第15話 追跡
翌日の日曜日。
突き抜けるような青空の下、直斗は朝早くに家を出た。
奈美恵にはまた「塾の自習室に行く」と、嘘をついた。
自転車にまたがり、ペダルを踏み込み、直斗は朝の街をいきなり全速力で走り出す。
向かうのは塾ではない。
駅の向こうのマンション、『サンレジデンス』だ。
あの時、天文部で、恵にマンションの名前を聞いておいてよかった。
彼女の記憶が間違っていなければ、荒井の自宅はそこだ。
目的のマンションは、踏切を渡って駅を越え、そこからしばらく走ったところにあった。
茶色いタイル張りの、五階建てのありふれた古い建物。
ベランダには洗濯物が干され、生活感が溢れている。
直斗は、近くの駐輪場に自転車を置いてから、遊歩道脇の木の陰に身を隠した。
ここからなら、マンションのエントランスが、よく見える。
とはいえ、もし荒井がマンションから出てきたら、いったいどうするのか?
せいぜい後をつけることぐらいしか、できることはない。
ただ、何かをしなくては、という焦りだけが、直斗をここまで突き動かしていた。
三十分ほど経った頃。
路地に、音もなく一台の車が滑り込んできた。グレーのセダンの外車。車に詳しくない直斗でも、かなりの高級車だとわかる。
マンションの入口が見渡せる位置で、静かに停車する。
運転席の窓がスッと下がり、中の男が鋭い視線をマンションへ向けた。
間違いない。佐々木だ。
やはり荒井の自宅はここで合っているらしい。
直斗は迷った末、木の陰から出て、助手席側へ小走りで近づいた。
「……佐々木さん」
声をかけると、佐々木は弾かれたようにこちらを向いた。理知的な顔に、明らかな驚愕と動揺が走る。
すぐさま助手席の窓が下りた。
「滝沢君、なぜここに……?」
「佐々木さんが駄目だって言うから、自分で来たんです」
「どうしてここがわかった? ……私は言ってないはずだが。それに今は、教員の住所は生徒には教えないだろう?」
「その、まあ、学校でいろいろ情報網があって――」
窓枠に両手をついて、必死に訴える。
「それより、俺、どうしてもじっとしていられなくて。武のために何かしてやりたいんです。だから――」
「馬鹿なことを言うな!」
佐々木が声を荒げた。
「昨日あれほど言ったはずだ。もし荒井に見つかったら大変なことになる。頼むから、今すぐ家に帰りなさい」
「だけど……あっ!」
佐々木と言い争っている、まさに、その時だった。
マンションのエントランスの自動ドアが開き、ひとりの男が姿を現した。
荒井だ。
黒いTシャツにデニム、薄い色つきサングラスというラフな姿だが、筋肉質の身体を誇示するような肩で風を切る歩き方は、学校と変わらない。
手には茶色のセカンドバッグを持っている。
荒井は周囲をキョロキョロと見回すと、敷地内の青いSUVに乗り込んだ。
「あの人です。荒井先生です!」
「しまった、出るぞ」
荒井のSUVのエンジンがかかり、ゆっくり動き出す。
「滝沢君、車から離れなさい。私は奴を追う」
「俺も乗せてください! 乗せてくれないなら、チャリであの車を追います」
咄嗟の言葉に、佐々木は一瞬迷う素振りを見せた。
だが、直斗が本気だと見て取り、舌打ちして言った。
「そんな無茶をしたら、すぐに見つかる。仕方ない、早く乗れ」
「はい!」
直斗は助手席に転がり込んだ。
「シートベルトを締めろ。頭を下げるんだ」
鋭い指示と同時に、車が滑らかに発進する。車内には革の匂いと、微かな整髪料の香りが漂っていた。
荒井の青いSUVが前方の交差点を左折していく。佐々木は絶妙な距離を保ち、間に一台挟むようにして後を追った。
「……まったく、君の無鉄砲さには呆れるよ。こんなこと今回だけにしてくれよ」
前を睨んだまま、佐々木がため息まじりに言う。
「すみません……。でも、ありがとうございます」
「礼はまだ早い。奴がどこへ行くのか、しっかり見届けるぞ」
尾行が始まった。
佐々木の運転は驚くほど巧みで、荒井の車の死角から決して外れず、こちらの存在を悟らせない。
刑事ドラマのような派手さはなかった。ひたすら神経をすり減らす作業だ。
やがて、荒井の車は市街地を抜け、郊外のバイパスに入った。
「どこへ行くつもりだ……?」
日曜の昼前。
パチンコか買い物か――
ところが荒井の車は商業施設に目もくれず、バイパスをひた走った。
それから十分ほど走ったところで、速度を落とし、路肩に停車した。
バス停の近くだが、待っている客はいない。
ただひとり、つばの広い帽子を目深にかぶり、さらに日傘で顔を隠すようにして、女性が立っているだけだ。
「お、誰かを拾うようだね」
佐々木が減速し、距離をとって停まる。
荒井が尾行を警戒する様子はない。
直斗は目を凝らした。
荒井の車の助手席のドアが開く。
女性は日傘を閉じると、開いたドアに身をかがめた。
その一瞬、帽子のつばの下で髪をかき上げる。そして、周囲をうかがうように振り返った横顔。
直斗は唖然とした。
濃いめの化粧。薄い黄色の花柄のワンピース。
人目をはばかるような、変装じみた装いだ。
学校でのきっちりしたスーツ姿とはまるで違い、眼鏡もかけていないが、その生真面目そうな顔立ちは紛れもなかった。
「……あ、あれ!」
声が喉に詰まる。
荒井の連れは、思いもよらない人物だった。
「どうした、滝沢君。あの女性に見覚えがあるのか?」
「は、はい……まさか……」
にわかには信じられなかった。
だが、間違いない。
「あれ……うちの担任の、花村先生です」
「え、なんだって!?」
佐々木が驚いて直斗を見る。
「君の担任? 同じ学校の教師か」
「はい……国語担当で、すごく真面目な先生です」
花村先生は、ドアに身をかがめたまま、荒井と二言三言交わしている。
直斗はすかさずスマホを構え、その様子を動画で撮った。
ズームで画質は落ちるが、二人の顔ははっきり写っているはずだ。
花村先生は素早く助手席に乗り込み、ドアが閉まった。
学校では、タイプが違いすぎて、あまり親しそうには見えなかった同僚。
体育会系の荒井と、堅物の花村先生が、休日に待ち合わせをして同じ車に乗っている。
「これはどういうことなんだろうな……?」
佐々木が低い声で言った。
北川先生につきまとっていた荒井が、休日には別の教師と密会していた。
この秘密が事件とどう結びつくのか、直斗にもわけがわからない。
「追うぞ、滝沢君。行き先がどこか、興味深い」
荒井の車は郊外へ進み、緑の多い北西のダム湖方面へ向かった。
かつては観光客で賑わったらしいが、今は廃れたドライブインや、人目を忍ぶ施設が点在するだけのエリアだ。




