第18話 ヴーラ!
しばらく、ヤツを見つめてた。笑い出して、「冗談だよ。普通に素手でやろうぜ」って言うのを待ってた。
そうは、ならなかった。ヤツは自分の席に座り直した。
まあ考えてみりゃ、鉄クズ付きの棒でやるってのは、実質、素手でやるのと同じだ。棒が付いてるってだけでな。
食堂は、ゆっくりと生き返りはじめてた。朝メシ休憩の終わりを告げる鐘が鳴って、なおさらだ。聞き出せた限りじゃ、次の授業は野外らしい。
衛兵の一人が、俺たちを訓練場まで連れてった。城のヤツと見間違えるほどそっくりで、一瞬、目の前にテリクスがチラついたくらいだ。人形の並んだ区画がいくつか。地面は土がむき出しになるまで擦り減って、木の囲いには、何か赤いモンのシミ。何のシミかは、考えないようにした。どうせ、剥げた塗料だろ。
天気は、パッとしなかった。雲が太陽を完全に塞いで、朝だってのに、あたりは灰色一色。俺を含めた十二人ほどのグループが、白髪をポニーテールに束ねたバカデカい男の前に立ってた。
「俺はゲルトだ。で、こいつが俺の剣だ」
地面に立てた鉄の塊を指した。
「こいつの使い方なら、知ってるヤツも多いだろう。だが、知ってるのと使えるのは別モンだ。使えるようにさせるのが、俺の仕事だ」
顔ぶれの上に、視線を滑らせた。眉を上げた。鳥が数羽、静寂を破った。ゲルトは剣を一振りした。
「よし。理屈は、あっちで教わる」
出てきた建物をアゴで指した。
「ここでは、汗をかいてもらう」
俺たちを一列に並ばせた。互いの間隔は、8メートルってとこだ。それから号令を飛ばしはじめたが、一ミリも分からなかった。何とかの回転に、何とかの突き――外国語みてえな単語ばっかりだ。背景に溶け込むための唯一の手は、ちょい遅れて反応して、周りの動きをコピーすることだった。
ツネダはトランスにでも入ったみてえに、命令のすべてをこなしてた。最初の一音節で何をすべきか分かってて、号令を先回りしてるようにすら見えた。おかげで、俺の遅延は最小限に抑えられた。問題は、かつてねえほど重い両腕と、まだ燃えてる胸だ。このセットのどれかが、外に漏れてたに違いねえ。ゲルトの視線が俺の動きに刺さる回数は、他のヤツらより多い気がした。
次の課題は、ペアでの模擬戦だった。あてがわれたのは、小せえ赤毛のガキだ。一見、細っこくてモヤシ。ゲルトが合図を出すと、数回の剣撃で、俺の得物は手から弾き飛ばされてた。速え。きっと、あんだけ細いからだ。今夜のヤツは、もう少し背が高い――あっちのほうが、当てやすいはずだ。
訓練の終わりが来たのは、一時間ほど後だった。俺はゼエゼエ言うのがやっとだった。締めに『軽い準備運動』ってのが待ってたからだ。つまり、訓練場を三十周。
みんな出口のとこに集まって、何人かはまだ熱っぽく喋ってた。俺は訓練区画の前の低い石垣にもたれて、座り込んでた。頭は割れそうで、手のひらはマメが潰れて火が点いたみてえで、息が入ってくるのがあんまり重くて、あばらは確実にやられてた。目で、いちばん近い逃走ルートを探した。
見つからなかった。
「お前は、他のヤツらの百倍きつく鍛えなきゃならん」
顔を上げた。白髪ポニーテールが隣に立って、俺と同じ場所を見つめてた。
「でなきゃ、この先キツいぞ。ここで鍛えられるのは、数週間だけだ。その後は、実地に出る」
言葉が、ズキズキ脈打つこめかみの間へ突き刺さってきた。
「いやいや、ゲルトさんよ。今日のはほら、たまたま……」
言い終わる前に、ゲルトはもう数メートル先で、グループの後を追ってた。
「15分後に、次の授業だ」
背中のどっかから、そう飛んできた。
森の中じゃ、一人でまず生き延びられねえ。かといって帰り道を選びゃ、ツネダの勝ちだ。テリクスは、あいつと結婚させられる。それに、アリス。厨房でのアレが何だったのかは知らねえが、王国の笑いモンのまんまじゃ、あいつを助けられそうにねえ。
教室は、十二人のグループには狭すぎるように見えた。駆け込んだときには、全員もう席についてた。残ってたのは一つだけ。真ん中へん、左寄りの席だ。運の悪いことに、あのウジ虫のツネダの隣だった。
少しして、年配の女が入ってきた。上品な、黒の長いコート。その下には黒のスカートと、長い黒のブーツ。色が付いてるのは二カ所だけ――紫の髪と、焼けつくような赤い目だ。
「こんにちは、みなさん」
俺たちに向かって、一礼した。
「私たちの授業が何をするものか、ご存知かしら?」
教室の上に、視線を滑らせた。
