第13話 「王宮のヒル」
俺が床に落ちたあごを拾い集めてる間に、あの凶暴な美人はどっかの廊下へ消えていった。と思ったら、背中の向こうから、重い金属を打ちつける音が響いてきた。
荒い息のレイスに部屋まで護送されて、部屋からはそのまま、出発の門の下へ直行だった。
王国一お高いシャンプーで髪を洗ってる坊ちゃんは、馬の上で落ち着きなくモゾモゾしながら、誰も乗ってねえ俺の馬を数秒おきにチラ見してた。
「よし。ナマダ!」
ダチに向かって叫んでやった。この名前をあいつに投げつけるチャンスってのは、毎回、俺に格別な喜びをもたらしてくれる。
「は、はい、ヤ、ヤン様……」
「装備をポニーに積め! 出るぞ!」
ナマダはかなりトロい手つきで、盾やら残りの装備やらと格闘してた。まあ正直、俺もあいつの人生を楽にしてやったとは言えねえ。ズダ袋の中に、イザってときのためのブツをいくつか仕込んどいたからな。金の杯が数個、高そうに見えるナイフとフォークのセット、それから、なくさずに済んだ小せえ金の額縁が二つ。
で、いちばん大事なのが、アリスにもらった布きれだ。靴ってのは、あんな最高のプレゼントの置き場所じゃなかった。
「動け、ナマダ!」
三回目のその号令で、あいつの手はもう震えまくって、持ち手の革ベルトすら留められなくなってた。完璧な王位の候補たるこの俺は、臣民に慈悲ってやつを見せて、代わりにやってやることにした。
そのガラクタ一式――盾、鞍袋、残りの鉄クズども――をひっつかんで、片手でポニーに放り上げた。あとになって、やっと頭が追いついた。こいつは全部で、ナマダ二人分は重いはずだぞ。
(お。王族のメシってのは、体が勝手に育つらしい)
剣はベルトに提げた。騎士サマのお作法どおりだ。残念なのは、ツネダを見るたびに、俺の得物がなんか縮んで見えることだった。
出だしの道は近くの村々を抜けるルートで、わりと平和だった。人々は陽気に俺を見送って、手を振って、歓声を上げてた。で、何人かの田舎者はツネダに駆け寄って、あいつの足に触ろうとしてた。俺がその体験をパスできたのは、幸いだった。正直、軽くキモかった。
その先の道は、もうそこまで友好的じゃなかった。森に入った途端、文明との最後の接点が切れた。従者どものロバは、十数メートル後ろをトコトコついてきてる。この隊列を考えたのは、あのクズのツネダだ。なんでも、そのほうが『衛生的』らしい。俺は馬をナマダに並べて、ツネダの従者はあいつの『ご主人様』のほうへ追い返してやった。
「なあ。ナマダ」
もう一人の従者が安全な距離まで離れたのを横目で確かめながら、こっそり囁いた。
「やべえよな、これ?」
「ど、どうしてですか、ヤン様……?」
ナマダは、ボケっとしたツラで俺を見つめてた。
「どうしてって、お前……俺たち、お前が話してくれたあのアニメの物語ってやつに、たどり着いちまったんだぞ」
「わ、わかりません、ヤン様……」
眉を寄せて、また両腕を腹の上で縮こまらせた。
ナマダは昔から、軽く引っ込み思案なとこがあった。それでも小学校のころ、例のデブの件で軽く手ぇ貸してやってからは、俺の前じゃ普通にしてた。それに、あいつが演劇部に通ってたなんて記憶もねえ。
「ナマダ」
あたりを見回した。
「誰も聞いてねえ。この遊びはもう終わりにしろ」
「も、もし、何かでお、お気に障ったんでしたら……」
一瞬、黙った。
「ご、ごめんなさい。ほ、本当に、村には帰りたくないんです……」
目がうるみ始めて、縮こまらせた両腕は、もう腹に食い込んでた。
「もっとがんばりますから!」
少ししてから、そう叫んだ。
黙って馬を進めながら、あいつを観察した。嘘をついてるようには見えねえ。だが、目の上の傷痕も嘘はつかねえ。この異世界で、ナマダと瓜二つで、同じ情けねえクセ持ちで、同じ傷痕まで揃えたヤツに出くわす確率は――キレイなゼロだ。
ツネダが、地形確認のための休憩を宣言した。俺は許可を出してやった。別に、あいつが許可を待ってたようには見えなかったけどな。何もねえど真ん中の小せえ林が、おあつらえ向きだった。ツネダは従者に何かモゴモゴやってた――視界がどうの、どの木が地図に印されてるだの。聞く気にはなれなかった。人生で初めて知ったんだが、乗馬ってのは太ももに致命的な効果があるらしい。燃えてた。あの野獣から降りるのには、ナマダに軽く手を貸してもらうハメになった。ひでえ経験だ。まあ、時おり前髪に当たってく風だけは、なかなか気持ちよかったけどな。
レイスの予告じゃ、現地には日暮れ直後に着いてるはずだった。少なくとも、あいつのプランではな。ツネダはその予定表を疑ってるらしく、今朝の遅刻を何度か蒸し返してきた。あいつ曰く、原因は『壊滅的な無秩序』だそうだ。
