歩途中に突如駄々をこね
お尻を地面にこすりつけイヤイヤをする仔犬のようにも・・・
恐ろしくカワユラシイ・・・
と同時にナンの意味も無く滑稽でもある、
カワユラシイ?
そう、ここで特記しておかねばならぬ、(二重の意味で)
まず服装が以前とは段違いである。
ほとんどボロに等しいウェスタのお下がりばかりで
(しかも気性の荒い、洒落っ気も皆無なアネムスメの着古しはまったく持ってヒドイ状態のものがほとんどだったのだ)
それすら日々の過酷な重労働により擦り切れ尽くし壊滅寸前、糞掃衣さえ晴れ着に見えそうな
そんな恰好ばかりだったのが
ナント今や、新品の、しかも誂えたようにピッタリなメイドコス、
スラリとした背中の曲線やほっそりと形のよい足首さえも露わな
しかも最新流行と言ってもいいスパレンシアサンダルが踝を包んでいるのである。
こんな衣装一式が一体ドコから現れたのか永遠にナゾではあるがソレはヨシとしよう(イイノカ?)。
だがさらに解せぬことは、そんな事態をなんの疑問も抱かずアホウのように凝視る無意識に異様な、だがほとんど無遠慮きわまる視線が
ほぼこの場に居合わせる全員のものだったことである。が、コレは筆が先走り過ぎたようである。
*
熱そうにスウプを啜っていたデ・グリームは振り返る。
「なにが気になるだね、」
「動けるはずがない、」
「ええ? ああ、そう、そだな、ぞかもしれん、」
「まだこの昼前だぞ、徹底的に絞め上げたんだ、三日三晩、いやソレ以上に腫れ上がってるはずだ、」
「よく動いてる、丈夫だな、にしてもあのサンダル、かわええな」
「足はいいいんだ、足はな、今回は責めなかったからな、しかし上半身は・・・ アレは一体どうなってる、それになんだ、あの肉付き、なんか微妙に大きくなってるんじゃないか、」
「腫れてるからじゃろがいな」
「ばかな!」
吐き捨てる主を余所に
ジョッキを空けたデ・グリームはその手を振り上げる。
「おおい、ウェスタどん、も一杯!」
おかわりはすぐ現れた。ウェスタは腰に手をついて偉そうに立ち
二人を見下ろしざま顎をしゃくる。
「で、アレなにやってんの?」
包帯はもうすぐ解き終わる。
アトゥーラの顔はまた少し赤くなっている。
老巡礼の小テーブルの上に鮮やかな緑の小山となってゆく包帯は
今度は賢しげな小蛇に変わることもなく特に臭いもしない。
*
「このクソ忙しいのにナニ油売ってんのよ、張っ倒してやる」
「まあ、待ちない、ウェスタどん、」
従士デ・グリームの両手が拝むようにテイネイに
ウェスタの右手の拳をサッとつかまえる。
娘は振り向きざま平手打ちを喰わそうとするが従士は涼しい顔で躱し
同時に片手がスカートの尻を撫ぜ
空いた手がカラのジョッキを突き付ける。
「ほれほれ、も一杯!」
「ちょっと!もすこし味わって飲んだらどうなの、早すぎ!
てか、なんで邪魔すんのよ!」
「ぞげなごどでばざ、あんさんの仕事が増えるだげだぞい、」
「すこおし撫でてやるだけよ、アンタのスケベな手よりもヤサシイわよ!」
真新しいフリルと切り返しの意匠も鮮やかなスカートを翻し
藪睨みの酷い娘は妹分の固まっている小テーブルへと向かう。
手が、
銀色に輝く左手が、
緑の包帯の小山の上に静かに乗っている・・・
*
「な、なあ、おれたち、夢でも見てるのかな、」
主テーブルで粗相をやりかけ領主ギドンにさりげなく助けられているアトゥーラを見遣りながら従士ローハードがひとりごちる。
「何の話だ?」
既に眠そうなアサトスは気の無さそうに応えるが目は同じく小さなアトゥーラの姿に釘付けとなっているらしい。
そうして腰を引き、イヤイヤをしている風にも見えるそのスガタ
化け物のような女郎蜘蛛に捉えられた
可憐なベニシジミチョウのようにも見える
そのスガタが
ほとんど相似形に鮮やかな真新しいメイドコスチュームのウェスタに重なると
そこにはまったく見知らぬ、別次元の世界が開けてくるといってよい
「な、なあ、あいつ、あんなにかわいかったかあ、」
「そんなことより、ウェスタだ、あんな衣裳初めて見たぞ、
五月祭でもお目にかかったことねえ、おっそろしくキレイじゃねえか」
「それよりヤツの顔つきを見てみろ、死んだ魚みたく無表情だったのにナンダいやにイキイキしてるじゃねえか、顔色もいい、どうなってんだ」
「ひょっとすると目覚めたのかもしれんぞ、」
「どういうことだ?」
興味も無さそうなフリで料理をつついていたロキスハムが急に目をあげる。
「どうもこうもねえ、ついさっきグリモーどのがさんざ絞めあげてたんだ、そんでもって斬首刑寸前までいった、なにか目が覚めたんだろうな、」
「それは目覚めるってよりもブチ切れちまっただけかもな、」
「いやアレは前々からアレだろ、折檻でぶちのめされても、余興で蹴飛ばされても平然としてた奴じゃねえか、」
