第27話 星空への再招待
「黙祷――」
放課後の図書準備室。田中先生が沈痛な面持ちで目を閉じると、部員たちも同様に、麻衣へ黙祷を捧げた。
直斗はまぶたの裏で、天文雑誌を広げて熱心に説明する麻衣の姿を思い出していた。
星の名前は、ほとんど覚えていない。覚えているのは、説明するときの弾んだ声だけだった。
ついこの間まで、それは当たり前の日常だった。
二度と戻らない、奇跡のような時間――
一分ほどして、直斗は目を開けた。
室内は静まり返り、ブラインドの隙間から差す西日が、舞う埃をきらきらと光らせている。
薄暗い空気の中、一年の恵が堪えきれず、小さく鼻をすすった。その音に、皆、びくりと肩を震わせ、ゆっくり顔を上げる。
「……座ってくれ」
田中先生は全部員が席に着くのを見届け、自分も椅子に腰を下ろした。
前回の集まりで見せた明るさは、今やすっかり消えている。
「みんな、落ち込んでるよな。本当は先生も元気づけてやりたいんだが……。すまない、さすがに言葉が見つからない」
思わず本音を漏らしたのだろう。
けれども、それでよかった。
今、無理に励まされても、かえって心は沈む。
ただ、恵だけは悲しみをこらえきれず、ずっとぽろぽろと涙をこぼしていた。
「先生も、まだ信じられないよ。七瀬は本当に星が好きで、この天文部を誰よりも大切にしてたからな。あいつがいないこの部屋に入ると、胸にぽっかり穴が空いたみたいだ」
膝に置いた手を強く握りしめ、言葉を区切る。
「立ち直るには、まだ時間がかかるだろう。焦らなくていい。けれども、少しずつでも前を向いて歩き出すために、今日から新しい体制で部を動かしていきたい」
田中先生は立ち上がり、三年の門脇に向き直った。
「今日から、副部長の門脇に正式に部長を引き継いでもらう。彼なら、七瀬の遺志を継いで、この部をまとめてくれるだろう。門脇、頼めるか?」
指名された門脇は、少し緊張した面持ちで立ち上がった。
「……はい。七瀬部長のことは本当に残念でしたが、俺たちは立ち止まるわけにはいきません。頼りないかもしれないけど、みんな、よろしく」
短い挨拶を終えて座ると、門脇の視線が一瞬だけ直斗をかすめた。
その目には、はっきりとした棘がある。
――お前の親友がうちの部長を殺したんだぞ。
そんな無言の非難だろう。
以前の直斗なら過剰に反応し、また口論になっていたかもしれない。
けれども今は違う。
睨まれても、ただ聞き流すだけだった。
「ありがとう、門脇」
田中先生が深く頷き、教卓のプリントを手にした。
「そして、もうひとつ。延期になっていた『夜間天体観測会』についてだ。教員会議で何度も協議した結果、一学期の終わり、七月の新月の夜に実施することが決定した」」
「えっ……やっぱり、やるんですか?」
涙を拭いながら、恵が戸惑い、そして少し怯えるように声を上げた。
「ああ。事件が解決した以上、安全面で問題はないとの結論だ。それでも一応、他の先生にもお願いして、複数名で警備に当たる。安心してほしい」
田中先生は、不安げな生徒を安心させるように、力強く語りかけた。
「怖い気持ち、不安な気持ちがあるのはよくわかる。けれども、こんな時だから一緒に美しい夜空を見上げてほしいんだ。七瀬もきっと、君たちが再び望遠鏡を覗く姿を、空の上から楽しみにしているはずだ。……参加は強制しないが、できれば全員で星を観測しないか」
その提案を契機に、重い空気が少しずつ変わっていった。「やろう」「部長のためにも」と、小さな賛同の声が上がり始める。
それでも、恵がおずおずと手を挙げた。
「でも先生……夜の学校って、やっぱり怖いです」
「大丈夫。当日は先生がずっと一緒だ。これでも学生時代は武道をかじっていてね。何かあっても、君たちくらいは守ってみせるよ」
冗談めかした言い方に、部室に小さな笑いが広がった。
だが、直斗だけは、笑う気になれなかった。
観測会の夜、新校舎の屋上に立てば――何かがわかるかもしれない。
あの夜と同じ時刻。
同じ場所。
同じ天体観測会――
これはまたとないチャンスだ。
北川先生の事件について、見落とした何かがきっと見えてくる。
「よし、ありがとう。それじゃあ、最後に、皆に紹介したい新しい仲間がいる」
部室の空気が明るくなったところで、田中先生が戸口へ声をかけた。控えめなノックが二回響き、ひとりの女子生徒が入ってくる。
「失礼します!」
場違いに明るい、透き通る声。
サラリと揺れる黒髪に、どこか儚げな表情を作った、見覚えのある顔。
そこに立っていたのは、亜季だった。
――えっ……!?
