第25話 石の塔
直斗はもう一度、小屋を構成している枯れ枝の壁や、周囲に生い茂る木々の枝を観察してみた。
「……やっぱりな」
「何がですか?」
「この秘密基地……最後に俺と麻衣と武の三人でここに来たのは、小学六年生の冬だった。小屋を作ったのはさらにその前だ。それから中学生になって、俺は一度もここに来ていない。つまり、三年近く放置されていたはずなんだ」
「それがどうしたんですか?」
直斗は、目の前の小屋を指差した。
「何もかもきれいすぎるんだ。拾った木とそこら辺の土で作った小屋が、何年も雨風にさらされて放置されたら、普通はもっとボロボロになるはずだ。ツタが絡まって腐って倒壊するか、周りの雑草に飲み込まれて跡形もなくなるのが自然だろ」
「ああ、そういえば、なんかちゃんと修理したような跡がありますね」
確かに、小屋は古いながらも、しっかりと形を保っていた。
それどころか、壁の隙間には比較的新しい枯れ枝が補強として差し込まれている。
背の高い雑草が刈り取られたような形跡もあった。
「これ、誰かが手入れをしてたってことですよね?」
亜季が首を傾げ、聞いた。
「ああ。間違いなく、武か、麻衣だろうな。それとも二人一緒にか……」
「えー? そうとは限らないんじゃないんですか? この場所を偶然発見した第三者が、先輩たちの後を継いでやったのかもしれませんよ。あるいは真犯人が――」
「いや、さすがにそれはないだろ。わざわざ犯行現場にするためだけに、ここを整えるとは思えない。……あっ!」
そうだ――!
その時、直斗の脳裏に、突如小学生時代の記憶の引き出しが開いた。
三人が秘密基地に来るたびにしていた、あの『儀式』――
あれを確認すれば、ここへずっと通って来ていたのが、麻衣か武か、はっきりする。
直斗は亜季を置いて、小屋の裏手の森へ走って回り込んだ。
「ちょっと先輩、いきなりどこ行くんですか!」
亜季が慌てて後を追う。
小屋の裏はシダかなにかの植物が群生しており、一見するとただの藪にしか見えない。
だがそこには、根元に苔が生えた古い切り株が三つ、並んで置かれていた。
そして、それぞれの切り株の上には、平べったい小石がケルンのように積み上げられている。
「やっぱり……」
その石の塔の高さを見て、直斗は、胸が張り裂けそうな気分になった。
「……何これ? 石のタワー、ですか?」
後ろから覗き込んだ亜季が、不思議そうに尋ねる。
「ああ、昔、俺たちが作ったんだ。この秘密基地に来るたびに、それぞれが決まった形――俺は丸い石、麻衣は白い石、武は角張った石を拾って、ひとつずつ積み上げていくルールだった。三人一緒でなくても、誰が来たかそのしるしにな」
三つの切り株。
一番左にあるのは、直斗の石の塔だ。
高さは十センチほど。小学六年生の冬で、時間が止まっている。
しかし真ん中の麻衣の白い石の塔。
そして右側の武の角張った石の塔。
その二つの塔は、直斗のものの倍くらいの高さがあった。
崩れないように絶妙なバランスで、何十個もの小石が丁寧に、大切に重ねられていた。
「……二人とも、ずっとここに来てたんだな」
直斗は、その二つの石の塔を見つめたまま言葉を失った。
中学生になって何かと忙しくなり、直斗はこの秘密基地から足が遠のいた。
森の中の秘密基地なんて、何か子どもじみたままごとのように思えてきたせいもある。
麻衣と武も、自分と同じだと思っていた。
だが、実際は違ったのだ。
直斗が知らない間、あの二人はこの森を訪れ続けていた。
一緒に来たのか、あるいは別々だったか、それはわからない。
しかし、お互い小屋を補修し、雑草を刈り、石を積み上げていたのは確かだろう。
直斗の目には、積み重なった無数の石が、武と麻衣が共有した時間の結晶のように映った。
それは、自分と二人との間にできてしまった距離を突きつける、いわば残酷なモニュメントだった。
――待てよ。
その時、直斗の脳裏に、ひとつの記憶がよみがえった。
「……なあ、亜季。事件のあとの土曜日、お前、熱を出して寝込んでたんだよな?」
「え?」
「麻衣がそう言ってたんだ。妹が熱を出して、看病しなきゃいけないから、今日は会えないって」
亜季は、きょとんとした顔で首を傾げた。
「私、熱なんか出してませんけど。お姉ちゃん、あの日は昼過ぎに、慌ててどこかへ出かけていきましたよ」
「……え?」
直斗は、言葉を失った。
あの土曜日は、直斗が路地裏で武と再会した日だ。
別れ際、武は母親のスマホを持っていると言っていた。
――まさか、麻衣は、俺に嘘をついてまで、武に会いに……?
この森の、秘密基地で。
足元が、ぐらりと揺れた気がした。
「……麻衣は」
直斗は、圧倒的な喪失感に耐えながら、ポツリと本音を漏らした。
「麻衣は、本当は武のことが好きだったのかな」
「え?」
「俺よりも――」
振り返り、背後に立つ亜季に尋ねた。
同じ家に住む妹なら、姉の本当の想い人に気づいていたのではないか?
