第22話 慟哭、そして悔恨
杉の木公園の森で二人を発見したあの日から、直斗の記憶はところどころが抜け落ちていた。
現場検証がどう行われたのか、自分がどうやって家に帰されたのか、断片的にしか思い出せない。
その上、極度のショックと疲労が重なったのか、翌日から高い熱を出し、まる一週間ベッドから起き上がれなかった。
目を閉じれば、霧の中で揺れる武の靴底と、眠るように冷たくなった麻衣の白い顔が、交互にフラッシュバックする。
そのたびにシーツを握りしめ、声にならない叫びを上げては、汗びっしょりで跳ね起きた。
変えたところ
二人の葬儀は、直斗が熱にうなされている間に、ひっそりと終わっていた。
母の奈美恵はもう何も言わず、ただ外出を固く禁じた。
直斗自身も、二人の遺影に向き合う覚悟など、到底持てなかった。
熱が引いたころには、身体はインフルエンザの病み上がりのように弱り切っていた。
それでも警察は容赦なかった。
直斗の回復を見計らうかのように、事件から一週間を過ぎたころ、早く事情聴取に応じるよう、親を通して強く要請してきたのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
前回と同じ無機質な取調室。
パイプ椅子に座る直斗の前に、くたびれたスーツの山田刑事と、部下の一ノ瀬刑事が並んで腰を下ろしている。
案の定、この二人か。
直斗は顔を見たくなくて、座ってもずっとうつむいていた。
「体調が悪いところを、ご苦労だったな、滝沢君」
山田刑事の声は、以前のような威圧感をあえて抑えているようだった。
だが、その奥には、獲物を探るような鋭い光が常にある。
「……最悪です、なにもかも」
「だろうな。だからきみを気遣って、聴取を延ばしてやったんだ。最近は未成年の扱いには気をつけろと、上司がうるさくてね。だが、さすがにもういいだろう。つらいかもしれんが、あの日、なぜあんな早朝にあの場所へ行ったのか、何を見たのか、順を追って聞かせてほしい」
「……わかりました」
直斗は膝の上で両手を組み、乾いた唇を開いた。
スマホに武から二通、麻衣から一通のメッセージが届いていたこと。
そして秘密基地で二人を見つけるまで――
途切れ途切れに、しかし確実に説明した。
「なるほど。状況は鑑識の報告と一致している」
山田刑事は調書に視線を落とし、ペンをくるくる回した。
一ノ瀬刑事が、資料をめくりながら尋ねる。
「死亡推定時刻は、二人とも発見前夜の午後九時前後。尾崎君が君に最後のメッセージを送った、約四時間後ね。……それで、あのメッセージなんだけど、彼が君に伝えたかったことって、いったい何だったのかな?」
「……わかりません。でも、あいつは――武は北川先生を殺した真犯人と決着をつけるつもりだったんだと思います」
「真犯人、だと?」
山田刑事の眉がピクリと動いた。
「尾崎が、別に犯人を知っていて、そいつをあの森に呼び出したとでも? きみたち中学生が、探偵ごっこでもしていたつもりか」
「探偵ごっこなんかじゃありません!」
直斗は思わず声を荒げた。
「武は犯人じゃない、あいつは罠にハメられたんです! 真犯人に罪を着せられて、逃げてただけなんです!!」
一瞬の重い沈黙。
山田刑事は回していたペンをピタリと止め、話にならないと言うように首を振った。
「……滝沢君ねえ、それを妄想って言うんだよ」
やっぱり、信じてくれないか。
予想していたので、がっかりはしなかった。
「それにきみ、まだ言ってないことがあるよな。前回ここに来た時、我々に何か重大な隠し事をしてたんじゃないのか」
「……全部、話します。俺が知っていること、隠していたこと、全部」
今さら隠していても仕方ない。
直斗は深く息を吸い、最初の事件の夜、双眼鏡で武を見たこと、そして家の近くの路地裏で本人と会ったことを、おおまかに話した。
話を聞くうちに、ただでさえ強面の山田刑事の顔が、さらに険しくなっていく。
「やっぱりきみは、あの日、双眼鏡で尾崎を見ていたんだな。……まったく警察をコケにしやがって」
ドスの利いた低い声が、取調室に響く。
しかし直斗は、何の怖さも感じなかった。
「……まあ、お前が尾崎をかばって嘘をついていたことは、薄々感づいていた。しかしな――」
山田刑事は机に両肘をつき、顔を近づけ、いきなり怒鳴った。
まるで容疑を否認する殺人犯を脅して自白させるように。
「お前がその路地裏で尾崎と接触した時点で、すぐ通報していれば、あの二人は死なずに済んだかもしれないんだぞ!」
「……!!」
「自分たちだけで何とかできると思ったか? 正義の味方にでもなれると錯覚したか? ……滝沢、あんまり警察と大人を舐めるなよ」
違う――!
