第2話 ラッパ
目が覚めたのは、廊下のどこかから聞こえてきたラッパの音のせいだった。
ベッドから這い出た。足の下の石が冷たすぎて、指が勝手に丸まった。靴下はなし。おまけに、ゴワゴワした生地が首筋をチクチク刺してくる、長ったらしい笑えるシャツ一枚。誰かが俺を脱がせたのは確定だ。頼むから、あの鎧のヤツの仕業じゃありませんように。
廊下に忍び出ようとしたが、ここの患者に自由はないらしい。出口はなし。少なくとも、俺は鍵を持ってなかった。ただ、なんでケンカのあとでこんな場所送りなんだ? わからん。
だいぶ経ってから気づいた。頭が痛くない。ってか、どこも痛くない。
(おかしいだろ。本来ならガンガンきてるはずだ。ああいうパーティーの翌朝なら、経験済みだっての)
鏡はなし。目視検査は難しい、と。何かの旗が、ドアの横で微動だにせず垂れてた。
(テーマ型の病院があるって話は聞いたことある。にしても、作りがガチすぎるだろ)
ドアの錠が、何度か回る音がした。開けたのは、幸い、例の「レイス」でもメイド服の姉ちゃんでもなかった。男、50過ぎってとこか。無言でこっちに頷いた。片手に水の入ったバケツ、もう片方に金のトレイ。トレイには棒と、その先にスポンジみたいなのが付いてる。
「ヤン様、朝のお支度が整いましてございます」
その上に城でも建てられそうな、安定しきった声だった。
一瞬、なんで俺の名前を知ってんだと考えた。手のひらの内側で、自分の額をはたく。
(カルテか! そりゃそうだ)
俺の驚きようがよっぽど顔に出てたのか、もう一度同じことを繰り返された。その瞬間、理解した。これはセラピーの一種に違いない。精神をまっすぐに矯正するってやつだ。どうせすぐ聞かされるんだろ。半年昏睡してました、これは社会復帰プログラムです、ゼロから――文字通り、中世からのリハビリです、って。
いつだったかバレリーナの番組で見た礼を返して、バケツとトレイを受け取り、ドアを閉めた。
腕から始めた。軽い。軽すぎる。マジで何キロか落ちたみたいだ。ズボンを一気に下ろした。ふくらはぎも太ももも、違う。記憶より細い。元からマッチョだったわけじゃねえが、ここまでヒョロくはなかったはずだ。
バケツの水面を覗き込んだ。顔が、ぼやけてる。頬骨が、俺のじゃない気がする。像はすぐに滲んだ――こめかみが、焼けるように痛み出してた。両手で水をすくって、顔にぶっかける。氷みたいに冷たくて、のけぞった。代わりに、こめかみは静かになった。
少しして、執事が戻ってきた。許可を求める気配はゼロだった。手慣れた動きで俺からバケツを回収し、さらに手慣れた動きで中身を窓から捨てた。上品なようで、そうでもない。
「ヤン様、本日のご予定を申し上げます。まずは国王陛下、ならびに母君さま、妹君さまとのご朝食。その後、平民区の見回り、そしてレイス師範との鍛錬でございます」
まぶたが痙攣してた。変人は一場面につき一人だと思ってた。まさか、劇団まるごとで公演してやがるとはな。
廊下は、確かに城のそれだった。剥き出しの石、天井近くの細い窓、その間に、鉄の受け具で固定された松明。壁からは、12月の団地の階段みたいな冷気がきてた。執事は迷いのない足取りで、螺旋階段のほうへ進んでいく。階数を数えようとしたが、まるでダメだった。階段が細すぎて多すぎて、3階ぶんで迷子になった。
案内された広間は、バカでかかった。さっき執事に渡された分厚い布の靴下を履いてるのに、足音が反響する。見上げると、天井の模様がかろうじて見えた。人物画っぽい。だが高すぎて、このグラフィティが何を描いてんのかは判別不能だった。デカい石の柱。赤い絨毯は分厚くてフッカフカで、テーブルまで一直線に伸びてる。テーブルは、少なくとも十数人は座れるサイズだ。奥には巨大な木のドア。目測で3メートル。その両脇に、ラッパを持った連中。青いワンピースみたいな笑える服を着てる。
(どいつだよ、窓の外であんなに吹きまくってやがったのは)
意外なことに、他の患者はいなかった。
(目覚めの特別歓迎ってやつか。悪くねえ。ただ、金は誰が払うんだ?)
