第21話 寝ずの番
腕に、温かさを感じた。
最初は鋭かった。傷にバーナーを当てられたみてえに。それが数秒で、心地いい温かさに変わってった。焚き火の、あの感じだ。腕を見た。
悪魔みてえに真っ黒な猫が、ベッドの上に座ってた。数秒おきに、腕の曲がった包帯に舌を貼りつけてる。一発で払い落とした。猫はさっとベッドから飛び降りて、また暗い隅に染み込んでった。
残ったのは、目玉だけだ。
「ナマダ、あれお前のか?」
ナマダは自分の穴から身を乗り出して、部屋を見回した。
「何がですか?」
「あの猫だよ。獣に襲われてんだぞ、俺は。結核でももらったら、どうすんだ」
「な、何も見えません……」
「あそこだよ、隅。見えねえわけ……」
目玉が、ちょうど親切に瞬いてくれた。ナマダは正しい方向に目を細めてた。それでも、何もなし。
「あー、もういい。ここ、ケツん中みてえに暗えしな。お前はあのカビたパンばっか食ってりゃ、鳥目にもなるだろ。座ってろ」
ベッドの裏へ滑り込んだ。だが、もう一度あの隅をチラ見したのは見えてた。一応、念のため、だ。
ベッドの向こうのドアから、足音がだんだんデカくなって聞こえてきた。靴が木の床を鳴らす音が、一秒ごとに速くなってく。ナマダは自分の穴の中で、ぺたんと折り畳まれた。昔、パトカーを見たときより手際が良かった。ここじゃ掛け布団の代わりらしいボロ切れを、少し落としてやった。あいつの座ってる隙間を、もう少し隠すためだ。
ドアが勢いよく開いた。枠のところに、人影が立ってた。デカくて、ガタイのいいヤツだ。前にランプを掲げてる。オレンジの光が、俺の瞳孔を攻撃してきた。
「起きろ!」
敷居のところから、そう叫んだ。
「人が寝てんだけど……」
声とシルエットをどこで知ってるのか思い出すまでに、少しかかった。正確に言うと、思い出させてくれたのは、腕立てでできた手のひらのマメだ。
「……いや。おはようございます。てか、こんばんは」
「回復に二日くれてやった。足りたか?」
「二日? 二日って、だって……」
「明日から授業に戻れ。ケガ人だろうがなんだろうが、病院じゃ何も学べん」
「……はい」
声が、軽く引っ込んだ。
「ああ!」
ベッドに近づいてきて、ランプの光をまっすぐ顔に当ててきた。
「当然だが、非合法の決闘にも、それ相応の処分は下る」
光の筋が、部屋の見回りに出た。壁を、棚を、床を滑ってって――ベッドの縁のところで、速度を落とした。ちょうど、ナマダの穴の真上で。
咳が出た。本物だ。胸はどうせ、放っといても鳴いてたからな。ただ、出せる分より多めに絞り出してやった。
光が、俺の上に戻ってきた。
「朝、俺のところへ来い。司令官の執務室はどこかと聞け」
「はい、校長先生」
訂正はされなかった。ドアのほうを向いて、数歩、歩き出した。重てえ鉄の靴の音が、廊下の奥のどっかで消えた。
そこから、あと三呼吸待った。
「クリアだ」
床に向かって、投げてやった。ナマダがベッドの縁から頭を出して、あの客が部屋を出たかどうか確かめた。
「何だよナマダ、なんでそんなに隠れてんだ?」
不思議に思って、聞いた。
「ぼ、僕、ここには……せ、正規には、いないので……」
穴からは動かなかった。声だけが小さくなった。壁までチクるかもしれねえ、みてえに。
「はあ? 命令されたんじゃねえのか……?」
ナマダは首を横に振った。ベッドの裏から、塹壕の陰みてえに。
「い、いえ。し、知り合いの従者に、手引きしてもらって……」
「捕まったら、どうすんだ。え?」
肩をすくめた。
「し、知らないほうが、いいです……」
天気の話みてえな言い方だった。森じゃ、村に帰りたくねえ一心で、もっとがんばりますって声を張り上げてたヤツと、同じヤツだ。
「けど、なんで……」
立ち上がった。ベッドの前に、葬式みてえなツラで立って、少しの間、俺を見てた。腕の包帯を直してくれた。自分で巻いた、あの曲がったヤツだ。さっき猫が舌でぐしゃぐしゃにしたヤツでもある。
さらにひどく結ばれた。
口が、勝手にニヤけた。
「僕の任務は、自分の命を懸けてでもヤン様をお守りすることです!」
両腕を腹の上でしっかり縮こまらせながら、そう暗唱した。
部屋の空気が、一瞬、ランプ一つには重すぎるモンになった。返しカタログは、空っぽだった。
また、だ。
だから、ベッドの裏の穴を指さしてやった。
「じゃ、寝ずの番だ。ただし静かにやれよ。お前のイビキ、炭鉱の夜勤明けのジイさんみてえだからな」
「うちの村に、炭鉱はないです……」
一瞬黙った。自分でも本当かどうか、確かめてるみてえに。
「……たぶん」
ベッドの裏へ滑り込んだ。一分後には、縁の向こうからまた、規則正しい『グルルル』が上がってた。
俺はもう少しの間、天井を凝視してた。朝は司令官。処分。処分ってのが学院からの追放なら、不戦敗だ。不戦敗はツネダ。ツネダは、あのうすら笑いの隣に立つ、白いドレスのテリクスだ。
三歩。どれ一つ、気に入らなかった。
「楽勝だ」
天井に向かって、小せえ声で言った。
寝ずの番の腕前は、ナマダも俺も、どうやら同じレベルらしかった。
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