直斗は心の中で叫んだ。
もしあの時、本当のことを言えば、武は逮捕され犯人にされていただろう。
けれど、もしそうなっていれば、おそらく武は命を落とすことはなかった。
そして麻衣も――生きていてくれた。
凄絶な後悔が、全身をギリギリと締めつける。
反論の言葉が見つからず、膝の上の拳が小刻みに震えた。
見かねた一ノ瀬刑事が、上司をたしなめる。
「警部補、彼はまだ中学生です。それに、親友を信じたいという気持ちは……」
「甘やかすな、一ノ瀬! こいつの隠蔽が、事態を最悪の方向へ転がしたんだ」
山田刑事は一ノ瀬を叱り飛ばし、再び直斗に視線を戻した。
「滝沢。お前は尾崎が『罠にハメられた』と言ったのを鵜呑みにしているみたいだが、ぜんぜん違うんだよ。これ以上、勝手なことを言わせないために、特別に教えてやる」
その目が、爬虫類のように細められた。
「北川京子を絞殺した凶器。そして、七瀬麻衣を絞殺した凶器。それはどちらも、尾崎が森の木で首を吊っていた、あの中学校指定のネクタイだと断定された」
「……え?」
直斗の頭は、真っ白になった。
「DNA鑑定もちゃんとしてある。あのネクタイの皮膚片や汗から、北川京子、七瀬麻衣、そして尾崎武のDNAがそれぞれ検出された。もう決定的だ」
淡々と告げられる事実が、重い鉄球となって頭を殴りつける。
「警察の結論はこうだ。最初の事件の夜、午後八時、旧校舎で尾崎は北川京子に言い寄って口論になり、衝動的に自分のネクタイで絞め殺した。七瀬麻衣は、その瞬間を双眼鏡で目撃してしまい、ショックでそれを落とした。お前はその双眼鏡を拾い、尾崎が走って逃げるところを見た。だが二人とも、友人をかばって本当のことを証言しなかった」
「違う、それは――」
「どう違うんだ、ええ!? それにお前たちの他にも、目撃者はいたんだぞ」
「……もしかして、荒井先生ですか?」
山田刑事がじろりと睨む。
肯定も否定もしないということは、やはり第三の証人は荒井だったのだろう。
「その目撃者も、尾崎の犯行を見ている。北川先生が絞殺されるところをな」
「――そんな! まさか……」
武の話では、荒井と鉢合わせしたのは旧校舎の一階だったはずだ。
なのに、なぜ二階の犯行現場を見たというのか。
荒井は、嘘をついている――
それに、あいつのアリバイの話はどこへ消えたんだ。
直斗は一瞬、迷った。
こうなったら、いっそ、荒井と花村先生の不倫をここでぶちまけてやろうかと。
刑事たちには、まだ、そのことだけは言っていなかった。
二人を隠し撮りした動画も、スマホが調べられるのを用心して、すべてパソコンに移してある。
いや、だめだ――
理性が、かろうじて勝った。
この様子では、何を言っても刑事たちは聞く耳を持たない。
「まだ話は終わってないぞ、滝沢!」
口を閉ざした直斗に、山田刑事が追い打ちをかける。
「パニックになって逃走した尾崎は、捜査網が狭まる中で絶望し、七瀬麻衣と連絡を取ってあの森の秘密基地で落ち合った。そして彼女を道連れにし、同じネクタイで自らの命を絶った。あるいは、自首を勧められて逆上したのかもしれん」
「違う……」
「まあ、いずれにせよ、追い詰められた末の無理心中ってところだな。尾崎はもともと相当な問題児だったらしいが、本当にえらいことをしでかしたもんだよ」
「違う――!!」
それまではなんとか冷静さを保ってはいたが、もう我慢ならなかった。
直斗は、パイプ椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がって激昂した。
「武はそんなことをする人間じゃない! あいつは北川先生のことを本気で慕ってた。他の誰より麻衣を心配してた。路地裏で会った時、俺に『麻衣のことを守ってくれ』って、そう言ったんだ! そんな武が、麻衣を道連れにするはずがない!」
「座りなさい、滝沢君!」
一ノ瀬刑事も立ち上がり、厳しい声で制したが、直斗の必死の訴えは収まらない。
「ネクタイだって、真犯人がどこかで武のを盗んだだけかもしれない。それで北川先生と麻衣を殺して、そのあと武を吊るしたんだ! 全部、武に罪を着せるための偽装だ! なんでその可能性を考えないんだよ!!」
「……まったく。妄想甚だしいな。ネットの見過ぎで頭がやられたか」
取り乱す直斗と言い合っても仕方ないと思ったのか、山田刑事は座り直し、冷笑を浮かべた。
「いいか、滝沢。これは我々があらゆる角度から捜査し、分析して導き出した結論だ。中学生が何を騒いでも無駄なんだよ。お前の友達は、教師殺しという自分の犯した罪に耐えきれず、大事な幼馴染を巻き込んで死んだ。それが覆ることはない。いい加減、理解しろよ」
その言葉に、一片の迷いもなかった。
彼らにとって、この事件はすでに「解決済み」の案件なのだろう。
辻褄の合う物的証拠が揃い、容疑者は死亡した。
さらなる手間をかけて裏を探る理由など、警察にはない。
直斗は全身の震えを抑えきれず、ギリッと歯を食いしばった。こめかみが痛み、はらわたが煮えくり返る。
しかし、この場でこれ以上あがいても、意味はなかった。
ただ、無力――
武も守れなかった。
麻衣も守れなかった。
そして今は、武の無実を訴えても、誰にも届かない。




