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奇姫  作者: 桜ノ宮
13/33

十三

 ユーシック・ドランゴ・ドゥオランが専属騎士になったという噂は瞬く間に広がった。

 提督の息子という輝かしい家柄のせいか頭の堅い官吏にも知れ渡っていた。華やかな夜会が開かれれば、その話しで持ちきりとなり、類い希な幸運を手に入れたハルバート家を讃えるのだ。

 醜聞好きの宮廷人も、今回ばかりは悪口を封印し、ハルバート家の素晴らしさを嬉々として語る。王家にも縁の深いドゥオラン家の後ろ盾を得たハルバート家を敵に回すのは得策ではないと気づいたのだろう。


 若きトルトック子爵を叩いていた社交界の面々は、掌を返して歓待した。


 また、話題の騎士の主人となった娘は、今や注目の的であった。社交界入りを果たしたばかりの彼女を自分の家へ招待しようと、貴族たちが競っているという。

 まるでお祭り騒ぎだった。

 今や兄妹とともに人の波が動いていた。


「――そんな辛気くさい顔するな。無理やりにでも笑うがいい」


 豪奢な椅子に悠々と腰掛けるアルヴァンス一世からそう言われたリランは、不思議そうに振り仰いだ。


「ちゃんと笑っていますわ」

「……気づいておらぬのか」


 アルヴァンス一世は、呆れたようにため息を吐いた。


「観劇はつまらぬか?」

「いいえ、とても面白いですわ」


 そう答えるリランの声は、どこか感情がなく、ぼんやりとしていた。

 数年ぶりに城から出ることができたというのに、素直に喜ぶ気分ではなかった。


 珍しくアルヴァンス一世が、国立歌劇場へと誘ってくれたのだ。

 本当は、ティナのために券を用意していたのだが、ティナの体調が思わしくないために、リランへとお鉢が回ってきた。

 これも公務の一環らしく、取りやめることができなかったようだ。


 彼もティナのことが心配なのか、気もそぞろだ。

 特等席で、素晴らしい歌劇を観覧しているというのに、リランの目は時折、上の階へと走る。王族や特権階級の人間のみに許された二階席とは違い、貴族御用達の三階席の個室の一つには、話題をさらっている人物たちがいた。

 トルトック子爵とその妹とユーシックだ。


 王族席は格子で覆われ、あちらが視線に気づくことはないだろう。

 久しぶりに王子様の姿を目にしたというのに、ユーシックのほうが気に掛かった。

 専属騎士らしく主人の後ろに控える姿が目について離れなかった。


 ずきん……


 小さく痛む胸。


(わたしは……)


 ユーシックを突き放したのは自分。

 そう命じたのは自分なのだ。


 愛する王子様のために……。


 願いを叶えられて嬉しいはずなのに、どうして心が晴れないのだろう。

 切々とした美しい歌声も、もはやリランの耳には届かなかった。ちょうど山場を迎えて盛り上がる舞台よりも、ユーシックをちらちらと盗み見ては、ぎゅっと心臓が掴まれる心地がした。


「――陛下、気分が優れないので下がってもよろしいですか?」


 トルトック子爵の妹が、ユーシックへと顔を寄せ、何事か囁く。そんな仲睦まじい姿から目を逸らしたリランは、兄に告げた。


「それを望むのならそうすればよい」


 素っ気ない言葉も、一人になりたいリランにはありがたかった。

 だが、先に宮殿へと戻ることまでは許可してくれなかった。

 仕方なく護衛兵を二人ばかり従え、席を立った。


 控え室へと案内される途中、支柱に寄りかかるように集まる三人の青年がいた。その中の一人に見覚えがあった。

 トルトック子爵の友人だ。

 トルトック子爵よりも劣るが、爽やかな顔立ちをしていた。正装に身を包んだ彼は、同じような恰好をした青年たちと楽しげに談笑していた。全員、貴族の子息なのだろうが、ゲラゲラと品のない笑い声を上げる彼らに、思わず眉が寄った。


 せっかくの観劇も観ないなんて……。


 もっとも、中座したリランが言えた義理ではないが。


「……だから言っただろ。賭はオレの勝ちだな」

「くそっ、あの奇姫がまさか、あいつに落ちるなんてなぁ」

「女たらしの異名は伊達じゃないよなぁ」


 『奇姫』という単語に、控え室へ向かおうとしていたリランの足が止まった。

 思わず耳をそばだてるリランにまったく気づかない三人は、更に声を張り上げた。


「しっかし、アイツもうまいことやったな」

「頭のいかれた奇姫も、しょせん女ってことだろ」

「……ったく、いいよな。顔がよけりゃ、王女だってたらしこめるんだから」

「おいおい、オレだったら恐ろしく手が出せないね。陛下にばれてみろよ。いくら嫌われ者の奇姫だとはいえ、一応、王族だぜ? 一族郎党飢え死にするのはご免だぜ」

「ま、確かにな。だけど、奇姫のほうがベタ惚れなんだろ? アノ専属騎士は、元々奇姫のものだったそうじゃないか。妹君のためとはいえ、奇姫から横取りするとはねぇ。恐れ入るぜ」

「姫君まで落としたとなりゃ、箔がつくな。アイツの毒牙にかからない女がいたらお目にかかりたいもんだ」

「悪評だらけだった子爵殿も、これで挽回しただろ。今やハルバート家の存在を知らない者はいないからな。おれたちも鼻が高い」

「まったくだ。あの有名な子爵と友人だって言えば、面白いほど女が釣れるぜ」

「子爵サマサマだな」

「くく、おれたちもおこぼれに預かるか」

「だな……っと」

「失礼」


 話が弾む三人の目の前を紳士が横切っていく。

 それが合図だったように話を打ち切った三人は、奥へと進んでいった。観劇を観に戻ったのだろう。


「姫……?」


 気遣わしげな護衛兵の声もリランの耳には入らなかった。

 リランの心は止まってしまったようだった。

 今聞いた言葉が信じられなかった。


 嘘だ。


 聞き間違えたに決まっている。

 護衛兵に抱えられるように控え室へと連れてこられたリランは、呆然と椅子に座ったまま微動にもしなかった。


 しばらくすると、ようやく観劇を見終えたアルヴァンス一世がやって来た。

 それまで浮かべていた笑みを消したアルヴァンス一世は、やや疲れた声でリランに帰る旨を伝えた。

 しかし、いくら待ってもリランから返事はなかった。


「――なにが遭った?」


 様子がおかしいことに気づいたアルヴァンス一世が鋭く問いかけると、リランの護衛をしていた兵士の一人が耳打ちした。


「それが、先ほど……」


 聞き終えたアルヴァンス一世は、目を細めた。


「そうか」


 一言そう呟いたアルヴァンス一世は、口元に薄い笑みを引いた。

 そして、ぼんやりとしたままのリランを感情の読めない双眸で見つめたのだった。

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