第17話 斧
出口では、灰色の布を山ほど抱えた候補生が待ってた。
「チュニックだ。上のほうのが合うはずだ。合わなきゃ、そりゃ仕方ねえ」
一枚を俺に渡して、アゴで廊下の先を示した。
「食堂は左に曲がって突き当たり。そこで待ってろ」
「どうも……」
舌を噛む前に、口から漏れちまってた。
この場所で初めて、三つも文をしゃべって、そのどれも俺から何かを取り上げるのに使わなかった人間だ。
(成功だ)
廊下での待機は、それ自体が別の罰だった。まあ、ツルツルになった頭を撫でながらなら、適応期間ってことで通せなくもなかったけどな。食堂のドアの向こうからは、皿のカチャカチャいう音と、普段の俺なら『ドロドロのエサ』と呼ぶような何かの匂いが漂ってきた――だが、干からびた残飯で丸一日過ごした後じゃ、腹はそいつをごちそうだと言い張ってた。何度も、唾を飲み込んだ。数十分後、残りの連中が朝メシを終えたところで、ようやく食堂に入れてもらえた。
匂いは、かなり妙だった――死体が何日かかけて腐ってるのを、誰かが安物の芳香スプレーでごまかそうとしたみてえな。腹には関係なかった。空の椀を見ただけで鳴ってた。
敷居をまたぐと、ざっと数えて十四のハゲ頭と、ドアのそばに鎧を着たデカい男が一人、それから、胸にデカい鹿の紋章のついた長い灰色の衣をまとった、小柄で年上の男が一人、目に入った。全員が皿を置くと、その年上のほうが演説を始めた。
「ようこそ。私はヘリブ教授、君たちのグループの責任者だ。君たちを悩ませる疑問は、すべて私に持ってくるように」
自分を凝視する顔ぶれを見渡した。
「まず何よりも。ここで求められるのは、統率、規律、そして規則の尊重だ」
頭ん中で一番強く浮かんでたのは、ムショのイメージだった。確かに俺が入ってたのは二日だけで、しかも間違いでだ。だが、この前置きに付きまとう気の滅入る感じは、笑えるくらい似てた。怯えたツラ。中には、筋金入りの前科者みてえに空っぽで、洗いざらしになったのもいる。大半は、『勇者』とは似ても似つかなかった。同じ色のチュニックに、ハゲ頭。団地が恋しくなってきた。
(クソ、何に首突っ込んじまったんだ、俺は)
「君たちの課程は、半年後の試験をもって終了する。それまでの間、戦闘技能、戦術、そして集団での行動を鍛えてもらう。敷地内での行動規則は、各宿舎の監督官から受け取るように。従者との接触は、野外演習の間のみ――学院の敷地内では、完全に分離される」
規則は規則、好きにあればいい。俺はそのどっか隣にいる。ただ、この一個だけは、少し引っかかった。つまり、中庭のあれが別れの挨拶だったわけだ。俺の田舎者は、長いこと取り上げられた。
「難題の大きさについて訊かれる前に、答えておこう」
ヘリブは続けた。
「ここ数期の統計は単純だ。君たちのうち、三人に一人は東から戻らない」
思わず、ため息が漏れた。うちの団地じゃ三人に一人は週末から戻ってこなかったが、誰もそれで講義なんかやらなかった。ハゲ頭がいくつか、俺のほうを振り返った。ヘリブは、まばたきひとつしなかった。
「この学院は、君たちの大半より若い。東に獣が現れ、王家が傭兵の代わりに自前の指揮官を必要とした時に、設立された。君たちは、四期生だ」
もう一度、今度はさっきより長く、丁寧に、全員の顔を視線でなぞった。その目は静かで優しげだったが、何かが、人を貫く力を持ってた。
「質問がなければ、抽選に移る」
質問はあった。山ほどな。ナマダをどこに閉じ込めてるのか、『野外』ってのがどういう意味なのか。試験ってのは何をやるのか、週末は遊びに繰り出していいのか。で、昼メシはいつなのか。だが、俺の両腕と胸が、口へのアクセスを封鎖してた。
少しして、俺は『ゲンティ』と書かれた小せえ札を手に突っ立ってた。目でソイツを探してみたが、このツラのどれも、『ゲンティ』って名前にはハマらなかった。
違う格好をした連中が全員部屋を出てったところで、こういうケース用にブーがいつも教えてた計画の実行に移った。『一番デカいヤツを見つけて、そいつに突っかかれ』。
一番デカいのは、左手のテーブルのひとつに座ってた。目測で、あの姿勢なら150キロってとこ。俺よりちょい背が高かった。座った状態でだ。
(そこまで前に出ることもねえか)
隊の中で敵を作るのは割に合わねえ、と判断した。
ブーの教えには、みんなが忘れがちなクッションの部分もあった。『一番デカいヤツに突っかかれねえなら、突っかかれそうだと全員に思わせろ』。
