第8話 攻撃は最大の防御
テーブルの連中は、そわそわと互いに顔を見合わせた。その動きが、驚きを物語ってる。
「国王陛下」
テーブルの端で、客の一人が立ち上がって、ナトに向かって一礼した。
「諸卿がた」
そう付け加えて、今度は連中に向かってもう一礼。
それから咳をひとつして、居並ぶ一同を見渡した。俺のところで、視線がわずかに長く止まる。アゴの骨が、軽くひくついた。
「東方の情勢は、緊迫の一途をたどっております。住民の一部からは、素性の知れない獣による、日増しに大胆さを増す襲撃の報告が上がっており……国境にもっとも近い耕地を捨てざるを得なかった者も、少なくありません」
一言ごとに、部屋の空気が重くなっていった。話し手は最後に王へ会釈して、腰を下ろした。
「将軍の言うとおりだ……何やら汚らわしいモノどもが、民を苦しめておる。東部の備蓄は痩せる一方。このままでは、あの地の冬は厳しいものになるだろう」
ナトが引き取った。
「手遅れになる前に、手を打たねばならん」
締めくくるナトは、心底案じてる様子だった。王冠が軽く傾いてることにさえ、気を留めてない。ブー先生の金言のひとつでもかましてやりたかったが、突き刺すようなあの視線が語ってた。今は出しゃばるタイミングじゃねえ、と。
「国境沿いに、巡回を配置しては……」
向かいの席のご老体が口を開いた。
「可能ではあります。ですが、西部戦線の戦力が大幅に削がれます」
将軍が返す。
膝の上で、指に力がこもった。頭ん中の何かが囁いてる――『親父』が俺を気に食わなかろうが、完璧な解決策を握ってるのは、この俺だぞ、と。
「『攻撃は最大の防御』ってな」
大して考えもせず、口走ってた。
(いや、もっと長く考えるべきだったかもな。王の視線が、テリクスに打たれたあばらの下あたりに、突き刺さってきやがったからだ)
「国境の外を叩くわけには参りません。獣どもの戦は、遊撃戦ですゆえ」
脇から誰かが口を挟んだ。
「獣どもが東の国境から攻めてくるんなら、そりゃ向こうの国の問題だろ。とっととしょっ引かせろよ。やらねえってんなら――戦争だ。だろ?」
我ながら、なかなか筋が通ってると思った。だってさっきから、国境がどうとか言ってんだろ。歴史の授業で習ったぞ。こういうのは、何度も戦争になったって。
だが、居並ぶ客どものツラを見るに、どうやら俺は間違ってるらしかった。
「わ、若様……東方にあるのは、いずれの国にも属さぬ、未開の独立地帯でございまして……」
将軍が切り出した。
「軍を進めれば……その……近隣諸国には、かの地を巡る盟約への軍事的違反と、受け取られかねません……」
その声は、『本当にこれをご説明せねばなりませんか』と問いかけてるようだった。
「実のところ……我が息子の言うことは、意外にも正しい。この状況で、悠長に構えておる余裕はない」
王は、俺の背中を軽くポンと叩いた。
(ヤベえ。俺、王様稼業で無双してんじゃん)
胸が勝手に前へ突き出た。ご老体が数人、驚いたツラでこっちを見てる。
「掃討部隊を送る。その間、親愛なる卿らには使節として発ってもらう。状況を説明し、軍事行動への同意を取りつけるのだ」
何人かがひそひそやってたが、王の決定に異を唱えるヤツはいなかった。評議はそのあと、こまごました議題をいくつかテンポよく片づけて、王が退室すると、お歴々は散り散りになった。
城の廊下を、頭を高々と上げて歩いた。下げたのは数回だけ――絨毯の柄を確かめるためだ。それが俺の城内マッピング作戦ってヤツで、おかげで中庭までたどり着けたくらいだ。
行き交う連中を眺めてるうちに、だんだん結論が見えてきた。ここには、ナマダが要る。権力だの何だのは確かにあるけどな、二言三言かわせる相手ってのが、まるでいねえんだ。テリクスは何かにキレてる――何にかは、さっぱりだ。レイスは無礼なヤツだ。でなきゃ、少なくとも俺を嫌ってる。執事も、昨日のあの面子も、どいつもこいつも堅苦しい。
