十四
(確かめないと……)
トルトック子爵が宮殿にいることを聞きつけたリランは、「トルトック子爵に近づくなとあれほど申し上げましたのに……」と渋る侍女を伴って宮廷人が集まる庭園へと足を運んだ。
花々が咲き乱れる庭園には、優雅に散策する貴族たちの姿があった。
その中心にひときわ大きな人の輪ができている。
着飾った令嬢方の軽やかな声が、風に乗ってリランの耳にも届いた。
「トルトック子爵様、ぜひわたくしの屋敷もいらして下さいな。父も母も喜びますわ」
「以前、欲しがっていらした絵画を偶然手に入れたんですの。それはもう素晴らしくて……よろしければ、うちに観にいらっしゃいません?」
この機会にお近づきになろうと誘う声があちこちからかかる。
(まあ……! なんという光景かしら)
まるで蜜に群がる蜂のようだ。
下心が透けて見え、醜悪と評する以外のなにものでもなかった。
気後れしてしまったリランは、いけないと首を振ると、意を決し、大きく息を吸い込んだ。
「――ロディアス様」
澄んだ声音が、喧噪を切り裂く。
一瞬、静まり返った中で、リランがもう一度名を呼んだ。
呼ばれていることに気づいたトルトック子爵が、輪の中から出てきた。
「俺を呼んだのは、どこのご令嬢です?」
愉しげな声が、蠱惑的に響き渡る。
くるりと周囲を見渡した彼は、ようやくリランに目を留めた。驚いたように目を見張った彼は、次の瞬間、ふわりと甘く微笑んだ。
「ああ、これは、リラン姫」
恭しく膝を折り挨拶をするトルトック子爵とは対照的に、扇で口元を覆った令嬢方はいちように眉を潜めた。
王女の登場を歓迎する者はいなく、子爵以外にだれも腰を落として挨拶しなかった。まるでリランのことなどその辺に生えている雑草としか思っていないようだ。
奇姫よ、と棘を含んだ声が上がる。
――あの噂は本当だったのね。
――品性の欠片もないですわ。まるで下賤な娼婦のように取り入って。
――権力にものをいわせてトルトック子爵様を縛り付けるなんて最低ですわ。
しかし、リランは彼女たちの嫉妬などもろともしなかった。
というより、眼中にないといったほうが正しいかもしれない。
(よかった……)
安堵が胸に広がった。
冷たい目で見られたらどうしようかと思ったのだ。ユーシックを手に入れるためにリランを利用したのならば、もう用済みのはず。
リランを好いていないのならば関わりを断つだろう。
けれどトルトック子爵は、いつも通りだった。
リランは肩の力を抜いた。知らずに気を張っていたらしい。
(おかわいそうなロディアス様……。本人の知らないところで悪く言われているなんて)
こうやって悪評が広まっていくのだろう。
なぜ惑わされてしまったのだろうかと悔やんだ。
彼は、自分の王子様だというのに。
「あ、あの……」
真っ直ぐな視線を受け止めたリランは、言葉が見つからず口ごもった。
衝動的に会いに来てしまったが、なにを話したらいいか考えていなかったのだ。
「そういえば、もうすぐ城で舞踏会が開かれますね。知り合いが、俺と妹も招待してくれたのですが、リラン姫も?」
「ぁ……」
リランは困ったように瞳を揺らした。
リランはまだ社交界にお披露目をしていない。
今回の舞踏会も欠席する予定だったが、王子様が参加すると聞いて心が揺らぐ。
「お相手はもうお決まりなんでしょうね。悔しいな。俺が、あなたの横に立ちたかったのに」
王女殿下の相手役に選ばれるのは、五大公の子息と決まっている。
官位もなく、子爵の爵位しか持たないトルトック子爵では、その役は不十分だ。
けれどリランは、顔を見たこともない相手より、恋い慕うトルトック子爵が相手役として相応しいと思った。
「ロ、ロディアス様こそ、お相手がいらっしゃるのでは?」
「お恥ずかしながら、不慣れな妹の付き添いと思っていたのです。ですが、今は、不肖の妹にもったいないくらいの専属騎士がいますからね。俺はお役ご免というわけです。今から相手を探すにも、俺の相手などしてくれるだろうかと……」
そう謙遜するトルトック子爵に、リランの顔も綻んだ。
彼が相手を見つけようと思えば、何十人もの女性が集まるだろう。
それだけの魅力が彼にはあるのだから。
「で、では……っ」
リランが意を決して誘おうとしたそのとき、どんっと突き飛ばされた。
「ひ、姫様!」
侍女が血相を変えて駆け寄り、リランを助け起こした。
「わたくしを選んで下さいませ!」
「いいえっ、わたしこそ相応しいですわ!」
会話を聞いていた令嬢たちがリランを突き飛ばしたのだ。
あっという間にトルトック子爵は囲まれてしまった。
「なんということでしょう! 畏れ多くも、こちらにいらっしゃるのは、王女殿下だというのに! それを小石のようにあしらうとは、普通ならば、万死に値する行為ですわ」
怒り心頭の侍女は、令嬢たちの顔を覚えるように睨みつけていた。
「しょうがないのよ。人を惑わす美しさというのは、時に民衆を狂気へと走らせるものよ。みんなが崇めるわたしのかわいさも、美神のようなロディアス様の前では、深窓の令嬢も嫉妬深い悪魔へと変わるのよ」
なにかを達観した様子のリランに、侍女は脱力してしまった。
「貴女という方は……。お心が広いのか、頭が足らないのか……」
「そんなに怒ってばかりでは、お肌に悪いわよ?」
にっこり微笑むリランに、侍女ははぁっとため息を吐いた。
「まったく……ええ、ええ。わたくしはどこまでもお供しますとも。奇姫と呼ばれようと、陛下に睨まれようと、定年まで勤めてみせますとも」
「急にぶつぶつ言ってどうしたの?」
「いいえ、それより、姫様。まさか、舞踏会に出たいと言い出すおつもりでは?」
「だ、だめ……?」
「一国の姫が、社交界へお披露目されるのですから、事前に周知しませんと。いいですか、準備というものがあるんですよ」
くどくどとお説教されたリランは、悩ましげにため息を吐いた。
「王女というのは窮屈ね」
リランは、令嬢たちを眩しく思った。
いっそう、自分がただのリランであったなら、なんのしがらみもなくトルトック子爵に近づけたというのに。




