第11話 人違いです
そのブサイクなツラを、十数秒はじっくり眺めてやった。
ヤツからは、腐ったモンだか、歩道に塗り広げられた犬のクソだか、そういう臭いが漂ってた。
衛兵の一人が、ヤツを軽く小突いた。
「若様にお答えしろ」
ナマダの目は怯えてた。縮こまった両手は、腹の上だ。ヤマの前は、いつもこれだった。で、それはだいたい、ヤマがクソを漏らす合図だった。なにせ本人が先に、ズボンん中でクソを漏らしてるんだからな。
肩をポンと叩いてやった。
「ナマダ、このタコ!」
なんならハグまでしてやりたかった。ただ俺の服は、あのボロ服にくっつくには、たぶん高級すぎた。
「お、俺……あ、あんたのことなんて、し、知らねえ……です……」
ヤツの視線は、俺の靴に突き刺さったまんまだった。
何かが飛び出してくるはずだった。帽子ネタでも、泥まみれのツラネタでも、なんでもいい。ナマダの前じゃ、いつだって何かしらが飛び出してた。勝手に、だ。
今回は、ゼロ。
頭ん中は、深夜すぎのテレビみてえな砂嵐だった。手は、ヤツの肩までの中間で宙ぶらりんのまま、自分がどこの誰のモンなのか分かってねえみてえだった。
(……「です」?)
ナマダは、俺に「です」なんて使うタマじゃねえ。体育教師相手なら? まあ、あるか。
数歩、後ろに下がった。落ち着いて、順番どおりに。カツアゲしたブツが使いモンになるか検品するときの、あの要領だ。
人違いの線は消えた。左眉の上の傷痕――小学校んときの、あのデブにやられたヤツだ。ナマダだった。で、服装から察するに、あっちの引いたガチャは、俺のよりハズレだったらしい。
(ショックなんだ。そう、ショックだ。普通のことだろ。ついさっきまで、歩道に転がる俺の勇者の亡骸を拝んでたんだからな。そしたら親友が、生きて、アイロンばっちりで、いい匂いさせて目の前に立ってる。俺だって言葉に詰まるわ)
砂嵐が、少し収まった。うん。ショックだ。100パーセント、ショックだ。
「ち、ちが……」
ほとんど聞き取れねえ声で、鼻の下から絞り出してきた。
肩をポンポン叩いてやった。一発、二発、少し強めに――バラバラに崩れねえか、確認する必要があった。自分のツラが、輝き出すのが分かった。この世界でドラゴンだか何だかをブッ倒すのに必要なモンは、ナマダ――それだけだった。
「なにブツブツ言ってんだ、ナマダ?」
返事の代わりに、ヤツはさらに深く頭を丸めた。
「俺の新しい田舎者に、服を着せてやってくれ」
衛兵の一人に、ニカッと笑いかけてやった。
残りの四人は、トレーニング用リングの裏の門から連れ出されてった。別の衛兵がナマダを連れて、中庭のほうへ歩き出した。
「それでは、すべての準備が整いました。出発は明日、6時です」
レイスはいつものぐだぐだで、俺の生きる喜びを皆殺しにした。
例の『学院』ってやつが、耳ん中で反響するようになってきた。手のほうも、この単語への反応が、なんか前と違う。
(きのうまでは団地の前に突っ立って、ヤニをたかれそうなカモを探してた。それが今日は、どっかの金持ちのクソガキに王座から蹴り出されて、ついでに妹ちゃんまでかっさらわれるかもしれねえときた。それだけはナシだ)
「6時? お前、正気かよ。そりゃまだ夜って言うんだよ」
6時起きなんて、人生で一回だけだ。正確には、おふくろに叩き起こされた。警察がウチのドアをノックしてきた日だ。
「レイス、その時間には嫌な思い出があんだよ…… 10時とかどうだ? せめて9時?」
潤んだ子犬の目ってやつを試してみた。効くわけがなかった――完成した頃には、レイスはもう数メートル先にいた。
◇ ◇ ◇
その日の残りは、大したサプライズもなく過ぎてった。
お行儀よく就寝タイム――こっちはまだ、送別パーティーってやつをやる気満々だったのに。酒はどこにも見つからなかった。ビールすらだ。で、執事は俺を、部屋のドアの真ん前まで送り届けやがった。
部屋ん中じゃ、キレイに並べられた『装備』一式がお待ちかねだった。ツヤの死んだ古い剣。なんかの肩当て。旗とおそろいの紋章がついたマヌケなチュニック。塗装のハゲた盾。
(カモみてえに、キレイにカツアゲされたぜ)
ダイヤ付きのウルトラすげえ黄金の剣だって、持ててたかもしれねえのに。
ロウソクを吹き消して、ベッドに突っ込んだ。柔らかくて、いい匂いで――一秒で寝落ちして当然のはずだった。
寝られなかった。