席は、テーブルの左側だった。少しして、女の子がひとり案内されてきた。どう見ても、17は超えてない。俺の正面に座らされた。青い目が短くこっちをスキャンして、それから、ブロンドのたてがみが芝居がかった仕草でドアのほうを向いた。
「なあ」小声で始めた。「嬢ちゃん、ここ何年ブチ込まれてる?」
眉を寄せて、こっちを見てきた。
(最近のガキは礼儀がなってねえな。年上ってのは敬うもんだろうが)
ラッパの音が、広間じゅうに響き渡った。さっき俺が通ったドアの脇に立ってた執事が、立て、と手で合図してくる。そうした。
巨大なドアが、轟音とともに左右へ開いた。
赤い絨毯の上を、40がらみの男が堂々と歩いてくる。背中には緋色のマント。身につけてるのは、映画で見た覚えのある軽装の鎧。白髪まじりの髪に、デカい黄金の王冠が食い込んでた。数歩後ろを、紫のドレスの女が歩いてくる。ずっと若い――どう見ても、30が上限だ。前を行く男と完璧に同じテンポで歩幅を刻んでて、正直、感心した。
男がテーブルに近づくと、執事が駆け寄って椅子を引いた――まず男に、次に女に。二人が座って、ようやく俺にも着席のお許しが出た。呆気にとられすぎて、いつの間にか目で執事に指示を乞うてた。
昨夜のイカレ女と同じ服の女たちが数人、皿を運んできた。ニオイが先に、波になって届く。脂でツヤツヤ光る皮の、鳥の丸焼き。卵。それから、見た目は腐ったパンで、ニオイは酸っぱい何か。そこからは目を逸らしたが、残りには、涎が勝手にアゴを伝ってた。椅子の縁を指で掴んで、執事を見る。皿に手を伸ばしたら、執事にガンを飛ばされたんで、引っ込めておいた。王冠のヤツが最初に取り分けて、それから、もういいぞの頷きが来た。
一番近い鳥に飛びかかった。舌をヤケドしたが、パリパリの皮を堪能する妨げにはならなかった。
「クッソ最高」
肉を噛みながら、思わず漏れてた。
マナー違反だと責められる筋合いはない。すでに立証済みのとおり、俺はたぶん半年メシを食ってないんだから。ウズラを丸ごと一羽いただいた。正面の女の子がこっちをじっと測ってきた――たぶん自分も欲しかったんだろうが、ブー先生の言葉を借りるなら『早い者勝ち』ってな。
てか、俺の歓迎パーティーに、なんでふてくされたガキが混ざってんだ? 時間があれば怪しむべきだったのかもしれんが、このウズラが選択肢をくれなかった。
王冠のヤツから、今日食らったあの一発より少しばかり痛い視線が飛んできた。それから、手のひと振りで、レストランのスタッフ全員が退場になった。
「跡継ぎらしく振る舞え」
視線での射撃をやめた直後に、そう言い放った。
(芝居がうまい。マジで本格派だ)
「跡継ぎ? 何のだよ」
鼻で笑った。
「いい加減にしろ!」
拳がテーブルに叩きつけられた。
ウズラが、俺の皿から滑り落ちた。
「お前の振る舞いについて、考えていた。昨夜、お前という人間への期待は、地に堕ちた」
空気が重くなった。女の子は床を見つめてる。その隣、右側に座ってた女の視線が、胸に響くほど強く突き刺さってきた。
ナイフとフォークを置いた。
「戦士としては、何百もの戦に勝った。王としては、この国を数々の栄光に導いた。だが、父としては……」
額を両手で支えて、言葉を切った。
「……失格だった」
もう一度、拳がテーブルを打った。しばらく、何もないテーブルの上を見つめてる。
「宮廷は……強き、真の指導者を求めている。貴族どもはツネダを担ぎ上げている。勇者学院で、己の価値を証明しろ。さもなくば……」
意味ありげな視線が、俺の正面の少女に向いた。
「テリクスとツネダを、婚姻させる」




