第16話 腕立て百回
(大勇者サマ、か)
俺とナマダの二人だけでも、そのうち何かは思いついてたさ。少し時間はかかったかもしれねえが、絶対、どうにかして切り抜けてた。
通行証を確かめると、衛兵どもは俺たちを門の向こうへ通した。通行証なんてモンを持ってたことすら、俺は知らなかった――ナマダが荷物を数分ほじくり返して、ようやく見つけ出したんだ。それまでは、こっちの世界のトイレットペーパーだと思ってた。よくよく考えたら、忘れてたのが逆にラッキーだったとすら思えてきた。
その先で待ってたのは、中庭だった。灰色で、陰気。
木が何本か雰囲気を救おうと頑張ってたが、無駄だった。片側には城壁、反対側には石造りの建物――で、その間に広がる空っぽの広場ときたら、真ん中を突っ切ってると、ツネダの横の俺の剣みてえに自分が縮んでく気がするほどだった。たぶん、そのために設計したんだろ。
幅2メートルのドアの向こうで、次の衛兵が待ってた。こいつは一見、前の連中より感じがよさそうだった。黒い口ヒゲの下でニカッと笑ってて、頭には、かなりフサフサした白髪まじりのたてがみが乗っかってる。
突き出した手のひらで俺とツネダを止めると、廊下の左側のデカい台を指した。
二分後、ヒゲは相変わらず鼻の下で友好的な形を保ってた――ただ、プラス面はそこで終わりだった。
救急リュックは、部品ごとにバラされた。返してもらえたのは、歯ブラシだけ。男は俺の包帯を巻いた前腕と、チュニックの背中のシミを視線でなぞって――リュックを持ってった。
キレイな金のフォークと杯二つがデカいカゴに放り込まれてくのを見て、胸が張り裂けそうだった。
「でも、出るときには返してくれるんだよな?」
痛みをにじませた声で訊いた。
「出るとき?」
衛兵は、ヒゲをひねっただけだった。
右の靴は、まばたきひとつされずに検査を通過した。足の指は、ふくらはぎが震えるくれえ強く丸め込んでたのに――ヒゲ野郎は無反応。脱げとすら言わなかった。全財産はカゴ行きになったが、一番大事な密輸品は、俺と一緒に先へ進んだ。
(は。王様稼業がコケたら、密輸屋ってキャリアが開けてるな)
フォークは取られたかもしれねえが、ここでマヌケだったのは、俺じゃねえ。
長い廊下は、俺たちを二階のかなり手狭な部屋へ連れてった。狭いドア、その隣には、明らかに浮いてる壁――一面、何かの落書きで埋まってた。解読してみたかったが、ツネダがノンストップで急かしてきた。問題が起きたらお前のせいだ、と文句をたれながらな。
「おはよう」
閉まるドアの轟音のすぐ後に、そう聞こえた。
ど真ん中に、五十過ぎか、もう少し上の男が立ってた。白髪と、冷てえ目つき――最初に目についたのはそれだ。厚手の青い生地のこざっぱりした軍服。胸には、勲章がいくつか縫い付けられてる。周りには、間に合わせの席がずらっと並んでた。教会の祈祷台に少し似てるが、座る部分がついてるやつだ。
「おはよ……」
「黙れ」
壁際から、短く。
この雰囲気は、高校の初日を思い出させた。ピリピリした年配のオッサンが、これから担任を紹介して、時間割を配って、はい解散ってやつだ。後ろから二列目あたりの席を、目で探した。一番後ろじゃダメだ――あそこは教師どもが必ず目をつける。後ろ寄りの真ん中が、最高の選択肢だ。
「誰が座っていいと言った」
ドアのそばで気をつけの姿勢を取ったツネダが、俺の着席の試みを、生まれてこの方これ以上のバカを見たことがねえって顔で眺めてた。年上のほうのツラは石で、そもそも表情筋ってモンがねえみてえだった。
「い、いや」
「なら、立ってろ」
平坦で、安定した声で言い放った。
しばらく待った。俺をじっと観察しながらだ。
「勇者学院へようこそ」
「おはよ……」
その目が、俺の額に穴を開けようとしてた。
「この学院はな、貴様らにキンタマを生やすために作られた。生えたかどうかは、東の国境で確かめる」
視線が、まず俺を、次にツネダをなぞった。
「門をくぐった時点で、貴様らは称号を置いてきた。ご立派な経歴も、ここでは味わえん贅沢もだ」
一言ごとに、何かが喉元に迫ってきた。俺は、ひでえ勘違いをしてた。これは学校じゃねえ。ムショだ。いや、完璧に再現されてる。急いで良心の棚卸しをした――ここに現れてからのこの数日、俺は何をやらかして、ここへ流刑にされたんだ?
