第7話 さん、に、スタート
テリクスは俺の正面に立って、木刀を軽快に振り回してた。
と思ったら、それを空中で縦にピタリと止めて、真ん中の曲がりを眺めて、指でなぞる。
「これじゃ、子供用じゃない!」
非難がましくそう言って、レイスのほうをチラ見した。
レイスはあごヒゲをさすった。まずテリクスを、それから俺を見る。
「若様は、稽古の得物の変更にご同意なさいますか」
「死んでもお断りだ!」
――この声に混じったパニックは、俺の耳にも届いた。
もちろん、自分の身を案じたわけじゃねえ。どうせ女の子と戦わされるなら、せめてあんまり壊したくねえってだけだ。なんせ、かなり小柄な十七歳なんだぞ。気が強えのは、確かだ。けど恨みはねえ。今んとこはな。
「ダメだ! 体重差がありすぎる……ケガさせちまうだろ」
木刀の握りを直しながら、そう付け足した。手の中で、どうにも据わりが悪い。デク野郎を叩いてたときより、ちょいと悪いくらいだ。
「本当に、俺とやんのか?」
テリクスはまた得物をくるりと回した――脇の下にくぐらせて、左手から右手へ持ち替える。
(ハッ。くだらねえ小細工を。あんなもん、誰だってできる)
左手から右手へ、持ち替えてみた。
スルッと手から抜けて落ちた。
「妹ちゃん。ムキになんなって。俺はお前を傷つけたくねえんだ!」
地面から得物を拾いながら、心の底からの本音を言ってやった。
「へえ! 私を傷つけたくない? そう、面白いこと」
細い指が、柄をどんどん強く握りしめていく。
「若様、始める時間でございます。ご準備はよろしいですか」
(よくねえよ! 準備なんかできてねえ! あいつの体重、せいぜい40キロだぞ。あんな棒きれだって、あいつを殺せちまう)
「レイス、こいつは女の子なんだぞ。マジで、手なんか上げられるかよ」
こっちが反応するより先に、あいつは前へ出てた。
にしても、速え。
木刀を縦に構えた。あいつは左から振りかぶりながら、全速力で突っ込んでくる。奇跡的に、ブロックが間に合った。振動が前腕を丸ごと駆け抜ける。クソ痛え。数歩、後ろに下がった。
「おい! 『さん、に、いち、スタート』がまだだったろ!」
「じゃあ、さん、に、スタート」
テリクスは眉を寄せて、鼻を鳴らした。
今度は走ってこなかった――左、右、と体を揺らして、回り込もうとしてるみてえだ。唾を飲み込んだ。そいつが喉仏を通り過ぎるより先に、テリクスはもう30センチのところまで来てた。
「これは……あんたの……これまでの……全部の……」
呼吸の合間に、途切れ途切れにそう吐き出しながら、俺のあばらを打ち据えてくる。
こっちはブロックと回避で手一杯だった。何発かはかわせた――主に、屈んでやり過ごしたヤツだ。頭を狙ってきやがるからな。
マジで、木刀であいつを打ちのめしたくはなかった。最初は、朝メシと、俺の朝のささやかなやらかしに腹を立ててるだけだと思ってた。
だが、段々わかってきた。この一発一発は、心の底から来てる――正確には、心の底の、暗いほうからだ。
レイスのほうをチラ見した。物思いにふけったツラで、あごヒゲをつまんでる。この(体重的にも性別的にも)不公平な決闘を止める気のある人間には、とても見えなかった。
「テリクス!」
左のあばらを押さえながら、なんとか絞り出した。そこがいちばん効いてた。あいつの木刀に使われてる木材は、ワンランク上等なモンに違いない。絶対そうだ。
「何よ」
息を切らしながら、ぶっきらぼうに返してくる。振り回し続けて疲れたんだろう、頬と額が赤くなって、軽く腫れぼったくなってた。
「ちょっと休憩にしねえか?」
左の脇腹がまた刺すように痛んで、顔が歪んだ。
レイスはたぶん俺に有利と判定したんだろう、少しして休憩を言い渡した。数メートル離れて、俺たちの戦いの途中で現れたらしい衛兵と、二言三言かわしてる。
テリクスは試しにあと数回素振りをして、それから木刀を慎重に地面へ置いた。柄を、リングを囲む木の柵に立てかけて。
「なあ、もうちょい力抜いてくんねえか?」
拳を握り込んでみた。腱が無事かどうかの確認だ。握れはした。正直、なかなか痛かったけどな。
「あら、どうして?」
柵にもたれて座ってる。
「そりゃ、フェアじゃねえからだよ! こっちは攻撃できねえんだ。お前が女の子だから! しかも年下! おまけに俺の妹ときてる!」
言葉が折り重なって、口から飛び出した。
「いったい何があったの? 急に人前で、私のことをお認めになるだなんて」
声には、芝居がかった驚きが混じってた。
(は? 当たり前だろ。妹がいるなら、いる。それだけの話だ)