直斗は驚いて危うく声を出しそうになった。
なぜ、亜季が天文部へ?
今日の放課後、校門で落ち合う約束だったはずなのに。
「彼女は二年生の七瀬亜季さん。……知っている人もいると思うが、亡くなった前部長の妹だ」
その紹介に、部室内にどよめきが広がった。
「彼女は、お姉さんが残した天文部のノートを見て、自分も星を学んで観測してみたいと思ったそうだ。お姉さんの分まで、という気持ちもあって、新たに入部してもらうことになった」
亜季は伏し目がちに、深く頭を下げた。
「二年の、七瀬亜季です……。少しでも、お姉ちゃんが大好きだった星のことを知りたくて、入部を希望しました。一生懸命がんばりますので、どうかよろしくお願いします」
言葉の途中でわずかに声を詰まらせ、目元を潤ませる。
その健気な挨拶に、準備室の空気はあっという間に和んだ。
「困ったことがあったら何でも言ってね」と、女子部員がすぐ声を掛ける。
一方で男子は、亜季の可愛さに、ざわつきが収まらない。
門脇でさえ、先ほどまでの険しい表情を忘れたように、頬をゆるめていた。
しかし、直斗だけは、亜季の真意を見抜いていた。
彼女が本当に星に興味があるのかは知らないが、入部を希望したのは、真犯人探しの一環として、天文部と麻衣の周辺を探るためだろう。
いきなり現れて、ここまで見事に悲劇のヒロインを演じきってみせるとは――
いかにも亜季らしいとはいえ、その行動力と、中二とは思えない小悪魔めいた口のうまさに、呆れると同時に、直斗の背筋は少し寒くなった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
下校時間のチャイムと同時に、観測会のミーティングが終わった。
他の部員が帰ったのを見計らい、亜季が直斗の席へ近づいてくる。
「ふふっ、驚きました? 滝沢先輩。私、どうでした? うまくいったみたいですけど」
「お前……なんで勝手にこんなこと」
「だって、こうした方がいろいろ調べやすいじゃないですか。私が内部にいた方が先輩も好都合でしょ? ……それより、今日の放課後、例の『お仕置き』の準備はできてるんですよね?」
囁き声に、直斗は表情を引き締め、周囲を一瞥して小さく頷いた。
「ああ、抜かりはない。部活がある日は、教員は生徒より先に帰らない。遅い時間でも、荒井と花村先生は学校にいるはずだ」
「それは頼もしいですね。じゃあ、行きましょうか。あの汚らしい大人たちに、たっぷりお灸を据えて、本当のことを吐かせてやらないと」
亜季は楽しそうに目を細め、軽やかな足取りで廊下へ歩き出した。
――荒井は本当に真犯人なのか。花村先生は、その犯行に関わっているのか。
確証はない。
それでも、武と麻衣を最後まで信じていたい。
そして、二人がなぜ死ななければならなかったのか――その真相を、この手で明らかにしたい。
そのためなら、相手が教師だろうと、もう引き返すつもりはない。
直斗は大きく息をつき、亜季の背中を追った。




