その1、日記
今日から日記を書くことになった。
むかし、小学生くらいの頃、何かがきっかけで一度書きはじめた経験があるが、結局そのときは三日坊主で終わったので、せっかくだから改めてはじめてみようということだ。
このことは彼にはまだ伝えていない。
いざ書こうと思うと何を書いていいのかわからない。とりあえず今日のダイジェストでも書いておくことにする。
朝、九時ごろに起床。彼はすでに大学に出発していて、家には私ひとり。洗面所で顔を洗い、彼が作り置きしてくれた朝ごはん(炒飯)を食す。食事に使ったレンゲをまじまじと見ながら、なんとなく喉に詰まりそうな形をしているなと想像する。試しにやってみたが、何度やっても失敗。そのうち涙が出てきたのでやめた。以前なら、たとえ涙が出ようが吐瀉物が出ようが、きっと何十回でも挑戦できただろうに。私の思った以上に、彼に引き出された恐怖は大きいらしい。
昼、彼に提案されたとおり、死ぬまでにやりたいことを考えてみる。結婚式……は一過性のものなので難しい。パフェ……は駄目だと言われたので却下。夏祭り……そういえば一緒に行こうと約束していたんだったか。だがやはりこれも、優先すべき事項なのかと言われるとそうではない気がする。
一秒一秒が惜しいような気がしてくる。彼の提案したことが、一朝一夕でどうにかなるようなものではないということは十分承知している。けれどどうしても焦る。私が本当にやりたいことは何なのか。私がやり残してきたことは何か。難しい。
日記を書く、というのがその一つであることはおそらく間違いない。私は過去のことをほとんど忘れてしまっている。それは単純に私が忘れっぽいからというわけではない。何かしらの出来事があったとしても、それを記録に残そうということをまったくしてこなかったからだ。
そういう意味では別に写真や映像でもよかったのだが、どちらともなんとなく違和感が残るような気分がしてやめた。写真に映っている風景や、映像に残っている自分の声などを聞いても、なんだかどこか夢の中にいるような気分になってしまうからだ。なんというか、無機質な気がする。だからやめておいた。文字ならばまだいくらか、私らしさが出てくるだろうと考えた。
しかし、過去を記録するということにはいったいどんな意味があるのだろう?
私の思う限りでは、それは未練や、後悔といったものにあたるような気がする。あるいは、思い出、ノスタルジアを感じるための手段の一つだろうか。私は懐古というものにあまり興味がないのでよくわからない。郷愁や懐かしさなどの感情とはほとんど縁もなく過ごしてきた。無論、思い出がまったく無いわけではない。輝きに満ちた過去の栄光ならいくらでもある。だが、いざそれを振り返ってみても、そこにいるのは私に似た他の誰かのような気がしてしまう。今の私とは何もかもが違う、別の誰かに思えてしまって、それをノスタルジアなどと呼んでいいものなのかどうか、私にはわからないのだ。
ではそんな私がどうして日記を書こうとしているのか、という話なのだが、これにはいくつか理由がある。まず先ほど書いたように、記録を残すことでこの先の記憶を形に残す、そうすることで自らの習慣、行動の見直しをするという意味。これは毎日の食事の記録をすることでダイエットに役立てるという手法があるのと同じような意味合いだと考えている。しかし私はこれでも規則正しい生活をしている方なのであまり効果はないかもしれない。はたしてどうだろうか。
それからもう一つ、彼が言っていたように、日記は長く続けられるものだということ。今まで書いたことがないので実際がどうだか知らないが、まあこの程度の文章であれば毎日多少なりとも進められるだろう。面倒な作業は得意分野だ。それが目的に通じているのであればなおさら。
それから……もう一つあるのだが、これはあえて書かないでおこう。
とりあえず今日はここまでにしておく。続きはまた明日。
出来ることなら、私が死ぬその日まで続けられることを願う。
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今日は彼と二人で外食をした。てっきりまたファストフードの類かと思ったが、考えていたよりもはるかに豪華なレストランだった。高いんじゃないかと不安で彼に聞いてみたが、全部ぼくのおごりだから、と言って笑うだけだった。なんだか私はとたんに恥ずかしくなった。だが実際テーブルにつくと彼のマナーは全然駄目だったのでむしろ呆れた。きっと背伸びしてこんな店を選んだのだろう、と思うと、嬉しいやら情けないやらで思わず笑ってしまった。彼もいっしょに笑った。他の客には迷惑をかけたかもしれない。
