第6話 稽古のお相手
自分の部屋にたどり着こうとするのは、右上のミニマップなしじゃリスクが高すぎると判断した。
休憩場所には、今朝あの美人が座ってたベンチを選んだ。
(また会えるかもしんねえし)
ふくらはぎを揉みながら、さっきよりずっと静かな広場を眺めた。
ここの連中は、背筋を伸ばして、堂々と歩こうとしてる。ほとんどが同じ格好だ――白いフリルをあしらった黒いワンピースか、クリーム色のシャツに茶色のズボン。このハコで多少バリエーションがあるのは、用心棒だけだった。
以上のことから推理するに、胸についてる色だの模様だのは、たぶんヤツらを階級かなんかに分けてんだろう。
靴を脱いだ。足は、公園での夜の冒険マラソンのあとより腫れてた。
(この靴は、せいぜい誰かへのプレゼント用だな。たとえばレイスとか)
噴水の陰から、俺より背の低い金髪頭が現れた。今朝のヤツと同じだ。
手を振ってやった。執事も妹だって言ってたしな。
向こうも俺を見た。そこは間違いねえ。
なのに顔を逆のほうに向けて、歩調を速めて、かなり不自然に進路を変えた。
「おい! 妹ちゃーん!」
と、声を張った。
そしたらヤツは、いよいよギアを上げやがった――さらに鋭く曲がって、人混みに突っ込んでいく。追いついたのは、出口の直前だった。
正直、体力はもう少しあってもいい。息を整えてる最中に、いきなり向こうから斬り込まれた。
「何か用?」
一房の髪が、赤くなった額に落ちてる。こいつも大概、体力ねえな。
「妹ちゃんに挨拶をな」
俺は歯を見せて笑った。
「朝はなんつーか……気づかなかったんだよ」
ウインクを一発。
「あら」
作り笑いでそう返してきた。
「何年も経って、やっと私だって気づいたのね。おかしな話」
芝居がかった動きでかかとを返し、また落ちてくる一房を直した。
「待てって! 話がしたかったんだよ!」
「じゃあね」
こっちを振り返りもせずに、そう切って捨てた。
(何年も前に気づけるわけねえだろ。俺がここに来たの昨日だぞ。イカレ女が)
この中庭には、デカい利点が一つあった。
頭の上に、何もない。
ここから見る空は、きれいだった。俺んとこと同じ空だ。雲も同じ、色も同じ。
ただ、なんかもっとクッキリしてる。何もフィルターがかかってねえみてえに。
(もしかしてこっちが本物の世界で、あっちはただの前フリかなんかだったんじゃねえの)
世界がイカレ病棟じゃなくて、俺の頭も正常――少なくとも診断はされてねえ――ってことなら、今日の出来事を頭ん中で整理しといたほうがいい。
少しして、これまでの立ち回りの収支が出た。
残念ながら、俺の夜と朝の働きで得をした味方のリストは、きっちりゼロ。一方、敵のリストは最低でも二人。
レイスと、あいつのあのニヤけたツラ。
今日の稽古があいつにとって一種のご褒美だってことが、だんだんハッキリしてきた。
ていうか、そもそも何をやるんだ? サッカーはかなりの確率で除外できる。あの張り切りようからすると、どっちかっつうとボクシングだ。
(やっぱデカいな、あのジイさん)
ちょっと考えて、保険をかけとくことにした。噴水の中をしばらく漁ったら、拳にぴったり収まる石が二つ出てきた。
(火力は、そろえとかねえとな)
稽古については、わずかに気が楽になった。時間についちゃ、わずかにその逆だ――そもそも何時かなんて、どうやって知りゃいいんだ?
幸い、その問題は後回しにできた。足を人間に戻す作業をもう一巡やってたら、中庭にまたレイスが入ってきたからだ。
胸を前に張って歩きながら、ついてこいと言われた。ほかに選択肢はなかった。
さっきテリクスが駆け込んでいったのと同じドアを抜けさせられた。その先には広場が開けてた――仕切りで区切られた区画がいくつかあって、端には人形が立ってる。
左手には障害物コース。街の野外ジムみてえなヤツだ。ただし、こっちは中世レベルだけど。打ちつけただけのハシゴが何本か、平均台っぽいの、地面に突き刺した棒が数本。
「本日は剣術の稽古をいたしましょう、若様」
「剣術?」
足が勝手に止まった。帰り道をちゃんと覚えとくために、背中側をチラッと確認する。
ドアまで100メートル、全力ダッシュ。
問題ねえ。
レイスは、人形の立ってる真ん中あたりの区画を指した。そして、鋼のすね当てを外しはじめた。
やたらゆっくりやってる。剣術なんてのは前菜で、そのあとはK-1ルールでやり合うぞ、とでも言いたげに。
俺は頭をかいた。
「剣術ってあれだろ、木の棒でやるヤツ。映画であんだろ、師匠が弟子を鍛えるとき、壊したくねえから木でやるってのが」
レイスは俺の質問を完全に無視した。心のどこかでは、映画ってのが何か知らねえから無視したんだと思いたかった。
ただ、予感は別のことを言ってた。
幸い、出だしは悪くなかった――渡されたのは木刀だった。それでも、けっこう重かったけど。
レイスは、ウォームアップに人形を何発か叩けと言ってきた。
デク野郎に当てるのが、これがまた難しい。腕が綿みてえになってて、おまけに震えてやがる。
レイスは軽く信じられねえってツラで俺を見てた。たぶん出来がよすぎて、ここまで純度の高い才能はめったに見ねえんだろう。
少しして、あいつはすね当てを締め直した。ヒゲを何度かひねって、理由は知らねえが、明らかに不満げに何か毒づいた。
「若様、もっとしっかり体を温めておいてください」
諦めたようにそう言って、ドアのほうへ歩いていった。
人形は、なかなかいい一撃を何発か食らった。
剣術ってのは、別に難しい理屈じゃねえってことが判明した。棒だか剣だかで、相手をぶっ叩く。それだけだ。特殊警棒だのなんだのでやり合うのと似たようなモンだろ。
経験はねえけど、こんなもん、楽勝だ。
その狂ったような自主トレのせいで、レイスがいつ戻ってきたのかも分からなかった。
しかも、一人じゃなかった。
「本日の稽古の、若様のお相手です」
レイスの隣には、額に一房を落とした、背の低い金髪が立っていた。
「おいおい、アンタ。俺が妹を棒でぶん殴るわけねえだろ」
俺は声を荒げた。
(それだけはナシだ。女は殴らねえ)
「若様、どうか落ち着いてくださいませ。若様にふさわしいお相手をご用意いたしました」