そう思ったのだ。
亜季はしばらく黙って、石の塔を見つめていた。
その横顔には、普段とは違う、何かに対する静かな怒りが宿っているように見えた。
けれど、それも一瞬のことで、次の瞬間にはもう、いつもの飄々とした表情に戻っていた。
そして、薄い唇を弧に歪め、あの小悪魔的な笑みを浮かべて言った。
「さあ? どうでしょうか。前に言ったとおり、私、お姉ちゃんとは仲良くなかったですから。そういう恋愛の打ち明け話みたいなこと、一切したことないんでわかりません」
笑ってはいるが、その言葉はそっけなかった。
しかし、直斗は見逃さなかった。
はぐらかすように笑う彼女の瞳が、瞬間的に鋭い光を放ったことを――
「そんなことより先輩。これでひとつ、大きな収穫があったじゃないですか!」
亜季は話題を切り替えるように、パンッと小さく手を叩いた。
「収穫? 石の塔がなんだって言うんだよ。犯人の手がかりでもなんでもないだろ」
「手がかりですよ。しかも、かなり大きな」
亜季は、高く積み上げられた武と麻衣の石の塔を指差した。
「警察は、武先輩が北川先生を殺してパニックになり、逃げ回った挙句、絶望してお姉ちゃんを呼び出し殺しちゃったって筋書きを描いてますよね?」
「一応、そういうことらしい」
「でも、この石の塔を見てください。これだけ頻繁に、しかも二人で大切に手入れをしてきた『神聖な場所』を、自分たちの血で汚すような真似、本当にすると思いますか?」
「いや――どうだろう?」
直斗はすぐには答えなかったが、亜季の言いたいことはよくわかった。
武にとって、麻衣にとって、そして自分にとっても、この森の王国は大人たちの干渉を許さない聖域だった。
もし武が本当に自暴自棄になって死を選ぶなら、わざわざこの大切な場所を選んで、麻衣の首を絞めるだろうか。
むしろ、この場所だけは汚さないように遠ざけるのが、武という人間の本質ではないのか――
「……しない。絶対に」
直斗はきっぱり言った。
「武は、何があってもここだけは汚さない。そういう奴なんだ」
「でしょう? つまり、この場所が殺人現場になったこと自体が、真犯人が仕組んだ複雑なシナリオの一部なんです。むしろ出来すぎなんですよ」
亜季の黒い瞳が、獲物を狙う狩人のように光った。
「その推理は正しいかもしれない――」
直斗は軽くうなずいた。
しかし、まだ大きな謎は残っている。
「だけど、真犯人はどうやってこの『森の秘密基地』の存在を知ったんだ? 俺は誰にもここの場所を話したことはないし、武や麻衣が漏らしたとも思えない。あるいは犯人が二人の後をつけて、この場所を突き止めたっていうのか?」
「それは……私にはわかりません。ただ後をつけるというのはちょっと無理な気がします」
何も思い浮かばないのか、それきり亜季は黙ってしまった。
そこで、直斗は再び、目の前の石の塔をじっと見つめた。
丁寧に積まれたこの石の塔は、麻衣と武を殺した犯人の姿を、きっとこの場所から見ていたはずだ。
もちろん塔は何も語ってはくれない。
ただ静かに崩れることなく、あたかも二人の墓標のようにそこに在り続けるだけだ。
だが、直斗にとってそれは、麻衣と武が遺してくれた、音のない大切なメッセージだった。
――麻衣、武。犯人は必ず見つけてやるからな。
改めてそう決意した直斗は、足元から丸い小石をひとつ拾い上げ土を払うと、そっと自分の塔のてっぺんに載せた。
乾いた音が、ひとつだけ鳴る。
三年近く遅れた、しるしだった。
それでも、二人の塔には遠く及ばない。
「……帰りましょうか、先輩」
「ああ……」
亜季の声が、やけに遠くから聞こえた気がした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
杉の木公園を出て、二人で駅へ戻る途中、どこからか正午を告げるチャイムが聞こえてきた。
「なんだかお腹減っちゃいましたね。先輩、駅でランチしていきませんか――」
亜季がそう言いかけた時、直斗のスマホが突然鳴り出した。
画面には、北川先生の婚約者・佐々木の名前が表示されている。
直斗は亜季にひと言断ってから、電話に出た。
「滝沢です」
『おお、滝沢君、佐々木だ。今いいかな?』
「はい、大丈夫です」
『ニュース見たよ。連絡が遅くなってすまない。本当に大変だったね』
どうやら慰めの電話らしい。
しかし、ちょうどよかった。
直斗は、佐々木にひとつどうしても確かめたいことがあったからだ。
「あの、よかったら少し会ってお話ししたいことがあるんですが……」
『ああ、いいよ。いつがいい?』
「もしもご迷惑でなかったら、今からでも」
『わかった、場所はこの前の喫茶店でいいかい?』
「はい! 無理を言ってすみません」
三十分後に佐々木と会う約束を取り付けた直斗は、電話を切って亜季に言った。
「聞いてただろ? 北川先生の婚約者の佐々木さんって人だよ」
「あー、先輩と一緒に荒井先生と花村先生の不倫を追跡した人ですね」
「まあね。最初会ったのは偶然なんだけどな。ちょっと話があるから、今から会うけど、どうする?」
「もちろんご一緒しますよ。お昼、おごってくれるかなあ」
亜季はそう言って、屈託なく笑った。