料理はとても美味だった。普段の私が食べるご飯と言えばほとんどが出来あいのものばかりなので、店で出される料理というものに私は一種の感動を覚えた……ような気がする。感動とはどういうものなのだろうかと考えると少し難しいが、とりあえず喜んだのはたしかだ。
食べ物の味なんて、ここ数年はあまり気にしていなかった。
物を食べるという行為は、言うまでもなくただの娯楽というわけではないだろう。生物学には詳しくないので詳細はわからないが、おそらく生きるために必要なプロセスの一つに間違いはない。人間の三大欲求の中にも食欲というものは存在する。とすれば、食事とは人が生きる上でどうしても欠かせない要素だということになる。
あれはいつのことだったか、たしか冬だったと思うが、餓死が可能なのかどうかを試してみたことがあった。当時はまだ独り暮らしではなくて、家には両親と中学生の弟がいっしょに暮らしていた。ある日の朝、私は母に「明日からご飯はいらない」と伝えてみたが、当然のように断られてしまったので、長期休暇で学校が休みになるのを利用して部屋に閉じこもった。外側からは絶対に鍵を開けられないドアだったので、家族はなんとかして開けようとしていたがどれも無駄に終わったようだった。閉じこもった日の夜、ドアの外からわざとらしい大声で「ほっとけほっとけ、腹が減ったらすぐに出てくるさ」と父が言っていたのをなぜかよく覚えている。それを聞いて私は、そもそも私の目的が腹を減らすということなのだからその推測は少しずれているのでは、と思ったが口には出さなかった。
何も食べず、何も飲まず、そのまま三日ほど経った。さすがに私の精神も相当やられていたが、それ以上に空腹によって得られる死への危機感に多少だが興奮もしていた。なるほど、飢えて死ぬというのはまさにこういう感覚なのか、と思い、とするとしばしばテレビで流れてくる難民のための募金のコマーシャルに出てくるような骨と皮だけの小さい子供たちは今の私よりももっと強い興奮を感じているのだろうか、と考えたりもした。空腹だとむしろ脳がよくはたらくのかもしれない。せっかくならあの時にもっとたくさん勉強しておくんだった。話がそれたので戻すことにする。
それからさらに二日ほど経つと、気力が怖ろしく低下してしまって、体を動かすこと自体が面倒になってきた。視界にはうっすらと靄のようなものがかかり、きっとこれが危険信号というものなのだろうと思った。空腹感はすでに消え失せてしまっていて、正直つまらないなと感じていた。ただゆっくり沈んでいくような感覚だけが体を支配していた。とても安らかな死。……今にして思えば、あれが一番私のイメージに合うような死に方なのかもしれない。今やろうとしても、どうせ彼に反対されると思うが。
五日間も何も食べないで閉じこもっている私に対して家族が何も思わないわけがない。部屋にいる間、弟がドアを必死に叩く音は何度も聞こえていたし、母はたびたびドアの前に食事を置いてくれていたようだった(実際に手をつけたことはないのでわからないが)。始めのうちは律儀に返事を返していた私だったが、その頃にはもう声を出す力はなかった。それを不審に思ったらしい弟が、部活で使っているラケットで私の部屋のドアをぶち抜いた。それから私は病院へと運ばれ、かろうじて一命をとりとめ、しばらく入院することになったのだった。ちなみにこの一件以来、弟は私のことを以前よりもひどく心配するようになった。それが不信から来るものなのか、あるいは優しさから来るものなのかは知らない。
あの頃はただ、死に行くということに夢中だった。ゲーム好きな子供がゲームセンターに行きたがるのと同じように、私はどうにかして死んでやろうといつもそればかり考えていた。でも毎回、タイミングを間違えて死ねなかったり、誰かに邪魔されて死ねなかったりして、そのうち自分の無力さを哀れに想うようになった。もしかすると私は、死に近づくスリルが欲しいだけであって、本当は死にたくないんじゃないか? 他のみんなと違うこと、それもすごく危険なことばかりして、それを誇らしげにしているだけの無能なんじゃないのか?
そう考えるようになってから、私は決意した。いつか必ず、自分の思うとおりに死んでやろうということを。それから私の臨死実験は始まったのだ。そうして間もなく、彼に出会った。死ぬことへの恐怖を知った。
死ぬことが怖いと感じてしまっている今、そんな決意はもうどこかに消え去ってしまったような気がする。だから私は彼の言うように、少しずつでも前に進むしかないのだろう。いつか死ぬときのために、今を全力で生きる。これが私の新しい決意だ。
私は彼を信じている。彼の言葉は真実だと思う。
そうしていつか幸せに死ねれば、それが私の歩める最善の道なのだろう。