いや実際、よくよく考えてみりゃ、だ。俺はどうやら、誰かさんの靴に足を突っ込んじまったらしい。ナマダのヤツがあのアニメだののルールを語ってたとき、ちゃんと聞いとくんだった。
とはいえ、どこからともなく現れた十九のヤツを、みんなが知ってて愛してる――なんてこたあ、まずありえねえ。もっとも、その『愛してる』のほうも、見た限りじゃ怪しいモンだったけどな。
「いやだって、お前は俺のいもーとだろうが!」
心の底から笑いかけてやった。少し歪んじまったけどな。あばらがクソほど痛みやがるんだ。
だが、返事は来なかった。
まばたきひとつの間に、あいつはもう立ち上がって、戦闘態勢に入ってた。手の動きひとつで、休憩は終わりだと告げてくる。そこからは情け容赦なしだった。一発、また一発。ちっこいブロンドの悪魔かよ。
途中からはルールを捨てて、やり返そうとまでしたんだが、あいつにとって幸運なことに、ちょうどそこでレイスが決闘の終わりを告げた。予期せぬことが起きましたゆえ、稽古は中断です――と、肩越しに言い捨てて、出口へ向かっていく。
こっちはまさにこれからってとこだったんだが、まあ、この急展開のおかげで、打たれた膝を揉んで、あばらのアザを数えて、ナックルの血を袖で拭く時間ができた。
あのちっこい悪魔ときたら、拳のプロテクターがねえことなんざ、気にもしてなかったからな。
被害の集計を終えて、人形の隣に腰を下ろした。正直な話、いま射程内にいる敵は、こいつだけだった。息はいつもより重くて、体のあちこちが自己主張を強めてくる。戦いの最中は、何もかもが速く、ダイナミックに見えた。向こうの世界でも何度かケンカはやったが、あっちの画のほうが、なんかちょいクッキリしてた。
視界の隅で、テリクスがまだこっちをじっと見てるのが分かった。目に宿った怒りが、ゆっくりと薄れていく。
「あなたに何があったのかは知らないけど、あの学院では生き延びなさい」
額に落ちる一房をかき上げて、きびきびした足取りで出口へ向かっていった。
(学院? 中学を生き延びた俺だぞ。学院くらい、生き延びてやる)
どれくらいそこに座ってたのかは、分からねえ。三十分か、一時間か。ずっと空を見上げてた。完璧に澄み渡ってた。
塀の向こうのどこかから響いてくるラッパの音が、だんだんデカくなってきた。そろそろリングからプライドの残骸を拾い集めて、今んとここの世界でいちばんのお気に入りスポットへ向かう頃合い――そういう合図だと解釈した。バルコニーに囲まれて、真ん中に噴水のある、あのイカしたベンチだ。
城ん中は、ざわついてた。使用人ども――お仕着せが揃ってることから、先に推理済みだ――が、せかせかと行ったり来たりしてる。ただ、衛兵の数は朝よりだいぶ減ってた。さっきまでは廊下ごとに最低でも数人は立ってたのに、今じゃたったの一人だ。
少しして、執事に捕まった。評議の間へ向かえとのお達しだ。――その『評議の間』とやらがどこにあるのか、俺が知ってるみてえな言い草でな。
そこでシンプルな作戦を採用した。尾行だ。で、たどり着いた。正確には――厨房にたどり着いた。使用人どもの視線から判断するに、評議がここで開かれる線は、まずなさそうだった。執事が尾行に勘づくまで、たっぷり三十分。だが、作戦は実を結んだ。
部屋はそこそこ広かった。朝メシのあのホールほどじゃねえけどな。真ん中に十二人掛けのテーブル、両脇に椅子、いちばん奥には小ぶりな玉座みてえなモンが据えてある。先客が何人か、もう席についてた。廊下の連中より、明らかに上等な身なりだ。ほとんどが、金の糸を織り込んだ、色鮮やかで飾りの多い装束を着てる。
敷居をまたいだ瞬間、全員が立ち上がった。軽くリズムを狂わされた――後ろから王が入ってきたんだと思い込んで、足が止まる。ところが、視線は全部こっちに向いてた。両腕がこわばった。しばらく真ん中に突っ立って、横からどっかの年寄りが現れて椅子を引いてくれて、ようやく最後の数メートルを進んで腰を下ろした。
どう見ても、まだ誰かを待ってる状況だった。いちばん飾りの多い椅子が、まだ空いてる。少しして、ジイさんが入ってきた。理論上は、俺のジイさん。ナトだ。
ただ、この入場は朝のとは大違いだった。速くて、静かで、タイツ姿のラッパ持ちどもという花火もナシ。
ツラには渋面が張りついてた。何度か両手をテーブルに置いては、すぐ引っ込める。拳を握り込んで、ようやく踏ん切りがついたらしい。
少しして、ナトが口火を切った。
「諸君。まずいことになった」




