第3話 平民区の見回り
あのご高説のあとに落ちた沈黙は、俺にはイマイチ理解できなかった。
(何の学院だ? どこの貴族だよ? ツネダって何モンだ? で、テリクスってのは誰なんだ?)
あたりを見回す。全員、食器を置いてた。
正面の女の子は、目を伏せてる。
空気が、本格的に重くなった。
少しして、ラッパが朝食の終わりを告げた。
王冠のヤツは、俺を見もせずに、デカいドアへ進路を取った。女が慌ててその後に続く。相変わらず、一歩一歩、完璧に歩幅を合わせて。
女の子はこっそり、二人を目で追ってた。出て行ったのを確かめてから、顔を上げる。
「そんなに私のことが憎いの?」
目に涙を溜めて、聞いてきた。
(いや嬢ちゃん、こっちはアンタが誰かも知らねえんだが)
「は?」
「どうしていつも、そんなバカでいられるの? どうしていつも、父上の足を引っ張ることばかりするの?」
「そのために金もらってんだろ、あの人。いい役者じゃねえか」
鼻で笑ってやった。
口を開いて、何か言い足そうとしてたっぽいが、少ししてやめた。
俺は残り半分のウズラに取りかかった。こんなご馳走を無駄にする手はねえ。
「あなた、本当にどうかしてるわ」
吐き捨てて、椅子ごと全力で距離を取りやがった。ここは演技がちょい甘かったな。勢い余って、背もたれに頭を打ちつけかけてたからだ。
別れの挨拶代わりに、燃えるような視線をもう一発くれて、行っちまった。
腹をさすった。果物の載ったトレイが、国一番のイケメンを見るような目で、俺を見つめてくる。
もう、入る場所がなかった。
「おい、ジイさん!」
ドアの脇で、弓の弦みたいにピンと張りつめてる執事に投げてやった。
かなり渋々ではあったが、それでも軽く一礼して、こっちを見た。
「で、このサーカス、次の演目は何なんだ?」
正直、大して知りたくもなかった。椅子の真紅の張り地が快適すぎて、家に持って帰りたいくらいだったからだ。ただ、このサイズのブツを持ち出すのはキツい。
一回、試したことがある。無理だった。
「若様。ただいまより、自由のお時間でございます」
150キロのベンチプレスでも挙げてるみたいに、その一文を引きずり出してきた。
「そりゃ最高じゃねえか!」
この部屋の天井は高すぎて、見上げたら視界が軽く回った。
「そうだ、ジイさん!」上を見たまま、投げた。「あの性悪のチビネズミ、ありゃ何モンだ?」
わずかに目を見開いて、こっちを見てきた。
「だから、あのガキだよ。ありゃこの商売、まだ駆け出しだろ?」
笑ってやった。
「何のお話か、私にはわかりかねます。ですが――実の妹君であらせられるテリクス様のお顔がおわかりにならないのでしたら、診察を受けていただかねばなりません」
(あー、なるほどね。この芝居の筋書きだと、あのガキをツネダとかいうのに売り飛ばすわけだ。いいねえ、妹ってのは一度欲しかったんだ。どうせ、イケてる年上の女友達がいるに決まってる)
ジイさんは我慢の限界だったらしい。少しして、広間から出て行った。
俺も俺で、正直そろそろ退屈してた。指示は、なし。なら、この茶番で稼がせてもらう絶好のチャンスってことだ。
城の中は、廊下と、部屋と、あの王冠のジジイの絵だらけだった。どれもこれも、金の額縁入りだ。
階段下の物陰が、ブツの保管場所にうってつけに見えた。退院までこぎつけりゃ、いくらかにはなるはずだ。
一番小さいのを何枚か、階段の下に丁寧に並べる。裏を向けて、一枚ずつ重ねて、なるべく目立たねえようにな。
だが、俺の注意をかっさらったのは別モンだった。
階段脇の、小窓の向こうだ。
どうやら俺は、田舎に送られたらしい。窓の外は、だいたい草原と森だった。頭を突っ込めるサイズの窓じゃなかったから、眺めるだけにしといた。
