十一
「ああ! リラン姫」
その涼やかな声に、リランの胸が高鳴った。
王子様の声を聞き間違えるはずがない。
「ロ、ロディアス様……」
喜び勇んで振り向いたリランは、そこで、ぁっと気づいたように、高く結い上げた髪に触れた。風にあおられ、乱れていないだろうか。
彼に会えるのならば、もっと着飾っていればよかった。
けれど、そんなささいな不安も、彼の優しい目を見れば吹き飛んでしまった。
「わ、わたくしになにかご用ですか?」
「あなたにお会いするのに、理由がいりますか?」
にっこりと微笑むトルトック子爵に、リランはくらくらと眩暈がして倒れそうになった。
今日も輝くような笑顔で眩しかった。
「庭園の散策のお供をしてもよろしいですか?」
リランは、ちらっと年若い侍女を見た。
トルトック子爵の美貌にあてられて、ぽぅっとなっていたダーニャは、ハッとしたように頷いた。
侍女のお許しが出て、リランの表情が明るくなる。
もう一人の侍女だったら、部屋に連れ戻されていただろう。今日のお供が、彼女でよかった。
「も、もちろんですわ」
差し出された腕にそっと手を絡めたリランは、ぎくしゃくと歩き出した。
アルヴァンス一世の命令などすっかり頭から抜け落ちていた。
心臓の鼓動が彼に聞こえてしまいそうなほど、大きく鳴っていた。
嬉しさと緊張で、彼の顔がよく見られないのが悔しい。
彼の目には、自分はどう映っているのだろう?
少しでも魅力的に見えている?
もちろん、大陸一の美貌を誇るリランに魅了されないことはないと思うが、不安なのだ。
「……ですよね?」
ぼんやりと思考の渦に沈んでいたリランは、ハッとしたように瞬いた。
「え? 今、なんと?」
「ですから、昨日優勝されたドゥオラン提督のご子息は、あなたと縁が深いそうですね」
「ええ、まあ……」
リランは、困惑したように瞳を揺らした。
あれからユーシックはまだ、リランの元を訪れてきていない。
彼の並外れた能力に目を付けた貴族が殺到していて、なかなかリランに会いに来る時間が作れていないのだ。
「ああ、やはり! あれほどの美貌を忘れるはずもない。俺の前からあなたを鮮やかに連れ去っていった犯人ですからね」
トルトック子爵の顔が、難問を解き明かしたかのように輝く。
「けれど、噂では、彼に主人はまだいないそうですね」
「……はい」
リランは複雑な顔で相づちを打った。
ユーシックが優勝した以上、リランも約束を守らないといけないだろう。
憂鬱な顔をしているリランをじっと見つめていたトルトック子爵は、覚悟を決めたように言葉をしぼり出した。
「……誠に不躾なお願い事を申し上げてもかまいませんか? 一介の下級貴族ごときが、陛下の妹君であられるあなたに厚かましくも願いを口にするなど、無礼千万と呆れることでしょう。けれど、俺にはあなたしか頼れる人がいないのです」
「! ……っ、わ、わたくしでよければ」
リランは声を上ずらせた。
自分が叶えられることならば、なんだって叶えてあげたかった。
「ああ、ありがとうございます! やはり、あなたはお優しい。……実は、ドゥオラン提督のご子息をぜひ妹の専属騎士にと思いまして。彼の圧倒的な強さは、王立騎士団にも匹敵する、比類なき才能です。妹の専属騎士となれば、俺も安心することができます。お恥ずかしい話し、俺の身分では、彼に会うこともままならないのです。だからリラン姫、あなたからどうか伝えていただけませんか? 彼は、あなたの言葉なら聞くと思うのです。妹は器量も良く、もう少し身分がよければ、公爵家に嫁ぐことも可能だったでしょう。そんな妹の専属騎士に、彼は相応しいと思うのです」
「それは……」
言いよどむリランに、トルトック子爵は苦笑した。
「わかっています。道理に反していることは。他者が口を挟める問題ではないと。……妹をダシに使ってしまいましたが、本音は、あなたと彼を引き離したかっただけです」
「!」
「妹のことなどどうでもいいのです。あなたと彼の間には、きっと俺には入り込めないなにかがあると思っていました。けれど、まだ彼があなたの専属騎士でないのならば、俺にもつけいる隙はありませんか?」
熱のこもった台詞に、リランは信じられないとばかりに目を大きく見開いた。
「俺は、あなたを彼に奪われたくないのです」
「……!」
「あなたの心も体も、すべて俺だけのものにしたい」
ぎゅっとリランの両手を握りしめたトルトック子爵は、情熱的な目でリランを見つめるとそっと小さな手に唇を落とした。
「彼があなたの傍に在ることが耐えられない。どうか、リラン姫。俺のことを少しでも想って下さるなら、彼を専属騎士に命じないで下さい。嫉妬で身が引き裂かれてしまいます。生きながら地獄を味わうなんて、耐えられません」
「王子、様……」
「王子?」
ついいつものようにあだ名を口にしてしまったリランは、失敗を恥じるように耳を赤くした。気を取り直すようにコホンと空咳をすると、どこか夢見心地に呟いた。
「う、嬉しいです。あなたにそう言っていただけて」
「それでは!」
「わ、わたしのすべてはあなたのものです。助けていただいたあのときから、わたくしは……わたくしはずっと、あなたに恋い焦がれておりました」
「リラン姫……ああ、俺たちは同じ気持ちを抱いていたんですね。俺の身分では、あなたに愛を語る資格などないのかもしれない。けれど、今だけは……この瞬間だけは、俺もあなたもただの人。ああ、可愛い人。あなたに溢れるこの想いをお伝えしてもよろしいですか?」
首まで薄紅色に染めたリランは、幸せそうに、恥ずかしそうに灰青色の瞳を潤ませながら、小さく頷いたのだった。




