第22話 一人だ
起きたら、ナマダはもういなかった。包帯は、一回目と二回目よりさらにひどく直されてた。靴を履くとき、アリスにもらった布きれが安全な場所にあるか、もう一度確かめた。
執務室まで行くのに、数分かかった――衛兵どもは、従者の宿舎への道を聞いたときより、校長のところへの道を聞いたときのほうが口が軽かった。ドアの前に立った。ノックしようと腕を持ち上げたが、あばらが教えてくれた。ドアの下のほうを叩いたって、いいんだぞ、と。
「どうぞ、どうぞ。お入りください!」
中から、声がした。
入ってまず目についたのは、小さくて質素な机と、その向こうの、さらに小さい腰掛けだった。光源は、ドアの左手のデカい窓ひとつきり。俺の記憶にある職員室ってのは、どこもキレイに、できる範囲でリッチに見せようと必死だった。ここは違う。机と腰掛けが、唯一の飾りだ。机の向こうに校長が立ってて、その手前に――あの赤毛のクズ。
「ドアだけは、しっかり閉めてくださいよ」
一見、愛想よく付け加えた。
「お、おはようございます」
堂々と出るはずだった。出なかった。
「ケストさん」
赤毛を見た。
「ヤンさん。お二人に、見せたいものがあります」
数歩で窓へ寄り、その横に立って、目で俺たちを呼んだ。
「あの門が、見えますか」
前方を指さした。外壁にはまった、どっしりした鉄の門扉だ。
自信はなかったが、たぶん俺たちが入ってきたのは、あの門じゃねえ。うなずいた。赤毛も、そうだと認めた。
「では、ここで面白い話をひとつ。二日前、上級生八名の一隊が、あの門から近隣の村々へ、定例の偵察に出ました」
そこで言葉を切った。俺たちに、その情報を処理する時間をくれるみてえに。
「で、面白い話はここからです。さて、何人戻ったと思いますか」
まずケストを、それから俺を見た。かすかに微笑みながら、あごを撫でてる。赤毛をチラ見した――うなだれてた。校長に目を戻した。その目は、赤毛に突き刺さってた。
「さあ、遠慮なく! ケストさん。何人です?」
「分かりません……」
ケストは頭を上げず、軽く横に振っただけだった。
「では、あなたは? ヤンさん。何人です?」
七人と言っとくか、八人と言っとくか、迷った。もっとも、全員戻ってたら、たぶん俺たちに聞いたりしねえ。
「分かりません……七人、とか?」
軽く笑ってみせた。
視線が、深く突き刺さってきた。見えたのは、あごの筋肉が動くのだけだった。
「一人だ」
黙った。部屋が、腰掛けと机のサイズに合わせて縮んでくみてえだった。目を伏せた。沈黙は、永遠に続いた――俺と赤毛を交互にスキャンする、あいつの目玉の動く音まで聞こえる気がした。あいつの靴より上は、見なかった。
「もっとも、明け方には死んだがな。報告だけは、済ませていった」
唾を飲み込んだ。そりゃそうだ。校長は夜中、病院を見物してたわけじゃねえ。上級生ってことは、ここにいた期間が長い。つまり、たぶん赤毛よりさらに上のヤツらだ。また、唾を飲み込んだ。
「で、お前らは、だ。このクソバカどもが!」
今度はもう、目でスキャンはしなかった。俺たちの顔の数センチ手前まで、ツラを寄せてきた。
「酒場で何杯か引っかけたゴロツキみたいに、殺し合おうとしている」
深く息を吸った。ゆっくりした足取りで机へ戻り、上の紙を何枚か並べ替えて、それから腰掛けに座った。
「そんなに元気が有り余っているのなら、自由時間の使い道は、こちらで決めておいた」
自分の書類に戻った。机の左手に置いてある台帳に、何か書き込んだ。
「今日、授業が終わり次第、神殿の再建を手伝いに行け」
まず俺に、それから赤毛に、紙を巻いたようなモンを渡してきた。
「門でこれを見せろ。あとは、向こうが案内する」
ケストがドアへ向かった。俺も、すぐ後に続いた。肩越しにもう一度、校長を見た――窓のほうを見てた。一瞬、目がわずかに潤んでるようにすら見えた。
上級生が八人。俺より上で、たぶん赤毛よりも上のヤツら。戻ったのは一人――報告を済ませるのが、やっとの一人。ここに来てから初めて、頭をよぎった。これは、どうも『楽勝』とは言い切れねえんじゃねえか、と。幸い、頭はすぐに、もっと急ぎの話題を見つけた。
