第14話 一人ぼっちの殺人捜査
直斗は空席の目立つ塾の自習室で、スマホを握り締めたまま、長い間考え込んでいた。
――武は無事だった。絶対に犯人じゃない。
しかし、走り去った武の背中が、ずっと頭から離れない。
警察にも真犯人にも、ひとりで立ち向かおうとする武。
そして、「麻衣を守ってくれ」という言葉。
――この状況で、自分にいったい何ができる?
直斗は、ひとまず麻衣に連絡を取ろうと、スマホの画面を開いた。
だが、武と会った件を安易にメッセージで送るのは危険だ。今は、どこからどう漏れるかわかったものではない。
悩んだ末、無難な一文を送った。
『今、大丈夫? ちょっと話したいことがあるから、少しでも会えないかな? 事件のこと』
送信して、既読がつくのを待つ。
一分、二分――五分、六分……。
画面を見つめる時間が、やけに長く感じられた。十分ほどして、ようやく通知音が鳴る。
『ごめんね、直斗。今、妹が熱を出して寝込んでて、私が看病しなきゃなんだ。そばを離れられないから今日は会えない。月曜、学校で話そう』
いつもどおりの文面だが、直斗はそこに、いつもと違う不安を覚えた。
麻衣のひとつ年下の妹、亜季。
小中と同じ学校だから、直斗も一応顔は知っている。
姉妹仲はあまりよくないはずだが、それでも、妹が熱を出せば看病するのは当然だろう。
だが、あまりにもタイミングが悪い。
本当に亜季が病気なのか、それとも何か隠しているのか、そんな疑念が頭をよぎる。
『月曜、学校で』
その一文さえ、今はどこか距離を置かれている気が――
いや、違う!
直斗は自分の頭を殴りたくなった。
麻衣を守ると武に約束しておきながら、その本人を疑うなんて。本当にどうかしている。
しかし、このままだと、泥沼にはまって抜け出せない。
結局、考えてばかりいるから、嫌な想像が浮かんでしまうんだ。
今はとにかく、具体的に動いた方がいい。
直斗はそこでふと、佐々木のことを思い出した。
どんな些細なことでも連絡してほしい――喫茶店でそう言っていたあの人なら、この行き詰まった状況で、あるいは力を貸してくれるかもしれない。
直斗は財布から名刺を取り出すと、静かに席を立った。
自習室を抜け、階段を下りてビルの外へ出る。
土曜の昼下がりの通りは、車の音がまばらに響くだけだった。
人通りの少ない建物の陰に移り、深呼吸をひとつ。
名刺の裏の番号を打ち込み、発信した。
コール三回で繋がった。
『はい、佐々木です』
落ち着いた、理知的な声。思わず背筋が伸びる。
「あ! あの、滝沢です。この間、喫茶店でお話しした……」
『ああ、滝沢君か。どうした、何かあったのか?』
声のトーンがわずかに上がった。
「いえ、新しいことがわかったわけじゃないんです。ただ、警察の捜査がどうなってるのか気になって。佐々木さん、何か聞いてませんか?」
武と会ったことは、喉まで出かかったが飲み込んだ。
信頼できそうな人だが、そこまでは心を許せない。
なによりも、武との約束は絶対に守らなければならない。
『そうか……。まあ、気になるのも無理はない。目の前で事件を目撃したんだ、友達のことも心配だろう』
佐々木の声が少し柔らかくなる。
『警察は相変わらずだ。京子の家族ならともかく、単なる恋人の私には何も教えてくれない。荒井の件も一応言ってみたが、反応は鈍い』
今、容疑者として一番怪しいのは荒井だが、その様子だと、警察には期待できそうにない。
『それと、君が話してくれた友人の尾崎君のことだが、残念ながら、容疑者の候補にはあがっているのかもしれない。実はあの後で、刑事に、彼について京子から何か聞いてなかったかとしつこく聞かれたんだ』
「そうなんですか……」
やはり武の懸念は、当たっていたのか。
荒井が、武を現場で見た、と警察に証言したのかもしれない。
『とにかく、君が必要以上に気に病むことはない。警察だって、そこまで無茶な捜査はしないはずだ』
「俺は、武のこと信じてます」
『それがいい。その気持ちを大切にしなさい。でも、ひとりで暴走してはいけないよ』
佐々木の言葉で、直斗の不安はいくらか和らいだ。
『結局、気になるのは荒井だな。だから、私も警察を当てにしないで自分で調べてみることにした。明日にでも荒井の自宅へ行って、様子をうかがってみるつもりだ』
「え! 直接ですか?」
『ああ。住所はわかっている。荒井は「いつでも遊びに来い」と、京子に自分の住所まで教えていたんだ。京子は気味悪がって、私にもそれを伝えてくれていた。明日は休みだし、奴が休日に何をしているかこの目で確かめてみようと思っている』
北川先生にしつこく言い寄り、事件の夜に武に目撃された荒井。
もしあいつが犯人なら、武の無実は証明される。
「あの、佐々木さん、できれば俺も連れて行ってください」
直斗は反射的に叫んでいた。
だが、佐々木は慌ててそれを拒否した。
『いやいや、駄目だよ。相手は同じ学校の教師だぞ。ただでさえ目をつけられているかもしれない君を、巻き込むわけにはいかないな。それに、万が一荒井が犯人ならどうする? 何をしてくるかわかったもんじゃないぞ』
「荒井先生と顔を合わせないようにしますから、お願いします! みんなが武を疑ってるのに、何もせずにいるのは耐えられません。それに佐々木さん、荒井先生の顔を知りませんよね?」
『京子が学校で撮った集合写真で、見てはいるが……』
「はっきりわからないなら、やっぱり一緒の方がいいですよ。それに佐々木さんひとりだと、何かあった時困るんじゃないですか?」
『しかしな……』
佐々木は躊躇しているようだった。
「お願いします! じっとしていられないんです。武が犯人扱いされたままなんて、絶対に嫌なんです!」
繰り返しの訴えに、電話口の沈黙が数秒続いた。
『……すまないが、やはり駄目だ。君の覚悟は伝わった。だが、連れては行けない』
穏やかな言い方だが、有無を言わせぬ威厳があった。
『京子だって、教え子が危険を冒すことなど、絶対に望まないはずだ』
「でも……!」
『これは大人の問題だ。君は君のことを第一に考えなさい。いいね?』
正論を言われ、直斗は引き下がるしかなかった。
『それじゃ、また何かあったら電話をしてくれ。体に気をつけるんだぞ』
「はい……」
佐々木は静かに電話を切った。
がっかりはした。
だが、荒井を疑っているのは自分だけではない。
それがわかったのは心強かった。
――今は、自力で調べるしかない。
直斗はスマホを握り直し、自習室へは戻らず、駅の方へ歩き出した。
たとえ一人でも、荒井の秘密を探ってみせる。




