第24話 秘密基地の秘密
次の休日。
初夏の日差しがアスファルトを白く照らす中、直斗は駅前ロータリーに立っていた。
約束の時間はもうだいぶ過ぎているのに、亜季はまだ現れない。
汗の滲むような暑さに耐えながらスニーカーのつま先で地面を小突いていると、やがて、人ごみの中から軽やかな足音が近づいてきた。
「お待たせしました、滝沢先輩。遅刻しちゃってすみません」
ふわりと、柑橘系の甘い香りが漂った。
そこに、私服の亜季が立っている。
黒いノースリーブのニットに、風に揺れる軽やかなフレアスカート。
休日に遊びに出かける女子中学生そのものの装いだ。
これから凄惨な殺人現場へ向かう人間の服装とは、到底思えない。
「……ずいぶん身軽な格好だな」
「そうですか? 森に入るから、一応スニーカーにはしてきましたよ。可愛い服を着てないと、テンション上がらないじゃないですか」
亜季は悪びれもせず、ふふっと笑った。
その屈託のない笑顔の奥に、どれほどの本心が隠れているのか、直斗にはまるで読み取れない。
姉を亡くした悲しみを微塵も感じさせないこの態度は、頼もしくもあり、同時に、どこか薄ら寒くもあった。
「行こう。誰かに見られたら面倒だ」
「はいはい。先輩、案内よろしくお願いしますね」
二人は並んで歩き出した。
向かう先は、杉の木公園の奥――あの秘密基地だ。
「先輩、事件について、ニュース見ました?」
途中、亜季がそれとなく聞いてきた。
何のニュースか、確かめるまでもない。
「ああ、未成年だから名前は出てないけど、武を『被疑者死亡』として書類送検するって言ってたな」
「もう武先輩が犯人ってことになっちゃったんですね」
「このままだと、な」
公園の入口に差し掛かると、直斗の足取りは自然と重くなった。
緑の匂いが濃くなるにつれ、あの朝の記憶が頭の中に鮮明に蘇ってくる。
封鎖の規制線はすでに撤去されていた。
園内の奥まで来ると、捜査のためか、壊れたフェンスは大きく取り払われている。
その間を抜け、草をかき分けて進む。
先を歩く直斗の後ろを、亜季が「結構険しいですね」と淡々とついてくる。
やがて木立が途切れ、小さな空き地が見えた。
直斗の足が、ピタリと止まる。
覚悟はしていたが、思った以上にきつい。
視界が、ぐにゃりと歪む。
強い日差しが降り注いでいるはずなのに、目には、あの朝の白い霧が立ち込めて見えた。
空き地の端にそびえる、太い杉。
その枝から黒いスウェット姿の武がぶら下がり、首を折り曲げたまま虚空を見つめている。
例の小屋の中には、首に鬱血の痕を残した麻衣が、眠るように横たわっている。
まばたきをしても、その光景は消えない。
脳髄に、映像が焼きついてしまっている。
「うぅ……」
直斗は思わず、その場にしゃがみ込んだ。
平衡感覚が消え、地面が波打って感じられる。
呼吸が浅くなり、冷たい汗が全身の毛穴から吹き出した。
「……先輩、大丈夫ですか? 今からそれで」
上から、透き通った声が降ってくる。
見上げると、亜季が顔を覗き込んでいた。
その大きな黒い瞳に、心配や同情の色はない。
苦しむ直斗よりも、その苦しみ方に興味があるようだった。
「ここが、お姉ちゃんたちが死んじゃった場所なんですね。へえ……小屋以外は何もないっていうか、普通の空き地ですね」
亜季は周囲を見渡し、事もなげに言った。
鑑識の目印も、すでにきれいに片づけられている。
ただ、踏み荒らされた地面の凹凸だけが、ここに大勢の人間が踏み込んだ事実を、無言で物語っていた。
「お前……平気、なのかよ……」
「平気って? ああ、幽霊とか、私まったく信じないタイプなんで。あ、それとも真犯人が現れてバトルになるとか――それなら安心してください」
亜季は、かわいいポシェットから、小さな筒状のものを取り出した。
「なんだよ、それ?」
「防犯スプレーです。痴漢用の。襲ってきたら、これをお見舞いしてやります」
ふざけてスプレーを向けてくる。直斗は反射的に顔をそむけた。
「やめろ。あと頼むから、そんなもん街中でぶっ放すなよ。風向きが悪いと、自分にふりかかって逆効果らしいぞ」
「え、そうなんですか。これじゃダメかなあ」
亜季はつまらなそうに、スプレーをポシェットに戻した。
その姿を見て、直斗はぽつりとつぶやく。
「強いな、お前……」
「怖がっても、お姉ちゃんは帰ってきませんから。――それより先輩こそ、しっかりしてください」
亜季は直斗の腕をつかみ、強引に引き起こした。あの時はひんやりと冷たく感じた細い手が、今は意外なほど温かく、力強かった。
「吐きそうなら、そこら辺で吐いてもいいですけど。私たちの目的、忘れないでくださいね。騙されたままの大人たちを出し抜いて、本物のクズを見つけるんでしょう?」
そうだ――!
