第12話 再会
事件から数日が過ぎた、土曜日。
遅くまで寝過ごした直斗はカーテンを引き、日の光に目を細めた。
久しぶりの快晴だが、それでも外へ出る気は起きない。
その後、警察の捜査がどこまで進んでいるのかは、まったくわからなかった。
ニュースで事件が取り上げられることも、日に日に少なくなってきた。
教師や生徒たちでさえ、もはや殺人事件など最初からなかったかのように、普段の顔に戻って学校生活を再開させている。
けれど、直斗はいまだ気持ちを切り替えることができずにいた。
抱き起こした北川先生の重み。力の抜けた身体が沈んでいく感触。生気の残った肌の生ぬるさ――
それはまだ掌にこびりついたまま、一向に消えないのだ。
それに、武と麻衣のことも気がかりだった。
武はずっと欠席したままだし、麻衣は普段どおり学校に来てはいるものの、一日中沈んだ表情をしていて、声をかけても上の空だ。
なんとなく自分だけ避けられているような――
直斗は、そんな気がしてならなかった。
こんな気持ちのままじゃダメだ。今日こそ二人に連絡しよう。
そう決めて、服を着替え、スマホを手に取ったその時、一階から奈美恵の声が響いてきた。
「直斗! まだ寝てるの? 早く起きて勉強しなさい!」
生返事をして階下へ降りる。
奈美恵はソファで、テレビを見ていた。
この感じだと、どうやら今日は一日中家にいるらしい。
このまま奈美恵と顔を突き合わせているのも、気が重い。
直斗は、すぐに外に出ることにした。
「ちょっと出かけてくる。塾の自習室で勉強するから」
朝食も食べず玄関を出て、数ブロック先のコンビニへ向かう。
土曜の住宅街は人通りも少なく、気だるい空気が漂っていた。
だが、突然――
「……おい、直斗」
低い、押し殺したような声が後ろから聞こえた。
心臓が跳ね上がる。
聞き覚えのある声。けれど、今この場所で聞くはずのない声だったからだ。
恐る恐る振り返ると、植え込みの陰に、背の高い男が隠れるように立っていた。
黒っぽいスウェットにグレーのマスク。
だが、その鋭い三白眼と長身は、見紛うはずもない。
「武?」
声が震えた。
武は周囲を警戒し、唇に人差し指を当てて手招きする。
直斗は誰もいないことを確かめ、吸い寄せられるように植え込みの陰へ移った。
マスクを取った武の顔は、痛々しかった。
頬はこけ、顎には無精髭。
スウェットの袖や裾には泥のような汚れがつき、何日も同じ服を着続けているのがわかる。
常に鋭く冷めた瞳に、追い詰められた末の、焦燥の色が浮かんでいた。
「武……今までどこにいたんだよ! 学校ずっと休んで、連絡もくれないし」
小声だが、思わず強い口調になる。
武は軽く頭を下げた。
「すまない。心配かけたな。学校で噂になってるのは知ってる。どうせみんなオレが犯人だって言ってんだろ」
「……正直に言えば、そうだ」
「……わかった。直斗、結論から言う。オレは北川先生を殺していない」
「だよな!」
直斗の全身から力が抜けた。
武のその言葉で、胸のつかえが一気に取れたからだ。
一応、信じてはいた。
だが、本人の口から否定されるまで、心のどこかに不安があったのも事実だ。
「お前がそんなことするわけないって、麻衣とも話したんだ」
「ああ……ありがとな」
武の表情がわずかに緩んだが、すぐにまた険しい顔になった。
直斗は続けて尋ねた。
「でも、それならどうしてずっと休んでたんだよ。誰が何を言おうと気にしないで堂々と出席すればいいだろ。その方がお前らしいのに」
「別に隠れてたわけじゃねえ。事件の後、オレは何度か警察の取り調べを受けた。それがショックで母親の様子がちょっとおかしくなって、ずっと面倒を見てたんだ」