何も。たぶん、何も。
「貴様らに残すことを許すのは、名前だけだ」
短い間を置いて、付け加えた。
「……それも、検討中だがな」
手を持ち上げた。校長――と俺は推察した――がこっちを見た。今度は、笑顔でだ。一瞬、まぶたを閉じた。
「なんだ」
「従者は、残しといていいんだよな?」
当然の質問に思えた。なにせレイスは、従者は連れてけるって言ってたんだ。で、正直言って――ナマダは、たぶんナマダじゃねえにしろ、かなり助けになってた。
「腕立て百回。二人ともだ」
ツラに笑みを浮かべたまま、言い放った。よく見ると、その笑みはひどく歪んでた。
驚いたことに、ツネダは抗議ひとつしなかった。
三回目で、前腕の包帯が温かくなった。十回目で、背中が獣のことを思い出して、下りるたびに針で縫うみてえに刺してきた。ジジイをチラ見した――俺の包帯をまっすぐ見てた。見えてたんだ。で、関心はきっかりそこまでだった。ほとんど体育の授業みてえな気分だった。目の端で、俺が二十まで数えたところでツネダが終わったのが見えた。俺が百に届いたのはずっと後だったが、休みは一度も入れなかった。立ち上がるときになって初めて、この前腕じゃ、その二十回すら本当はできねえはずだったんじゃねえかと思った。
(お。腕立てってのは、腹ペコのほうが捗るらしい)
両腕はヒリヒリして、手のひらにはマメができてた。
「ここでは特別な気分を味わえる。保証しよう」
校長はそう締めくくって、またうつろな目で見てきた。
ナマダは、もう一人の従者と一緒に別の区画へ連れてかれることになった。衛兵がもうあいつの背中に手をかけてたとき、ふと、何かが引っかかった。
「ナマダ!」
振り返った。
「すぐ答えろ! 小学校んときのあのデブ、名前なんてった? あのブサイクな、お前を下駄箱に押し込もうとしたヤツだよ!」
沈黙。ナマダは、俺が拘束衣でも着てるみてえな目で俺を見てた。眉を寄せた。本気で思い出そうとしてた――それが一番最悪だった。芝居なら、どっかがピクッと動いてたはずだ。
「ぼ、僕……」
「動け」
衛兵がそう切り捨てて、中庭のほうへ押しやった。
最初の二歩、ナマダは体を横に向けたまま歩いてた。理解しようとしてるみてえに。あのデブの名字なんざ、どもりもせずに出てくるはずなんだ。あいつの口から聞きたかった。
(よし、タコ。覚えてねえなら――思い出させてやる。全部、順番どおりにな。団地まるごと、一棟ずつ話して聞かせることになってもだ)
リストに追加。『ツネダを殺す。無理なら、せめて去勢する』のすぐ下にだ。
で、俺たちのほうは、遅刻のせいで今日は朝メシを抜いていい、と通達された。昼メシもだ。ついでに、晩メシも。
腹が鳴った。
(やっぱ、ナマダのポニーを食っとくべきだったか)
最後のイベントは、廊下の突き当たりの小部屋だった。そこで、俺たちの髪の手入れをしてくれるらしい。その知らせにツネダの鼻が妙にヒクついたのを見て、俺の心に希望の光がひと筋差した。
希望は、丸椅子とカミソリを持った男を目にした瞬間まで、きっちり続いた。鏡はなし。まあ、そのほうがよかったのかもな。
あっという間で、遠慮のえの字もなかった――石鹸、ジョリッ、それから、今朝までは前髪がなびいてた場所に冷てえ空気。頭の傷のとこで、男は手を緩めて、刃で大きく迂回した。門をくぐってからこの学院で出くわした、唯一の優しさってやつだった。
前髪は、ひとかたまりで床に落ちた。他の毛クズに混じって、なんか死んだモンみてえに転がってた。きのうまでは、風にも当たる先があったのにな。
だが、一番最悪なのは隣の丸椅子に座ってた。
ツネダだ。
俺と一緒に剃られながら、背筋は弦みてえにピンと伸びてて、ツラときたら、美貌を半分削がれてるところじゃなく、今まさに王冠を試着させてもらってる人間のそれだった。しかめっ面のひとつもなし。
ハゲたら、彫像みてえに見えた。
俺は――水の入った桶に映ったのを見る限り――親指だった。
お読みいただき、ありがとうございます。
ブックマークや評価、ひとつひとつが本当に嬉しく、大きな励みになっています。
もっと面白い物語をお届けできるよう、これからも精進してまいります。