その言葉が、特効薬のように神経に作用した。
幻覚に怯えて立ち止まっている暇はない。
武を罠にかけて殺し、麻衣の命まで奪った真犯人は、今もどこかで平然と息をしているのだ。
直斗は乱れた呼吸を整え、両手で自分の頬を強く叩いた。乾いた音が森に響く。
「わかってる。探そう。警察が見落とした何かが絶対にあるはずだ」
まず、武が首を吊っていた太い杉を調べることにした。
武の背は、普通の大人並みに高かった。
もし真犯人が別にいるなら、武を――おそらく気絶させて、あの高い枝まで引き上げなければならない。
「……あの木だ。武が死んでいたのは」
直斗の視線を追い、亜季も杉を見上げた。
「普通の腕力じゃ、あそこから人を吊るすのは難しいだろうな」
「まあ、そうでしょうね」
「でも、日頃から鍛えてる奴ならできるかもしれない。あるいは複数犯か――」
「あー、もしかして荒井先生のこと言ってます? 確かに体育教師なら柔道部とかは当然やってますよね。それで絞め技なんかも。で、共犯は不倫相手の花村先生――」
「ああ。可能性はなくはない」
続いて、直斗は勇気を出して小屋へ向かった。
枯れ枝を組んだ壁。
土がむき出しの床。
懐中電灯を頼りに、隅から隅まで目を光らせる。枝の隙間、地面のわずかな盛り上がり、落ち葉の下。
だが、徹底的に調べても、結果は徒労に終わった。遺留品はおろか、不自然な足跡ひとつ見つからない。
「くそっ……何もない」
土で汚れた手をズボンで拭い、苛立ち交じりに小屋の壁を蹴る。パラパラと乾いた土が崩れ落ちた。
「それはそうですよ。警察の鑑識が、徹底的に調べ尽くした後ですよ? 素人が『大発見だ!』なんて、ドラマの中だけです」
亜季は切り株に腰掛け、ペットボトルの水を飲みながら涼しい顔で言った。
「それに、考えてもみてください。もし武先輩やお姉ちゃんが、犯人に繋がる痕跡を残そうとしても、その場にいた真犯人が見逃すわけないじゃないですか」
「真犯人が回収したって言うのか?」
「当たり前です。お姉ちゃんたちを殺して無理心中に偽装する――そんな計画を成功させたんですから、犯人は冷静で相当頭が回る人間です。犯行後に現場をチェックして、不利な証拠を全部持ち去るくらいの知恵はありますよ」
「……確かに」
直斗はまったく言い返せなかった。
『犯人は相当頭が切れる』――
路地裏で武が言った言葉がふいに蘇る。
「じゃあ、俺たちは結局無駄足だったってことか」
直斗は肩を落とし、改めて秘密基地を見回した。
しかし、何か妙な感じがした。
漠然とした違和感のようなもの。
あるべきものがないのではない。ないはずのものがある――そんな感覚だ。
そうか――そこだ!




