表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
極めて楽観的に、彼女は死を考える。  作者: 暇 隣人
彼と彼女とこの世界のこと
32/33

ここに彼女とぼくがいる






「子供の頃、ずっとずっと小さな頃から、彼女はわたしの憧れでした。絵が綺麗で、勉強もできて、かわいくて、スポーツも上手、とても気さくで優しくて、誰とでも友達になれる……月並みな言い方だけど、太陽みたいな人。わたしはいつも彼女の背中を見ていたんだけど、声をかけることはできなかった。わたしはすごく臆病だったから、彼女と同じ場所には立てないなぁって、ずっと感じてた。陰気な子供だったなぁと今では思ったりするけど。でも、彼女のことを見るのは好きだった。だからいつも、陰から彼女を見つめてた。見てるだけで嬉しくなったし、胸が温まった。友達にはなれそうにないけど、せめてこれだけなら良いかな……って良いわけがないんだけどね。彼女も全然気が付いてなかったみたいだし、まあ見るだけなら、って勝手に自己完結しちゃいました。

 中学生になると、彼女は一気に生徒会長コース。まさしく人気者のポジションっていうか、委員長っぽい雰囲気の彼女らしい進路だなーって思った。対してわたしは適当な委員会と適当なクラス役員で、適当な仕事を適当にこなしてた。基本的にわたしの頭の中はほとんど彼女で占められてたから、勉強も友達付き合いもまったくもって上手くいってなかった。