勇者のキザ野郎の従者が、焚き火を起こして食いモンの支度をした。ナマダの担当は、乗り物と装備の世話だ。軽く気になったのは、あいつの手が、年季の入ったアル中みてえに震えてたことだ。ああいう手がどう動くのかは、よく知ってる――握り込んだ拳越しでもな。間近で見てきた。何度もな。
ツネダは焚き火の反対側で、手の中の小さな包みと一緒に座ってた。広げられた紙切れ。折り目には、濃い色の蝋のブ厚い封印。たぶん、三回連続で読み返してた。
「その学院とやらまで、まだ遠いのかよ」
投げてやった。こっちを見もしねえ。
「耳、聞こえてねえのか?」
二発目は届いた。紙を拳の中で握りつぶして、一瞬、まぶたを閉じた。
「なんだそれ、いい人からのお手紙か?」
歯を見せて笑ってやった。
「声に出して読んでみろよ。相談に乗ってやるから」
「黙……」
焚き火越しに飛んできたその声に、鍋の前の従者が思わず頭を上げた。ツネダは、言葉の途中で固まった。文の残りを飲み込むのが見えた――喉仏が下がって、両肩が元の位置に戻って、紙がローブのヒダの中に消えてく。二秒ってとこか。二秒後には、またアイロンのかかったみてえなヤツが、そこに座ってた。
(お。やっぱり、いい人がらみか)
このネタは、将来のためにメモっといた。
「何の用だ」
声はもう平坦だった。平坦すぎた。
「いやほら、スモールトークってやつ? 焚き火を囲んで、小話のひとつでも……」
「聞け」
立ち上がった。焚き火をゆっくり回り込んでくる。まるで、これに一晩かけてもいいみてえに。そして、俺の二歩手前で止まった。下から見上げると、実際より背が高く見えた。
「学院では、お前は何者でもない。いや、俺はむしろ、お前は生きて帰らないと見ている。その仮初めの称号は、もう抜きにしよう」
焚き火が爆ぜた。俺は、こういう雑魚向けの返しカタログから一発選ぼうとしてた。何も来なかった。いつもなら、来るのに。今は最後の言葉だけが、耳の奥で跳ねてた。
そのとき、ツネダの背中の向こうから、笑い声が聞こえた。
ナマダ。もう一人の従者と荷物を前に座り込んで、何かに笑ってた。心の底から、声を上げて。ここに来てから、初めてだ。
俺と、じゃねえ。
拳は勝手にゆるんだ。あごは、ゆるまなかった。
「……俺のこと、クソほども知らねえくせに」
もっとデカい声で言うつもりだった。出てきたのは小せえ声で、しかも半分、あいつに向いてなかった。
「ほう。若様の教養が、遺憾なく発揮されてるな」
「抜かしてんじゃねえ」
今度は、あいつを見てた。
「お前は俺の何も知らねえ。ナマダの何も知らねえ。毎晩戦って、次の朝に起き上がるってのがどういうことか、何も知らねえ。お前はただの雑魚だ」
一瞬、何かがあいつのツラをよぎった――これにマジで返事をしかけた、みてえな何かが。あいつはそれを押し殺した。焚き火の自分の側に戻って、腰を下ろして、炎に見入った。
「お前は、王宮のヒルだ」
平坦だった。怒りもなく、頭に叩き込まれた何かを諳んじるみてえに。
「宝物庫にしがみついた、何の価値もねえネズミだ。お前を玉座に近づけたら、この王国は滅びる」
「妹はやらねえ。玉座も、やらねえ」
歯の間から絞り出した。
立ち上がった。落ち着いて。落ち着いて見えるように、俺は全力だった。
「おやすみ、ヤン王子」
その称号は、あいつの口の中で、焚き火に吐いた唾みてえに響いた。
少しして、俺はみんなから数メートル離れたところに座ってた。ナマダから離れて、ツネダから離れて。三日前に俺の上へ降ってきた、このクソの山の全部から離れて。
前を見つめてたが、何も見えてなかった。場面だけが、チラついてた。遅番明けで帰ってきたおふくろに、狙ったみてえに当たり散らす父親。団地の下で、おふくろがクリスマスにくれた新品のアディダスを足から引っぺがそうと待ち構えてた、あのマヌケども。教師どもが俺をゴミを見る目で見てた、学校のあの授業。連中の中じゃ、俺はイカレたヤツだった。『攻撃傾向のある非社会的人格』だった。それから、店の前のヤツら。アイロンのかかったシャツに、笑える赤い紋章入りのネクタイ。
あの世界で最後に見たモンだ。
地面から体を起こした。
「ナマダ、撤収だ。あんなマヌケがいなくても、俺たちだけで何とかなる……」
笑い声が、途中で切れた。一瞬、俺と、荷物を前に一緒に座ってた従者とを交互に見て――それから、どもりのひとつもなく従った。数分後には、出発の準備ができてた。
「動け、ナマダ!」
ビクッと震えて、慌ててロバに飛び乗った。
「お前は、学院にたどり着くことすらできねえよ……」
ツネダがほくそ笑んだ。
「地図をもらったのは、お前だけじゃねえよ……」
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