「え! ……そうだったのか。……悪い」
家庭の崩壊に加えて、殺人犯扱い。
武がどれほどの絶望に耐えているかと思うと、直斗の胸は強く痛んだ。
「気にするな。そんなことよりもっと最悪なことがある」
「最悪って……」
「学校だけじゃねえ。どうやら警察もオレを完全に犯人としてマークしているようだ。未成年だから慎重になってるみたいだが、もしかしたらもうすぐ逮捕されるかもしれない」
「逮捕!? まさか!」
天文部の門脇が言っていた、『警察が武を疑っている』という噂は出まかせではなかったのか。
確かに、武の声は真剣だ。
「だからもう家には戻らない。母親は親戚に頼んで入院させた。学校にも行けない。――でも直斗、お前とここで会えたのはついてたぜ。オレの話をまともに聞いてくれるのは、お前と麻衣くらいだからな」
「当たり前だろ。俺たちが聞かなくて、誰が聞くんだよ。でもさ、なんで警察までお前を疑ってんだ。そもそも、お前が北川先生を殺す理由なんてないだろ」
「動機か? 生徒の分際で北川先生に惚れて、振られた腹いせに殺した――そんな筋書きらしい。ガラの悪い刑事に、さんざん『そうなんだろう?』と聞かれたからな。いくら否定しても信じねえ」
おそらく、あの山田刑事だろう。
いかにも言いそうだ。
「だがひとつ、非常にまずいことがある。あの日のあの時間、オレは現場にいたんだ。それは事実だ」
直斗は息を呑んだ。
「やっぱりか」
「え!!」
武は驚いて、細い目を大きく見開いた。
「直斗、何で知ってる。お前もしや――見てたのか?」
「ああ、見てた」
「どこからだよ」
「――実はあの夜、新校舎の屋上で天文部の天体観測会があったんだ。そこから双眼鏡で見た。偶然な」
「……そういやお前、春から天文部に入ったんだったな。麻衣から聞いている」
直斗は、あの夜に何があったのか、ざっと武に説明した。
「そうか……お前に見られてたとは運がよいのか悪いのか」
武は苦笑いして言った。
「最初に気づいたのは麻衣だ。ただ麻衣は犯人の顔はわからなかったって言ってる」
「麻衣までそんなことに……。それは可哀そうだったな……」
麻衣を心配するその顔に、さらに暗い影が差す。
「それで武、ちょっと聞きたいんだけど」
「なんだ?」
「北川先生が誰かに襲われているのを見た麻衣は、驚いて双眼鏡を落とした。それはさっき言ったよな?」
武は黙って頷いた。
「お前が旧校舎の二階に上ったのはそのすぐ後だ。犯人は、階段を上がってくるお前の足音に気づいて、急いで現場を離れた。たぶんお前と反対方向へ逃げたんだと思う。――つまりあの時、北川先生を殺した真犯人はまだ近くにいたはずなんだ」
「……そういうことになるな」
「だから武、お前あの時、他に誰か見なかったか? 何か怪しい人影とかさ」
「いや……」
「そっか……。じゃあさ、そもそもなんで、あんな時間に旧校舎にいたんだ? 下校時間はとっくに過ぎてただろ?」
「それは、北川先生本人に呼び出されたからだ」
「え! そうなのか?」
「じゃなきゃ、あんな時間に旧校舎なんか行かない。……あの夜、家に電話があったんだ。『北川だけど、どうしても話したいことがあるから午後八時ちょうどに旧校舎の二階の廊下まで来て』と、一方的に言って切れた」
「それ、本当に北川先生だったのか?」
「声は間違いないと思う。ただ時間は遅いし、発信元は非表示だったから少し不自然な気はした。でも放っておくわけにもいかないから、時間どおり旧校舎に入って、二階に上がると、廊下の奥に誰か倒れているのが見えた」
武の喉が、ごくりと鳴った。




