第4話 異世界
隣の女の子が、直立不動になった。両手で、ワンピースの裾を握りしめてる。
レディが立ってるのに座ったままってのは、カッコがつかねえ。俺も立った。
レイスのツラは、今にも爆発しそうだった。隣の女の子は、全身で震えてる。
レイスは1メートル、いや、それ以下まで詰めてきた。
「……これは、何の真似ですか」
小声だった。だが、人を殺せそうなトーンだった。
女の子は目を閉じた。赤らんでた頬が、今は灰色に変わってる。
「持ち場に戻りなさい。今すぐに」
少しだけ声量を上げて、レイスがささやいた。
頷いて、左手の脇のドアへ早足で消えていった。
レイスの目玉は、今にも眼窩から飛び出しそうだった。もはやワインレッドの顔に、引き結ばれた唇。額を、汗が一滴伝った。
「若様は。人前で。使用人と。」
歯の間から、絞り出してきた。
「使用人と、何だよ?」
眉を軽く上げてやった。
「――馴れ合ってはなりません。」
短く、投げつけてきた。
「何言ってんだよお前。あんな美人を、番号も聞かずにスルーしろってのか?」
言葉は、勝手に口から流れ出てた。茶番は茶番だ。だがこんなチャンス、そうそう転がってるモンじゃねえ。
できるもんなら、一発入れてやりたかった。実際、拳はもう握り込んでた。
だが――検察。警察。裁判所。
拳は、ゆるんだ。
レイスは、噴水の向こう側のドアへ手を差し出した。それからもう一度、俺を頭から爪先まで測ってくる。
「若様の自由時間は、これにて終了でございます」
「行かねえ。テメェ、ムカつかせやがって」
腕を組んでやった。
「若様」
耳元に、口を寄せてきた。
「今宵は、鍛錬のご予定があることをお忘れなきよう。若様のお振る舞い次第で、私めの熱の入れようも、良くも悪くも変わって参ります。――どうか、賢明なご選択を」
最後にうっすらと笑みが浮かんだが、友好的なモンでは断じてなかった。
しぶしぶ、一歩前へ出た。
靴の下で、何か柔らかいモンを踏んだ。
あの子のサンドイッチが、革靴の底にへばりついてた。
(革靴? 俺のスニーカーはどこ行った? 返さなかったら殺す)
ベンチの張り布で、靴を拭いてやった。
サンドイッチの包み布が、風にあおられて、ふわりと浮き上がる。あの子のだ。ピンクの木綿の四角い布で、真ん中に何かの刺繍。右上の隅に――「アリス」。
いい名前だ。
ジャージのポケットにしまおうとして、手が空を切った。俺は、全身着替えさせられてる。
クソ。よそ行きのジャージだったんだぞ。ケンカで無事だったことを祈る。二着目は、ねえんだ。
このドアは、さっきのよりちょいデカかった。両脇には、また例のラッパ持ちどもが立ってる。
レイスは、門の数歩手前で足を止めた。
「若様。日課の、平民区の見回りのご用意はよろしいですか」
前を見たまま、聞いてきた。
「何のだって?」
レイスが、上の誰かに合図を出した。ドアが、ゆっくり左右に割れていく。
広がっていく隙間から、光が差し込んでくる。レイスが数歩、前へ出た。俺の膝は、軽く笑ってた。同じようにする。
太陽が、まともに顔を撃ってきた。目を細める。
足元には、十数段のデカい石の階段。左右に、石像が二体。一体は、朝食のあの王冠のヤツに似てる。もう一体は若い男で、ちょい背が低い。頭には小さめの王冠。剣の切っ先を下にして、支えてる。
どっちの像もゴツくて、高かった。俺の倍はある。
太陽が勘弁してくれた頃、前を見た。
数百人が、広い通りを行き交ってた。
階段を下りた。大通りから数メートルのところに、俺は立ってる。
片側から、映画で見るようなキャラバンが近づいてくる。ただし引いてるのは、育ちすぎたトカゲだ。
近くの何人かは、かなりおかしな見た目をしてた。髪の色が、バラバラなんだ。薄紫から、燃えるような赤まで。
頭が、クラッときた。
向かいの屋台は、果物と魚と肉で溢れかえってる。女たちの耳は、あのアリスと全く同じ形をしてた。
(何が起きてんだ、ここは)
石畳に、視線を突き刺した。視界には、行き交う人間の足だけがチラつく。
もう一度、あたりを見回した。
(ここまでのセットは、さすがにやりすぎだろ)
「レ、レイス……」
声が折れた。
肩越しに、こっちを見た。
「はい、若様」
唾を飲み込んだ。もう一度、靴を見た。ズボンを。シャツの袖を。
「こ、ここは……な、何て国なんだ?」
顔の感覚がなかった。あるのは、ピリピリした痺れだけだ。
レイスが息を吸い込んだ。一瞬、目を閉じる。
「若様。まだご冗談を続けられるおつもりでしたら……」
「違う!」
慌てて遮った。
「頼む。……答えてくれ」
「ここは、ハレス王国。若様の父君、偉大なるナト王の統べる国にございます。――栄光あれ!」
「待て。待て待て。整理させろ。ここは精神病棟じゃなくて、お前も役者じゃねえ……そういうことだな?」
「若様……」
ため息をついて、腰のベルトを直した。
(ナマダのヤツ、いつだったか言ってたよな。異世界がどうとか)
心臓が、バクバク鳴ってる。目は勝手に、できるだけ多くの景色をかき集めようとしてた。制御なんて、効きゃしなかった。
(向こうに残してきた全部――罰金も、学校も、借金も、あのクセえ部屋も――もう俺には関係ねえ、ってことか?)
深く、息を吸い込んだ。
顔を上げた。
(――クッソ最高!!!)




