第17話 女教師と手荷物検査
普段と変わらない朝のホームルーム。
紺のスーツに白いブラウス。髪をきっちりとまとめた花村先生は、いつもどおり教壇に立っていた。
朝礼の言葉にも、教室を見渡す眼差しにも、一片の乱れもない。
だが、直斗だけは、その姿をまともに見ることができなかった。
先週までは、少し堅くて冷たいが、ごく普通の担任だと思っていた。
えこひいきもなく、授業もまあまあわかりやすい。
好きではないが、嫌う理由もない。
それなのに今は、昨日のあの光景が頭にこびりついて離れなかった。
郊外のバイパス。
湖を見下ろす高台に建つ悪趣味な古城のラブホテル。その安っぽいピンクの外壁。
荒井のSUVに乗り込む間際、髪をかき上げていた濃い化粧の女。
それは間違いなく、今、目の前で「教師」を体現しているこの花村先生なのだ。
――先生が、よりによってなんであんな奴と。
教師が聖職者だなんて考えは、今どき通用しない。
花村先生もただの人間、不倫のひとつやふたつすることもあるだろう。
理屈では、それもわかる。
けれど、相手があの荒井だという点が、心に強く引っかかって仕方なかった。
粗野で、デリカシーの欠片もない男。
北川先生につきまとい、直斗がずっと犯人ではないかと疑っている男。
そんな荒井とまったく正反対のタイプの花村先生が、休日にわざわざ待ち合わせてラブホテルへ行く。
しかも自分の勤める学校で、殺人事件が起きたばかりなのに……。
ホテルの密室で、彼女はどんな顔をするのだろう。
あの隙のない表情を崩し、すべてを脱ぎ捨て、荒井の腕に抱かれていたのだろうか?
――花村先生が北川先生を殺したとは思えない。でも……。
教壇に立つこの生真面目そうな女教師が、殺人の疑いがある男と深くつながり、何か大きな秘密を抱えている――
そのあまりにも極端なギャップに、直斗の胸のざわめきはさらに大きくなる。
「連絡事項は以上ですが――ここで手荷物検査を実施します」
ふいに、花村先生の冷ややかな声が、教室の空気を一変させた。
連絡プリントを配り終えた彼女は、教卓に両手をつき、眼鏡の奥の瞳をすっと細める。
「先日の痛ましい事件を受け、生活態度や持ち物について、改めて風紀指導を徹底することになりました。一部で気が緩んでいる生徒も見受けられます。そのための手荷物検査です」
『えっ』『マジで……』というどよめきが広がる。
事件が起きたのは生徒のせいではないのに、なぜ手荷物検査につながるのか。
理不尽ではある。だが、教師の命令なら従うしかない。
みんな、しぶしぶ鞄を机に置く。
けれど、直斗は動けなかった。
背筋がゾクリとして、額に冷や汗が滲む。
――まずい……スマホ!
普段なら、直斗が学校にスマホを持ってくることはほとんどない。
しかし事件以来、毎日欠かさず鞄の奥に忍ばせていた。
武や麻衣から、いつ連絡が来るかわからないからだ。
「鞄を机の上に出して開きなさい。机の中も空に。順番に確認します」
花村先生が教壇を降り、最前列から鞄をチェックしていく。
案の定、何人かがスマホを問答無用で没収されてしまった。
続いて麻衣の番が来た。
先生が中をちらりと覗くが、一瞬で通過する。
スマホを持ってきていないのだろう。
どうする?
隠すか。
ポケットに移すか。
だめだ――もう間に合わない!
規則正しい靴音が、直斗の机の横でピタリと止まった。
「滝沢君、どうしたの? 鞄を開けなさい」
頭上の声に、肩がびくりと跳ねる。眼鏡の奥の冷たい瞳が、直斗を射抜いた。
観念して、震える手でゆっくり鞄を開ける。
先生の白い手が伸び、中身を無造作に探る。教科書、ノート、筆箱、そして底に隠していた黒いスマホが引きずり出された。
「滝沢君……!」
声が、一段と低く硬いものに変わる。
クラス中の視線が集まった。
「あなたもですか。学校への携帯持ち込みは校則違反だと、何度も言っているはずです」
「あ……いや、それは!」
咄嗟に言い訳しようとしたが、何の口実も思いつかない。
まごついている直斗の前で、無情にもスマホが取り上げられた。
「なんですか、その顔は? 規則は規則です」
「でも、その――どうしても、持ってこなきゃいけないわけがあるんです」
「ご家族が病気で連絡しなければならないとか、そういう理由ですか?」
「いえ、違いますけど……」
「では、返すわけにはいきませんね。よほどのことがない限り、例外は認められません」
直斗は思わず手を伸ばしたが、花村先生は一歩引いてそれをかわした。
「これは放課後まで預かります。帰りの学活が終わったら、職員室の私の席まで直接取りに来なさい。その際、反省文も書いてもらいます」
それだけ言い残し、先生は次の生徒の検査へと移っていく。
直斗は呆然としながら、自分のスマホが持っていかれるのを、ただ見送るしかなかった。
どうしよう……。
もちろん、スマホにはロックがかかっている。直斗以外の誰かが簡単に使えるものではない。
だが、何かの拍子でそれが解除されてしまったら――
あのスマホの中には、昨日撮影した、花村先生と荒井がラブホテルへ消えていく動画が保存されている。
もしそれを先生に見られれば、一体どうなるか?
もはや殺人の捜査や真犯人を追うどころではない。すべてが、終わる。
直斗は机の上で頭を抱えた。
もちろん、その後の授業は一切、耳に入ってこなかった。