執務室を出たら、朝メシの時間の尻尾に直行だった。ペースが速すぎて、ちょうど出されてたドロドロのモンをかっ込む時間は、4分足らずしか残ってなかった。それでも、まともなメシ抜きで何日か過ごした後だ。一人前まるごと吸い込んで、ついでに、お代わりはないってことも知った。
最初の授業は、エリクサーだかその他の密造酒だか、なんかそんなのだった。俺が教室に入ると、軽いざわめきが起きた――決闘には勝てなかったが、俺のパフォーマンスはきっと連中を感心させたんだろう。もっとも、連中が俺を観察するその目つきは、どっちかっていうと通りすがりの他人のそれだった。捨て犬を哀れんで見はするが、手を差し伸べるのは高くつきすぎる、ってヤツだ。ノートを取って、あのジイさん――錬金術師のウリだと判明した――の話を聞こうとはしてみたが、あばらと前腕が味方をしてくれなかった。覚えられるだけ覚えて、書くのはまたの機会にすることにした。
ゲルトの授業は、もっとキツかった。あの鉄クズを振り回す試みは、数秒おきに咳と、詰まった肺で終わってた。期待を込めて、ゲルトのほうを見てた。『よし、今日はベンチに座ってろ』を待って。だが向こうは、こっちを見なかった。
フェリンのところが、いちばんキツかった。数秒おきに、俺と赤毛を交互にスキャンしてくる。目を合わせないようにはしてたが、あんまり頻繁に来るモンだから、何度か胸に熱を感じた――目が合うたびに、魔法で押し込んできてたんだと思う。最初の授業で俺の首筋にやったアレの後じゃ、確かめる気にはなれなかった。
ナマダは、一日中見かけなかった。
(あの病院で捕まってなきゃいいが。ここで従者に生徒以上の特権があるとは思えねえし、生徒には、たぶん特権なんてひとつもねえ)
てか、そもそも――あれはナマダだったのか? それとも、まったくの赤の他人か? 俺のナマダに、このナマダのケースについて聞けるなら、いくらでも払うのに。あいつのアニメに、絶対似たような話があったはずだ。
昼メシ休憩の直後、衛兵の一人が知らせてきた。今日の午後の授業は、俺たちにはナシ――西の門へ行って、そこで通行証を提示しろ、と。この学院で、初めていい知らせだ。その時点で、罠だと勘づくべきだった。
(通行証? そんなモン、支給されてねえぞ。また揉めるな)
ところが門に着いてみると、通行証ってのは、朝にあのオッサンがくれた巻いた紙のことだった。幸い、赤毛が先だった。自分のを衛兵に渡すと、向こうは異議を唱えなかった。俺も、同じようにした。
ピエロの格好で、俺の鉄クズ一式を小脇に抱えて、ゼエゼエ言ってるナマダを見たときの、俺のツラの喜びようといったらなかった。例のヨタヨタした足取りで、二回ほどバランスを崩しかけてた。
「ナマダ!」
学院中に聞こえたに違いねえ声で、怒鳴ってやった。
ナマダのほうも、かすかに笑った気がした。決闘からこっち、あいつと会うのは暗闇の中でこそこそと、まるで俺の愛人みてえに、だけだった。どうやら、処分にもプラス面はあるらしい。少しして、俺たち二人は、全身を鎧で固めた衛兵と、赤毛の隣に立ってた。赤毛は腰に剣、実質それだけだ。学院の紋章入りの、くたびれたチュニック。履き潰した古いブーツ。それに細い革のベルト。ベルトには剣の隣に、水袋がぶら下がってた。
ナマダが、俺の剣、盾、肩当て、それに兜を渡してきた――最後のは、自分の持ち物にあった覚えがねえ。学院が付け足したらしい。しばらく、装備を眺めた。兜からは妙な紐が三本ぶら下がって、肩当てには革の切れ端がついてて、盾には――紐が二本、ただしこっちは横向きだ。装着するには、たぶんフェリンの黒魔術でもいちばん闇の深い呪文が要る。だから、剣だけで十分だと宣言してやった。ナマダは、それを道中ずっと担いでいくことになるんだと悟って、気絶しかけた。それでも勇者よろしく歯を食いしばり、俺の腰に剣を吊るして、残りの鉄クズは背中に担いだ。ナマダが自分の分のトイレットペーパーの切れ端を見せると、衛兵が、道から外れるなと言ってきた――一時間もあれば、たどり着くそうだ。そうした。今回は、ナビをしようとすらしなかった。
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