「もちろん、知らないわよね。私を見るのは、初めてなんだから」
にんまりと笑った。
手を何度か動かすと、教室全体が黒い粒で満たされた。俺たちの頭の間で、くるくる旋回してる。
「動かないこと!」
両手を胸の高さに上げて、叫んだ。
「このエネルギーの球のどれかに触れたら、頭に穴が開くことになるわよ」
喉の奥で笑った。
全員が固まった。誰も、指一本動かさねえ。
俺の好奇心が勝った。一つに向かって、手を伸ばした。デカくジュッと鳴って、そいつは小さな火の輪に変わった。
「クソッタレ!」
思わず口から飛び出した。指が赤くなって、潰れたマメよりさらに強烈に焼けやがる。
「言ったでしょう……」
手をパンパンと二回叩くと、球どもは轟音とともに床へ落ちた。チタンが床を叩くみてえな音だった。
「そんなに勇敢なら、さぞ美しい黒魔術の技をご存知なのね!」
俺を指さして、言い放った。
「さあ、どうぞ。私たちに披露してちょうだい」
(俺の知ってる黒魔術なんざ、オナラを自由自在に鳴らすことくれえだ)
「もちろん!」
わりと自信たっぷりに言い放って、教室の真ん中へ向かった。ひょっとしたら、この手の小細工で赤毛がビビって、決闘を取りやめるかもしれねえ。
真ん中に立った。全員が、興味津々で俺を凝視してる。で、実際、何をやりゃいい? 教室に向かって、一礼した。大真面目な顔で片手を前へ突き出し、親指を折り曲げ、もう片方の手を折った親指に重ねて――スライドさせた。
「ヴーラ!」
高校でなら、全員が笑って、俺は教師に席へ戻された挙句、職員室送りってとこだ。ここで感じたのは、熱い蒸気がどんどん強く首筋を焼いてく感覚だけだった。
「そんなにお笑いが好きなら、素敵なご褒美をあげるわ」
数秒後、首筋を横一線の痛みが貫いた。周りを見ようとした――できなかった。左にも、右にも、だ。パニックで叫ぼうとしたが、口が開かねえ。心臓が、加速してった。出せた音は、横隔膜から漏れた変なうめきだけだった。
席に戻す代わりに、女は俺を壁際に立たせた――壁とご対面の向きで、だ。どうやらご褒美には、観客向けの謙虚のレッスンがセットで付いてたらしい。授業の終わりまで、俺は展示物をやらされることになった。あのポンコツババアいわく、効果は授業の後に切れるんだとよ。
で、小細工のほうも、効果はナシだった。
背中の向こうで、ブーツが鳴った。
「私はフェリン。この授業は、いつかあなたたちのケツを救うかもしれないわ。麻痺、防御魔法、短い呪い――鋼より強い武器よ」
何かが衣擦れの音を立てた。あのコートの下に、手を入れたらしい。
「このネックレスが見えるかしら? こういうクリスタルは、あなたたちの生命エネルギーの触媒。魔法を使うたびに、生命エネルギーが支払われるの。使いすぎれば――数日、意識を失うこともあるわ」
最後の言葉を強めに区切って、短い間を置いた。
「私の仕事は、エネルギーと触媒のバランスの取り方を教えることよ」
目の前の壁を、紫の淡い光が流れてった。教室のざわめきが、デカくなった。
(つまり魔法ってのは、サラ金か。今借りて、利子付けて返す)
ブーツが、また鳴った。一歩、二歩、どんどん近く。俺の真後ろで、止まった。
何か冷てえモンが、首筋の上を滑ってった――そっと、ほとんど愛おしむみてえに。振動が来て、その直後、覚えのある焼けつく痛み。
左から右へ。
「そして、こちらの我らがスターにかかっているのが、麻痺の呪文。相手の体を、操ることができるの。効果の時間は、注ぎ込んだ生命エネルギーの量次第。それと――術者の力量次第よ」
教室のどっかから、押し殺した吹き出し笑いが聞こえた。誰のかは、振り返るまでもなかった。
十数分後、授業は終わった。最後に出てったのは、フェリンだ。
何も、言わなかった。
教室が空になってからも、俺はさらに十数分、そのままだった。
首に、ジンジンする感覚が来た。最初に、腕が解けた。次に頭、最後が脚だ。頭がクラッときて、壁に手をついた。
頬が、濡れてった。
おふくろに会いたかった。家に帰りたかった。テリクスのことなんか知らねえし、このクソ王国の誰のことも知らねえ。アリスと会ったのは数日前で、可愛い子なんざ世界にいくらでもいる。目を閉じた。俺の泣き声は、隣の廊下まで聞こえてたかもしれねえ。幸い、廊下は空っぽだった。
ナマダ……。
ナマダだけは、こんなふうに置いていくわけにはいかなかった。
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