「それはそうと、ガイモドはどこだ?」
「テメエこそ寝ぼけてるだろ、」
向こうの隅で主と話し込んでいるように見えるデ・グリームに
チラリと目を留めてからオオゲサに天井を指差すアサトス。
「やっこさんはハクラム殿と一緒にこの上さね、」
「おっ、そっか、そだったな、張り番か、交代はいつだっけ?」
「そうだな、あと一時もすりゃ次はドムソ殿とノグド殿が上がる、」※1
「じゃ、まだまだゆっくりできるな、」
「さっき籤引きにしてやれって言ってくださった大殿様に感謝感謝!」
「まったくだ、乾杯しようぜ、おおい、デグさんよお、こっちきな、
さびしいじゃねえか!」
「お、おではもういぐじ、」
デ・グリームは立ち上がりスカートのように広がる上衣のポケットに両手を突っ込んだ。そしてなにやらごそごそしているさまを胡散臭げに見上げる主に対し殆ど慰める風に呟いた。
「あんたは手加減してたのかもしれん、無意識にな、」
語調の変化に気づいたグリモー・アナスは不貞腐れたような、
いや、ナゼかやや拗ねたような表情を見せる。
「慰めてるつもりか?」
「いいや、ただ、」
「ただなんだ?」
「俺たちはアレに対する考えを改めた方がいいかもしれんってことだ、」
二人は無意識の裡に完全に同時にアレを見た。
丁度包帯の最後の一巻きがほどかれ落ちるところ。
「フン、俺に言えるのは、アレは殺しておく方がいいってことだけだ、」
従士は幽かに哀れむように己が主人を見下ろした。
「どっちにしろ、同じことだな、」
行こうとする従士を主が引き留める。
「なんだ、」
「今夜はどうだ、」
「そんな気分じゃないな、」
「そうなのか」
「そうだ」
男は、己が従士、髭の1本も見えぬ、ツルツルの瓜実顔をナニか悩ましげに見上げると残念そうに呟く。
「もう行け」
そうして風を巻くように去る若い従士を見送りつつ舌打ちする。
テーブルには食い残しの皿と飲み残しのジョッキが残ったままなのである。
*
「丁度よい、お披露目しておこう、」
怪しげな座高の老巡礼は、今や小テーブルの脇に寄生し突如生え出た
枝の無い樹霊の実体化のように、一本の木柱然として佇立している。その痩せ枯れた右腕はアトゥーラの左手を拘束したままだ。
そうしてその左手が腰袋の底から何やら古びた鹿革の包みを取り出し器用にほどくと中身を緑の包帯の山の上に置く。
「ギドン殿、」
老人の声は天井からのように、ひどく広がって聞こえる。
狼伯爵も立ち上がっていた。それでも老人を見上げねばならない。
その幕僚たち、アーモア・ライト、グレンゴイール、ラン・カスイードの面々も半ば腰を浮かし落ち着かない。視線は声のする天井近くとテーブルの上とを、あたかも闇夜に烏を見極めようとするかのように覚えず藪睨みに、やや険しい、だがアホウのような目付きでの往復となっている。
「さっきも申し上げたように」
その長い左手が再び青灰色の髭をしごく。
「私はこの子が受けた刑罰、いや、それ以前のあのひどい拷問に対して一半の責任がある、そう、この子に対してはちゃんと謝らねばならんのです、」
今この時のアトゥーラの顔はある意味見物ではあったが、それを意識しいささかの不審を感じた人間は一人しかいない。
「ほほう、それで、あなたのそれが、それだと、いうわけかな、」
ギドンが促す。
「そう、見ての通り、この子のこの手は非常に憐れな状態ですからな、
さっきのその壺の扱いでも左手があれば大分楽だったはず、
で、私の心からの謝罪の意味で、これをこの子に贈りたい、」
一同の視線がテーブルの上の一点に集中する。
なんともいえぬほど生々しい緑の蛇皮の小山の上に
光り輝く小さな左手がのっている。
【原注】
※1 ここでこの夜、この銀猫亭に集った面々を総括しておこう
総勢16名の生贄・・・ (ではなかった・・・) 驚愕の面々
すなわち
ギドン・オルケン
アーモア・ライト その従士アサトス・バオグレーム
グレンゴイール その従士ローハード・トゥーリッタ
ラン・カスイード その従士ロキスハム・プレスナン
グリモー・アナス その従士デ・グリーム
グエンドー・バガガンス
ヴィオリング・ドムソ
ダイオア・ノグド
テーア・ハクラム その従士ガイモド・アラケスタ
エイブ・サラザン
ウェスタ・サラザン
【後書き】
今月もいろいろありました。
もう葉桜です。
階下に見える藤棚は新芽を吹き始めました。
菜種梅雨っぽく雨の多い日々が続きます。
でも、一雨毎に新緑の鮮やかさが増してゆきます。
いい季節なのです。
すごくショックなことがひとつ。
ブックマーク様がお一人、ついに去られてしまいました。
自業自得です。
姉様は口をきいてくれません。
でも、物語は続いてゆくのです。
20260412




