十
リランたちが高くに設けられた物見台へとたどり着いたときには、すでに準決勝の試合は終わっていた。
勝者へ惜しみない拍手が贈られる。
激戦を勝ち抜いた専属騎士の戦いも残すところあと一戦。
雌雄を決する戦いの幕がもうすぐ開くのだ。
熱気を帯びる会場。
特に、令嬢たちの瞳には熱がこもっていた。優秀な専属騎士候補を見逃すまいと、視線を逸らさなかった。
「――座ったらどうだ」
「は、はい」
物見台の中央で、優雅に腰掛けるアルヴァンス一世から声をかけられたリランは、彼から離れるように端へと座った。
また怒りを買ったらたまらない。
それを見たアルヴァンス一世の眉がぴくりと動く。
「そなたはまだ、王族としての立ち位置を理解していないようだな」
「まあまあ、兄上。どんな思惑があろうと、リランが表舞台に姿を現すだけましでしょ。……こんな変な恰好だとしてもね」
セルナントが呆れたようにリランを一瞥した。
どうやら彼らは、リランの服装が気に入らないらしい。
いつものことであるが、リランにはそれが不服だった。
一度くらい褒めてくれてもいいのにと思うのだ。
「リランの侍女は、ほんとに主人に似て思慮が足りないね。主人が間違いを犯したならそれを正すくらいの気構えがないと。お前の顔は、道化師より酷い。醜悪だね。まったく、よく人前に出ようと思うよ。注意しない侍女にも問題があるのなら、クビにしてしまおうか。ねぇ、兄上」
「そうだな。職務怠慢な者に、払う給金はない」
冷酷な言葉が次々と投げつけられる。
侍女の顔は、死刑判決を受けたかのように真っ青である。全身が小刻みに震え、今にも倒れそうな様子を見て、リランは下がるように命じた。
そして、たった一人で果敢に兄たちに刃向かう。
「あれはわたしの侍女です。兄様方の好きにはさせません!」
「余をだれだと?」
「お、横暴です! 職権乱用ですわ。いくらわたしが……」
その先を言うのを恐れるように、リランは俯いた。
嫌われているのなんてわかっていた。
でも、こんなのって酷い。
あの侍女は、リランが産まれたときからそばにいた者だ。家族のだれよりもずっとそばにいてくれた。
そんな者を兄たちの身勝手な理由で解雇しようとしているのだろうか。
父と同じだ。
兄たちもリランから大切な人を奪う気なのだろう。
「では、そなたの嫌いな権力とやらを使ってやろう。トルトック子爵には近づくな」
「な……っ」
「これは、命令だ」
「非道ですわ、兄様方。わたしがティナよりも……いいえ、兄様方よりも若くて美しくて、その上、人気があるからって、そんな意地悪をしてわたしを困らせたいのですね」
「……また、わけがわからぬことを」
アルヴァンス一世は、頭痛を堪えるように額に手を当てた。
セルナントも苦虫を噛み潰したような顔で、嘆息した。
緊張を孕んでいた空気がいっきに緩む。
しかし、そんなことに気づかないリランが、まあ、酷い態度と二人を睨んだとき、場内のざわめきが一段と大きくなった。
休憩が終わり、決勝を争う二人が姿を見せたのだ。
リランは、胸に手を当てながら不安そうに視線をやった。
ユーシックの凛々しい姿は、すぐにわかった。
きゃあぁぁぁっ、と令嬢方から歓声があがる。
ユーシック様ぁぁぁっと熱狂的な声が、あちこちから聞こえてきた。ユーシックの勇姿に、さっそく心を射抜かれたようだ。
この様子では、ユーシックが負けても、専属騎士にとの誘いは引く手あまただろう。
ユーシックの全身にすばやく視線を走らせたリランは、ホッとしたように肩の力を抜いた。どうやら怪我はしていないようだ。
(それにしても、すごい存在感……)
いくら使用するのが真剣ではなく木刀とはいえ、甲冑ではなく身軽な黒衣をまとったユーシックは、この場に不釣り合いな異質さがあった。
今にも飛びかかっていきそうな闘気をむき出しにする対戦者とは違い、大木のように静かに佇むユーシック。