まぶたを閉じるたびに、その裏で何かが映画を流し始めやがる。テリクスと、トレーニングんときのあの顔。ネモだかナトだかと、例の『価値の証明』のご高説。東の話をしてたときの、レイスのあの真顔。目を開ける――天井。閉じる――最初っから、同じプレイリスト。
ナマダがすすめてきたホラーってホラーを、片っ端から思い出しちまった。団地とはワケが違う。あっちの恐怖には、シンプルなルールがあった。誰が来るかは分かってた。何のせいかも分かってた――まあ、たまに何のせいか分かんねえときもあったけどな。で、どの門からずらかりゃいいのかも分かってた。
こっちのは、想像すら難しかった。どんな見た目してやがるんだ? 確かなのは一つだけ。ドアの間の旗どもが俺をじっと見てて、あいつらが揺れるたびに、腕が、次は脚が、ビクッと跳ねるってことだ。
シーツからいい匂いが消えるまで、寝返りを打ちまくった。どれだけそうしてたのかは分からねえ。分かってるのは、寝間着のチュニックを最終的に窓の外で干すハメになったってことだけだ。
部屋は、刻一刻と狭くなっていった。
◇ ◇ ◇
例の屠殺場へ旅立つことの唯一のプラス面は、窓の外にあのクソラッパどもがいねえことだった。
目は片っぽだけ開いた。もう片っぽは、抵抗しやがった。頭はまた枕の上に落っこちて――たぶんそのまま居座ってた。あの音さえ聞こえなけりゃな。年季の入った床板に、金属を打ちつける音。聞き覚えのある、規則正しいリズムだ。
一瞬、バリケードって案が頭をよぎった。肉体が、作戦の実行を拒否した。レイスは乗り込んできて、遅刻だなんだと二回叫んで、消えた。
中庭には、なんとかたどり着いた――まあ、三回目の挑戦でだけどな。あの廊下、設計したヤツは絶対に酔っ払ってた。
人っ子一人いなかった。驚きゃしねえ。まともな人間が、こんな時間に起きるかよ。正門の衛兵も居眠りしてたに違いねえ。俺が五回目のデカい咳をかましてやって、ようやく門が開いた。
朝日は、ナマダに直撃してた。選ばれし者の映画みてえに、って言うか。爪先から頭まで全身まるごと照らし上げてて、このワンカットは、ここの神様とやら全員に感謝してもいい。
ヤツが穿いてたカラフルなズボンは、ふくらはぎから下の血流を完全に断ってた。きつめのシャツには、でっかいポンポンみてえな袖口。帽子は、近所の教会からパクってきたとしか思えねえ――ポンポン付きのやつだ。で、ツラがまた、全体に完璧にハマってた。
耐えられなかった。
「ナ・マ・ダ!」
自分の名前が聞き取れたかどうか怪しいくれえの音量で、俺は笑ってた。
ナマダはふくれっ面で突っ立ってて、そのツラがどんどん赤くなってった。何回か、笑いを止めようとした。無理だった。四回目で、やっと成功した。
残りの連中にも目を走らせた。隣には、もう一人。ナマダと全く同じ格好で、似たようなツラのヤツが立ってた。二人の間、馬の上には、金髪の男。前腕を見りゃ、スポーツと無縁じゃねえのは一発で分かった。青と白の、光沢のあるキレイな衣装。腰には長い金色がかった剣――太陽のほうから勝手に、その刃に反射したがってるみてえだった。
顔には、なんか見覚えがあった。ま、ここじゃ全員が俺を知ってるんだ。たぶん逆方向にも働くんだろ。
レイスに近寄って、あばらの辺りを軽く小突いてやった。
「あっちのピエロ二人は知ってるけどよ。で、こいつは誰だ?」
馬上の知らない男を、アゴで指してやった。
「ツネダにございます。将軍のご子息。そして――私めの一番弟子にございます」
レイスは胸をグッと前に突き出した。風が、たてがみをなびかせてる。前歯を剥き出して笑ってた。
眉毛が勝手に、互いの距離を詰めてった。拳も、軽く握り込まれてた。
「そいつが例の田舎者か? 俺の妹ちゃんを……その、なんだ……分かんだろ?」
「ヤン王子」
作り物の薄笑いを浮かべて、こっちに会釈してきた。ああいう薄笑いなら、何度も見てきた。『触んなよ、さっき手ェ洗ったばっかなんだ』ってタイプの薄笑いだ。ただ、この笑いはどっかで、もっとよく知ってた。もっと具体的に、だ。で、それがどこなのか、クソほど思い出せねえ――それが一番ムカついた。
「そのとおり。王子だ。で、この先もずっとそうだ。勘違いすんじゃ――」
「今日から、あなたのお供です」
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