 思春期といえば、子供から大人に変わる年頃、っていうイメージがあると思うけど、わたしはまだまだ子供だった。だからいろいろと知らなかった。普通の中学生が感じてるようなこととか、そういうの。当時のわたしはもっとふわふわしてて、柔らかい世界の中で過ごしてた。不満なんてなかったし、それが一番よかったんだろうなと今でもたまに思う。思い出そうとするとすぐに耳の奥のあたりがきーんって鳴って止まらなくなるんだけど。っていうのは、それが何でかっていうのは、まあいろいろあって、そう、いろいろなんだけど、その時の担任の先生、名前は忘れたなぁ、担任の先生がね、あ、二年のね。そう二年の、先生がね。親切な人でした。わたしの成績があんまりよくないし、クラスにも溶け込めてないみたいだから心配だって。優しいよね。笑顔が素敵な先生だったよ。そう、それで、毎日のように先生と話すようになった、別に特別話したかったわけ、じゃ、ないんだけど、先生が話そうって言ってくるから、ほら、わたし陰気だったから。それで毎日、うん、話した。生徒指導室がね、一階にあって、そこだけドアが真っ白。他のところはだいたい茶色とかね、まあ木造だからね、でもそこだけ真っ白。たしか、昔、文化祭か何かのときに、ペンキをこぼした、らしくて、それでずいぶん前に塗り直ししたんだよって、聞いた、と思う。ごめん、大丈夫、頭撫でてくれなくてもいいよ、ありがと。それで、まあ、毎日のように先生と話した。話したっていっても、これといって覚えてないな。テレビは何を見たの? とか、最近本は読んだ? とか、そういうのね。彼女のことは一度も話しませんでした。話したくなかったわけじゃなくて、話したら変に思われるかもってわけでもなくて、ほら、子供だったから、ね。まともに話せなかったんです、いや、こう言うとちょっと語弊があるけど、でも彼女についてはいつもいつも朝起きてから寝るまでずっとずっと考え続けてたから逆にどうまとめていいものかわからなかったんで。それである日ね、先生が入れてくれたお茶を飲みながら、先生が用意してくれたお菓子食べながら、先生に聞かれたの、一番好きなものは何? っていう風に、まあ、そりゃあ、好きなもの、そう、彼女が一番好きだなぁ、でも口には出さない、なんでだろうね? いや、子供だからあんまり意味なんてないんだと思うたぶん、それで、ふっとね、意識が抜けてきました。力も抜けました。わたしの一番好きなもの、まあ、彼女だろうなあ、先生、わたしの上に、ソファに座ってたんだけど、いつの間にかわたしがソファで寝てて、そうかぁ、でも彼女のどの辺が好きなんだろう、考えてみたことないなぁ、それで先生、わたしの服を丁寧に脱がせていきます。ボタンひとつ、ふたつ、みっつ。それでまあ、わたしの好きな彼女、彼女、うぅん、彼女って何なんだろうなぁ、いやそれはもちろん人だよ、わたしと同い年の女の子、耳元で、先生はね、君が一番好きなんだよ、彼女はきっと知らないだろうなぁ、まさか自分がずっとずっと見られてるなんてなぁ。たまーに申し訳ないって、思ったりします。でもしょうがないんだよね。気が付いたら、視界の中に彼女が、先生が、顔近いな、彼女がいるから、だからつい見ちゃって、それだけなんです。昔からの癖なんです。治らないよね。大人になったら治るのかな。大人になろうよ、先生がわたしを見てそう言うから、先生、大人になったら、わたし、どうなるんですかって聞いた。そしたらね、それはもうすぐにでもわかるさ、さあ、始めようか、それから先は、とりあえず彼女のことを考えてて、それで頭がいっぱい、だったので、よく覚えていないんだけど、そう、覚えてない、いや、覚えてる、覚えてるけどあたっ、ま、が痛くなるので、あまり思い出さないように、つまづかないように、引き出し、の中に入れてる。それで、彼女のことを考えました。彼女はね、とても綺麗な人なんだ。本当に。ぼくなんかじゃ到底追いつけないところにいる人なんだ。だからずっと追いかけてきた。でもそのうち、ふとわかった。何がわかったかっていうと、ああ、そう、ちょっと待ってね、今思い出した、一回戻ります。彼女のことを考えてました。ずっとね。わたし、頭の中にそれしかなかった。ずっと上の空って感じだった。先生、わたしのこと見ながら、すごく幸せそうな顔をするから、いい笑顔をする先生だなぁ、って、思って、でもすぐに消えて、彼女のことを、考えよう、と思ったら、痛い、すごく痛いから、そしたら少し見えました。たぶん血、だと思うんだけど、血、を見るのってたぶんそれが初めてで、他の人のやつなら何回か見たことあるんだけど、そう、わたしの、血、が見えました。それで、ああ、血? 血、ってなんだ、と思ってすぐ、ごぼっ、と音がして、何の音だろう、と思ったらわたしの口から何かが出てきてる音だった。なんだろうね、気が付いたら吹き出してきた、っていう感覚。それで、え、え、ってなってて、先生も驚いてて、それから先は、あんまりよく覚えてないんだけど、これは引き出しに入れてるとかじゃなくて、本当に覚えてないんだと思う。ほら、人って嫌な記憶はすぐに忘れるっていうじゃない? たぶんそれだ。別にぼく、心理学とか詳しくないけどさ。それで、次に目を覚ました時には、ベッドの上にいました。どうやら保健室らしい。初めて入ったなぁ、と思って起き上がったら、また口から何か出てる。わたしに気づいた保健室の先生が慌ててタオルを持ってやってきて、口元を拭いてくれた。優しいなぁと思った。たぶん、ほら、わたしって陰気だから、保健室の先生が言ってくれたの。辛かったでしょう、もう大丈夫よ、って。その時やっと、ああ、吐いてるんだなぁってわかった。そう、嘔吐。すごいよ、出るとか思うよりも前に吹き出してくるんだから。感触が全然ないの。咳とかくしゃみが出るみたいに、ぽろっ、って出てくる。まあ例のごとく、わたし子供だから、自分がどんなことになってるのかなんてよくわからない。家に帰ってもずっとそんな調子だから、病院に連れていかれた。精神系ね。心療。医者の先生に会って、質問された。今、何色が見える? 色、色? そう、部屋の中はね、真っ白だった。医者の先生の服も真っ白。机はちょっと茶色だったけど。あとボールペンが青かったかな。で、わたし、白って言おうと思って、言おうと思ったんだけど、何か言おうとするときにさ、頭の中にぱっと言葉が浮かんでくるよね。それで、白、って思ったらなぜか、赤、って出てきて、そう、血、だ、血を見ました、って言ってからすぐ、体の中に残ってるもの全部出てくるくらいの勢いで吐いた。内臓ごと飛び出すくらいに。それで、ああ、そうか、と思って、それが初めて、わたしの頭の中から彼女が綺麗さっぱり消えちゃった瞬間で、そう、わたしは初めて、わたしと向き合った。かっこいい言い方してみたけど、全然かっこよくない。わたしが向き合ったのは、わたしがわたしとして、生きてて、体があって、たぶん心もあって、それがぐねぐね動いてて、ああ、ここにいるのか、そんなこと、初めて、気がついたなぁって、思って、それってものすごく、気持ち悪、い、って言ってもわかってくれないでしょうか。たぶんわからないと思うな。血、が流れてる、って言われても、心臓、が動いてる、って言われても、さぁ、そんなの知らないよ、わたし、そんなよくわからないもののおかげで生きていられるんだ、いや違うんだ、そういうことを考えてたんじゃないんだよ。もっと、もっとこう、根源的なさ、気色悪さ、気持ち悪さ、生理的、そうそれが一番近いと思う。それで、まあ、そういうことがあってから、やっとわたしは大人に、いや、大人じゃないなぁきっと、でも子供じゃない別の、たぶん変な化け物みたいなものになって、生きたくない、生きたくないって、それで、胸を刺しました、青色のボールペンで。