明らかに対戦者のほうに覇気があるというのに、目が離せないのは彼のほうなのだ。隙がないというのだろうか。場を支配しているのは、彼のように感じられた。
「――はじめ!」
群青色の制服に身を包んだ判定員が、王家の紋章の入った青色の旗をあげた。
しかし、両者共に一歩も動かなかった。
先ほどまでの熱気が嘘のように、しんっと静まり返った場内。
お互い、相手の出方を探っているのか、視線を逸らさず、微動だにしなかった。
息が詰まるような静止が続いた後、先に動いたのは、対戦相手のほうだった。
地を蹴り、いっきにユーシックの懐へともぐりこむ。そのまま刀の先で腹を突こうとしたが、ユーシックは見切ったように軽々とかわす。
勢い余った対戦相手が地面に倒れ込んだ。はぁはぁっという荒い呼吸が、リランの耳にも届いた。
平気そうに振る舞っていたが、そうとう疲れが溜まっているのだろう。
決勝までに、十試合以上はこなしたはずである。
ここにきて、連戦の疲れを見せる対戦相手に対し、ユーシックは涼しげな顔で、彼が立ち上がるのを眺めていた。その顔に、疲労などない。
余裕を感じさせるユーシックの態度が癇に障ったのか、「くそっ、この野郎っ」と気力で立ち上がった対戦相手が、なりふり構わず突っ込んでいった。
だが、実力の差など歴然としていた。
怒りに我を忘れた対戦相手が、冷静なユーシックに勝てるはずもなかった。
そしてそれは、一瞬だった。
何が起こったのかわからず、だれもが唖然としていた。
瞬きの間に対戦相手が地に伏していたのだから。
ユーシックは、目にも留まらぬ早さで木刀を対戦相手の腹に打ち付けたのだが、肉眼で確認できた者は数人だったろう。
セルナントもその一人だったようで、へぇっと目を細め、「ほんと…底の知れないヤツ」と、気に食わなさそうに舌打ちした。
「勝者、ユーシック・ドランゴ・ドゥオラン――!」
高らかに告げられる名前。
どっと沸く場内は、割れんばかりの拍手に包まれていた。
ユーシックへ惜しみない賛辞が送られる中、彼は舞い上がるでもなく、ゆっくりと顔を動かした。
その視線の先には、リランがいた。
リランが観ていることに、気づいていたのだろう。
「!」
どきりとした。
また、あの目だ。
なにもかも呑み込まれてしまう美しい双眸。
距離があるというのに、彼がどんな顔をしているかなんてすぐにわかった。これで専属騎士として仕えることができると、歓びにあふれているのだろう。
「静まれ!」
立ち上がったアルヴァンス一世がそう叫ぶと、地面を揺らすように鳴り響いていた歓声と拍手が、ぴたりと止まった。
アルヴァンス一世にならい、観覧席で高みの見物をしていた貴族たちは、いっせいに立ち上がった。そして、深く頭を垂れた。
「ほら、リランも立つ」
セルナントに肘で突かれたリランは、慌てて立ち上がった。次兄を手本にしようとちらちら見ていると、アルヴァンス一世が呆れたようにため息を吐いた。
「顎は引かないの。お前は、王族なんだから頭を下げなくていいんだよ」
セルナントが指導する横で、アルヴァンス一世は顔を引き締めた。
「――勝利の杯をここへ」
そう告げると、侍従が恭しい仕草で金盤に載った金杯を差し出した。
アルヴァンス一世は、金杯に入った葡萄酒を掲げた。
「ドゥオラン家の若き騎士よ、前へ」
「はっ」
進み出たユーシックが、その場で片膝をついた。
「練習試合とはいえ、素晴らしい戦いであった。次はぜひ、本試合を見たいものだ。そなたには、少し物足りなかったようだからな」
「いえ、そのようなことは……」
「謙遜はいらぬ。たとえ、先ほど雌雄を決した専属騎士が束になって挑んでも、そなたには傷一つつけることができぬであろう。この練習試合は、いわば技量の見定め。ここに居並んだ観覧者は、そなたの主人候補となる。これから先、そなたを専属騎士にと望む者は多くあろう。だが、優勝したそなたには、主人を選ぶ権利が与えられる。生涯を捧げる主人を見つけ、その者に、そして我が国に忠義を尽くせ」