デカい咳をひとつ、かました。ツネダが、疑わしげにこっちを見た。俺は部屋の真ん中に立った。何人かがあいつの視線を追ってきた――さっきの統計んときに振り返った、あのハゲ頭どもも含めてな。
「難題だぁ? こんなもん、楽勝だ」
注目を集められたか横目で確かめながら、デカい声で言い放った。
「見りゃ分かると思うが、お前らは俺を知らねえ。つまり――前に見たことがねえってこった」
何人かが、顔を見合わせた。ツネダはまぶたを閉じて、深く息を吸った。
「ふむ。それはな、俺の行く手に獣が立ちはだかったからだ。俺の哀れな従者を食おうとしやがった。小僧はパンツん中にチビりやがった。だが!」
手を上げた。
「俺みてえな人間が、腕組みして眺めてるわけにはいかねえだろ。デカかったぜ、世界中のステロイドを食い尽くしたみてえに。頭には曲がった角、目玉はヒヒのケツみてえに真っ赤――で、俺は近づいてって、膝に蹴りを一発お見舞いしてやった。獣は、咆哮。ケダモノを始末するのに、足を緩めてやらなきゃならなかったくらいだ――だから、ビビんな。お前らには、俺がいる」
一番熱心に見つめてきてた連中に向かって、軽くうなずいてやった。
ツネダはもう、俺に背中を向けて座ってた。テーブルの巨漢が首を回して、眉の下からじろりと睨んできた。
「へえ、そんな豪傑なのかよ?」
部屋の奥から、誰かの声が笑った。
「おうよ! 俺たちに勇者サマが当たったってよ」
別の声が付け足した。
「なあ、お前ら。悪く思うなよ。だがお前ら、クソほども分かってねえ。あんな獣、拝んだことすらねえだろ」
「クソほど分かってねえのはテメェだろ!」
反対側の隅から、声が飛んできた。
「待てよ」
誰かが、アゴでツネダを指した。
「お前、こいつと一緒に来たんだろ? 本当なのか?」
部屋中の視線が、ツネダの背中に移った。背中は、ピクリとも動かなかった。言葉ひとつ、首の動きひとつなし――空の椀の前に座ったまま、まるで天気の話でもされたみてえだった。
ざわめきの調子が変わった。誰かがレバーを『ホラ話』から『おい、待てよ……』に切り替えたみてえに。
空いてるテーブルのひとつに座った。俺の演説はこういう効果を狙ってたんだっけか、と考えながら、部屋を眺めてた。ブー大先生は常々、ムショじゃ敬意が基本だと言ってた。
(やっぱ、あのデブをブン殴っとくべきだったか)
思案から俺を引っ張り出したのは、さっきまで部屋の反対側に一人で座ってた生徒の一人だった。今は立ち上がって、落ち着いた足取りでこっちに向かってきてる。
(間違いねえ。俺に感心して、守ってほしくなったんだ)
ゆっくり歩いてた。足取りは軽いが、確かだ。伸びかけの赤毛が、小せえトゲみてえにツンツン突っ立ってる。背は、いっても170センチ。肩はすぼめてるが、筋肉はそれなりについてる。頭は床に突き刺すみてえに下げたまま、方向だけをこっそり探ってた。
俺のテーブルの前で止まった。で、そこで初めて目を上げた――俺の目をまっすぐに。ツラには、自信ってやつが描かれてた。
「相席か? 遠慮すんな!」
軽く笑いかけてやった。
「俺の庇護下に入れてやってもいいぜ!」
「どんな見た目だった」
「何がだよ」
「お前が倒した怪物だ。どんな見た目だった」
ソイツとのアイコンタクトが、俺のバランスを崩した。目が勝手に、あいつの後ろのどっかへ逃げてった。そんなこと、一度もなかったのに。路上じゃ、目を伏せたことなんて一度もねえ。
「いや、そのー、デカくて黒い、ロクでもねえヤツで……目玉が、こう……赤くて。なんだよ、本でも書いてんのか?」
「どこで見た」
「おいおい、アンタ。取材のお申し込みは、マネージャーのナマダまでお願いします」
目を逸らした。
いつの間にか、部屋全体がまた静まり返ってた。全員が、俺たちを凝視してる。
「はっ。やっぱりな。お前は臆病者だ」
鼻の下で、薄く笑った。
「俺が臆病者だぁ?」
「ああ。ツラを見りゃ分かる。何に追われてるのか分かる前に、クソ漏らすタイプだ」
背中を向けて、自分の席のほうへ戻り始めた。
「そうかよ? なら、確かめてみようぜ?」
あんまり考えずに、投げてやった。
一歩の途中で止まった。背中越しに、素早く俺をスキャンしてきた。
「斧」
早口だったが、十分に聞こえる声だった。
「斧が、何だよ」
「俺の選ぶ武器だ」
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