 それから後のこともあんまり覚えてなくて、気が付けばわたしは部屋にこもって、手首を切るか、窓の外を見るか、していました。外を見てるとね、一日に二回、すぐそこの道を彼女が通るんです。それをはっきりと、それまでは何となくしか見てなくて、それが彼女だってことにも気付けなかったんだけど、あれって彼女じゃん、って思った途端、わたしの中に、別の、わたし、ぼく、が出てきて、彼女は綺麗だ、彼女は綺麗だ、って口から何度も何度も声が出てくる。それで、生きたくない、から、生きなきゃいけない、になって、ぼくはやっとわたしと別れられた。決別できた。できたと思った。実際には違ったけど。とりあえず、ふたつにはなれた。それでぼくは、毎日毎日彼女を見た。追いかけなくちゃと思った。憧れを憧れとして見るだけじゃない、ぼくもあそこに行きたいって思ったんだよね。それで勉強を始めた。いつか彼女に出会うために。彼女と普通に話ができるくらい、まっとうな人になろうと思って。それで何年も時間が過ぎて、彼女と同じ大学に受かって、ようやく彼女と話せるかもと思ったのに、なぜか彼女が学校に来なくなって、ぼくは彼女が心配になって、家まで行ってみた。そしたらそこにきみがいた。綺麗なままのきみが。

 ぼくはね。きみには遠く及ばない、全然ダメな人間です。でもね、きみが唯一必死になって追いかけてたものを、ぼくはすでに知ってたんです。そしてぼくはそれを知っていて、越えられなかった、耐えられなかったんです。でもね、きみならきっと、その向こう側に行けるんじゃないかって思った。わたしがぼくとわたしになって、ぼくがわたしにすべてを背負わせて、そうして逃げるしかなかったぼくとは違って。わたしとぼくが超えられなかった壁を、きみなら超えられるんじゃないかと思った。だからきみを見ていたい。きみを助けてあげたい。そしていつかあのどうしようもないほど気持ち悪い世界の先を見つけてくれると信じてるから、ぼくは今ここにいて、きみも今生きている。これがぼくの理由。きみのたった一つの夢を、幸せな死を、迎えさせてあげたい、ただそれだけの理由。

 ……ねえ。ぼく、ちゃんと言えたかな。言いたいこと、伝わったかな。上手く言葉が使えないからさ。いつもいつも心配なんだ。ねえ、ぼくの本当の気持ち、ちゃんときみに、伝えられたかな」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