それでも、十分だった。認めよう。このイカレ病棟、眺めだけはマジで大したモンだ。
数分、突っ立ってた。景色に催眠術をかけられてたんだ。この時間の空は、だんだん金色がかっていく。なんつーか、魂まであったかくなる感じだ。
で、気づけば、無意識にポケットを探る回数が増えてた。
このセラピーってやつが保険適用外だった場合、ブツは相当かき集めなきゃならねえ。
衛兵どもが数人、こっちを見ながら何かヒソヒソやってた。一人なんか、笑える廊下に俺を通しもしなかった。濃い紫の絨毯が敷かれて、壁は真紅の布張りってやつだ。
そこに絵はなかった。代わりに、突き当たりにドアが一枚。黒くて、他のよりガッシリして見えた。
マジで気合いの入った作り込みだ。何もかもが、リアルすぎる。
(セラピー会場がガチの城だったとしても、もう俺は驚かねえぞ)
廊下をさまよってるうちに、気がついた。ブツを置いたあの階には、たぶんもう戻れねえ。
パアだ。
何度か挑戦はした。だが最終的に見つかったのは、デカい両開きのドアが付いた、石のアーチだけだった。
その先は、小さな広場だった。小さい町の市場ってとこか。真ん中に噴水。ぐるっと囲む二階建てのバルコニー。その下に、ベンチが並んでる。
数人が、せわしなく通り過ぎていく。座ってるのは、バルコニー下のベンチの女の子ひとりだけだった。
格好は、朝のあのイカレ女と同じ。ただ、もっと若く見える。
目をこすった。
(つーかスゲえな。特殊メイクだけ、クソほど気合い入ってやがる)
長い銀髪が、白いフリルをあしらった黒いワンピースの肩紐に落ちかかってる。深い青の目。上品な唇に、完璧な輪郭の顔。
美人だ。
ただ、耳だけは。ちょい長くて、なんかトンガってる。
(まあいい。いざとなったら、片目つぶって見りゃ済む話だ)
「ヘイ、お嬢さん」
柱の一本に寄りかかって、投げてやった。
女の子は、片眉をわずかに上げてこっちを見た。が、少しして、ものすごい勢いで背筋を伸ばした。食いかけのサンドイッチを包んでた布が、勢いで地面に落ちる。
「お、おはよう……ございます……わ、若様……」
息も絶え絶えだった。
「何をそんなにガチガチになってんだよ。まあ、俺がイケてるのはわかるが、力抜けって」
軽くアゴを上げて、笑いかけてやった。
「は、はい。も、申し訳……ございません……」
視線が、きれいに敷き詰められた石畳へ沈んでいった。
「ここは何なんだ? お前ら、全員金で雇われてんのか?」
「い、意味が……わかりません……」
聞こえるか聞こえねえかの声だった。
ド緊張してるっぽい。たぶん、この仕事の新人なんだろ。歳は、俺と同じくらいに見えた。
俺だって、初めてバイトに出た日のことは覚えてる。最悪の一日だった。初日でクビになった上に、スマホを二台見つけられたんだ。ちゃんと隠したってのによ。パンツん中に入れて運んだことなんざ、故買屋は気づきもしなかったろうに。
「まあ落ち着けって。ここが精神病棟か何かだってことくらい、わかってんだ。芝居はやめていい。ちょっと話そうぜ」
華麗に、隣へ腰を下ろした。
腕はガッチガチで、膝に乗せるのがやっとってレベルだった。
「せ……せーしん、びょーとー……が……な、何か、わかりません……」
「知らねえわけねえだろ。イカレたヤツらをブチ込んどく場所だよ」
少し考えてから、付け足しておいた。
「言っとくが、俺はたまたまここにいるだけだからな」
視界の隅で、その手が小さく震えてるのが見えた。
――石畳に、金属を打ちつける音。
さっき俺が入ってきた、正面入口のほうからだ。速くて、正確なリズム。
柱の陰から、背の高い人影が現れた。
レイスのツラだ。
(また、このキツツキかよ)