(味方を、確保しねえとな)
で、味方の話だが――別にブサイクである必要は、ねえよな。アリス。確かそんな名前だった。少なくとも、あいつのメシ包みの布きれには、そう書いてあった。噴水の向こう側に、その姿を見つけた。俺がベンチに居座ってたせいで、席替えを強いられたらしい。
「よう!」
できるだけ自然に、笑いかけてやった。
アリスはおどおどと、視線を足元に突き刺した。
「昨日は悪かったな。お前が俺と気軽に喋っちゃいけねえなんて、知らなかったんだ」
「お、お気になさらず……わ、若様……」
(手強え)
「命令だ! お前のボスだか何だか、そんな感じのモンとして命じる。俺のことは、ヤンって呼べ!」
背筋を誇らしげに伸ばして、そう宣言してやった。
アリスは、まるでオッケーサインひとつと引き換えに一億円を差し出された、みてえな目で俺を見た。こっちの金貨で何枚になるのかは、知らねえけどな。
「か、かしこまりました!」
はにかむように笑った。
「隣、座っていいか?」
無言のまま、かすかな笑みを浮かべて、ベンチの上で軽く体をずらした。
「ひとつ、聞いてもいいか?」
こくりと頷く。
「名前、何ての?」
少しの間、考え込んでた。その間、こっちはこっちで頭を捻ってた。支配者ってのは、こういう子の名前くらい知ってて当然なんじゃねえのか、とか何とか。
「……アリスです」
小さな声で、そう答えた。
握手しようと、手を差し出した。だがアリスは、自分の手首をぎゅっと掴んだ。自分の手を押さえつけようとするみてえに。
「も、申し訳ございません……わ、若様に、触れることは――」
意味ありげに見つめてやった。さっきの頼みってヤツを、思い出させるためだ。
「――ヤ、ヤン様に、触れることは、できなくて……」
(なんつうクソルールだ。こいつら、ガチで中世をやってやがる)
手を引っ込めた。こんな美人に、面倒ごとを背負わせたくはねえからな。
「そうか……」
昔から、女の子に声をかけることはあった。ただ、名前を教えてもらう段階までたどり着けたことは、めったにねえ。だいたいは『無理。彼氏呼ぶから消えて、負け犬』で終わりだった。
この先、どう話を続けりゃいいのか、アイデアはゼロだった。それに、この会話があいつにとって迷惑だってことくらい、見りゃ分かる。
だが、今朝のあいつの落とし物を思い出した。靴ん中をゴソゴソやって、自分の足と軽く格闘した末に、『アリス』と書かれた、シワくちゃのピンクの布きれを引っ張り出した。
「これ、お前のだろ」
口の端がひくりと動いて、目に軽い光がよぎった。
「ありがとうございます!」
さっきよりデカくて、しっかりした声だった。布きれを高く持ち上げて、じっくり眺めてる。
笑みが、勝手にツラに貼りついてた。いつの間にか、だ。
「血の染みは、悪かったな。今日は……キツい一日だったんだ」
アリスは布を丁寧に四角く畳んで、膝の上に置いた。
「お気になさらず! 取り戻せたことが、いちばん大事ですから」
(ふー。一日中、靴ん中で持ち歩いた甲斐があったぜ)
「大事なモンなんだな……」
「はい! 母に、誕生日にもらったものなんです」
膝を見つめたまま、そう言った。
「取り戻せて、よかったな」
それからも、しばらく黙って座ってた。朝のレイスの芝居のあとにしちゃ、これでも大した戦果だ。そう思うことにした。日は、ゆっくりと西に傾いていく。
「そろそろ行くわ、アリス。どうせすぐレイスが俺を探しはじめて、学院がどうのと、ぐだぐだ言い出す……」
アリスの両手が、膝の上で急にこわばった。顔から、コンマ数秒、あらゆる表情が消える。
「若様は、学院へ行かれるのですか?」
「アリス、名前でいいって――」
(待てよ。こいつら、その学院ってのの何がそんなに気になるんだ)
「――で? 何か、マズいのか?」
「その……ヤン様。学院のことを良く言う人を、私はひとりも知りません……」
目を伏せた。




